第三十話:旱魃
バツは、コアフから「カンバツ」という女の話を聞いてから、遠い記憶がだんだんと蘇っていた。かつてのシユウとの戦いの場に、バツもいたのだ。
しかし、狡兎死して走狗烹らると言うように、戦いのときは求められた力であっても、戦いが終わればいらなくなってしまう。
制御できない力で干ばつが起きてしまえば、邪魔にしかならない。だから父に捨てられて、いつしか魃という醜い妖怪に変貌していったのだ。
寂しさを抱えながら、気づけばキョンシーになっていた。
永遠のような孤独が続く。しかし、長いながい時を経て、あの日セイランとユウロンに出会った。
セイランが苦しんでいても、できることなどほとんどない。
しかし、バツが忌々しく感じていた力を、セイランは活かそうとしてくれた。
それがどれほど嬉しかったか、言葉にできない。
それでも、バツは失うことを恐れていた。奥底に眠る力は封印を破り、また姿が変わるだろうという確信があったからだ。
その姿を、その力を恐れられて、また一人ぼっちになってしまうのではないかと思うと、バツは何も言えなかった。
しかし、セイランのおじいさんが、死の淵にいるのかもしれない。セイランを育てたその温かさに、バツも一度だけ触れた。
苦しみながら、セイランが復讐に燃えているのを見ると、胸が張り裂けそうになる。
それでも、セイランのつらさに比べれば、この体のように小さすぎて、止めることもできない。
バツはせめて、セイランの助けになりたいと思った。それがたとえ、業火のような道であったとしても。
「セイラン、わたしだよ。見た目はかなり変わっちゃったと思うけど、バツだよ」
「バツ……」
セイランは目を丸くして、見上げてくる。
助けになりたいと思いながらも、拒まれるのではないかという恐れが、バツをたじろがせそうになった。
「バツ、バツなんだね。あったかいな……」
近づいて抱きしめてくれたセイランの声は、あんなことがあったばかりなのに、優しい声色だった。この慣れない体でなければ、泣いていたかもしれない。
「この姿はコウ、ボウテンコウではないか! キョンシーがごく稀に変わることがあるとは聞いていたが、我も見るのは初めてだ」
「ガキがでかくなりすぎだろ。それにボウテンコウっていや、凶暴なんじゃねぇのか?」
「龍をも食らうと、言われているからな。しかし……そういう心配は、せずともよさそうだ」
シェンウーとユウロンも驚きは隠せないようだが、敵意はないとわかってもらえたようだ。
セイランに抱かれながら、バツはホッとして力が抜けそうになった。もしセイランたちに出会わないまま、ボウテンコウとやらになっていたら、もっと凶暴になっていたかもしれない。
「セイランは私を助けてくれた。もしセイランが望むなら、わたしがレイロンの元へ、連れて行ってみせる」
セイランはバツを見つめてきて、本当は止めたいと思っていることが伝わってしまうのではないかと、目を背けそうになる。それでもバツは、目を合わせ続けた。
「だが、勝てるかどうかを抜きにしてもだ。場所はわかんのか?」
「それがな、ユウロン。東の果ての森の奥に、遠目からでもわかるくらいの、巨大な桜の木が生えたらしい。まだ花が咲くには早いってのに、満開なんだとよ」
「なるほどな。そこにいそうだってことか」
ユウロンの疑問に、コアフが答えた。それは目印として、わざとつくられたのかもしれない。罠であっても、おかしくはない。それでも、今のバツなら、その桜の木までセイランを乗せて飛ぶことがきる。
セイランの願いを、叶えたかった。
「わかった。連れて行って」
「死ぬぞ、小娘。青龍が強いのは、わかってるはずだ。おそらくムシキも含めて、他の妖怪もいるだろう。ランフーでも勝てなかったのに、今のお前じゃ死ににいくようなもんだ」
「そうだね、私もそう思う。でも止められないんだ。だから一人で戦う。ユウロンやシェンウーさんたちに手伝ってとは言わないし、バツも着いたらすぐに離れて」
「馬鹿娘が……」
ユウロンの言う通りで、バツも止めたかった。
セイランに、死んでほしくない。死んでほしくはないけれど、死ぬときは一緒だと、バツは心の中で決めていた。
塔の外に出て、バツはセイランを背に乗せてから、飛び立とうとしていた。
外は眩しく、この冬はずっと見ていた景色なのに、山も青空も改めて一望すると、こんなにも美しいのだ。
ユウロンとも、もう最後になるのかもしれないと思うと、一抹の寂しさを感じる。ユウロンの水は澄んでいて、とても美味しかった。
会ってすぐにバツはびしょ濡れにされたが、ずっと誰かにそうしてほしかったのかもしれない。水がないと、干ばつは防げないのだから。
「今までありがとう、ユウロン。封印を解いてあげられなくて、ごめんね」
「お兄ちゃん、ありがとね。お水、すごく美味しかった」
セイランは悲しげに、ユウロンに頭を下げている。
バツもならって、思っていることを告げた。あまり言いすぎると、セイランに見抜かれるかもしれないと、バツは別れを言わなかった。
「シェンウーさん、コアフさんにも、お世話になりました。感謝しています。皆さんもお元気で」
セイランがまた頭を下げたとき、ユウロンが言った。
バツが耳を疑うようなことを言った。
「──俺も行く」
「何っ!?」
「だから、俺も行く。ジジイ、すべて解けとは言わねぇから、せめて四つ解封してくれねぇか?」
「な、なんだと? 我はそう簡単にこの地を離れることはできんとはいえ、まさかお前が行くというのか!?」
シェンウーの驚きようは、ユウロンのことを以前から知っているからなのかもしれない。とはいえ、セイランも信じられないという顔をしていて、バツもそうだった。
「……本気のようだな、ユウロン。セイランが死地に赴こうとしているのを、止められん我がいる。我もそうだったことがあるからな。すべて解いてやりたいところだが、ランフーと同じ五行でなければ、四龍を抑えるほどの最後の封印だけは、解くことができぬ。セイランよ、先ほどはそれどころではなかったが、できるだけ解封してみるがよい」
「わ、わかりました。ユウロン、本当にいいの?」
いったん降りたセイランに、尋ねられたユウロンは黙ったまま、小さく頷いた。あのユウロンが、セイランのために動こうとしているのかと思うと、バツは温かい気持ちになった。
「──第一、第二封印、解!」
続けて解こうと、セイランは意識を集中させているようだ。バツは妨げにならぬように、心の中で応援していた。
「──第三封印、解!」
今までよりも大きな黒い閃光とともに、ユウロンは二十歳ほどの姿になっていた。セイランは、解封を成功させたらしい。
「セイラン、やっぱりすごいね!」
「ありがとう、バツ」
姿が変わったことで、今までのように手を合わせて、喜びを分かち合えないのがもどかしく、バツは地団駄を踏むように、何度も足を動かした。
「では、我がやろう」
シェンウーは首をごきりと鳴らしてから、気を放出させた。
「封印はともかく、解封は久々だ。──第四封印、解!」
さらに迸る黒い閃光に、バツは目を瞑った。
目を開けると、そこにはまた一回り大きくなったユウロンがいた。両手両足の封印が、ついに解かれたのだ。
「初めて会ったときの見た目に、かなり近くなったね」
「……ふん、まだ最後の封輪が残ってるだろ。ランフーがいなくなった今、お前にしか解けないんだ。死なれては困る」
セイランは封印される前の姿を、見たことがあるのだろう。
しかし、バツは初めてで、目を見張っていた。ガキ呼ばわりに、バツは大して変わらないのにと思っていたが、確かにユウロンにはそう見えたのかもしれないと、納得してしまいそうだ。
「最後にセイランへ、我が宝剣を一つ与えよう。かつての友の剣で、本来は姿の見えぬ剣だった。しかし今は、見ることができる。三つある内、一つだけ授けよう」
「ありがとうございます。どういう剣なのですか?」
「一つ目の含光は、斬った方も斬られた方も、感触がわからぬほどだ。二つ目の承影は、かすかに音を立てるが、斬られた方は痛みに気づくことすらない。そして三つ目の宵練は、斬られた方は痛みを感じるが、たちまち傷が塞がる不殺の剣だ」
バツからは、シェンウーの剣を見ているセイランの顔はよく見えず、セイランがどの剣を選んだのか、バツはのちに知ることになる。
バツは、セイランとユウロンを背に乗せて、青く澄んだ空へ飛び立った。




