第二十六話:記憶
セイランは動悸が止まらないまま、塔の最上部のひんやりとした椅子に、座って待っていた。
ここで冥界から託された言葉を、受け取ることができるらしい。しかし真っ暗な部屋で、真ん中にある篝火と、煙突の先の小さな空しか見えなかった。
「心の準備は、できているのか?」
「は、はい。そのつもりです」
「セイラン、お前の両親から託された言葉を受け取れば、それをきっかけにして、白龍としての過去の記憶を思い出すだろう。両親がなぜ、亡くなったのかもだ」
「……………」
バツは部屋の前まで着いてきてくれたが、今はセイランとシェンウーの二人だ。炎で照らされて、影が後ろに長く伸びている。
シェンウーの顔にも下から光が当たって、陰影ができていた。それがセイランの、心のざわめきを大きくさせる。
「それでは、始めよう」
シェンウーは火に炙られている、亀の甲羅らしきものの真ん中に空いた穴に、二つ折りの紙を入れた。
燃えるはずの紙はなぜか燃えず、セイランにとっては永遠にも感じる刹那だった。そしてシェンウーは燃え盛る火の中に手を入れ、セイランは危ないと止めようとした。
しかし、手に火傷をした様子はなく、やはり紙も燃えてはいない。目を丸くするセイランに、シェンウーは紙を渡してきた。
セイランは、その紙を震える手で開いた。炙られたような跡が、文字となって刻まれている。
「セイラン、あなたは何も悪くない。どうか健やかに、幸せに生きて」
それを見て、涙があふれ出るのと同時に、脳裏に記憶が蘇っていく。
混仙郷での記憶、ユウロンとの戦いの記憶、五歳の誕生日のときの記憶、そして生まれて間もないときの記憶、白龍の力が現れたときのあらゆることを、セイランは遡って思い出した。
五歳の誕生日、市場でセイランはからかわれた。近所の子に会って、両親がいないことを笑われただけなら、我慢できただろう。
でも、祖父のことをまともな仕事をしていない、放浪者だと馬鹿にされて、セイランは感じたことのない何かが湧き立った。
半覚醒して、その子を襲いかけたところで、ランフーに止めてもらったのだ。
そして記憶は、さらに過去へ。
セイランは見たくないとあがくことすらできず、直視させられた。
産声を上げるセイランに、優しい眼差しが向けられている。母に抱かれ、父が傍で見守ってくれていた。
「名前を決めないとね」
「そうね……」
母の腕に抱かれながら、ようやく泣き止んだセイランは、まどろむように眠りについた。
こんな時代であっても、この空間には温かさが満ちている。そんな安らぎは、この記憶を見ているセイランが、求めてやまない光景だった。
しかし、そのささやかな幸せは、唐突に崩れ去った。
闇夜に怒号が飛び交い、悲鳴が響き渡る。窓からは燃え上がる家が見え、子供の泣く声が聞こえた。
戦後の爪痕は消えず、この地にもついに、食うにも困った人々や流浪の妖怪たちが、なだれ込んできたのだ。その中の一団が、セイランたちに目をつけた。
「逃げなければ……!」
父の声が張りつめ、母が必死に守ろうとセイランを強く抱きしめる。しかし、すでに逃げ場などなかった。
その瞬間、セイランの白龍としての本能が、目を覚ました。
赤子のセイランは、産声を上げるように力を解放していく。
真っ白な光が覆いつくし、その気はまるで荒れ狂う津波のごとく。襲撃者たちは押し流されて、瞬く間に消え去った。
しかし、その力はセイラン自身を無意識に守ろうとしただけだった。白龍の力の余波は、両親まで襲ってしまったのだ。
「がはっ、こ、この力は──」
「で、でも、ランフーさんなら……!」
両親の体が崩れ落ち、地面に血が滴っていく。二人の命は、風前の灯だった。それでも最後の力を振り絞り、ランフーの元へと向かった。
──かけがえのない小さな命を、託すために。
そしてなんとか辿り着き、扉を叩いた二人はもたれるように倒れた。鮮血が扉をつたっていく。
セイランの記憶は、そこで途切れた。
食欲がなく、ほとんど何も食べていなかったのに、セイランの胃はひっくり返ったかのように、吐き気が込み上げてくる。
嗚咽が止まらず、息もできないままセイランはうずくまった。一刻も早く外に出たくなったが、這っていっても扉に手が届かない。
扉に触れることもできずに、このまま死ぬのかもしれない。
セイランはふと、そうなった方が楽になれる気がした。触れなくても、叩かなくてもいい。
それなら、両親の元へ行けると──。
「セイラン!」
扉が開いて、光が見えた。バツが小さな体で、支えようとしてくれている。しかし、体に力が入らない。
なぜか、奥にはユウロンがぼんやりと見えて、セイランは朦朧とした意識のまま、床に倒れ込んだ。
「お、おい。小娘!」
これは、幻覚なのだろうか。ユウロンは膝をついて、抱えるように支えてくれている。セイランは自分がすでに死んだのかもしれないと、かすかに微笑んだ。
ようやく意識が鮮明になってくると、セイランの目に部屋の白い天井が映った。寝台の上で、横になっていたらしい。
「セイラン……」
手に温かさを感じて、セイランが横を見ると、バツが手をつないでくれていた。部屋の入り口の前では、ユウロンが腕を組んで壁にもたれている。
「つらいよね。休んでていいからね」
セイランは上半身を起こして「ありがとう」と言おうとしたが、思ったように声が出てこない。口だけが魚のように、パクパクと小さく開いて、体を起こすこともできなかった。
──両親を殺したのだ。ずっと会いたかった両親を。
そんな考えがセイランの頭の中で、何度も反芻される。ぶり返すように、セイランは息を吸っても吸っても、生きている心地がしなかった。
「おい! 俺を見ろ!」
その声で、セイランの視線が動いた。
ユウロンは鼻くそを飛ばすような仕草をしていて、嫌悪感が湧いてなんとか避けたくなる。
「ユウロン! こんなときに何してるの!?」
「うるせぇ! 小娘のバーカ、バーカ! 一丁前の顔して、ぶっ倒れてんじゃねぇか。やっぱりまだまだ、小娘だな」
「ユウロンのバカー!」
バツがユウロンに息を吹きかけると「あちいって!加減しろ!鼻くそは飛ばしてねぇ」と言った。
そんなやり取りを見ていると、気づけばセイランは息ができていて、だんだんと気分がほぐれてくる。呼吸が整うと、やっと声が出た。
「ふぅ、ありがとう、バツ。ユウロンも」
「……ふん」
ユウロンとは目が合わなかった。
それでもユウロンなりに、気を遣ってくれたのかもしれない。バツの肩を抱き、セイランはようやく笑みがこぼれた。
「じいちゃんは、本当のじいちゃんじゃなかったんだね」
「そうだな。でもあの溺愛っぷりは、気味が悪いくらいだったぜ。何度も聞かされて、鬱陶しかったわ」
「じいちゃんが……?」
「凶星のランフーとか言われてたくせに、丸くなっちまってよ。別れたときも、何があっても味方だとか抜かす始末だ」
そうユウロンに言われて、セイランも思い出していた。
冥界とつながる北に来るということは、こういうことだったのだ。気遣って、そう言ってくれたのだと思うと、セイランはまた目の奥が熱くなった。
「セイランは赤ちゃんだったんでしょ? 誰も責められないよ」
バツは目を赤くしている。どうしようもない力、どうしようもない心、抱えるものの大きさは違っても、誰もが何かを背負って生きている。
その重みに潰されそうになるけれど、支えてくれる誰かがいるというのが、恵まれていることなのかもしれない。
セイランの涙は、ただ悲しみに暮れるだけの涙ではなくなっていた。
そこにシェンウーがやって来て、セイランはまた体が強張りそうになったが、ランフーを思わせるような柔らかい表情をしていて、張り詰めかけた心が緩んだ。
「少しは落ち着いたようだな。ついぞランフーは言えなかったようだが、いつもお前のことを気にしているようだった。赤子に罪はないとな」
「じいちゃん……」
「セイラン、お前が陰の気を抑え込んでいたのは、そのことを心の片隅で覚えていたせいだろう。普段は抑えられていても、白龍としての力までは抑え込むことはできない。抑え込もうとすればするほど、膨らんでいって暴走するのだ」
「そう、ですね」
そう言われると、セイランには腑に落ちるものがあった。
普段は抑え込んでいるつもりでも、きっかけがあると引火するように爆発してしまうのだろう。セイランは小さく頷いた。
「暴走を恐れるあまり、そこまで陽の気を扱えるようになったというのが驚きだ。その過去と、陰の気を受け止める訓練をすれば、操ることもできるようになるだろう」
「……ありがとうございます。シェンウーさん」
「むしろ均衡させるという意味では、陽の気が足りなくなるかもしれん。そのときは、朱雀を頼るがいい」
そう言って、去ろうとしたかに見えたシェンウーは、ユウロンの前で止まった。
「ユウロン、お前もセイランを見習ってはどうだ?」
「ジジイに言われたくねぇよ。ひきこもってるくせに」
「……そうだな、その通りだ。戦いに嫌気がさして、見ないようにしてきた。しかしユウロン、それはお前もだ」
「はぁ? 俺はひきこもってねぇよ」
シェンウーは頭を横に振り、嘆息した。
「そういうことを言っているのではない。お前もわかっているだろう? 恐れて、閉じておるのだ」
「…………ふん」
シェンウーは黒衣を翻して、部屋から去って行く。
ユウロンは仏頂面をしていたが、また遠くを見るような目に変わっている。
しんしんと降り積もる雪を、セイランも窓から見つめていた。




