第二十話:復讐
すでに、日は沈みかけている。
その残光が当たっている姿は美しく、セイランは声が出なくなりそうだった。
「あの、あなたは誰、ですか?」
「そうだな。レイ、とでも呼んで」
「レイ……」
レイの目は穏やかで、さっきまでたぎっていたセイランの戦意が、失われていく。
しかし、ムシキの首根っこを掴んだレイは、がらりと表情が変わって、セイランまで凍りつきそうな目をしていた。
「す、すんません。姉御。でもまだ負けたわけじゃ──」
「勝手なことをした上に言い訳とは、また山に戻されたいのか?」
「ひぃっ!も、もうしませんから、許してください。久々だったんで、暴れてみたかったんです」
「……次はないと思いなさい」
あれほど強かったムシキが、レイの前では子供のようにガタガタと震えている。あの突然出てきた木がなければ、とどめを刺していたかもしれない。
セイランは濡れた寒さだけではなく、自分の中のどろりとした感情に、震えが止まらなかった。
左腕に感じる熱さにも、気づかぬほどに。
「セイランさん。もう大丈夫だから、あの守りを解いてもいいんだよ。ほら」
まだ敵なのか、味方なのかもわからない。しかしレイには敵意があるようには見えず、セイランはふらふらと立ち上がり、銀壁を解いた。
出てきたバツとユウロンは警戒しているようだったが、セイランが宥めようとするとくしゃみが出て、バツは焦ったようにセイランに寄ってきた。
「セイラン! 大丈夫なの!? 顔も唇も真っ青だよ。今、暖めてげるからね!」
「ふん、小娘のくせに余計なことしやがって。死ななかっただけ、幸運だったな」
バツが周囲の空気を暖めてくれている。セイランは体だけではなく、心まで温まるようで、バツを抱きしめた。
「そんなに近いと、熱くない?」
「ううん、そんなことない。あったかいよ」
セイランの表情が柔らかくなる一方で、ユウロンは険のある表情のままだ。レイを鋭い目つきで、探るように睨んでいる。
「……おい小娘。どうなってんだかわからねぇが、ムシキとはどうなったんだ?そこの女は誰だ?」
「私もよくわからないけど、そのレイさんが戦いを止めてくれたの」
「止めた、だと……?」
ユウロンは目を見開いて、レイを穴が空くほど見つめていた。
日が落ちてくると、セイランは火打石で火を起こした。
湿った枝では火が着きにくいが、バツが乾かしてくれている。暗闇に包まれた沈黙の中、セイランたちと、レイとムシキは焚火を囲んでいた。
「ねぇ、あなたたちには大切な人っている? セイランさんはどう?」
「……います。じいちゃんに、バツと──」
「そこの少年は違うの? 守ってあげてたのに」
一瞬セイランがユウロンに視線を向けたのがわかったのか、レイは意地の悪い笑みを浮かべている。
セイランは言いよどんだ。自分にとってユウロンはどういう存在なのだろうと、セイランは考えを巡らせた。
「答えなくてもいいよ。それよりおじいさんがいるんだね。どんな人なの?」
「じいちゃんは……優しくて頼りになって、いつも見守ってくれるんです」
「最初はちょっと怖かったけど、わたしもそう思う。白虎だし、かっこいいもんね」
「そう、白虎なんだね」
ランフーという祖父がいて、白虎であることをバツが言っても、レイは淡々としている。レイが焚火に木の枝を入れると、さらに燃え上がった。
「もし、そのおじいさんが誰かのせいで亡くなったら、セイランさんはどうする?」
そう尋ねられるだけで、セイランの胸には炎に焼かれるような気持ちが込み上げた。負の連鎖を止めたいと思っていても、大切な人が殺されたら我を忘れてしまうことは、容易に想像がつく。
「わかりやすいね、セイランさんは。優しさと激情がぶつかり合ってる」
「……レイさんはどうなんですか?」
「──殺す」
セイランはその一言だけで、背筋がぞくりと寒くなった。
焚火の熱が冷気だと錯覚しそうになるほどの、冷たい声だ。それはここにいる誰もが、そう感じたのかもしれない。
「老若男女関係なく、一族丸ごとね。そうやって自分や自分の大切な人の、脅威になりうる敵を排除しようとする。それがかたき討ち、復讐の原理でしょう?」
「それは……」
「すっきりするじゃない? それに敵を排除して安心できないと、また同じことが起きるかもしれないって、誰かと親しくなることもできない。孤独なまま、ずっと……」
いつもなら皮肉を言いそうなユウロンが何も言わず、セイランも黙ることしかできなかった。バツは手を握ってきて、セイランも握り返した。
「その代わりと言ってはなんだけど、覚悟はしてるんだよ。もし私が誰かの命を奪ったことで、殺されたとしても受け入れようってね」
だからこその、一族皆殺しなのだろうか。
侵略者が先住民を殺しつくすことで、禍根が残らないようにすると聞いたことがある。そうなれば悪辣な行いでも恨む者がおらず、こんな時代では裁かれることもなければ、問題提起されることすら、まずないだろう。
「例えとしては、復讐なんて大げさだったね。でも恨みや敵意はなかったとしても、優先順位があるはず。大抵は自分や自分の家族のために、頑張って働くでしょう?そうして得た何かを赤の他人に与えるなんてことはしないし、結果的に他人が得られたかもしれない何かが失われたところで、気にしないはず……命でさえもね」
同情はしたとしても何もできないのは確かで、セイランは琥珀の首飾りを見つめた。ティエンのお姉さんは死んだ。襲われ奪われて追い詰められ、ティエンのために盗んで斬られた。
誰かのわずかな助けで、救われたかもしれない命を誰も知らない。知っていたとしても自分の物を渡したくない、奪われたくないと思うのだろう。
殺す気はなくても、苦しみながら死んでいくかもしれない誰かを、見て見ぬふりをしてしまう。そうやって直接的ではなくとも、間接的に誰かを苦しめることもあり得る。セイランが得た温かさの分、誰かが凍えるような思いをしているのかもしれない。
セイランは俯いたまま、焚火がパチパチと響く音を聞いていた。
セイランが顔を上げると、レイと目が合った。ずっとこちらを見ていたのかもしれないが、その瞳はかすかに翳った。
それでも闇夜の中、炎の光で煌めいている。吸い込まれそうな、宝石と見紛う瞳だった。
「なーんて冗談だよ。暗い話になっちゃったね。セイランさんったら、真面目な顔しちゃって面白い」
お腹を抱えて笑うレイを見て、脱力してしまいそうになったが、どこか冗談ではない凄味を感じ、セイランの体は固まったままだった。
「……おい、いつまでたっても本題にならねぇな。お前はどこの誰で、何でそこの猿が言うこと聞いてんだよ。しかも封印が解けてるじゃねえか」
ようやく口を開いたユウロンは、目つきが鋭かった。確かに封印を解ける者は、限られている。
それに、あれだけ強いムシキと明確な上下関係があるのも、尋常なことではない。セイランは身を乗り出しそうになるのを、抑えようとした。
「興味津々だね、少年。でも秘密だよ」
「俺はガキじゃねえ。黒龍のユウロン様だぞ」
「そうなんだ……じゃあ私の仲間になる? 封印を解いてあげられるかもしれないよ」
レイのその発言に、緊張が走った。
先ほどと変わらず、ユウロンの言葉を疑うそぶりもなく、焚火にまた木の枝を入れながら、こともなげに口にする。
しかし、旅が終わるかもしれない一言だ。セイランがユウロンを見るとわずかに目が合ったが、すぐにユウロンはレイに向きなおった。
「わけがわからねぇが、ムシキを見るにあながち嘘ではなさそうだな。自由になれるってんなら、条件次第では悪くねぇ」
「……ユウロン、行っちゃうの? セイランはそれでいいの?」
バツは寂しげに呟いた。
憎たらしく感じていたはずのユウロンに、視線を向ける。
急にいなくなるのかと思うと、喉に魚の小骨が刺さるような痛みを感じていることを、セイランは否定できなかった。




