第十八話:夕餉
東と中央の間を縫うように、セイラン一行は進んでいた。
北に近づけば近づくほど山は高く険しくなり、寒く空気は乾燥しているはずだ。
セイランはなるべく戦闘を避けられるように、警戒しながら飛龍を走らせていると、森の匂いだけではない瑞々しい香りがしてきて、鳥の鳴き声もさっきまでとは違う種類が混じっている。
細かった道が開けてきて、そこを抜けると思わぬ光景が広がっていた。
「うわー、おっきな池!」
「本当に大きいね。でもこんなところに池があるなんて、ユウロンは知ってた?」
「…………知らん」
ぷいっと横を向いたユウロンの表情は、よく見えない。
左には大きな池が、右にはどんよりと暗い森が広がっていた。池の水面には太陽の光が反射していて、水鳥が泳いだり飛んできたりしている。
爽やかな空気を吸い込みつつ、水を補充できるかもしれないと、飛龍からおりたセイランは、銀でつくり出した水筒を手に身を屈めた。
「やめとけ、小娘。飲めないこともねぇだろうが、どうなっても知らんぞ。水怪に引きずり込まれるかもしれんしな」
「でも水がないと、困るでしょ?」
「……ちっ。仕方ねぇな」
ユウロンは右腕を差し出してきた。セイランが目を見張っていると、左手で頭をかきむしっている。バツはユウロンに寄ってきて、からかうように言った。
「今までは嫌がってたのに、偉いねえ。ふふふ」
「すぐ図に乗りやがって、これだからガキは……」
憎まれ口を叩きながらも睨む程度で、バツを追いかけようとはしない。確かにユウロンに水を融通してもらえるのなら、かなり旅が楽になるだろう。
「いいの? 暴れたりしない?」
「……俺だって早く旅を終わらせて、解放されたいんだよ。俺の気が変わらないうちに、早くやれ」
セイランは手に気を込めた。第一封印を解封するくらいなら、かなり慣れて安定してきている。
「──第一封印、解!」
右腕の封印が解かれたユウロンは、水を迸らせて水筒に水を入れていった。
「ありがとう、ユウロン。これはあんたの分ね」
「……ふん、当たり前だろ」
セイランが銀の水筒を渡すと、ぶっきらぼうではあっても目つきの鋭さがいつもほどではない。もう二つつくりだした水筒にも、水を入れてくれた。
「ガキ用のはちっせぇな。見た目も水筒もな」
「強がっちゃって……セイラン、ありがとう。銀なのに軽いね。お兄ちゃんも、ありがと!」
「お兄ちゃん、だと? やめろ! 寒気がする」
からかっているようで、バツは大切そうに水筒をじっと見ていた。
バツにとっては、やはり特別なものなのだろう。ユウロンは大げさに身を震わせていたが、動きを止めて「今のうちに飲んどけ」と言った。
飲んだ分をまた注いでやると、言いたいのかもしれない。セイランは信じられないものを見るように、目を剥いた。
ユウロンが掬うように右腕を上げると、池に竜巻のような水柱が立っていく。そこから魚が何匹か落ちてきて、バツの方を向いた。
「せっかく捕ってやったんだ。あとはお前らがしろ」
横になって頬杖をつき、ユウロンは昼寝を始めたようだ。いつもは憎らしい後ろ姿が、頼もしく見えそうになって、セイランは首を横に振った。
「バツは魚を調理する、みたいなことってできるの?」
「うーん、焼くことはできないけど、熱することならできそう。ただ力が足りないかも」
火打石と火打金は、ケイリンからもらっている。今ならそれがなかったとしても、セイランがつくりだすこともできるだろう。しかしセイランはユウロンの言葉を聞いて、ある考えが浮かんでいた。
「封輪を弱めてみる?」
「大丈夫かな……?そんなことして」
「そんなに自分を怖がらないで。バツなら大丈夫」
誰もが持っている陰陽の気を、同等の気で打ち消すことによって、封印は成り立っている。
相手の気が強大であればあるほど封輪の数を多く要し、込められる陰陽の気の量が足りなかったり、均衡が崩れたりすると封印はうまくいかない。
バツが弱いながらもまだ力をつかえるのは、セイランの拙さがあったからだ。
それでも、気の量が足りなかっただけで、均衡は取れていたことと、バツがそれを望んでいたことによって、封印ができている。
むしろ込めた気を減らすことで、ちょうどいい塩梅の封印ができるかもしれない。
セイランは不安げなバツの肩を抱き、軽く首元の封輪に触れた。
すると、バツから感じる暖かさが増してきて、寒くなってきた今ならむしろありがたい。
「バツはあったかいね」
「うっ、うん。そうだったら、嬉しいな」
鉄の鍋には、セイランが捌いた魚が入っている。バツは瞳を潤ませながら、力を込めていってくれた。鍋は熱されていく。本人すら恐れていた、バツの力によって。
薄暗くなってきて、肌を撫でる風が冷たい。しかしできた煮魚を前に、その寒さも忘れてバツと手を合わせた。
出来上がった匂いにつられたのか、ユウロンが起きてきたらしく、セイランが蓋を開けると温かい湯気が立って、よりいい匂いが漂ってくる。
「できたね、バツのおかげで」
「うん……でも私だけじゃなくて、みんなの力でできたものだよ」
いただきますと言って、食べる。調味料は塩だけだが、この煮魚は頬が落ちそうなほど、セイランにはおいしく感じた。魚の身はほくほくとしているのに、舌の上で溶けていくようだ。
「本当においしいね、バツ」
「うん、おいしい。なんでこんなに、おいしいんだろうね? でもちょっとだけ、しょっぱいな……」
バツの器には、ポタポタと落ちていくものがあった。
つられるようにセイランは鼻の奥がツンとなるのを感じ、目頭を押さえた。
望まぬ力を持って疎まれた挙句、自分のことすら嫌いになっていく。
でも、そういう力を活かすことができれば、そんな自分が好きになれるかもしれない。
「てめぇらは、泣いてばっかりだな。泣き虫どもめ」
見直しかけていたユウロンを、セイランは赤くなった目で睨もうとした。
しかしそこには、思いもよらぬ頭があった。ユウロンの頭ではない。猿のような白い頭が、首を伸ばしてきていた。
「うまそうだな、それ」
長い首の妖怪にそう言われて、ユウロンは最後の一口を奪われていた。
その頭を掴む前に、どんどんと首は縮んで離れていき、ユウロンは唾を飛ばして怒鳴った。
「誰だてめぇ! ぶっ殺してやる!」
日が傾いてきて、より暗く見える森の方に首をひっこめた妖怪は、こちらにゆっくりとやってきているようで、不気味な笑い声とともに、ひたひたと足音が近づいてきた。
目の前に現れたその猿のような妖怪は、頭が白く体は青い。怒り狂っていたユウロンの目に、戸惑いが浮かんでいた。
「お前は、封印されたはずじゃ……」
「まぁ、そうだったんだけどな。おかげさまで外に出れたぜ! それにしてもお前、ちっさくなったな。ひゃはは!」
軽薄な笑い方をするその妖怪の首には、縄でつくられた、封輪らしきものがある。
それにも関わらず、ただならぬ妖気を漂わせ、歯を見せて不敵に笑う妖怪に、セイランは戦慄していた。




