第十六話:魑魅魍魎
朝日に照らされながらも、セイランには気がかりなことがあった。晴れきらぬ心のように、空には雲も浮かんでいる。
「ここは大丈夫なのでしょうか? また襲われでもしたらと思うと……」
「大丈夫さ。特に狙われる理由もないし、集落もわかりにくいところに移動させるつもりだ。それくらいなら、あたしにゃ簡単だよ」
皇帝が狙っているのは、龍らしい。黒龍であるユウロンと、白龍だったらしいセイランがいなくなれば、襲われる可能性は低くなるだろう。
それでも、セイランは気がかりで浮かない顔をしていたが、心配するなとでも言うように、ケイリンはセイランの背中をポンと叩いた。
「結界も強めるからさ……セイランは心配性だね。それより心配なのはあんたたちだ。人妖のいざこざを抜きにしても、北はとても寒い。旅にいりそうな道具や、毛皮の防寒着は渡しておくが、気をつけて行くんだよ」
「ありがとうございます。何から何まで……」
「いいんだよ、これくらい。長く生きてると、世話を焼くのが楽しみってもんさ」
セイランはケイリンに深々と頭を下げ、バツも真似るように頭を動かしている。ユウロンにはその気がないのか、ほじったらしい鼻くそを飛ばそうとしていた。
「お前ときたら本当に……呆れるよ。礼はいらないが、それはやめときな」
「母親じゃあるまいし、うるせぇんだよ。ババア」
指で弾いたそれは弧を描いて、ケイリンに向かって飛んでいく。しかし壁のような結界に跳ね返され、ユウロンの額にくっついた。
「こんのクソババア! 覚えてやがれ!」
「自業自得だろうに……いつまで経っても子供だねえ」
ユウロンは肩をいからせながら、飛龍の元に向かっていく。ケイリンは両手を広げ、セイランは甘えるように胸に抱かれた。
別れがたい気持ちを抑え、離れたセイランはティエンやシャオたちを見つめた。子供たちはこんな早朝なのにも関わらず、たくさん見送りに来てくれている。
「セイランさん、ありがとう! また……会いに来てね!」
「ティエン……うん、またね! 皆さんもお元気で!」
飛龍に乗ったセイランは、さよならは言わずに、ユウロンとバツとともに混仙郷をあとにした。離れて姿が小さくなっても、手を振り続けていた。
「……いつまでやってんだよ。危ねぇだろ」
「寂しいとか、思わないの?」
「ふん……」
ユウロンは鼻を鳴らしたが、はっきりとは答えなかった。てっきり寂しさなんて感じないのかと思ったが、何を考えているのだろうか。
山に沿ったうねるような道を進みつつ、セイランはケイリンからもらった地図を見ながら、北までの道筋を考えていた。道は細くなりつつあり、木の枝がセイランの頬をひっかいてくる。
「通りにくくなってきたね……」
バツは飛びにくそうにそう言って、セイランの肩にふんわりと乗った。
まだ北のような険しい山々ではないが、通る道は人の町や街道のように整備されてはいない。
それは妖怪にとっては不要だからなのかもしれないが、セイランはバツや飛龍が傷つかないように、道に伸びている細い木々を、手で押しのけて進んだ。
どこを通るにしても、妖怪との遭遇は避けられないだろう。
雲で日が翳ったのかさっきより地図が暗く見え、鳥のさえずりが喚くように騒がしくなり、羽ばたいていくのがわかる。
急に空気が冷えてきたように感じ、どこからともなく薄い霧が出てきたかと思えば、獣の臭いを煮詰めて腐らせたような、顔をしかめたくなる悪臭が鼻を突いた。
「セイラン、前を見て」
バツの言葉で視線を前方に向けると、顔は人のようにも見えるが、体は様々な獣のような妖怪らしき者が五体ほどいた。
セイランは見たことがなく、その姿に慄いた。
「あー、魑魅魍魎の類だな。元々は魑魅と魍魎は別もんだが、山や川の瘴気から生まれる化物の総称だ。醜い面しやがって、さっさと消すか」
「醜い、か。じいちゃん……」
混仙郷からは離れてきていて、人とはかけ離れた妖怪と出会うのは、時間の問題だった。しかし滅するとなるとためらいがあり、セイランは手を握りしめた。
「こいつらはろくなもんじゃねぇ。誰彼かまわず襲ってくるぞ。知性なんてないからな。あのシユウが率いたのもこいつらだ」
「……ねぇ、セイラン。殺しちゃうの?」
「そうだね。襲ってくるなら、やらないと」
飛龍から降りたセイランは、両手に気を込めた。ユウロンの解封をするまでもなく、消滅させることができるだろう。
「わたしも、ただのキョンシーだったら、消されてたのかな……?」
「ふん、当たり前だろ。喋れもしねぇのに襲ってくるやつは、殺すしかねぇ。害虫や害獣と同じだからな」
癪ではあるがユウロンの言う通りで、セイランは覚悟を決めようと深呼吸をした。
「そうでなくとも俺たちは毎日のように、殺した家畜の肉を食ってんだよ。それどころか言葉の通じる人だろうが妖怪だろうが、殺しあってんだ。こいつらだけ生かす理由なんて、あるわけねぇ」
生きるために、命を奪う。それはどうしようもない現実で、生き物の生まれ持った性だ。セイランは歯を食いしばり、バツは小さくつぶやいた。
「そうだよね。ごめん、セイラン。せめて安らかに……」
襲ってきた妖怪の爪や牙を避けつつ、セイランは手刀を叩きつけていく。その虚ろな目は、何かを訴えかけようとしているようにも見え、倒れていく魑魅魍魎たちを見ていると、目を閉じたくなる。しかし最後の一体まで、なんとか目を開けて見届けた。
「……ん? こいつらまだ死んでねぇぞ。早くとどめを刺せよ」
「いや、封珠に閉じ込める。これだけ弱ければこの封珠だけでも、かなりの数の魑魅魍魎を封印できるはず」
「お、お前……本気か?」
セイランは五角形の封珠を取り出した。そして「封!」と叫ぶと魑魅魍魎は封珠に吸い込まれていき、封印は成功したようだった。
「あのなぁ……いちいちこんな雑魚に、気力やら道具を費やしてたら、色々と持たねぇぞ。馬鹿娘が」
「そうかもね。でもなるべく滅したくない。どうしようもなくなるときまでは。それにじいちゃんから、前に言われたことがあるんだ」
セイランが五歳の誕生日に腕輪をもらって間もない頃、綺麗に光る銀の腕輪に、セイランはよく見惚れていた。
「気に入ってもらえたようで、嬉しいわ。セイラン、綺麗なものは好きか?」
「うん! 大好き。私もこんな風に輝けたらなあ……」
「セイランならなれる。だがな、もし他人にはそう見えなかったとしても、わしにとってはいつでも輝いて見えるだろうよ」
ランフーがにっこりと笑うと、セイランもつられるように、はにかんだ。そんなランフーが腕輪に視線を落とすと、真剣な表情でセイランに言った。
「……わしはよく、魑魅魍魎と呼ばれる者たちに会っておる。正直に言ってしまえば、姿は醜く恐ろしく見えてな。すでに殺されて死んでおる者も、よく見かけるのだ」
「そうなんだ……しょうがないのかな?」
「うむ。ただ、人でも妖怪であっても、狙って害をなす醜い者もおる。外見が美しかったとしてもだ。そういう者がのさばっておるのに、魑魅魍魎だけ滅するのは忍びなくてな。だからなるべく滅さずに、封印しておるのだ」
座りながら大きな体を傾けて、セイランと目を合わせるランフーに、セイランは不思議な感慨を覚えた。
言っている意味はよくわからなかったが、そうなりたいという気持ちが湧いてくる。
「私もじいちゃんみたいになりたい!」
「おぉ、そんな風に言ってくれるとは。愛い孫だ。そんなセイランに、もう一つだけ言っておこう」
「……?」
「シユウは凶悪だったと伝わっておる。実際そういう面はあったのだろう。ただ勝者は歴史をつくり美化されることも珍しくないが、敗者は貶され本当はどんな者だったのか、わからなくなっていく。もしかすると魑魅魍魎を率いることができたシユウは、我々が知らないことを知っておったのかもしれん。綺麗ではない醜さや弱さ、愚かさを受け入れる懐の深さがあったのかもしれん」
ますますわからなくなったセイランは首を傾げ、ランフーの瞳をじっと見つめた。ランフーは「難しすぎたな、すまんすまん」と言って、セイランの頭を撫でた。
「とにかくだ。誰にでも弱さや愚かさはある。あれだけ現れる魑魅魍魎には、何か意味があるのではないかと、わしは思っとる。美しさとは程遠い存在だが、もしセイランが将来出会うことがあったら……どうするか、どうしたいかを考えてみるといい」
セイランは、そんなランフーの言葉を思い出していた。
ユウロンは頭を抱えていたが、バツは飛んできてセイランの持っていた封珠を見つめている。
「ありがとう、セイラン。わたしのわがままだけど、嬉しかった。前の姿の時は醜いって、石を投げられたこともあるんだ……」
「バツと出会えたから、こうしようと思えたのかも。こちらこそ、ありがとね」
セイランは祖父の言葉通り考えて、封じることにした。しかしこれがどう転ぶのかは、まだわからない。後になって、過ちだったと思うかもしれない。
それでもバツとは、滅することなく封印をしたからこそ、仲間になれた。そのバツに助けられて、今がある。セイランは凜々しくも、柔らかな笑みを浮かべた。
「綺麗事に浸ってんじゃねぇ。頭の中がお花畑のやつしかいねぇのかよ……」
「最初から全部諦めなくてもいいでしょ? すべて生かすことはできなくても、すべて殺さないといけないわけじゃない」
「……けっ、小娘が何言ってんだ。いざってときに気が足りなくなっても、知らねぇぞ」
ふてくされているらしいユウロンの頬を、バツはつついた。
「もしかして……心配してるの? セイランのこと」
「んなわけねーだろ! このガキ! 浮いてねぇで、こっちに来やがれ!」
髪を逆立たせるユウロンに、バツは暖かい息を吹きかけ、髪は後ろに流れていった。
もう慣れてきたのか、バツを追いかける気もなさそうだが、顔だけは鬼が乗り移ったような形相だ。
「……ほう、鬼がいるな。霊は冥界にいるはずなんだがな。最近出てきた異形の鬼か?」
セイランは目を輝かせた。この声は、セイランが聞きたかった声だ。
翳っていた太陽が顔を出し、セイランが振り向くと、そこには大きな虎にまたがるランフーがいた。




