終章 9-11
終章 9
「スマン、ゴン、遅くなった!」
銀座の高級中華料理店の個室に、颯太が滑り込んできたのは18時59分。コースの開始の1分前だった。
「ギリギリセーフだ。まずは上着を脱いで、呼吸を整えろ」
権三郎が苦笑混じりに促してきた。
「言い訳のようだが、この店かなり分かりにくい場所にあるな」
上着をハンガーにかけながら颯太がボヤいた。
「俺とお前が一緒にいるのを見られたらマズいだろ。特に今は。個室といえど油断四章 13
権三郎はブーメランを構えた次の瞬間、いきなりアジトの壁に向かって全力で走り出した。
Aは面食らったように眉をひそめる。
「なんだ、奴は何を考えている?」
四人はとりあえず銃口を壁の方へ向けたが、誰も引き金を引けない。
(まずはDだ。あの腕前、放っておくと厄介だ)
権三郎は壁際で高く跳躍し、そのまま壁を蹴って斜め上へと跳び上がった。
「――第一射!」
空中で身体をひねり、勢いよくゴンザブーメランを放つ。回転する刃はDの手元めがけて一直線に飛んだ。
「うわっ!?」
いつも冷静なDが、思わず情けない声を上げた。次の瞬間、麻酔銃の銃身が真ん中からスパッと切断される。
Dは半分になった銃を見つめ、唖然としたまま手を震わせていた。
ブーメランは軌道を描いて戻り、権三郎の手に吸い込まれるように帰還した。
「お前からは威嚇射撃を頂いたからな。まずはお返しだ」
ブーメランを腰に当てると、金属スーツに磁石のようにピタリと吸着した。
「この野郎ッ!」
Cが引き金を引こうとした瞬間、権三郎は地面に手をついてクルリと前方にハンドスプリング。
バシュッ、と麻酔弾が発射されるが、アーマードスーツの脚部で弾かれて地面に転がる。
「クソッ!」Cが悔しげに歯噛みする。麻酔銃は連射できない。
権三郎は間髪入れずブーメランを構え、後ろ手に投げ放った。
「――二射目!」
低空を滑るように飛ぶブーメランが、Cの足元で突然跳ね上がり、真下から銃身を斬り裂いた。
「おわあっ!?」
尻餅をついたCの姿に、Bが目を剥く。
「なんだあの動き……ありえねえ」
Dも険しい顔で呟いた。
「物理法則、どこいったんですか」
戻ってきたブーメランを受け取りながら、権三郎はニヤリ。
「言っただろ。『追尾式』だって」
「ふざけんなよ! そんなの反則だ!」とBが怒鳴る。
「反則? お前らに言われたくねえなぁ」
「D、C、下がれ!」とAの怒声が飛んだ。
「流れ弾で眠らされたら目も当てられん!」
二人は顔を引きつらせながら後退した。
Bは距離を取ることに決め、ジープ側――つまりドアから遠い位置へと移動する。
「アニキ、あれはヤベえっす! 俺は離れたとこから狙いま――」
しかし麻酔銃の射程は短い。二十メートルも離れると、命中精度は落ちる。
一方Aはドア付近で微動だにせず、じっと権三郎の首元を狙っていた。
(チッ、挟まれたか。厄介だな)
片方だけなら頭部をスーツで防げるが、両方向から撃たれたら避けきれない。
(こうなりゃ勘に頼るしかねえ……よし、Aだ)
そう判断した権三郎――だが、走り出したのはなぜかBの方だった。
「むっ、こっちに来た!?」Bの顔が強張る。
だがAはニヤリと笑った。
(かかったな、銀ピカ。今度こそ仕留める)
その瞬間、権三郎は急速に腰を落とし、反動で空中に舞い上がる。
「――第三射は、貴様だ!」
打ち下ろしの軌道で飛んだブーメランは、まるでフォークボールのように急降下し、Aの麻酔銃を真っ二つに断ち切った。
「クソッ!!」
Aは銃の残骸を地面に叩きつける。乾いた破裂音が響いた。
権三郎は戻ったブーメランを受け止めるや否や、ハンドスプリングの連続で横方向に跳び、Bの射線をかいくぐる。
「くっ、これじゃ狙いがつけられねえ!」
Bは悪態をつきながら立ち竦む。
「カッコ悪いぜ、Bさんよ!」
振り向きざまに、権三郎がサイドスローでブーメランを投げ放つ。
「――第四射!」
一見、明後日の方向に飛んだように見えたブーメラン。
Bは鼻で笑い、足を止めた。
「ハッ、ノーコンが……ん、なんだ!?」
刹那、ブーメランが大きな弧を描いて旋回し、横合いからBの麻酔銃を切り裂いた。
「ホーミングは縦だけじゃねえんだよ!」
権三郎の声が響く。
Bは呆然としたまま、半壊した銃を見下ろす。
「なんだよこれ……反則にも程がある」
こうして密猟班は、4丁の麻酔銃をすべて失った。
だが、ゴンザブーメランも戻ってこない。
見ると、Bの足元に落ちている。
Bはニヤリとし、しゃがみ込んだ。
「へっ、今度はこっちの番だ」
「やめとけ、B。そこから離れろ」
「うるせえ! お前のオモチャ、ありがたく頂いてやる!」
権三郎が静かに言う。
「そいつは試作品だ。三往復半で電池が切れる。でな――」
Bの手が止まる。
「使用済みになると、一分後に……爆発する」
「はあ!? もっと早く言えぇっ!」
Bが慌てて飛び退いた直後――
ドォンッ!
ブーメランは眩い閃光を放ち、木っ端微塵に吹き飛んだ。
権三郎は目を細めて笑う。
「危ないところだったな。まあ、大きな葛籠にはえてしてお化けが入ってるもんさ」
静まり返るアジトに、彼の軽口だけが響いた。
四章 14
密猟班の麻酔銃作戦は、あえなく失敗に終わった。
だが同時に、権三郎の遠距離武装・ゴンザブーメランも爆散。
戦況は、再び振り出しに戻る。
「アニキ、どうします?」
Dが尋ね、Cが項垂れた。
「もう、手がつけられねぇ……」
爆風から命からがら逃げ延びたBが、息を荒げて叫ぶ。
「アニキ! こうなりゃ仕方ねぇ、もう殺っちまいやしょう!」
Aはその提案を、即座に却下できなかった。
「……B。少しだけ考えさせろ」
壁際に立て掛けられた自分の愛銃・M82と、隣に並ぶBのウィンチェスター。
Aは二挺の銃を見比べながら、深く思考の海に沈んだ。
仲間たちは黙って待つ。
十数メートル離れた場所で、権三郎が腕を組み、静かに彼らを見つめていた。
「どうしたA、シンキングタイムかー?」
権三郎ののんきな声が飛ぶ。
その瞬間、アジトの西側の壁がシャッターのように開き、オレンジ色の作業着を着た数名が飛び出してきた。
――飼育班だった。
「ほう、非常口まで用意してたか」
権三郎がつぶやく。
飼育班は四人。木々の隙間を抜け、Bらのジープとは逆方向へと駆けていく。
先頭の眼鏡の男が振り返りざまに叫んだ。
「リーダー、すみません! ここは職場放棄させていただきます!」
Cが怒声を上げる。
「クソッ、アイツらも逃げやがる気か!」
しかしAは淡々と答えた。
「いいさ。連中は戦闘員じゃねぇ。好きにさせろ」
「けどアニキ、あいつ医者でもあるんですよ。怪我人はどうすんです?」
「ざっと見たところ、大怪我してる奴はいなさそうだ。……可哀想だが、放っとくしかねぇな」
Aはため息を漏らし、倒れた部下たちを見下ろした。
その刹那――権三郎が動く。
飼育班の逃走ルートへ向かって、稲妻のように駆け出した。
「アニキ、俺、偵察してきます!」
Dが後を追う。
「深追いすんな。お前も丸腰だ!」
飼育班に二十メートルまで迫った権三郎が、声を張り上げた。
「俺は非戦闘員でも容赦しねぇ! 止まれ!」
しかし彼らは無視して走り続ける。
「情けねぇ連中だ……。よし、アレを使うか」
権三郎は立ち止まり、ポケットから小石のような物体を取り出した。
それを逃げる背中めがけて投げつける。
「狭範囲捕縛デバイス――スパイダー!」
小石は空中で変形し、金属光沢の蜘蛛へと姿を変えた。
スパイダーは逃亡者の上空で静止し、尻から白い物質を吐き出す。
「うわっ、なんだこれ!?」
白い物質は瞬時に網状に変わり、二人の頭上へ覆いかぶさった。
「クソッ、破れねぇ!」
もがけばもがくほど、網は粘着質に絡みつく。
逃げ延びた残りの二人に、権三郎がもう一度小石を投げた。
「蜘蛛は一匹だけじゃねぇ!」
二匹目のスパイダーが展開し、残りの二人も一網打尽となる。
「俺は往生際の悪い奴が嫌いでな」
権三郎が蜘蛛たちに命じる。
「スパイダー、電気ショック!」
ビリッと青白い閃光が走り、四人の男が一斉に悲鳴を上げた。
「おとなしくしてろ。網を破こうとすれば、もう一度ビリビリくるぞ!」
蜘蛛メカが白い光を点滅させて応答する。
「じゃ、頼んだぜ、スパイダーども」
権三郎は背を向け、再びアジトへと駆け戻った。
Dは一部始終を見届け、Aのもとへ戻る。
「アニキ、飼育班、全員捕まりました」
Aは頷き、苦笑を漏らす。
「もう驚かねぇ。……認めるしかねぇ、奴は怪物だ」
「どうやって捕まえた?」
「投げ網です。小型メカを投げつけて……一網打尽に」
「一発で決めたのか?」
「いえ、二投目です」
「なるほど、二網打尽ってわけか」
Aが自分で言ってククッと笑う。
Dは真剣な顔で続けた。
「あれ、電磁ネットですよ。中から悲鳴が聞こえました」
「そんな機能まで付いてやがるのか……厄介だな」
「スパイダー、って呼んでました」
「蜘蛛か。何つうか、そのまんまだな」
Aがまた苦笑し、肩を竦める。
「アニキ、彼はまもなく戻ってきます。どうします?」
Dの問いに、Aは静かに立ち上がった。
「B、ウィンチェスターをフル装填だ。C、ジープから銃を取ってこい!」
Bは『了解!』と弾を込め、Cは外へ走る。
Dも武器庫へ向かおうとした瞬間、Aが制した。
「待て、D」
「ど、どうしたんです?」
AはDの肩を掴み、目を覗き込む。
「お前がヤツを撃て。……俺の代わりにだ」
壁際のM82を取り、Dに押し付ける。
「この銃は再装填済みだ。いいか、ヒグマを逃がしたのはお前だ。だったら責任はお前が取れ」
Dの瞳が大きく揺れた。
四章 15
Dは、Aの命令に明らかに逡巡していた。 「アニキのM82は、僕には重すぎます。重量も、精神的にも……」
だがAは取り合わず言った。
「お前、さっき軽々と扱ってたじゃねえか。わざと至近で外すくらいに」
「あの時は無性に腹が立ってて、勢いでやっただけです」
Dは続けて懇願するように言う。
「僕にはルガーが一番しっくりきます。今はメンテ中で使えませんが、武器庫にはウィンチェスターの予備や、新人用に回すはずだったマーリンがありますし」
Aは応えず、沈黙を保った。Dはさらに食い下がる。
「M82は対物向けの銃じゃないですか。あの威力はアニキだから使えるのであって、基本は猟銃向きじゃ……」
それでもAは黙したままだった。
「猟銃なら僕は、あの探偵を倒せる自信があります。武器庫に行かせてください、急いで戻ります」
Aは否定せず、むしろ静かに語り始める。
「時間はねえ。手短にな。昔話を一つしてやる」
Aは少し遠い目で語る。自衛隊を経てボツワナ軍に参加することになり、その頃に密輸団からスカウトされたこと。入団後は象やサイなどの大物狩りを任されたこと。象牙や角の需要の高さゆえ、捕獲より屠殺をメインにこなしていた話。対物銃に馴れていた事情――そんな話を、切り出したのだ。
「だが、聞かせたいのはそういう話じゃねえ。」
Aの声が変わった。
「ボツワナで、俺は自分を世界一の狙撃手だと信じてた。だがな、遥かに上のスナイパーがいた。マシーンみてえな奴で、俺は初めて負けを認めた。奴に鼻をへし折られたんだ」
Dは黙って聞く。
「オメェが銃を構えた時の眼付が、そいつに似てる」
「そんな……僕を買い被りすぎですよ」
Dが目を逸らすと、Aは強く彼の頭を掴んで正面を向かせた。
「オメェの才能は認める。悔しいが、オメェの方が上だ。だから賭ける。あの探偵を倒せるのは、オメェしかいねえ」
なおもDが躊躇するのを見て、Aは説得を重ねる。
「重さがキツけりゃ土嚢でも抱えろ。BとCはお前のサポートに回す。陽動で探偵の動きを鈍らせ、隙が出来たところで、お前の一発で頭を狙え」
そして肩を揺さぶるように強く言い放った。
Dはやっと我に返った顔つきになる。 「アニキ……あの探偵を殺すって決めたんですね?」
「ああ。もうそれ以外に手はねえ」
「アニキは、僕に人を殺せと――」
「そうだ。だが黙って一人で背負わせるつもりはねえ。連帯責任だ」
Dは問いを続ける。
「本当に殺さないと駄目なんですか?」
「あの防弾スーツに加えて、麻酔銃まで破壊された。殺す以外に止める手段が考えられるか?」
沈黙の後、Dは小さく首を振る。
「たぶん、無理でしょうね」
Aは静かに頷いた。
「ここまで来たら後には引けん。だが、探偵を殺したらこのアジトは放棄するつもりだ」
「えっ、本当ですか?」
「マンパワーもない。応援が来たところで一日二日じゃ無理だ。逃げ切れれば御の字、再建は後の話だ」
その言葉に、Dは打ちのめされたように唇をゆがめた。
「選択肢なんてねえんだ。D、覚悟を決めろ」
そのとき、Cが自分のレミントンを肩に抱えて戻ってきた。
「アニキ、お待たせ。スペア弾、中々見つからなかったんですわ。移動中にリュックから零れてたみてえで」
続いてBも弾薬箱を抱えてやって来た。全員が揃うと、Aは改まった声で最終通達を下す。
「いよいよ決戦だ。これから最後の作戦を伝える。耳かっぽじって聞け!」
一方、権三郎は林の陰でメデューサと最後の詰めをしていた。
「飼育班の確保でタイムロスしたが、いよいよ最終ミッションに移る」
『了解です』
「密猟班の中に、オリンピック級の凄腕が一人いる。陽動もある。リスクは高い」
『最大の脅威は、若い男ですね?』
「そうだ。リーダーも強いが、あの若者が問題だ。俺はそいつを最重視する」
『具体案は?』
「切り札を使う。今回はほぼ確実に“アレ”を出す。発動時のターゲット補正だけ、お前に頼みたい」
『承知しました。フルオートで対応します』
「よし、行くぞ。無事に尋問ターンまで持ち込めたら、改めて頼む」
『ご武運を』
ピンマイクを切ると、権三郎は密猟班の待つ広場へ駆け出した。
四章 16
権三郎はアジト前の広場へと駆け込む。時刻は17時58分。日はほとんど落ちかけ、鬱蒼とした樹影が視界を奪う。視認性が落ちる前に決着をつけねばならない。
「戻ったぜ! さあ勝負だ!」
広場に着くと、想像していた構図とはだいぶ違った。左右に十数メートルほど離れて構えるBとCの猟銃。さらにその後方、四十メートルほど下がった位置で、対物ライフルM82を担いでいるのは――AではなくDだった。彼の背には袋のような物が背負われ、Aはもっと後方から静観している。Aが武器を持っているかは不明だ。
「死ねえ!」「ここがテメェの墓場だ!」
BとCが同時に引き金を絞る。権三郎は反射的に前転して初弾をかわす。予想通り、狙いは頭部だ。薬莢が飛び、二人が再装填する隙を突いて、権三郎は倒れた警備員たちを飛び越え、中央へダッシュする。狙いは最大の脅威、Dを叩くことだ。
Dは荷物の重さのせいか動きが鈍い。後ろへヨロヨロと下がるばかりだ。
「B、C、しっかり援護しろ!」
Aの檄が飛ぶ。
「分かってまさぁ、オヤビン!」
Bのウィンチェスターが火を噴く。権三郎は横に飛んで弾を弾く——弾は足に当たって弾かれた。続けてCのレミントンが炸裂。権三郎は咄嗟に頭を沈め、背で弾を受け流す。
カチリ、と次弾を装填する音。ボルトアクションが連射のリズムを作る。Aの声が鋭く響く。
「B、C! もっと距離を詰めて挟み撃ちにしろ! その程度じゃヤツを翻弄できんぞ!」
BとCは顔を見合わせ、銃を抱え走り出す。左右から挟むつもりだ。権三郎は的を絞らせぬよう前傾でジグザグに動き、Dへと接近する。だが次の瞬間、目の前の土が盛大に跳ね上がった——足元近くに着弾したのだ。
振り向くと、走りながらボルトを操作するBの姿。逆側を見ると、Cも同様の挙動をしている。どうやら彼らは頭だけでなく足元を潰すことも狙っているらしい。
一方、Dは銃と土嚢の重量に難儀していた。堪えかねて背の土嚢を放り投げる。
(よし、だいぶ楽になった)
探偵はBとCの波状攻撃に撹乱されていた。Dはその隙をつき、探偵と距離を取るため小走りで後退する。
(この銃は接射には向かない。ある程度の距離が必要だ)
BとCは探偵の両サイド、真横のラインまで追いつき、執拗に足元を狙い撃つ。バァン、バァンと銃声が響き、土煙と硝煙が舞う。
Aの声が飛ぶ。
「いいぞお前ら、その調子で適度な間隔を保て。絶対にひとまとまりになるな!」
先の作戦会議で、探偵が投擲網を持っている可能性が伝わっていた。ゆえに三角陣形を崩さず、まとまらないのが基本戦術だ。
(Bさん、Cさん、頼みます……!)
Dは自身の腕力にあまり自信はない。先のM82の立射はアドレナリンの賜物だった。ズッシリ肩に来る反動を考えると、ここは膝射が妥当と判断する。ある程度距離を取ったのち、Dは片膝を立ててM82を据える。
腕が小刻みに震える。姿勢が安定しない。だが、ついにスコープの十字が探偵の眉間を捉える瞬間が来る。
「今だ!!」
Dが引き金を絞った。強烈な反動が上半身を弾き、炸裂音が轟く。だが弾道はわずかに逸れ、百メートル先の木の枝をへし折る。Dは唇を噛み、深い息を吐く。腕が痺れ、煙と土埃が視界を狂わせる。連射は無理だと判断し、ショルダーストラップを直し、後方へ下がる。
無言で見守るA。だがその胸中は複雑だ——Dが外した瞬間には舌打ちしそうになるも、すぐに己を叱咤する。
(たかが一発外しただけだ。ヤツに賭けたんだ、簡単に諦めるな)
Aはジープへ素早く移動し、トランクを漁る。目当てのものを掴むと、Dのもとに走る。
「アニキ、すみません、外してしまいました」
「なんの、勝負はここからだ。D、土嚢の代わりにコイツを使え」
差し出されたのは対物銃用の二脚。
「これならかなり軽い。反動も抑えられるはずだ」
「ありがとうございます、使わせてもらいます」
Aは目を細め、助言を続ける。
「D、伏射だ。お前の能力を活かすにはそれしかない。チャンスは奴らが作ってくれる。次は外すなよ」
「はい、必ず仕留めてみせます」
Dの瞳に決意の光が灯る。。だからあえて、こういう『知る人ぞ知る』名店を選んだって訳だ」
プランは満漢全席フルコース。制限時間は二時間半だった。
颯太は着席すると、権三郎が用意しておいてくれたグラスの烏龍茶をがぶ飲みして「プハーっ!」と大きく息をついた。
「まるで一杯目のビールみたいな飲みっぷりだな。そんなに喉が渇いてたのか」
「もう九月も終わりだってのに、まだまだ暑いからなー」
そのときガラリと扉が開き、チャイナドレス風の制服を着た女店員が二人、ワゴンに載せた料理を運んできた。
「本日はようこそお越しくださいましたー」
イントネーションからして彼女らは中国人のようだ。大量の皿を所狭しとテーブルに並べ終えると「ごゆっくりお寛ぎ下さいませー」と速やかに引き上げていく。
「……」
颯太が沈黙してるのをみて、権三郎が声を掛けてくる。
「ソータ、どうした、食わないのか?」
「いやぁ、オードブルが出てくるかと思ったら、いきなりお菓子っぽいのが現れたんでちと面食らってな」
テーブルに並べられた料理は、豆菓子、干し果物、砂糖漬けの果物と、どちらかといえばデザートのような感じだった。
「なんだ、満漢全席は初めてか」
「悪かったな。いつかは食べたいと思ってたんだが、『いつか』ってのは中々来ないもんなんだよ。そのいつかが今って訳だ」
颯太はそう言いながら豆菓子に口を付けた。
「おっ! 美味い」
菓子は驚くほどに美味だった。
「これなんかどうだ。かの西太后の好物と言われていた一品だぞ」
「どれどれ、そいつは楽しみだな。うおっ! 美味いっ」
権三郎が勧めてきた一品も極上のテイストだった。流石は西太后のお墨付きだ。
「満漢全席はな、第二段階から前菜が出てくるプログラムが多いのさ。ここは軽い第一ラウンドってとこだ」
権三郎が淡々と言った。
「なんだお前、随分と詳しげだな。そんなに何度も食ってるのか?」
「そうでもない。今日で人生四度目だ」
権三郎は砂糖果物を摘みながらポツリと言う。
茗叙類が一通り片付くと、前菜がどんどんと運ばれてきた。揚げ豆腐、イカ巻き、牛肉の冷菜、さらには鳥の脚のような謎料理まである。
「なんだこの料理は?」
「アヒルの水掻きだな」
「うえっ? それってゲテモノじゃねえか? そんなのが美味いのか」
「ま、食えば分かる」
颯太は恐る恐る箸を伸ばす。アヒルの水掻きはカラシで和えてあり、正直美味いのか不味いのかよく分からなかった。
「うーむ、何とも言えない味わいだな」
颯太が複雑な表情でコメントすると、権三郎が新たな皿を突き出してきた。
「これなんかも中々の珍味だぞ」
「なんだこれは」
「鹿のアキレス腱だ」
「なっ!? マジか」
颯太は恐る恐るという感じで口を付けたが、これもまた何とも評価しがたい味であった。
「どうだ、そいつは?」
「……中国人の考えることはよく分からん」
結局颯太は、揚げ豆腐や牛肉冷菜といった比較的無難そうな物をメインに箸を伸ばした。高粱酒とかいうこれまた美味いのか良く分からない酒をチビチビと煽りながら、颯太が口を開く。
「何だか、さっきから驚いてばかりで全然会話が進まねえな」
権三郎が笑いながら答える。
「そういやまだ乾杯の音頭すら取ってなかったな。じゃ、遅ればせながらコイツで乾杯といくか」
権三郎も高粱酒のグラスを手に取って颯太の前に掲げる。
『では、事件解決を祝して、カンパーイ!!』
カチーン、とグラスが突き合わされた。
「で、解決から四日経ったわけだが、今はどんな感じだ?」
権三郎が鹿のアキレス腱を箸で摘みながら聞いてきた。
「翌日は帰庁後まもなく査問会議にかけられたよ。そこは『何故か』まさかのお咎め無しでな。その後は半休を貰えたから、宿舎に帰ってバタンキューさ」
権三郎が労うような表情をみせる。
「お前も疲労の極致だったろうからな。それで次の日は?」
「午後から登庁したんだが、いきなりハードモードでな。例の若い男、お前が『D』と呼んでたアイツからだ。俺がご指名されてヒグマの遺骨を掘り出しに行った」
「俺が送ったMAPは役立ったか?」
「そこはバッチリだったぜ。お前がマーキングしてくれたポイント、埋葬現場からおそらく最短だっただろう。お前のスパコンは大したもんだ。それでもそこそこ重労働だったがな。あのでっけえ遺骨を作業車まで運ぶ時は俺も多少は手伝ったし」
「そいつはご苦労かけたな」
「いや、こんなご馳走してもらってるんだ、今更畏まられても逆に困る」
「フッ、そう言ってくれると助かる」
権三郎が安堵するような笑みをみせた。
「それを科警研に運んでその日は終了。その翌日、昨日か。鑑定結果が出て、めでたく証拠の一致が取れたって訳だ。Dへの罪状追加の調書作りと、お前から頼まれた弁護士への依頼も昨日のうちに済ませといた」
颯太は若干誇らしげな口調で報告する。
「科警研にしろお前にしろ仕事が早くて助かる」
「まあな。そう、そんな調子で昨日まではトントン拍子でコトが進んでたんだ。だがな……今日はキツかった」
颯太は牛肉に舌鼓をうちながらボンヤリと天井を見つめた。
「何か特別なことでも起きたのか?」
権三郎が心配げな顔をみせる。
「逆だ。何もなさすぎて大変だったんだ。Dを除く36名にはそれぞれ取調官が付いてたし、本拠地の捜査も特に俺の出る幕はない。他に抱えてる事件もないから、急に手持ち無沙汰になっちまってな。仕方なくデスクワークでお茶を濁そうとしてたら……」
颯太は一旦間を置いて言った。
「地獄の質問責めだ」
そのタイミングで『ツバメの巣入りスープ』が運ばれてきた。
「ゴン、これ、本当に美味いのか?」
颯太はまたゲテモノでも見るような目で眉を潜める。
「ツバメのスープといえばメジャーどころじゃないか、ま、とりあえず飲んでみろよ」
権三郎に軽い調子で言われ、颯太は恐る恐るスプーン一匙分を口に入れる。
「うん、予想してたよりは美味い」
「微妙な感想だな」
「もっとクセがあるかと思ってたんだよ。だがそうでもない。普通に美味いって感じだ」
権三郎はツバメスープを美味そうに啜りながら、話の続きを促して来る。
「で、その地獄とやらはどんな感じだったんだ?」
颯太はツバメスープを三分の二ほど味わってから語り出す。
「刑事仲間の連中、俺がアジトを単独で制圧したと勘違いしてやがるんだ」
「ほう、そいつはむしろ香ばしい展開じゃないか」
「ちっとも良くないわ! そんなこと出来るはずないだろうってどんだけ力説しても、あいつら全然信用しやがらねえんだ」
「だが、警官隊を引き連れて行ったというのが公式の説明なんだろ。そこは全く信じてもらえないのか?」
「くどいくらいに説明したさ。しかし、その警官隊達が完全に沈黙してるのが不自然だと、みんなその点を突いてきやがるのよ」
颯太はそう言って、ツバメのスープの残りを綺麗に飲み干した。
「そこは例によって、彼らの立場を守る為に伏せているという建前で乗り切れなかったのか?」
権三郎が眉根を寄せて問うてくる。
「今まではそれで乗り切れたんだが、今回は事件のスケールがデカかったせいか、どいつもこいつも矢鱈としつこいんだよ。普通なら規模がデカいほど単独制圧なんて無理だと考えそうなもんだが……」
それを聞いた権三郎が思案顔を見せて言う。
「警官隊の人数はどのくらいに設定したんだ?」
「そこはぼかした。一課長にさえだ。『かなり大勢』なんて小学生みたいな表現でやり過ごしたのさ。なのに、一課長はそれについて特に突っ込んで来なかったんだ」
「なるほどな。何となく雰囲気が掴めて来たぜ」
権三郎がツバメのスープをグイッと飲み干してからそう言った。
颯太は揚げ豆腐を一つ摘み、ゆっくりと咀嚼してから口を開く。
「それで今日、俺は仲間達からありがた〜い称号を頂いちまったって次第だ」
「なんだその称号って」
権三郎が興味深そうな目を向けてくる。
颯太はそこで、ハーッと深い溜息をついて言った。
「『スーパーデカ』、神谷颯太。だとさ」
終章 10
誇らしげどころか、心底ウンザリした表情で颯太が言うと、権三郎はニヤリと笑った。
「スーパーデカ、良いじゃねえか。もっと喜べよ」
「ガキじゃあるまいし、そんなアホっぽい二つ名付けられて無邪気に喜んでられっかよ!」
颯太はもう一度、深々と溜息を吐く。
そのタイミングで、いよいよメインディッシュが続々と運ばれて来た。
その形状は珍妙な物が多く、颯太が理解できたのは、伊勢海老と肉の丸焼き、スープくらいのものである。
「うおぉ……何が何だか。こりゃもう一種のカオスだな」
皿の上にズラリと並んだ謎の料理たちに目をやりながら、颯太は呆けたように呟く。
「そのカオスっぷりが満漢全席の醍醐味ってもんだぜ」
権三郎がテーブルの上に両肘をつき、両手を顎に添えて言った。彼がこういう姿勢を取るのは珍しい。
ちなみに今日の彼はいつものスーツ姿ではなく、カジュアルな半袖シャツとスラックス、ハンガーには薄手のジャケットと、いかにもプライベート仕様の格好で来ていた。
「お前もこうしてみると、いかにもフツーの男って感じがするな」
颯太が何気なく呟くと、権三郎は「どういう意味だそりゃ」と小さく笑った。
「じゃ、カオスの海に飛び込むとするか」
権三郎はそう言って、謎の楕円形の食材に箸を伸ばした。
「ゴン、それはどんな食材よ?」
「ああ、これはラクダの瘤だ」
「ら、ラクダ?」
颯太は思わず箸を落としそうになった。
「これはこれで中々個性的な味わいだぞ。あ、それといまお前の斜め前にあるその皿に載ってるのはな」
「これか?」
そこには、動物の足のような謎料理が鎮座していた。
「クマの手だ」
「!!」
颯太は思わず顔を顰める。
権三郎がラクダの瘤を齧りながら言葉を継ぐ。
「これも何かの因縁かね。俺達はそれを求めて今回の大捕物をやったようなもんだからな」
勝手に『達』と括られてしまったが、颯太も遺骨の発掘に立ち合った手前、確かに奇妙な符合のようなものを感じずにはいられなかった。
「そいじゃ、因縁の一品を有り難く戴くとするか」
クマの手はかなり大きかった。鉤爪までバッチリ原型を留めている。これを料理として捉えれば、箸で食べるような物ではない気がした。手掴みでかぶり付くのかと権三郎に聞くと、彼は『ナイフとフォークを使えばいい』と一言。颯太はひとまず肉球を避け、比較的柔らかそうな部位をナイフで切り取った。肉片をフォークに刺すと、ままよとばかりに口内へ放り込む。
「どうだ、味の方は?」権三郎がチラリとこちらの方を見た。
颯太は十数秒かけて、文字通り『噛み締めるように』ゆっくりと咀嚼する。見た目に反しプルプルとした食感だった。
「これも、美味いのかそうでないのかよくわからん」
「俺も同意見だ」
権三郎がまた小さく笑った。
「ソータ、疲労が溜まってるお前にはこれがお薦めだ」
権三郎がある皿を指差して言う。
「なんだこれ」
「スッポンの縁側だ」
颯太の眉間にシワが寄る。
「スッポンか…あまり美味そうなイメージは無いが、とりあえず食ってみるか」
颯太は少しばかり緊張しつつ箸を延ばし、それを摘んだ。
「あれ、意外に美味いぞこれ」
「だろ? 滋養強壮ばかりが強調されるが、スッポンは味の方も中々のもんなんだぜ」
そんな調子で食事が進んでいたとき、権三郎が先程の話題を揺り戻してくる。
「ところで、さっきの『スーパーデカ』の件だが」
「それを蒸し返すか? 俺としては迷惑千万な話でしかないんだが」
伊勢海老に夢中で被りついていた颯太は、現実に引き戻された気分になった。
「俺としてはその説が定着してくれることを望みたいね」
権三郎がそんなことを言い出した。
「なぜそう思う?」
「その方が、引き継ぎがスムーズに進みそうだからな」
権三郎は目尻を下げて呑気な表情を浮かべている。
コイツには危機感が足りない。颯太は直感的にそう思った。
颯太はじっとりした眼差しを権三郎に向けて、諭すような口調で言う。
「ゴン、改めて言うがな、俺は所詮一介の刑事にすぎないんだぞ。お前のような超人とは違うんだ」
権三郎は特に表情を変えることなく、アッサリ言い返してきた。
「戦闘力なら、お前も俺に劣らないものを持ってるんじゃないか? 総合十六段さん」
颯太は目を瞑りながら片手を振って否定する。
「俺のはしょせん『体育館』の中の強さだ。お前のような軍隊式格闘術を修めてる訳じゃない。対応力が違う」
権三郎はそれでも表情を変えず、言葉を繋いでくる。
「そうは言うが、俺だって機構の装備無しでは限界があるぞ、所詮一人の人間にすぎないんだからな」
権三郎はそう言うと、のっぺりした表情で羊肉の丸焼きにかぶりついた。
(今日はやめとこうと思ったが……やはりある程度は警告しておいたほうが良さそうだ)
颯太は、ナマコとカニ味噌イカ煮込みの皿に箸を伸ばしつつ、静かに覚悟を決めた。
「ゴン、実はな、いま警視庁の中では二つの風説が流布している」
颯太が声を低めて言った。
「二つの?」
「そうだ。一つは俺の『スーパー刑事説』、もう一つは『闇の仕置人X』の存在説というものだ」
「やみのしおきにん、X?」
権三郎が間抜けな口調でなぞった。
「ああ。つまり俺の背後には超人的な存在が控えているという推論だ」
推論ではなく事実なんだがな、という言葉はあえて飲み込んだ。
権三郎がここで初めて深刻な表情を見せる。
「つまり、俺の存在がバレたってことか?」
颯太は首を横に振る。
「今のところはまだセーフだ。現状は都市伝説のレベルに留まってる」
「詳しく聞かせろ」
颯太は頷き、更に声を低くして語る。
「俺と面識のある者は、大部分が俺のスーパー刑事説を想像してる印象だ。面識が無くても、人づてに聞いた話を鵜呑みにしてる連中も少なくなさそうなので、まぁ全体の半分はこっちの説を支持してるとみていい」
「残りの半分は?」
権三郎の声も真剣になっている。
「闇の仕置人Xについては、直接誰かから話を聞いた訳じゃない。俺がこの四日の間に、例えばトイレの個室にいる時や、廊下を歩いてる時、警察食堂でメシを食ってる時など、自然に噂話が聞こえてきちまったのさ。そこで頻繁に出てくるワードが、闇の仕置人Xの名だ。噂をしてたのは、刑事達をはじめ事務系の職員や制服の巡査まで幅広かった」
「ふうん……闇の仕置人ねえ。中々面白い渾名を付けてくれたもんだ」
権三郎は軽口風に言ったものの、目は笑っていなかった。
「尋問に関してはどうだ? 団員共は当然ながら俺の事を供述するだろうが、それを警察が信じ始めてるような兆候はあるのか?」
権三郎が真剣な面差しで訊いてくる。
「それも今のところは大丈夫だと思う。お前の強さと装備の類はマンガかSFかってレベルだからな。そんな荒唐無稽な供述を信じる取調官はいないだろうさ。仮に信じたとしても、おそらく上から厳重な箝口令が敷かれてるんだろう。とにかく取調室界隈でその種の風説が流れてるという話は聞いてない」
颯太が言うと、権三郎は漸く安心したような顔を見せた。
「それなら、今のところはひとまず大丈夫そうだな」
「ゴン、あくまで『今のところは』だ。俺はこれからもお前に協力を惜しまないつもりだが、今後は一層警戒を強めた方がいい。特に今回のような大規模案件ではな」
颯太が釘を刺すように言った。
「確かに、今回はちょっとやり過ぎだったかもしれんな。そこは気を付けよう」
権三郎が彼にしては殊勝な表情をみせて言った。
「お前も、俺以外にもう一本くらいパイプを増やした方が安全かもしれんな」
「まあな。だが安易な協力者の追加はリスクにもなる。そこが難しいところだ」
権三郎の表情が再び憂いを帯びる。颯太としては祝いの夜にそんな彼の顔をみたくなかった。
「ま、しょうがねえから、可能な範囲で俺が『スーパーデカ』の役割を引き受けてやるよ。俺のパイプ一本で何とかなるうちに、追加についてもおいおい考えてみるんだな」
「ん? スーパーデカの称号は迷惑なんじゃなかったのか?」
「手柄を譲ってもらうのは、俺にとってもメリットが無い訳じゃねえ。こうして美味いメシも奢ってもらえるしな」
「ふん。お前、無理してねえか?」
「協力関係を結んだ時点で肚は括ってたさ」
颯太はそういうと、特製スープの椀を手に取り、ズズズっと勢いよく啜り始めた。
宴も終盤に入り、点心の盛り合わせを食したのち、締めのデザートタイムに入っていく。
舌の上で蕩けるような極上のスイーツを堪能しながらも、颯太の心に不安がよぎり始める。
「ゴン、今更だがここのお代は本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だ」
「本当か〜? あの貧乏事務所の主にこれはちいと荷が重かったんじゃねえのか?」
「問題ない」
「お前に餓死でもされたら困るからな。これ、ひとり頭いくらだ?」
「ま、六万ってとこかな」
「そんなにか! 流石は満漢全席だな。おいゴン、本当にキツかったら俺も幾らか出すぞ」
権三郎はそこで、意味深な笑顔を見せた。
「そうだな…ここいらでこの話をしてもいいか」
「ん、何のことだ?」
「俺の経済状況の話だ。俺が所属する機構は、難事件を解決すると成功報酬が出る仕組みになっている」
「そうなのか」
「今回の報酬は一千五百万。そして今回は特別ボーナスとして五百万上乗せされた」
颯太は目を丸くした。
「なんと! そんな高額報酬を貰えるのか」
「まぁ、今回は大事件だったからな。ここまでの金額は滅多に出ない」
「なんだ〜。ならお前金持ちじゃんよー。何であんなボロ事務所で我慢してるんだ? コーヒーもインスタントだし」
颯太が能天気にそう問うと、権三郎は目を瞑って小さく嘆息した。
「機構から基本給は出ないからだ。貰えるのは成功報酬のみ。たまに今回のようなボーナスが付く場合もあるけどな」
権三郎はカチャカチャ音を立てながらフォークを操り、デザートを平らげていく。
「ほう、そんなシステムだったのか。その辺はシビアっちゃシビアだな。しかし成功報酬がそんなデカいならもうちょっと贅沢してもいいんじゃないか?」
「そうはいかん。何故なら、難事件の依頼なんてそうそうは来ないからさ。なので成功報酬は基本貯金だ。そこから切り崩して細々と生活してるってのが実状よ」
「そうだったのか……なるほどな」
颯太はようやく、この友人の経済観念を理解できたような気がした。
「そこがお前ら安定の公務員とは大きく違うところだ。ま、今回はデカい報酬が出たからここの支払いは問題無い。どうだ、腑に落ちたか?」
「落ちた落ちた。そうかー、例の機構とはそういう契約だったんだな」
「この話はここまで。さ、締めのデザートしっかり平らげようぜ!」
二人は残り時間をフルに使って、極上のデザートを心ゆくまで堪能した。
「ふー、食った食った。明日の分まで補給した感じだぜ」
颯太がオッサン臭く腹をポンポンと叩く。
「この瞬間は本気でそう思うんだよな。しかし12時間も経てばまた腹が減る。人体ってのは不思議なもんだ」
権三郎が腹を擦りながら言う。
こうして颯太への謝礼を兼ねた祝勝会はお開きとなった。
二人は最寄り駅のホームで散開する。
楽しい一夜ではあったが、颯太の心には一点のシミが残った。
颯太は、上司である一課長が権三郎について言及していたことを彼に話すべきかずっと悩んでいたのだ。
しかし、今夜はやはり話さなくて良かったと考え直す。人生、楽しむ時はしっかり楽しまないとメリハリが付かなくなる。
「やれやれ、スーパー刑事やるのも楽じゃないぜ」
颯太は電車待ちのホームで、そんな独り言をポツリと漏らした。
終章 11
颯太と権三郎の会食から一夜明けた翌日、警視庁内の取調室ではまだアジトリーダーAへの取調べが続いていた。
徹底的に罪状否認を続けるA。その思惑は刑期の短縮である。『自分は元軍人で、かつてアフリカで大型動物の狩猟に関わっていた事実はある』と認めたうえで、『今回の密輸団との関わりは薄い。闇バイトで応募して、アジトリーダーという「役割」を演じさせられていただけだ』という主張を一貫して語り続けた。しまいには『こんな大規模だとは想像してなかった。巻き込まれた俺自身も被害者だ』とまで言い出す始末であった。
Aの思惑はこうだ。
(闇バイト説で押し切りゃ、実刑食らってもさほど長くはならねえだろ。出所したら隠し口座に貯め込んだ金を下ろして、海外に高飛びだ!)
しかし、彼の目論見は見事に外れた。
「A。お前の起訴が決定した。今から拘置所に移送する」
アイスマンとの異名を取る、能面のような顔をした警部が淡々と告げた。
「なっ!? ずいぶん早くねえか刑事さんよ。普通もっと長く続くもんじゃねえのか」
「法改正だ。証拠が十分揃ってれば取調開始から96時間で起訴が決定する。たった今、その96時間が経過したところだ」
「俺の罪状はどうなる? 闇バイトの話、信じてくれるんだよな?」
うろたえるAの眼前に、アイスマンの能面顔がズイッと突き出される。
「そんな戯言1ミリも信じちゃいねえ。お前はあのアジトのリーダーを長年務め、3ヶ月前の熊害の一件では現場の隠蔽を指示した。死亡事故の証拠を隠滅したんだ、罪は重いぜ。それにお前は密輸団本部の中堅幹部も兼任してる。いわば重犯罪者だ。ま、十年くらいは臭いメシを食ってもらうことになるだろうな」
アイスマンは能面顔のまま淡々と告げた。
「しょ、証拠なんてみんなデタラメだ。仮に本当だったとしても違法に採取されたものだ。そんなもんを根拠に起訴なんて出来るもんかよっ!!」
必死に訴えるAを小馬鹿にするように、アイスマンが能面を崩しニヤリと笑う。
「それが出来るんだよ。これも法改正でな。要はデュープロセスの合理化・簡略化ってとこだ。多数の証拠・証言を精査及び統合した結果、お前は120%クロ。真っ黒けのケだ!」
アイスマンの返答にAは歯噛みする。探偵の言っていた事は本当だったのだ。
「まさか、マジでそんなことが……」
Aはショックに打ち震えた。
「そうだ〇〇、ちなみにな」
「なんだ……」
「お前の隠し口座、既に抑えてある。出所後に高飛びなんて甘い考えは捨てたほうがいいぞ」
アイスマンがついでのようにサラッと言う。
「ぬがっ……!」
Aは今度こそ絶望に打ちのめされた。
「ちくしょおぉ……。ならせめて、あの男の正体を教えてくれ。このモヤモヤを何とかしねえことにゃ、不愉快すぎて眠れそうにねえ」
Aは机に肘を突いて頭を抱え、掠れた声で哀願する。
「あの男? なんのことだ?」
「俺達を捕まえたアイツだよ! 銀ピカの変なスーツを着てた野郎だ。確か、探偵とか名乗ってた」
「銀ピカ? 探偵? 知らんな。そんな情報は全く出てきてないぞ」
アイスマンの表情は微動だにしない。
「ウソつけ! どうせアイツも警察の一味なんだろ? ヤツは銃こそ持ってなかったが、途轍もねえ装備を一式揃えていやがった。あんな化物が民間人のはずがねえ!」
「知らんものは知らんと正直に言ってるだけだ。少なくとも公式にはそんな人物の存在は浮かび上がっていない」
「なら追加情報を教えてやる。そいつは自分のことを『ゴンさん』と呼んでいた。あ、思い出したぜ! そう、『首突っ込みたがりのゴンさん』だ。ヤツはそう自称してた」
「首突っ込みたがり……のゴンさん? 誰だそりゃ。いま初めて聞いたぞ」
その無表情からはまるで真偽が読み取れない。
「ウソだ! 本当はお前らの仲間なんだろ。なぁ、お願いだからそれだけでも教えてくれえ〜!」
「知らんものは知らん。以上。お前への取調べはここまでだ。即、拘置所に移送する」
アイスマンが事務的に宣言した。
「くっ、ガチでこんな展開になりやがるとは……」
眉間をピクつかせ歯軋りするAに、アイスマンがアルカイックスマイルをのぞかせて声をかけてきた。
「〇〇、さっきはつい昭和のノリで『臭いメシ』なんて言っちまったが、今はそうでもないらしいぞ。基本は玄米だが、白米も割と含まれてると聞く。良かったな!」
アイスマンからポンと肩を叩かれる。
Aは取調室の天井を仰いで絶叫した。
「くっそーっ! 結局アイツは何モンだったんだぁ〜〜!?」
一方、S県警本部内の取調室では、サブリーダーBとナンバー3のCに対する尋問が並行して行われていた。BもAと同様に『謎の銀ピカ男』に拘束されたと強硬に主張。さらにBは、自分を具体的に拘束したのは銀ピカ男が使役する『タコ型メカ』であったと説明。それは小さなフリスビーが一瞬にして2メートル近い大きな円盤に拡大するという荒唐無稽な話だった。円盤から現れたタコの脚のようなギミックで身体を縛り上げられたのだという。
だが取調官は冷静に「そんな物体現実に存在するわけないだろう」と一蹴。Bは「本当なんだ、信じてくれ!」と縋り付いてきたが、取調官は「〇〇、お前はきっと白昼夢を見たんだよ。いや、捕物は夕方だったそうだから『赤夕夢』ってとこか」と鼻で笑い、B並びCは共に『96時間新法』によって拘置所行きが決定した。
その夜。都内のある料亭で極秘の会談が行われていた。
警視庁副総監と、S県警本部長を中心とした少人数の集まりだった。
『今回の一件、どうも相当きな臭い匂いがしますな』
『噂の、某組織との関連ですか』
『公安が一部掴んだ情報によると、組織の名称は「世界超探偵機構」と呼ばれているらしいとか……』
『略して「WSDO」と云われてるようですね』
『はてさて、我々は今後、この事案とどう関わっていけばよいのやら』
『ただし、ここに所属する探偵とやらは、どうも銃器の類は一切使用しないらしいのです。関連案件で報告が上がったことは一度もありません』
『それなら、まだ当分は様子見するというのが無難なセンですかねえ』
『そうですな』
会談はこのようなやり取りを経てひっそりと終了した。
権三郎が颯太と会食した2日後、白石弁護士から電話が入った。
『権三郎君、賠償請求の件、通ったぞ! もう金額も決定した』
「ありがとうございます! それで、金額の方は?」
『喜びたまえ。「五千万円」だ。決して悪くない結果だと思うが、如何かな?』
「素晴らしいです! そこまでの高額を引っ張ってこられたのは、白石先生のお力以外の何物でもありません!」
『満足してくれて何よりだ。賠償金は来月中には遺族の口座に振り込まれる手筈になっている。早く報告してあげなさい』
「はい、さっそく伝えます。先生には只々感謝しかありません!」
権三郎は受話器を置くと、両手で小さくガッツポーズを決めた。
権三郎は郁美に電話して、五千万円の賠償金を勝ち取ったことを報告した。加えて、ヒグマを逃がした実行犯のD、証拠隠滅を指示したAにも罪状が追加されることは確実だと告げる。さらに、権三郎が事件の解決に根本的に関わったという証明をするため、知人の捜査一課警部補に同席して証言してもらうという話も伝えた。最後に、この依頼にかかった調査費用が『15万円』だと伝えると、郁美は郵送ではなく直接事務所に支払いに来て御礼を述べたいと言ってきた。翌日の派遣の仕事は半休を取るので、午後二時頃には来られるという。権三郎はそれを快諾し、報告は完了した。
その日の夕方、S県H町М山山頂公園の封鎖が解除されるというニュースが報道された。
従来通り、I丘陵ハイキングコースの出口としても元通りになるらしい。ニュースでは喜びに沸く地元民の声が多数流されていた。
権三郎はTVを消すと、満足気な笑みを讃えて室内のある一点を見つめた。シークレットルームへと繋がる食器棚。
「さて、次に扉が開く日はいつになることやら」
そう独りごちると、権三郎はコーヒー瓶を取り出してスペシャブレントの配合を始めた。
夜になり、権三郎はテナント兼住居の入っている雑居ビルの屋上に上がって、静かにタバコを吹かしていた。
普段は吸わない彼だが、事件が終息した際に一本だけ吸うことを自分に許しているのだ。
「フーッ、この一本だけはどうしてもやめらんねえ」
権三郎の吹いた煙が、宙空で輪になり高々と浮かび上がった。
次、最終回




