終章 12 (最終回)
終章 12 最終回
鳩森郁美はその日、都内某所の派遣先の職場から半休を取った。午後二時にウルトラハイパー探偵事務所に調査費用を支払いに行く予定だ。
季節はもう十月に移っていた。
ファミレスで軽く昼食を摂り、電車を一本乗り換えて最寄りの駅に辿り着く。
駅から十分ばかり歩くと、小汚い雑居ビルが見えてくる。探偵事務所の悪趣味な看板が今日は何故か眩しく映った。
郁美がこの探偵社を訪れたのは半月ほど前のことである。依頼のあと、1週間ほどで事件は実質的に解決し、その後の1週間は犯人への損害賠償請求を行うので待機してくれとの申し入れだった。
昨日、無事に賠償金の支払いが確定したとの報告を受け、ようやく今日この日に至ったという次第である。
その損害賠償金の『五千万円』という額には正直驚きを隠せなかったが、それで父の命が還るというものではない。郁美にとって真の救いになったのは、事件の真相が明かされたこと、そして事故に関与した犯罪者達がキチンと裁かれたことである。
それでも、高額の賠償金を受け取れることになったのは素直に有り難いと思った。金額の問題以上に、大切なものを喪った被害者に対して明確な『形』として償いが為されることは、心の収まり具合が明らかに違う。
そして、あの大山田権三郎という探偵のことだ。最初はただの胡散臭い人物にしか見えず、依頼を取りやめようと思った瞬間さえあったが、結果として彼は短期間で本当に事件を解決してしまった。
探偵が刑事事件を解決する。一般的にはあり得ない話かもしれない。しかし、熊害事故なんて案件を探偵事務所に持ち込んだ自分が『常識』を語る資格はないだろう。
父の命を間接的に奪った密輸団は警察が逮捕したということらしいが、М山のあるH町を管区に収めるS市北署の杜撰すぎた対応が明らかになった今、郁美も警察に対する信用をすっかり無くしていた。
猟友会の捜索が終わった後に、警察が自発的に捜査を再開したなんてことは絶対あり得ないだろう。事実、槍玉に挙げられた警部が鳩森家へ直接謝罪に来たのだ。兄がけんもほろろの対応で追い返したのだが、あの警部の惨めな姿をみて、郁美は怒りよりむしろ憐れみを感じた。そんな情けない警察が主体的に動いて、密輸団と熊害事故の関連を暴き、G県の山林に埋まっていた熊の遺体を掘り起こし、賠償金の取立までしてくれたとは到底思えない。
郁美はもう何の疑問も持つことなく、大山田権三郎が自分の無念を晴らしてくれたのだと確信できていた。
相変わらずの、狭くて急で小汚い階段を登り終えると、郁美は事務所の武骨なドアをドンドンと叩く。
「こんにちわー! 鳩森ですー。調査費用のお支払いに参りましたー」
時間は13時55分。常識的な5分前訪問だ。
即座な反応は無かったが、郁美はそれ以上ドアを叩かなかった。もしかしたらまた『トイレで便秘と格闘中』なのかもしれない。
初対面のドタバタを思い出し、郁美はクスリと微笑んだ。
待っている間、郁美は忘れ物がないかバッグの中を改める。肝心な調査費用を納めた封筒はしっかり入っていた。仕上げは上出来。
2分ほどして、武骨なドアが開かれる。
「お待たせしました! 本日は遠いところ、わざわざご足労ありがとうございます」
権三郎が現れた。半月ぶりに見る彼は、前回と殆ど印象が変わらない。安物っぽいスーツ、白いYシャツ、3色ストライプの変なネクタイ。ただ、ぼさつき気味なロン毛のサイド部分のボリュームが、若干減っているように思えたのは気のせいだろうか。
「こんにちわ、探偵さん。約束通りやって参りました。それでは、入らせて頂きますね」
郁美はまずそのように挨拶して、中に入って行った。
応接スペースに入ると、見知らぬ人物がソファの一つに座っていた。
「鳩森さん、紹介します。こちら、私の『知人』である、警視庁の神谷さんです」
権三郎がその人物に手を向けて言った。
かみや、と呼ばれた人物は、ソファから立ち上がると郁美に向かって一礼し、慣れた手つきで名刺を差し出してきた。
「初めまして。わたくし、大山田さんと懇意にさせてもらっている者で、神谷颯太と申します」
その人物は、道を歩けば女性達が皆振り帰る程の、整った容貌をした短髪の男性だった。
「警視庁、刑事部、捜査一課、警部補…」
郁美が辿々しく名刺の肩書を読み上げる。
「ま、平たくいえば刑事さんですな」
権三郎がカラカラと笑って言った。
「ザックリ言ってそんなとこです」
神谷が白い歯をみせて微笑む。
「とはいえ彼は、その辺の刑事さんとは一味も二味も違う。泣く子も黙る捜査一課のエリート様なのですぞ!」
権三郎が虎の威を借る狐のように言った。
「もぉ、そういう言い方はやめて下さいといつも言ってるじゃないですか〜」
神谷が照れた様子ではにかんだ。
「さあ鳩森さん、そんなとこに突っ立ってないでソファにおかけになって下さい! 今回はちゃんとお金をかけましたから、ご安心下され!」
権三郎が示唆したソファは、一見革張りのものに見えた。
「今回はまともな物みたいですね、安心して座れそう」
呼吸をするように自然と皮肉が出る郁美であった。
「それでは、座らせて頂きますね」
ソファに腰掛けると、どっしりした安定感と柔らかみが背中に伝わってきた。説教した甲斐があったわと郁美はほくそ笑む。
「座り心地はどうです?」
権三郎が不安げな口調で聞いてくる。
「悪くありませんわ。探偵さんも学習なさってくれたようですね」
「いやぁ、合格点が貰えて一安心ですな」
こちらの当て擦りに気付かないのか、無邪気に喜んでる彼をみて、郁美は一言尋ねてみることにした。
「探偵さん、このソファは新品なんですか?」
「いやぁ、恥ずかしながらまた中古です。しかしですな、今回はちゃんとしたお店で買ったものなのでご安心を!」
権三郎が頭をポリポリ掻きながら言う。
「ちなみに、プライスはいかほどで?」
郁美が目を細めて訊く。
「まぁ、五千円といったところですな。これでも奮発したんですぞ、ハッハッハ」
その態度に郁美は少々イラっとしたが、まぁゼロが三つ付いただけ良しとすることにした。
「それより鳩森さん、今すぐコーヒーをお出ししますので少しだけお待ち下さい! 既にお湯は沸かし済ですぞ」
権三郎がまた、あの『普通』なコーヒーを振る舞おうとしてくれてるようだが、郁美はスマートに辞退する。
「あ、申し訳ないですが今日は結構です。つい今しがたファミレスのドリンクバーで二杯飲んできたばかりなので」
その返答に、権三郎は露骨に残念そうな表情を浮かべた。
それにしても、床に散乱するホコリの山をはじめ全体的に小汚いのは相変わらずだ。郁美は小さく嘆息する。
しかし、今日は説教をしに来た訳ではない。郁美は立場をわきまえ、襟を正す。
「大山田さん、この度は大変にありがとうございました。謹んで御礼申し上げます」
郁美は高級デパートの店員よろしく、権三郎に深々と頭を下げた。
「まあまあ、そんなに畏まらないで下さい。私はただ仕事をしただけですから」
頭を上げると、権三郎は照れたような表情で両手を胸の前で振った。
「鳩森さん、私が事件を解決に導いたといっても、コトは刑事事件です。私自身の証言だけでは不足と思い、今日は知人の刑事さんにお越し頂いたという訳です」
テーブル越しに権三郎と向かい合って座る郁美からみて、左側に座ったイケメン刑事が口を開く。
「いま大山田さんが仰った通りです。我々警察とこういった興信所の類は水と油のようなものだと誤解されてる方が多いのですが、実は結構協力関係を結ぶ場合もあるのですよ。私と大山田さんのケースなどまさにその典型です。そこでですね、これは非公式、オフレコでお願いしたいのですが、今回の密輸団摘発の一件を実質的な解決に導いたのは彼、こちらの大山田さんに他ならないのです」
神谷が立て板に水とばかり一気に言い切った。
「神谷さん、名刺だけでは不十分かもしれない。念の為警察手帳、正式な身分証の方も鳩森さんにお見せして頂けますか?」
権三郎はそう言って、イケメン刑事に身分証の提示を求めた。
「分かりました、今お見せします」
神谷がポケットから身分証を取り出そうとしたその時、郁美がそれを遮った。
「身分証は結構です。そちらは御仕舞下さい」
郁美がそういうと、二人は『エッ?』と意外そうな反応をみせる。
「名刺だけで十分ですよ。神谷さんは本物の刑事さんだと信用します。それに……」
郁美は一拍置いて、権三郎の眼をまっすぐ見つめた。
「解決の証明なんてどうでもいいんです。私がこの探偵事務所に無茶な依頼をして、たった1週間余りで密輸団が捕まった。さらにその後は、私の父の一件が全部キレイに解明されて、賠償金まで取って貰えました。これはどう考えても大山田さんの尽力のお陰としか考えられないんです。ですからもう結構です」
郁美が一気にそう言うと、イケメン刑事が笑顔で頷いた。
「大山田さん、これはもう、私はお役御免みたいですね」
神谷はそう言うと、ソファからすっくと立ち上がった。
「では私はここで失礼します。大山田さん、また今度ゆっくりお会いしましょう」
神谷は郁美に一礼すると、そそくさと退場してしまった。
「刑事さん、あっさり帰っちゃいましたね」
郁美がドアの方を見ながら言う。
「まぁ彼も忙しい身ですから」
権三郎はそういってから、口調を改めて問いかけてきた。
「でも、本当に良かったんですか? 説明を受けなくても」
「私は大山田さんが解決してくれたって信じてますから。それが全てです」
そう返答すると、権三郎は晴れやかな笑顔を向けてくる。
「信じてくれてありがとうございます」
そこで、何となく気詰まりな空気になってしまったことを察した郁美は、取り繕うように本題を切り出した。
「そうそう、本来の用件に入らないとですね。調査費用のお支払いです。そういえば契約書のサインさえまだでしたっけ」
郁美はハンドバッグの中から札束の入った封筒を取り出した。
「どうぞ、お納め下さい」
郁美が両手で封筒を差し出す。
「何度も確認しましたけど、念の為大山田さん御自身も直接確認して下さい」
郁美は手を差し出し続けていたが、権三郎は何故か受け取ろうとしなかった。
「どうしたんですか? 大山田さん」
郁美は首を傾げて封筒を一旦テーブルの上に置く。
権三郎は落ち着かない様子でコホンと白々しく咳払いすると、意を決したように口を開いた。
「その、鳩森さん。……もし良かったら、ウチの事務員としてここで働いてもらえませんか?」
郁美は一瞬目の前がチカッとした。
「え、ええ〜っ!!」
郁美は驚きのあまり口に手を当てて固まってしまう。
「あ、あたしがですか〜。ここの、スタッフとして働くってこと?」
郁美は人差し指を自分に向けて言った。
「そうです。要するにこれはスカウトです」
「で、でも、探偵事務所なんて勝手がわかりませんし……」
「別に特殊なことなんてないですよ。事務員としての求人ですから、普通に事務して頂ければ結構」
「急に言われてもなぁ。本当にあたしに勤まるのか自信がないですしー」
郁美は困り顔で両手を小刻みに振る。
うろたえる郁美に、権三郎が穏やかな目線を向けて言ってくる。
「調査費用をタダにする代わりに、最初の1ヶ月だけは無給ということでどうでしょうか? 一応研修期間ということでね。2ヶ月目からは正規の給料をお支払いしますよ。月手取り22万くらいでは如何です? あ、交通費は別途支給します。それに、働きぶり次第ではボーナスも検討させてもらいますので」
権三郎の提案は悪いものでは無かった。少なくとも郁美にはそう思えた。
だからといって即答できるものでもない。
「シンキングタイム、プリーズ!」
郁美は片手を挙げて『間』を要求した。
「どうぞ、ごゆっくり検討の方をば」
郁美は頭を抱えて熟考する。視界に入るのは小汚い応接室の風景。その汚らしさが、郁美の中の何かを刺激した。
数分後、郁美は顔を上げて探偵の顔を真正面から見据えた。
「大山田さん、今の派遣先、あと三日期限が残ってるんです。このお話をお受けするかお断りするかは、3日後にお答えするということでよろしいでしょうか?」
「もちろんです。急な話ですしね。3日間、よく考えてみてください」
郁美は軽く頷いて、再び口を開く。
「もう一つお願いがあります。このお返事をするのは、例の、М山山頂公園の展望台の上でということでいいですか?」
その申し出に権三郎は少し驚いたような顔をしたが、「承知しました。では3日後の夜、自宅付近までお迎えにあがります」と返してくれた。
そして3日後の夜。
郁美と権三郎はМ山山頂公園の展望台に来ていた。
М山公園の封鎖が解除された直後は、たくさんの人で溢れかえったこの場所も、この日は程よい落ち着きをみせて、人影はまばらだった。
展望台の上には郁美と権三郎の二人きりだ。
公園は夜になっても街灯がたくさん点いていて、展望台の上はかなり明るい。
「おお、これが貴女の言っていた夜の風景なのですね!」
一番の絶景ポイントに立って、手摺に手を掛けた権三郎が、興奮した様子で声を上げた。
傍らに立つ郁美が答える。
「ふふ、前に言いましたよね。この展望台の一番のウリは夜景だって」
そのポイントから見える景色は、眩いネオンが粲然と輝く市街地と、鬱蒼としたI丘陵の自然が渾然一体となって、絶妙なコントラストを描いていた。
「ええ! 夕暮れ時も綺麗でしたが、この夜景はあの時以上です。ところで、あのキラキラした街並みは何という所ですか?」
権三郎が人差し指を向けて言う。
「あのへんは、S県でも五本の指に入ると云われる、K市の街並みですね」
それを聞き、権三郎が拳をポンっと掌に当てる。
「おー、確かあの『ミニ江戸』と名高いK市のことですね。へえ、あれがねえ」
そんな具合に、権三郎は暫くハイテンションではしゃいでいた。片や郁美は、眼に映るI丘陵の森林を眺めながら、この3ヶ月半をしんみりと振り返る。
(父さん、仇はこの人が取ってくれたよ。これで心置きなく天国に行けるね)
権三郎がようやく満足したのを見計らって、郁美が声をかけた。
「大山田さん、はいこれ。受け取って下さい」
郁美がバッグから封筒を取り出す。それは先日、郁美が調査費用を封入していた封筒と同じ形状のものだった。
それに気付いた権三郎の表情がたちまち曇る。
「はぁ……やっぱりダメでしたか。了解しました。受け取らせていただきます」
権三郎が萎れた顔で封筒を受け取る。
「ん? やけに軽いですね。鳩森さん、もしかして一桁勘違いしてませんか?」
十五万円と電話で言われたものを勘違いしようもないのだが、あえてそこには触れない。
「いいから、確認して下さい」
権三郎が封筒の中に手を入れた。
「やけに薄いな……。ん、これはもしかして現金ではない!?」
権三郎が手にしていたのは1枚の紙切れが折り畳まれたものだった。
「鳩森さん、これは……」
「職務経歴書です。一応スカウトされた身なので、履歴書のほうは省かせて貰いました」
「……」
「それに、あたしが持っている資格などが記載されてます。参考にしていただけると」
「ということは、来てくれるんですか!? ウチに」
権三郎が上擦った声を上げた。
「はい。不束者ですが、よろしくお願いします、所長」
郁美が膝に両手を当てて頭を下げる。
権三郎は上気した顔で拳を握りしめていた。
「おおぉ……やった。何という逆転勝利!!」
郁美を見つめる権三郎の目は、気のせいか少しばかり潤んでいるようにみえた。
「では、さっそく明日から出勤でいいですか?」
「ええ。貴女さえ良ければそれで結構ですぞ!」
そのとき、郁美の目がキラーンと光った。
「それじゃ、あたしの初仕事はもうキマりですね」郁美が人差し指を立てて言う。
権三郎が小首を傾げる。
「へ? キマりって?」
「決まってるでしょ!! 掃除ですよ、そ・う・じ! あんなホコリだらけのオフィスで働くとか、アタシ的にはありえないんで!」
郁美が立てた指をビシッと権三郎に向けた。
権三郎はポカーンと間の抜けた表情を浮かべている。
「もちろん、所長にもバッチリ手伝っていただきますからね。覚悟しておいて下さい!」
郁美が高らかに宣言すると、権三郎が小声で呟くのが聞こえた。
「やっぱり、このスカウトは失敗だったかなぁ……」
「はあん、何か言いました?」
郁美が耳に手を当てギロリと睨みつける。
「いえ何も!!」
権三郎が直立不動の姿勢で答えた。
そんな二人のやり取りを、ポッカリ浮かんだ月だけが緩やかに見守っていた。
ご都合主義探偵 権三郎 fin
最後まで読んで頂き、大変にありがとうございました!!
このような異色作を読み進めるには結構なエネルギーが要ったのではないかと想像します。お疲れ様でした。
小説は様々な制約からもっと自由になってもよいのではないかと思い、これを描きました。
というのは建前で、本音はただ自分が面白いと思う要素を一通りぶっ込みたかっただけなんですけどね(笑)。
とにかく、ここまでお付き合い下さった方には只々深謝あるのみですm(_ _)m




