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ご都合主義探偵 権三郎  作者: TT93
最終章
21/23

終章 5-8

終章 5


「この裁定に、不服はあるかね?」

 刑事部長が穏やかな笑みを浮かべて問う。

「と、とんでもありません! ご寛大なご処置、誠に感謝いたします!」

 颯太は慌てて手を振りながら、深々と頭を下げた。

「神谷警部補。今後は独断専行を慎むように。それが訓告のすべてだ」

 その言葉も実にあっさりしている。

「は、はい!」

 颯太は上気した面持ちで幹部陣を見回した。

「では、これをもって査問会議を終了する。神谷警部補、今日はもう帰宅してよろしい。身体を休めたまえ」

「あ、ありがとうございます!」

「以上、解散!」

 刑事部長を先頭に、幹部たちはぞろぞろと会議室を後にした。

 最後に出ていく一課長が、振り向きざまに無言でサムズアップを送ってくる。

 颯太はその場で椅子に崩れ落ち、深い安堵の溜息を吐いた。思わず目元を手で覆い、しばし動けなかった。


 心が落ち着くと、颯太は会議室を出た。

 そのまま帰宅しようとした矢先、待ち構えていた同僚や部下の刑事たちが雪崩れ込むように現れ、彼を取り囲んだ。

「神谷さん、今回の件、どこまで関わってたんですか?」

「刑事部屋はその話題で持ちきりですよ!」

「本人の口から聞かせてくださいって!」

 まるでマスコミの囲み取材のような騒ぎである。

「悪いが、今はとにかく疲れてる。今日は帰らせてくれ。また今度話すから」

 颯太が苦笑混じりに手を上げると、同年代の同僚が新聞を手に駆け寄ってきた。

「ところで神谷さん、今日の朝刊見ました?」

「いや、まだ読んでない」

 同僚は折りたたんだ新聞を広げ、紙面を突き出した。

 そこには――

 《大規模密輸団、摘発。S県のアジトで37人逮捕》

 の大見出しが踊っていた。

「これ、今日のトップですよ。ニュースやワイドショーでも大々的に取り上げられてます。もう日本中がこの話題で持ちきりじゃないですかね!」

 彼は興奮気味に言う。

「なんて速さだ……信じられん」

 颯太は唖然とつぶやいたが、すぐに疲労の波が押し寄せた。

「皆さん、本当にすまないが……今日は限界だ。帰らせてもらう」

 押し問答の声が飛び交う中、少し離れた場所で腕を組み、冷めた目でその様子を見ている人物がいた。

 ――颯太のバディであり、教育係を務める新人刑事・平井涼華。

 颯太は人の輪を抜けて、彼女のもとへ歩み寄った。

「平井、相談もせずに悪かった」

 だが涼華は短く一礼し、

「失礼します」

 とだけ言い残して踵を返した。

 その背中を見送りながら、同僚たちは口々に囃し立てる。

「平井のやつ、神谷さんが構ってくれないから拗ねてるんですよ」

「まったく、女ってのは面倒だなあ」

 颯太は気まずげに苦笑するしかなかった。

 そのとき、廊下に響き渡る一声。

「お前ら、今日はもう神谷は非番だ。プライベートを邪魔するな」

 一課長だった。

 その一言で場は一瞬にして静まり、刑事たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。

「神谷、疲れてるとこ悪いが、帰る前に一杯コーヒーでもどうだ?」

「はい、喜んで!」

 颯太は居酒屋の店員のような調子で答えた。


 庁内のラウンジ。

 二人は向かい合って座り、コーヒーを啜る。

「一課長、今回は本当に……言葉もありません」

 颯太が頭を下げようとした瞬間、一課長がふと口を開いた。

「――大山田権三郎君、という名前を知っているな?」

 その名を聞いた途端、颯太の背筋に冷たい電流が走った。

「な、なぜ一課長が……」

「何でもお前とは、幼稚園から中学までの同級生だったそうじゃないか」

 一課長は穏やかにコーヒーを口に運ぶ。

「確かに同級生でしたが、特に親しかったわけではありません。中学卒業後はせいぜい同窓会で少し顔を合わせた程度です」

 颯太は『公式答弁』を口にする。

「そうか。だがな――」

 一課長は言葉を続けた。

「大山田君という人物、調べてみると実に面白い経歴の持ち主だ。警察学校を歴代トップで卒業し、最年少で機動隊入り。その後、SATへ異例の抜擢」

「……初耳です」

「だがSAT時代も長くはなかったようだ。その後のデータは警察の記録から消えていた。興味が湧いてな、私の“個人的な伝手”を使って調べてみた」

 颯太は息を呑む。

「彼は一時、内閣情報調査室に籍を置いていたらしい。さらには英国のMI6へ交換研修のような形で派遣されていたという」

「まるで映画の登場人物ですね……」

「それだけじゃない。後に陸自に転じ、米国のグリーンベレーにまでスカウトされたという話もある」

「……信じ難いですね。まさか、そんな人物が同級生だったとは」

 颯太は我ながら白々しいと思いながら、苦しい芝居を続ける。

「数年前に帰国し、今は探偵業を営んでいるようだ。――野に下った、というわけだな」

「確かに、彼は昔から協調性がないタイプでした。組織に馴染めなかったのでしょう」


 一課長はにやりと笑う。

「だが、彼のような人間こそ“超人”と呼ぶにふさわしい。そんな男が、お前の知己であることを面白いと思っただけだ」

「まさか、一課長……今回の件と彼を結びつけては?」

「ハハハ、考えすぎだ。いくら超人でも、一人でアジトを壊滅させるなんて不可能だろう」

「では、なぜ今ここでその話を?」

「別に、深い意味はないさ」

 一課長は軽く笑みを浮かべた。

「ただな、友人――いや、“元同級生”は大事にしろ。それだけの話だ」

「……はい」

「人間にとっての宝は“絆”だ。単独行動はほどほどにして、平井の面倒もしっかり見てやれ」

「なるほど、そういうオチですか」

「そういうことだ。――じゃあ、俺が払っとく。お前は宿舎で休め」

 一課長は伝票を手に取り、悠々と立ち上がった。

 去っていく背中を見送りながら、颯太は思う。

(……全部、見抜かれてるな)

 上層部は、どこまで“彼ら”の存在に気づいているのだろうか。

 それとも、まだ核心には届いていないのか。

 冷めたコーヒーをひと口含む。

 砂糖を二つ入れたはずなのに、舌に残るのは苦味ばかりだった。


終章 6


 颯太はその後、官舎の自室に戻り、死んだように爆睡した。

 一課長からは『今日は何があっても呼び出さないから電話は完全にOFFモードでいい。明日の出勤も午後からでいいからな』と言われていたので、本当に気兼ねすることなく携帯電話をサイレントモードにしていた。

 颯太は、夜零時という中途半端な時間に目を覚ました。渇きと空腹と尿意をおぼえた彼は、トイレを済ませて水を飲み、電子レンジに冷凍食品を入れてスイッチを押す。

 出来上がりを待つ彼の目に、携帯電話の着信有りランプが点滅してるのが映った。

「なんだ〜? まさか呼出しあったのかぁ。一課長の言葉を鵜呑みにして爆睡しちまったじゃねえかよ」

 颯太はそうボヤキながら携帯をチェックすると、着信は権三郎からのものだった。更に留守電メッセージも入っている。

『颯太、どうやら上手いことやってくれたみたいだな。ありがとうよ。この時間まで連絡ねえってことは、お咎め無しで済んだようだな。只今爆睡中ってとこか? 用件だが、お前へのお礼のことだ。最高級ランクのフルコースを奢るぜ。フレンチ、中華、何がいい? 決まったらメールでいいから送ってくれ。予約が必要なんでな。じゃーまた!』

 メッセージは割と長いものだった。ゆえに早口だった。

 颯太は半覚醒の頭を回転させ、返事を考える。電子レンジが『ピーッ』と調理完了の音を告げたとき、颯太は独り言を漏らした。

「今回は地獄のミッションだったからな。そうさね……ここはひとつ満漢全席でも奢ってもらうとするか」


 一方権三郎は、アジト殲滅の翌日、郁美への報告を済ませた後に都内の某弁護士事務所を訪れていた。

「白石先生、お久しぶりです」

「おお、権三郎君、元気そうで何よりだ。ところで今日はどうしたのかね?」

 この白石弁護士は還暦を少し出たくらいの初老の男性で、今は亡き権三郎の父と親友の間柄だった人物だ。

 そして、法曹界における唯一の協力者でもあった。

「実は、今日のニュースで話題になっている密輸団摘発に関連する案件で、賠償金取立の依頼を先生にお願いしたく、やって参った次第です」

「えっ? 例の密輸団関連でかい? 何か具体的な被害に遭った人物がいるのかね」

 白石弁護士が驚いた素振りをみせる。

「ええ。密輸団が起こしたヒグマの移送ミスで、3ヶ月前に死亡事故が発生しました。私は今、犠牲者の家族から依頼を受けておりまして、何としても密輸団の資金源から高額の補償を引き出してやりたいのです」

「そうなのか。なるほど、今回の一件には君が絡んでいたんだね」

 弁護士は意味深な含み笑いをした。

「その辺は前回同様、オフレコでお願いします」

 権三郎も含み笑いで口の前に人差し指を立てた。

「事情は解ったが、その事故に関する証拠が無ければ動きようがないぞ、権三郎君」

 白石の問いに権三郎が即答する。

「大丈夫です。逃走事故を起こした犯人は、取り調べの際にその一件も必ず自白するはずです。組織の隠蔽で山中に埋められたヒグマの遺骨も、明日あたりには発掘されるでしょう。さらに、熊害の犠牲者の遺体写真も抑えてあります。私の協力者である捜査一課の刑事を通して科警研に調べさせれば、遺体の打撃痕とヒグマの前脚の形状がピタリと一致するでしょう」

「流石は君だな。もうそこまでお膳立てしてあるとは。何か、君のお父さんの若い頃を見てるようだよ」

 白石が感心した様子で目を細める。

「犠牲者とヒグマの因果関係が立証された時点で、即、警察から先生の方に報告が行くよう準備するつもりでいます。先生、引き受けて下さるでしょうか?」

 権三郎は真摯な表情で白石の顔を見つめた。

「勿論引き受けるとも。不肖この白石、刑事も民事も何でもござれと自負しておる。くだんの密輸団からバッチリせしめてやるから、せいぜい期待してくれたまえ」

 白石の快諾を得て、権三郎は深々と頭を下げる。

「ありがとうございます!! よろしくお願いします」

「『弱き者の側に立つ』、それが君のお父さんのモットーだった。君は探偵になった今でも、彼のスピリットを継承し続けている。それが私には嬉しいのさ」

 白石はそう言って穏やかに微笑んだ。


 同日、警視庁内部にある一つの取調室で、S県アジトの主犯格の一人・Dへの尋問が行われていた。

 Dは取調官の刑事が驚くほど素直に、自身が犯してきたあらゆる罪状を告白した。

 中でも特筆すべきは、Dが自ら、ある『余罪』を告白してきたことである。それは3ヶ月前に、S県のH町で起こった熊害事故の原因を作ったのは自分であるという内容であった。『犯熊』はツキノワグマではなくヒグマであり、自身が子熊の頃から調教していた個体だったと述べた。そのヒグマはアジトのリーダーAに射殺され、その頭部の損壊した遺体はDを中心に三人がかりでG県の山林に埋めたと供述。埋めた場所も、大雑把にだが覚えているという。

 ヒグマの遺体処理ののち、H町の現場に戻った彼は、そこで密輸団のメンバーが本部の応援も含め大勢集まり、大雨のさなか痕跡の隠蔽に勤しんでいたのを見たと告げた。それでも夏至の頃で日の出は早く、完璧な隠蔽には程遠かったはずなのに、なぜ警察は遺体発見現場の不自然さに注目せず、ヒグマの痕跡も見つけられなかったのか。のちに加害者である自分ですら疑問に思ったと言った。


 Dは聴取の最後にこう語ったという。

『自分は狩猟が趣味だった父親の影響でハンティングを始めたが、狩猟は楽しい反面、罪悪感も伴った。それを埋める為に動物園の飼育係を目指したが、予想以上にハードルが高く諦めた。次はサーカス団の調教係を目指すことに方針を変え、運良く某サーカス団に採用してもらえた。しかし調教師の修業も大変で、大学は中退することになった。数年の修業を経て漸く調教師としてのスキルに自信を持てるようになった頃、経営不振でサーカス団が潰れた。他の団への再就職を目指したが上手く行かず、そのストレスを解消するために再び猟銃を握った。昏い目をして日夜ハンティングに勤しんでいた頃、この密輸団からスカウトされた。経済的にも行き詰まっていた頃だったのでOKしてしまった。今はその選択をとても後悔している。ヒグマの犠牲になった方とその遺族に対しては申し訳ない気持で一杯だ。一生かけて償っていきたい』

 Dは供述の途中から涙を流していたと、担当した刑事が後日、颯太に伝えたということである。


終章 7


 アジト殲滅から2日後。午後一時に颯太が登庁すると、挨拶もそこそこに一課長から指令が下った。

「神谷、疲労明けのところすまないが、主犯格の一人が、お前との接見を望んでいる」

「私を名指しでですか?」

「名指しというかな、『我々を警察に連行した際に、指揮を執っていた刑事さんと面会したい』という言い方だった」

 颯太はピンときた。これはおそらく権三郎がDと呼んでいた若い男のことだろう。

「それは、主犯格の中で最も若い男でしたか?」

「そうだが…なぜ解った?」

 一課長が若干不可解そうな表情をみせる。

「拘束した賊の中で、たった一人だけ反省の意思を示していた者がいました。それが、その若い男です」

「その男は、どんな理由でお前と会いたがってるか分かるか?」

「はい、大いに心当たりがあります。ところで、彼は余罪について語っていましたか?」

 一課長が僅かな間を空けて口を開く。

「取調べに当たった者の話によれば、何でも、3ヶ月前に起きたS県の獣害事故の原因を作ったのは自分だと訴えているそうだ」

「やはりそうでしたか。彼はその一件について深く後悔しているようで、警察に、それもできればこの私に、死亡事故を起こしたクマの遺体を埋めた場所を直接案内したいと申しておりました」

 一課長は少しだけ考える素振りをみせたあと、言った。

「なるほどな…よし神谷、接見を許可する。とりあえずその男と直接対面して話を進めてみろ」

「了解です。すぐ案内して下さい」

 案内役の婦警に先導され、颯太は留置場のアクリル越しにDと再会した。最も再会といっても、一昨日の夜に権三郎から『主犯格の一人だ』と「紹介」されて、拘束状態の姿をチラッと確認しただけなので、実質的には初対面も同然だった。

 颯太がアクリル板の前の椅子に座ると、Dの方から第一声がとんできた。

「どうも刑事さん、おととい『あなたに』逮捕された◯◯です。覚えておいでですよね?」

 Dはそう言いながら小さく目配せしてきた。これはおそらく『今から一芝居打ちましょう』という合図なのだろうと颯太は察する。協力的な姿勢をみせるはずだという権三郎の言葉は本当だった。同時に、Dの本名を初めて知った。

「もちろんだ。君も私のことを覚えていてくれたようだな。それで、要件はおととい言っていた余罪の件か」

 颯太はDに調子を合わせて尋ね返した。

「そうです」

「昨日は私が取調に当たることは出来なかったが、君が言っていた余罪、S県の熊害事故への関与だったか。それはこれまでの取調べで全て白状したのか?」

「しました。僕はあの事故を起こしてしまったことが唯一の心残りでしたから、自分から知ってることを全部打ち明けました。ただ、最大の証拠であるクマの遺体が出て来ないことには立件できないと言われましてね。埋めた場所を案内する際には、僕を逮捕したあなたに同行してほしいと考えたのです」

「それはまた、どうして?」

「さあ、理由なんて僕自身にもよくわかりません。あえていえば、それがケジメとして一番しっくりくるから、かな」

 Dのその発言に颯太は大仰に頷いて、要求を呑む意思を示した。

「分かった。それならクマの遺体発掘には私が立ち会おう。君はおととい、埋めた場所は殆ど覚えていると言ったが、その記憶は本当に信用できそうか?」

 今度は颯太の方から小さく目配せする。

「たぶん現地の近くまで行けばハッキリ思い出せると思います。昨日の夜、粗末な布団の中であの晩の記憶を必死に掘り起こしましたから」


 大掛かりな発掘作業になることが予想されたため、先導役のパトカーには、運転役の警官、助手席に颯太、後部座席には二人の警官に挟まれたDという配置が組まれた。それに伴い、発掘作業員と重機が積まれた特殊作業車両と鑑識車両が後に続いた。

 Dが『G県〇〇市の西の方にある山林、その付近まで行けばおそらく細かい所まで思い出せると思う』と述べると、颯太はG県の地図を見るフリをして権三郎から渡された埋葬現場間近の番地をカーナビに入力し、「ひとまずこの辺りから探りを入れてみよう」とうそぶく。

 権三郎は遺骨が埋められた場所に辿り着くまで暫く歩いたと言っていたが、彼から送付されてきた埋葬現場の拡大地図によれば、最寄りの道路から現場まで80メートルほどしか離れていなかった。のちに権三郎がスパコンを使って最も回収しやすいポイントを捜してくれたのだろう。

 ヒグマ遺体発掘チームは、一時間半ほどかけて目的地に辿り着いた。Dはどこか白々しさを含んだ口調で「この風景には見覚えがあります」と言った。

 そこから颯太は、さもDに先導されるような芝居をうちながら、脳内に叩き込んだ埋葬ポイントへ一同を誘導した。やがていかにもそれらしい場所が現れる。不自然に地面に積み上げられた大量の土。『ここに大きな物を埋めましたよ』と言ってるようなものだった。

「ここです、ここで間違いありません!」

 Dが今度は、芝居ではなく本心から興奮してる様子で土の山を指差した。

 結果、その場所から頭部の欠損した大型動物の遺骨が出た。運搬車両への移送も大仕事であったが、その日の夜七時頃には遺骨は無事、科警研へと収容された。

 その晩のうちに遺骨は熊のものだとおおよその推定がなされ、翌日には熊の生態に詳しい研究者が招聘された。研究者の下した判定は『エゾヒグマ雄の若年個体』というものであり、Dの証言と一致をみた。科警研は遺骨前腕部の『手』に当たる部位を精密に検証し、3ヶ月前に起きたS県H町熊害犠牲者の遺体写真に残っていた打撃痕と照合した。

 結果は見事な一致をみせ、このヒグマの個体が殺人事故を起こしたことが正式に認定された。それを受け、颯太はDに業務上過失傷害の容疑-ただし堅気に対するそれではなく犯罪者向けバージョンのものだが-を追加して調書に書き加えた。更に権三郎から託された弁護士への報告も迅速に行った。


 その翌日、3ヶ月前の『S県H町М山熊害事故』の真相が報道されると、所轄署であるS市北署に対して世間からの猛烈なバッシングが始まった。

 つい三日前に摘発が報道されたばかりの密輸団と直接繋がった事故であったことにも世間は驚いたが、何より反響が大きかったのは所轄警察の犯罪級に杜撰な対応である。

 世間からの非難を受け、S県警本部は迅速に所轄署への聞き取り調査を行った。

 明らかに不自然だった事故現場に対して、警察が行ったのは、警官と鑑識員を一人ずつ現場に入れて簡易な確認をさせたのみ。

 指揮に当たった警部はキチンとした捜査を放棄して、現場の保存も証拠収集もマトモに行わず、警察医の簡易な鑑定のみを根拠に『ツキノワグマによる熊害事故』と断定。遺体は一応警察病院に搬送されたものの、監察医の鑑定もツキノワグマによる事故と結論づけられた。しかしその判断も、どうやらS市北署による圧力から為されたものであるらしいとの疑惑が発生。監察医は圧力があったことを認め、謝罪。犠牲者を担当した遺体整復師にも調査の手が入り、高額な費用と引き換えに迅速かつ丁寧な整復を依頼されたと証言した。

 県警本部は事態を重くみて、意図的に捜査を放棄したとみられる警部に対し、降格及び減俸の処分を言い渡した。署長を務める警視も同様の処分を受けた。当の警部の言い分によれば、『当所轄は最近、外国人窃盗団による被害が続出し、常に人手不足の状況にあった。限りあるマンパワーで日々の業務を回していくには、確実に動物の仕業だと思われる事故をまともに捜査できるだけの余裕は無かった』と語っていたという。


終章 8


 密輸団が起こした大いなる『余罪』である「S県H町М山熊害事故」は、ヒグマを逃走させた張本人Dの自白と決定的な物証の発見により、速やかに解決へと向かった。

 アジト殲滅から4日後のこの日、新聞やTVなどのマスコミはこの件を大々的に報じていた。くだんの密輸団が絡んでいたことは当然注目を浴びたが、それ以上に人々の関心を引いたのは、H町を管区に置く所轄、S市北署の杜撰過ぎる対応についてであった。

 警察の怠慢に激しいバッシングの嵐が吹き荒れるなか、神谷颯太は三日ぶりに通常モードの勤務に戻っていた。

 密輸団本部への捜査は生安課をはじめとした他の部署が全国の県警と連携しながら着々と進展している。S県西部アジトの逮捕者に関しては、主犯格四人のうち、Dへの取調べは実質的に終了。リーダーのAに対しては、『アイスマン』との異名を取る冷徹さにおいて随一と云われる警部が取調べを進めているとのことだった。BとCの聴取についても熟練のベテラン刑事が担当を務めているそうで、颯太は信用して任せられる人選だと一安心していた。

 他の33名にも及ぶ団員達にもそれぞれの取調担当が既に付いており、颯太の出る幕は有りそうで無かった。

 通常モードに戻れたのは良いとして、密輸団の事件を除き、都内は相変わらず不気味なくらいに平穏な日々が続いている。殺人事件といった一課案件もゼロとまではいかなかったが、それは他の班が担当し、しかも早々と解決させていた。

 要するにこの日、颯太はヒマを持て余していた。本来ならアジト制圧関連の調書作りに没頭しなければならない時期のはずだが、なぜか上はそれを要求してこなかった。しかし、先日の査問会議や一課長とのコーヒーブレイクを思い出すと、なぜ自分に調書を作らせないのかおおよその察しはついていた。

(やっぱし上は、俺が主体になって制圧したなんてまるっきり信じちゃいねえんだろうな……)


 そんな宙ぶらりんな精神状態で、形だけ適当にデスクワーク(のふり)を始めた颯太の元に、次から次へと部下や同僚たちが声を掛けてきた。

『神谷班長、今日こそ武勇伝を聞かせて下さいよ!』『神谷先輩、先輩が引き連れて行ったっていう警官達の名前、全然出て来ないんですけど』『神谷さん、本当はお一人でアジト叩き潰しちゃったんじゃないっすか?』『颯太のアニキは、格闘技の達人ですしね!』『全部合わせて十六段でしたっけ?』『射撃の腕前だって、警視庁全体で五本の指に入るって専らの噂ですし!』『神谷君はまさにスーパーエリートという呼称が相応しいよなぁ』『神谷さ〜ん、今度飲みに連れてって下さいよー。武勇伝、たくさん聞きたいなぁ♡』……といった調子で、どいつもこいつも好き放題に賛辞やら推測やらおねだりを繰り出してくる。

 これではとても仕事のフリさえ出来ないと思った颯太は、どこまでも『公式説明』一本槍でこの場を凌ぎきり、パトロールという口実で外に脱出するしかないと判断した。

「えー、皆さん。既に上から聞いてるとは思いますが、あの件は私に送られてきた匿名のリークを元に内偵を進めた結果、犯罪組織の存在を確信した私が、懇意にしている警官達に集まってもらい、大人数で協力して制圧に至ったものです。真実はそれだけ。以上!」

 颯太は一気にそう言うと、椅子から立ち上がって部屋からの脱出を試みたが、取巻き連中は彼を囲んで行く手を阻んだ。

『もう、素直にスーパーデカだって認めちゃいましょうよ〜』『本当のこと話してくれるまで逃がしませんからー』『得意の格闘技でバッタバッタっと薙ぎ倒しまくったんでしょ〜』『本当に発砲はしなかったんですかぁ♡』……と、相変わらず同じテンションでしつこく喰らい付いてくる。


 颯太はもみくちゃにされる中で訴えるように言った。

「確かに僕は剣道5段、空手・柔道4段、合気道3段なのは事実だ。射撃の腕もまぁ悪くないと思う。だからって単独でアジト制圧なんて出来る訳ないだろ。常識で考えてくれ!」

「それじゃ、何で神谷さんが招集したっていつ警官隊の名前が全く表に出て来ないんですか? 噂レベルでもここまで煙が立たないってのはどう考えても不自然っすよ!」

 すると、颯太の部下の一人である青年刑事がそう吠えた。

 颯太は束の間思考し、尤もらしい口実を思いつく。

「それは……私の職権濫用に近いお願いを聞いてくれたみんなに迷惑をかけないよう、彼らの立場を守るためあえて口を閉ざしてもらっているんだ。上もそれに同意してくれてる」

 その口実はある程度の説得力があったようで、取巻き連中達に一瞬の隙ができた。

 颯太はその間隙を縫うように人の輪をくぐり抜け、ドアへ向かってダッシュする。

「神谷さん、逃げないで下さい!」

「ズルいですよ先輩!」

 先程の部下をはじめ、取巻き連中からブーイングが起こったが、颯太は振り向かずドアのノブに手を掛けた。

「スマン、これから暫くパトロールに出てくる! 平井を見掛けたら俺が謝ってたと伝えといてくれ!」

 颯太はそう言い放つと、這々の体で刑事部屋から脱走した。

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