28. 第1章 第27話 『モノクロームの我が家と、迫り来る影』
亀裂に入った……はず。いつもの、あの抵抗がある膜をぬるりと突き破ったような感触もあった。
なのに、目の前に広がる光景はそのまま、私たちが住む安アパートの屋上だった。
『後ろ!』
亜夢さんの叫びと、視界に走るARの赤色警告。
私は慌てて背後に、無数の薔薇が絡みつく棺桶『微睡みの薔薇柩』を展開する。
ガキンッ! と、硬質なものが激突した音。
月明かりの下、輪郭が滲むような黒い影でできた立体的な人型が、両腕を刃に変えて棺桶に斬りかかっていた。
「くっ……!」
慌てて取り出した大鎌『終夜の紫刃』を左下段に構える。
影法師は屋上に突き立つ棺桶に片腕を押し当て、器械体操の跳馬のように飛び越えると、直上から襲い掛かってきた。
私の首を刈り取らんと迫る、二振りの影の刃。
倒れ込むように身体を傾けてその攻撃をギリギリで躱す。そのまま腰を捻り、倒れ込む勢いも乗せて左下段から大鎌を斜め上へとかち上げた。
ザシュッ!
すれ違いざま、美しい紫のアメシストの刃が、宙を舞う影法師の胴体を深々と両断した。
くるりと背後に振り向き、影が黒い靄となって完全に消滅するのを最後まで確認する。
『黎姫。随伴ドローンも、人形の目もない。猫耳ヘッドホンの内蔵センサーだけだから、万全のサポートとは程遠いよ。くれぐれも注意して』
メスガキモードもダウナーモードも鳴りを潜めた、超真面目モードの亜夢さんの声が、事態の深刻さを突き付けてくる。
でも、行くしかない。
「了解」
少し前までの『僕』に比べれば、強くなったのは間違いない。
でも、ここ最近の私の強さは、亜夢さんの完璧なサポートと、紫雫の執拗なまでの指導があってのもの。
どこまで、本当の自分の力にできていたんだろう。
紫雫の反応がない今、得体の知れない不安が心に冷たく忍び寄る。
『ギルドの通信傍受結果。黎姫が侵入した後も、ランダム亀裂の等級(難易度)が確定される様子無し。計測魔力濃度、異常な乱高下中。前例のない事態で、ランダム亀裂って事を差し引いても、一般人の犠牲者がいるのにギルドの特務救難室さえ突入禁止のまま。……本当に、気を付けて進んで』
改めて周囲を見渡せば、アパートの周りは、まるで純白の卵の内側のようにつるんとした壁に囲まれていた。外の街並みは一切見えない。
やっぱりここは亀裂の中なんだと突きつけてくる白い壁を一瞥し、屋上の端にある扉を開けて建物の中へと入る。
多少くすみを帯びてはいたものの、元はクリーム色の優しい色合いだったはずの内壁は、コントラストがやけにはっきりとした、色彩のない完全な白黒の世界へと変貌していた。
しかも、屋上から4階まで降りたところで、さらに下へ続くはずの階段が消えていた。その先はただの平坦な床になっていて、行き止まりだ。
雪奈姉のいる2階に行くには、きっとフロアのどこかに新たに設けられた下り階段を探さないといけない……そういう事だと予想する。
フロアは真ん中の通路の両脇に4部屋ずつのシンプルな構造……のはずだった。けれど今は、通路の横幅こそ元のままなのに、ぐにゃりと右へ大きく湾曲してその先を見通せなくなっている。
「明るさが確保されているのは不幸中の幸い……かな。とりあえず2階に着くまでは、部屋の探索はせずに通路を進んでみる」
フロア数だって元のままとは限らないけれど、今はとにかく一刻も早く雪奈姉を見つけないと。
『うん。こっちでも方角や移動距離の計測で、マッピング追随する』
言うなり、AR映像の左下に俯瞰地図が表示される。
恐る恐る、けれど急く気持ちに押されて足早に、白銀の髪をなびかせて4階の狭い通路へと侵入する。
ひらひらと後を追う、フリルの重なりでできたミニスカートの裾がいつになく頼りなく感じた。
光源が判然としない、何の影かもわからない無秩序な陰影が落ちる廊下。
通り過ぎたばかりの影の一つから、突然、湧き上がるように影法師が出現した。しかも、すでに刃を振り抜きかけた攻撃モーションで!
敵の存在を知覚する余地を削られた上での、こっちからしたらモーションスキップされたみたいな斜め後方からの奇襲。
私は慌てて身を翻し、正面に据えなおした敵へいつものように大鎌を大きく振りかぶって迎撃を――。
ガッッ!!
「え……っ!?」
重い反動が手首に返ってくる。
動かない大鎌。顔面目掛けて、まっすぐに迫る敵の刃。
振り向きざまの勢いで斜めに大きく振りかぶったせいで、大鎌の巨大な刃先が天井に食い込み、さらに柄尻が壁に引っかかり、狭い通路で完全に『つっかえ棒』と化してしまっていたのだ。
大鎌の柄に身を寄せるようにして、辛うじて茨で装飾された硬い柄を盾代わりにする。
弾ける激烈な火花。
金属同士が激突しただけでは説明のつかない、焔の花が咲く。
虹色に輝く私の瞳を焼く、熱の痛み。
思わずつむった右目の死角を突くように、するりと側面の隙間を抜け、私の脇腹へ右腕の影の刃が振り下ろされた。
武器が引っかかり、回避する空間の余裕もない。
鋭い灼熱が、脇腹を引き裂く。
ぬるりとした嫌な血の感触が、コルセットドレスの内側に溢れかえる。
「くぅっ……!」
生存本能の叫びに突き動かされて、魔力強化された身体能力任せに大鎌を強引に引き抜き、跳ねるようなステップで影法師との間合いを外しながら通路の入口へと戻る。
まだ数歩しか進んでいなかったおかげで、すぐに階段の踊り場……だった、多少広い床と化した空間へ飛び出せた。
制約から解放された大鎌を、とにかく無我夢中で振るう。
私の首を刈り取るギロチンのように両腕の刃を交差させて追随してきた影法師を、上段からの一撃で脳天から唐竹割りに断ち斬った。
「はぁっ、はぁっ……」
私は太ももに装着したポーチから、試験管サイズの小瓶を引き抜く。
今日の換金の後、結衣さんに口酸っぱく言われて、結局買ったポーション。
この傷なら下級上位のE級ポーションで大丈夫。それでも、4万円……前の私なら躊躇するお値段。
アンプル型容器の先端をパキリと折って、裂けたコルセットの上から傷口へと直接振りかける。
血のぬめりはそのままに、淡い光と共にとりあえず収まっていく痛み。身体強化のおかげで、内臓までは傷が達していなかったみたい。
残った薬液を、痛む右目にも振りかける。あれは……多分、魔法? 接触発動型とか、反撃発動型とか、そういうのか。
「狭い空間での戦いを……まったく想定できてなかった」
『そう……だね。亜夢ちゃんも完全に失念してた、ごめん。現場での実戦経験がない私のミス』
「ううん、それだけは絶対ないよ。これは私のミス……」
思い出す。
紫雫の元々の最初のミッションは、魔装具を『3つ』創造することだった。
でも……彼女の期待に応えられなかった私は、妥協として1つの魔装具で一度は許された。
それからは大鎌戦闘への習熟と、それに伴う快調な攻略に慢心して選択肢を増やすなんて考えもしてなかった。
妥協、呆れ……期待外れ。
紫雫、もしかして――だめ、今はネガティブになっている時間なんてない。
考える、考えるんだ。
雪奈姉を救うと決めたのは、私。
ここに飛び込んだのも、私の決断。
なんとかしなきゃ、なんとかするんだ。
自分で、考えなきゃ!




