23. 第1章 第22話 『背中合わせの温もり、そして本当のスタートライン』
天井のLEDも最小限に絞られた薄暗い部屋の中。
今にも消えてしまいそうな儚げな後ろ姿を下から照らす液晶タブレットの光。
「お姉ちゃん、もっと明るくして作業しないとダメだよ」
電気代なんて大して変わらないのに。僕……私が不在の間、負担をかけているからと気にして、雪奈姉は常に倹約している。
秋の始まりの今はまだいいけれど、夏冬の冷暖房も抑え目だ。
でも、これからは違う。
「お帰りなさい、黎」
「今日も魔法陣の複製?」
液タブに緻密に描き出されている幾何学的な図案。
容易く便利な『剣術』というスキルが無いように、『魔法』もまた、レベルアップで都合よくポンポン習得できるようなスキルは基本的に無い。
ゆえに、亀裂からのスタンピードという脅威に対抗するため、人類は協力し合って学んだ。
ダンジョンが、亀裂が、もたらす知識の断片を収集し、解析し、集合知として蓄積した。
伝え、学び、研究と実践の上で改良を重ねた。
PRISMAに覚醒していない、世界の99.9%を占める一般人でも微弱な魔力を宿していることが知られているダンジョン後の現代。けれども誰にでも使える魔導具と違って、魔法を自由に使うには、魔法発動に適合した体質へと作り変えてくれるような、最低限のスキルは必須だった。
「ええ。今月分の魔晶石加工のお仕事の方は終わったから」
「体に障るから、無理はしないでほしいな」
完全な形の魔法陣は、周囲の魔力を勝手に吸い上げて起動しようとしてしまう性質がある。
今も、私が覗き込んだ瞬間、微かに魔力が『すーっ』と吸い寄せられるような、奇妙な引力を感じた。
だから、専門家が描いた魔法陣の原案に『発動阻害用のロック』を描き足してデータベースに登録する複写仕事は、周囲の魔力をむしろ吸い込んでしまう『魔力欠乏症』の患者向けの内職として、ギルド経由で委託されているのだ。
その中には世間一般には公開されない魔法陣もあると言われているけれど、どれがそうで、割り当てられるだけの信頼を得ているのが誰かはもちろん本人含めて、公開されていない。
これが、雪奈姉の――僕たち二人の、細々とした生活の糧の一つ。
「あのね。今日、初めて亀裂を攻略してきたんだ」
「まあ……! 大丈夫だったの? 怪我はしてない?」
致命傷を本当は負ったけれど、うん。
今は完治というか、多分身体そのものを紫雫が作り直してくれたからノーカンだよね。
「大丈夫だよ、心配ならお風呂で見てみる?」
軽い冗談のつもりだったのだけれど。
「そうね、昨日はあんな事もあって恥ずかしがって一人で入っちゃったし。……女の子の身体の洗い方なんて、黎にはわからないものね。今日こそ一緒に入りましょうか」
富士魔導特区自体が新しい都市だから、築年数はこれでも若いけれど。
亀裂発生対策も施されていない、安価な従来素材の安普請でできた床が車椅子の移動に軋みを上げる。
「い、いや、大丈夫だから!」
「ダメよ。ちゃんと隅々まで清潔にしないと病気になっちゃう。それに、そんなに綺麗なお肌、男だったころの感覚でごしごししたらあっという間に傷んでしまうわ」
まさか雪奈姉を無理やり抑えるようなことができるわけもなく。
介護用の改築だけは両親の残した遺産も切り崩して、あちこち備え付けた中の一つ、お風呂場に一緒にたどり着いてしまった。
脚や体が全く動かないわけではないけれど、ふとした拍子に力が抜けてしまう雪奈姉。
儚く消えてしまいそうな、真っ白で透き通った身体が惜しみなく目の前に晒される。
そして私は、亜夢さんが贈ってくれたお高い防具を兼ねたドレスをするり、するりと、姉の目の前で一枚ずつ丁寧に脱ぎ去る羽目になった。
見た目は女性同士と分かっていても。
男としての反応を示す身体的特徴が完全に無くなっていても。
すべすべとした自分の肌の感触、布が擦れることでもたらされるくすぐったさにも似た不思議な感覚に、心の昂ぶりが止まらない。
白銀の美少女となった私の体を覆う全てを脱ぎ去り。男なら庇護欲を掻き立てられずにはいられない、雪奈姉の長い黒髪に隠された素肌を前に私の肌は湯にあてられるまでもなく、桜色に染まっていた。
「それでね、このまま頑張れば、高濃度魔素カプセルを週一回使えるようになるの。それに、亀裂発生対策がされたもっとちゃんとしたお家に引っ越すことだってできるかもしれないよ」
吸い付くような、もちもちとした肌同士が触れ合う感覚を頭の隅に追いやろうと必死に努力しながら、今日の成果がもたらしてくれた夢を語る私。
「黎は本当に、がんばったのね。えらい……偉いわ」
恋人だっていたことの無い『僕』には知る由も無かった、敏感な場所や、女の子特有のくすぐったい感覚。それを身体で感じさせられて、覚えさせられて。
私はまた少しだけ、この新しくて華奢な身体が、これから一生を付き合っていく『自分』なんだって、強烈に意識させられた。
「でもね、そのお金は黎の将来のために使ってほしいな。お姉ちゃんはもう、十分してもらったよ」
魔力欠乏症の平均寿命は発症から10年。
高濃度魔素カプセルでの延命治療を『週1回』施して、ようやく20年。
経済的な問題で――本当はそれすら不可能だった治療費を、『器』スキルという特異性のおかげで国から負担してもらっていたと知ったばかりだけれど――ずっと『月1回』だった雪奈姉は、医師の予測では発症からの余命16年。
つまりもう……あと1年生きられるかどうか。
「そんなこと、言わないで!」
一昨日までの『僕』なら、俯いて、涙だけを必死に隠して、言葉も返せなかった。
でも、今の『私』なら。
「魔力欠乏症は、治せる病なんだよ。私頑張る、がんばるから!」
「黎……」
常と違う私の反応に一瞬戸惑ったように。でも、すぐに湯船の中、後ろからしっかりと抱きしめなおしてくれる雪奈姉の温もり。
けれど、前回の高濃度魔素カプセル治療から3週間がたったその手は反対側が微かに見えるくらい、うっすらと全体的に透けている。体内の血管が見えるとかはなく、ただ向こう側が透けて見えるという、存在そのものが希薄になっていく特有の現象。
「うん……ごめんね。お姉ちゃんが、しっかりしなくちゃいけなかったね」
あの後、結衣さんにも聞いた。
北海道大雪山に開いた広大なS級亀裂内部の一部を支配するエリアボスですら、魔晶核は持っていなかった。
UMは出現率自体、極めて稀。
もう3年以上、国内でA級UM以上の魔晶核がオークションに出品された例はギルド・コンシェルジュの彼女でも知らなかった。
だから、お金を稼ぐだけじゃだめなんだ。
私自身が一日も早く強くなって……チャンスをもぎ取る。
それしか、無い。
立ち止まっている暇なんて、ない。
私を抱きしめる雪奈姉の手を、私の小さく華奢な手でそっと包み込んで、胸元に重ね合わせる。
ふと、白く透けるような雪奈姉の手が、私の彩晶石に触れた時。
薄紫色の静電気のような火花が散った。
……え? なに、今の。
不思議と雪奈姉といる間は大人しい紫雫が拒絶したのとは違う気がする。
むしろ、雪奈姉の方に魔力が吸い出されたみたいな?




