20. 第1章 第19話 『手紙』
『いやぁ……亀裂に入場して、ログがあっちに上げられたすぐ後から出口で張られてて、亜夢ちゃんも流石に物理の待ち伏せはどうしようもなかったよ〜、めんごめんご。私のお人形も傍に控えさせてるけど、今は刺激しない方がいいから通信だけね〜』
いきなり現れた烏丸さんに驚く僕の耳に、音声を切っていたはずの猫耳ヘッドホンが急に起動して、亜夢さんの声が聞こえてくる。
「やあやあ、可憐な女の子に重い物を持たせたまま立ち話はいけないね。どれ、おじさんが持ってあげよう」
混乱している間に、フッと軽くなる腕の中。二十キロはあったはずの魔鉄鉱の塊を、よれよれのスーツ姿の烏丸さんがよいしょと受け取る。大分重そうにしてるけれど、大丈夫かな……もしかして、PRISMAじゃない?
「いやぁ、新しい戸籍情報とか、これからの事を話そうと思ってご自宅に行ってみたら黎さんがいなくてね。ギルドの監視システムを確認してみれば、一人で亀裂に入場した記録があるじゃないか……心配で心配で、思わず迎えに来ちゃったよ。あはは」
すーっと、角から音もなく現れて、目の前に停まる真っ黒な高級車。
「ささ、乗って乗って。探索者ギルドに、初戦利品の買い取りにも行くでしょう? 色々お話をしながら、送るよ」
ちょっと苦手意識もあるし、出来れば一緒になりたくないのだけれど。
そうだ、女の子の身体になったんだから、あれだよ。汗をかいているから今はちょっと、っていう。
明日香さんが、採掘作業の後は絶対半径2m以内に近づかないでって言ってた。
『特別監査官、烏丸。悪いことしてる痕跡は見当たらないし、まあ、敵に回しても得はないから。付き合ってもいいと思うよ~。困ったら亜夢ちゃんがサポートするし、てか、してるし』
確かに、ここで逃げて疑われても良い事はない。
覚悟を決めた僕は、烏丸さんが、わざわざ頭をぶつけないように天井の縁を押さえてくれている後部座席へと、おずおずと乗り込んだ。
運転席には、二十代後半くらいに見える女性の姿がある。
『心拍、脳波、魔力波――この車、いろ~んなセンサーが付いてるねぇ。まあ、亜夢ちゃんの手にかかればこんなのちょちょいのちょい。だから、黎姫は気にせずのんびりお話しておっけ~』
頭蓋から直接響く亜夢さんの声に、吹き出しそうになったけれど、我慢がまん。
「まずは戸籍情報、攻略者に書き換えた探索者登録証。それから、お姉さんの治療のための探索者特権認可証明書の更新版……あとまあいろいろ、全部この封筒に入れてあるから、後で確認してね。それで……薬師寺さんが色々ぶっちゃけちゃったじゃない?」
反対側の扉から乗り込んだ烏丸さんから、唐突に渡されたギルドのマーク入り封筒。それを受け取った時、振動一つなく走り出した車の中央モニターに電源が入った。
『――“最強の最弱”、日本S級6位の剛堂 鉄心氏が攻略チームと共に、北海道・大雪山に発生中のS級亀裂にて、中ボス級の領域の主と目されるドラゴンを見事討伐しました! 発生から2年半。スタンピード発生までいよいよ残り半年となったS級亀裂。5年前の悪夢の再来を防ぐため、そして新たなる指定喪失領土発生を回避すべく。今も選ばれし探索者による攻略が着々と進行しています――』
流れるニュースの中では、道着を着た壮年に見える男性が、蒼銀色の鱗に覆われたドラゴンの頭蓋を『素手の一撃』で粉砕する映像が流れていた。
『最強の最弱』あるいは『豪拳修羅』。魔力たったの10ながら、たゆまぬ鍛錬と超ハイペースな亀裂攻略の果てに、干渉力を5,900まで鍛え上げた豪傑。魔力の低さは覆しようがなく継戦能力は極めて低くとも、圧倒的な強さを見せつける、生身での戦闘に特化した武の達人。
生来の資質で決まる魔力が全てではないと証明した、かつて僕も憧れ、目指したかった姿の一つ。
まぁ、肝心の干渉力が一切伸びなかった僕には、夢のまた夢だったわけだけれど。
「剛堂さんですか。いやぁ、御年82歳であの動きは凄まじいですよね。鍛え抜かれたPRISMAは外見の若さでは測れませんからねぇ。……と、申し訳ない。S級亀裂と聞けば、君には嫌な思い出がおありでしたね」
じっと、僕の様子を見つめる烏丸さん。
やっぱり色々探られているのだろうか。でも、両親のことは紫雫とはなんの関係もない。
「いえ、もう割り切っていますし……僕には、過去を憂う余裕すらありませんでしたから」
「……唯一途中退場の叶わない、『ランダム亀裂』という存在。入場上限もS級亀裂と同じ一律48人であり、入るまでは誰にもランクを推定できない……いや、誰かが入場することで初めてランクが定まる『白い亀裂』。5年前、世界で初めて確認された、『S級となったランダム亀裂』で、君はご両親を亡くされた」
烏丸さんの低い声が車内に響く。
あれからギルドもランダム亀裂の扱いについて紛糾した。けれど『スキルオーブが確定で一つ以上入手できる』というその莫大な魅力の前に、慎重論は全て粉砕された。
唯一あの出来事から変わったのは、どんな亀裂でも入場枠を数枠開けておくことが『強く推奨』されるようになったことくらいだ。救助隊を出す余地を残す、スタンピード防止の高ランク探索者を最後に送り込む……という『建前』のために。
「黎さん。君は……探索者ギルドを、社会を……憎んでいますか?」
鋭い眼光から繰り出されたのは、あまりにも唐突で、不思議な質問だった。
思わずキョトンとして見返す僕は、素直に聞き返してしまった。
「えっ……なぜ、ですか?」
ギルドが悪いわけじゃない。亀裂という自然災害(理不尽)が起きただけだ。
ランダム亀裂に挑むことを選んだのも、両親の選択……まあ、その選択に誰かの思惑が介在した可能性は高いけれど。
僕の真意を探るように、じーっと瞳を覗き込んでいた烏丸さんはやがて長い沈黙を挟んで息を吐いた。
「――大変失礼いたしました。いやぁ、歳は取りたくないね、ほんと。申し訳ない」
『高圧縮・魔晶石による亀裂発生抑制建築の次世代新素材を日本の中小企業が開発!』
なんていう平和なニュースを続けて流していた画面が、烏丸さんの手元の操作で唐突に切り替わる。
物凄く荒い、飛行機か衛星から撮影したような地上の映像。
その中で、街一つを覆い尽くすほどの広大な南米の熱帯雨林が、一瞬にして『巨大な肉と牙の海』に変貌し、大地ごと咀嚼するように全てを呑み込んだ。
切り替わる次の映像。
ヨーロッパの歴史ある美しい石造りの街並み。晴れ渡った空が突如ガラスのように砕け割れ、天から降り注いだ幾何学的な光の柱が、街を地殻ごと『完全な無』へと蒸発させた。
「どちらも国外の映像です。世間一般には公開されておらず、詳細は国家間でも最高機密として秘匿されている。……S級探索者ともなれば、結果的に類似の破壊をもたらす事も不可能ではないでしょう。ですが、これは我々が認識している、技術体系として理解を進めようとしている、魔法とは明確に異なる、現象」
烏丸さんの声から、一切の感情が消え失せた。
「神、あるいは悪魔の顕現。物理法則すら書き換えるこれらは……変質した『器』スキル保持者が、強大すぎる存在をその身に満たし、暴走した結果もたらされたもの――と、推定されている」
烏丸さんが何を言いたいのか、痛いほど理解できた。
僕の『虚ろなる器』が何かに変質し急激に魔力変異を起こしたことを、ギルドは極限の警戒レベルで見張っているのだ。
「……僕が、その『悪魔』になるかもしれないから、監視しているんですか?」
「おや、人聞きの悪い。ギルドとしての『保護』ですよ。そして、『期待』でもある。発生率が上昇し続ける亀裂に対して、PRISMA覚醒者の人口比率は頭打ちになってきている。魔晶核の移植なんていうとんでもない人体実験は、ただの無意味な殺人でしかないことも、今となっては周知の事実」
魔晶核の移植……思わず反応しそうになるのを一生懸命抑え込む。
そうだよね、普通死ぬんだよね。
「まあ、魔力欠乏症患者に限っては……いえ、今はそれはいいでしょう」
え、なんだろう。雪奈姉の病気に何が。
問い直そうとする僕の機先を制するように。
「そうそう! これも預かっているよ。……中身は検閲済みだけどね」
冗談か本気か分からない、相変わらず人をくったような笑みを浮かべ差し出される、封のされていない、白い封筒。
中には1枚の便せんと、写真が入っていた。
『怜へ。
烏丸さんから、怜が目を覚まさないと聞いて、皆で肝を冷やしている。
俺たちは西の特区へ行くことになった。もうツルハシは振れないが、命があって、新しい仕事があるだけで儲けもんだ。
何もしてやれない俺たちが不甲斐ない……でも、お姉ちゃんのことはギルドが手助けするって聞いた。
だから、焦らず、ゆっくり治せよ。
――須藤 浩平』
続くように、可愛らしい丸文字で、
『怜君! 絶対、絶対元気にまた会おうね! 約束だよ! 飴ちゃんも用意しておくからね。 ――日向 明日香』
明日香さん、やっぱり僕のこと子供だと思ってたよね?
続く一行はものすごい達筆。権爺らしい流麗な文字。
『快復の吉報を、西の空の下で待つ ――権田 鉄平』
そして、最後に震える文字で、名前すら書かず……社長。
『申し訳ない。本当に、申し訳ない。私が怜君に採掘者を』
『形だけに』
『事務をお願いするだけにしていれば』
どこも雇ってくれず、採掘者にもなれなかったはずの僕に、道を開いてくれた貴方に、感謝以外あるわけがないのに。
西濱神社を背景に、皆が写った写真。
須藤さんの奥さんも写ってる。小柄な、可愛らしい女性。
(みんな、本当に無事だったんだ……よかった)
安堵で視界が滲む。
僕は無意識に、鎖骨の間に埋まる彩晶石にそっと触れていた。
強引で、傲慢で、人の心を弄ぶようなS級のバケモノ。
けれど彼女は確かに約束を守り、大切だった居場所を救い出してくれた。
この身体も、力も。すべては彼女がくれたものだ。
(……ありがとう、紫雫)
胸の奥でそっと念じると、彩晶石からほんのりと、くすぐったいような温かい熱が返ってきた……気がした。
紫雫がくれた今……なんだよね。
僕が涙ぐみながらも写真に微笑みかける様子を、隣でじっと観察していた烏丸さんが、ふっと肩の力を抜いて息を吐いた。
しばし、車内を支配していた沈黙を破ったのは、先ほどまでの飄々とした態度とは違う、わざとらしいほど渋めな声だった。
「ダンジョンという謎の究明が期待されている『深淵』、各国に必ず1つ以上存在するその攻略はどこも遅々として進まず。いえ、そちらに振り分ける戦力的余裕がない……亀裂に対処できる、強き攻略者の増加は世界共通の課題です」
でも、そんな渋い大人な雰囲気の烏丸さんはあっという間に霧散して。
いつもの胡散臭い笑顔に戻り、窓の外を指差した。
車はすでに巨大な要塞のような探索者ギルド本部の敷地、地下駐車場へと滑り込んでいた。
「君が社会を憎む復讐鬼でなくて、本当に、安心しましたよ。……さぁ。初陣の報酬の換金は特別な記念日だと言います。受付は、以前から君と親交があった結衣君を手配しておきました。今日はもう私はつきまといませんから、安心してください」




