02. 第1章 第2話 『美しきバケモノと死の口づけを』
どれだけ思い出そうとしても、その後の出来事はまるで紙芝居みたいに断片的にしか脳裏に蘇ってくれない。
僕を通路の方へと突き飛ばす、魔力で強化された細く綺麗な、白い手。
鼻先をかすめる、甘い汗とシャンプーの残り香。
権爺が得意の居合で抜き放った、鈍色の古い刀。
その荒々しい刃紋の乱れが、部屋中を覆い隠す汚いマーブル模様の粘液生命体に飲み込まれ、ドロドロに溶かされる。
「やめろッ!」
須藤兄貴が、明日香さんを庇おうと駆け寄って――汚らわしい粘液の塊がのばす触手に絡め取られた。
彼の首元で、覚醒者(PRISMA)の証である『彩晶石』がブチリと引きちぎられる。
魂と繋がった彩晶石を奪われ、絶叫と共に兄貴が白目を剥いて崩れ落ちた。
僕たちを襲う数多のモンスターを討伐し、魔力を吸い上げて黄色にまで育っていたその石から、あっという間に色(魔力)が吸い出され、ただのくすんだ空洞へと変わっていく。
「いや、やぁ……いやぁっっ……!」
ただただ、悲鳴を上げる明日香さん。
彼女の左手の甲で橙色に輝いていた『彩晶石』が――手首から先ごと、汚らわしい触手に絡め取られた。
採掘の傍らで少しずつ魔力を吸い上げ、今日、1年分の蓄積魔力を売却するはずだった、覚醒者(PRISMA)の証。
斑に赤く染まっていく、ポニーテールの女性。
吹き出す血しぶきを、目を閉じることもなく浴びながら僕は……。
ポロリ。
彼女のポケットから、さっき僕にくれたのと同じ飴玉が、血溜まりに転がり落ちたのを見つめていた。
あぁ、そうか。
こいつは『色』を喰うんだ。
魔力の蓄積量が多い順に、美味そうな『色』から貪り喰う化け物。
だから、魔力が一切蓄積される事がない、空っぽで何も得られない、いつも『無色』の僕だけが。
一番不味そうな僕だけが、後回しにされた。
こんな僕を温かく迎え入れてくれる、大好きな仲間たちが。
無惨にすり潰され、色を奪われ、ただの肉の塊に変わっていく地獄を特等席で見せられたんだ。
「ぁ……ぁぁ……」
情けない、かすれた空気が漏れるみたいな音が、頭蓋ごしに大きく響く。
声も出ない。
仲間を喰い尽くし、貪り喰らった巨大な汚いマーブル模様の粘液が、最後に残った僕へと迫る。
不味いけれど、食後の足しにはなる。
そう言わんばかりに。
力も魔力も抜けきって、逃げることも戦うこともできない。
ただ、震えるだけの僕。
圧倒的な質量の波が情けない僕の全身にのしかかり、顔を、口を、鼻を、完全に塞いだ。
(ごふっ、が……っ!)
呼吸ができない。
気管にドロドロの粘液が入り込み、肺が焼けるように痛む。
視界が暗転していく。
薄れていく意識の中で、僕は自分の無力さを呪った。
結局、僕は何者にもなれず、誰の助けにもなれず、ゴミのように死ぬんだ。
雪奈姉、ごめんなさい。
せめて、もっと良い生命保険を自分に掛けられていれば……。
――その時だった。
『……汚らわしい泥の塊が。この、わたくしの前で、欲に塗れるな』
凛として微かな甘さを匂わせる、けれど絶対的な傲慢さを孕んだ少女の声が、直接脳髄に響いた。
パキィィィィィンッ!!
空間そのものが凍りつき、罅割れるような甲高い音。
僕を窒息させていたマーブル模様の粘液が、まるでカエルを飲み込んだ蛇が天敵に出会ったかのように、慌てて僕を吐き出す。
体内を満たしていた悍ましい粘液が、こいつ自身が逃げ出すためにとんでもない勢いで乱暴にぞぶりと抜け落ちる。
僕の中身を、内臓を、ぐちゃぐちゃにしながら――。
遁走しようとして、ぶるりぶるりと、ただその場で蠕動する悍ましい粘液の塊。
化け物が、恐怖に震えている?
暗転し始める朦朧とする視界の中、空間そのものが塗り潰されていく。
青い結晶に擬態していた濁った虹色の粘液の残滓が、広間の壁を埋め尽くす美麗なアメシストの魔晶石へと一斉に書き換えられていく。
青く染め上げられていた広間の全てが、空気まで一瞬にして、極上のアメシストのような鮮やかで深い『紫色』に染め上げられた。
紫。
S級探索者のみが踏み入る事を許される、最高濃度の魔力、世界最大級の脅威の存在を示す『色』。
すでに破壊されていたランタンたちの弱々しい光なんてとっくに消し飛んで、世界の全てが紫の輝きに包まれていた。
紫に煌めく世界から滲み出すように、ふわりと。
透き通るような薄紫色の髪をツーサイドアップに結った、ゴシックロリータ姿の少女が宙を舞い、降りてきた。
白い肌の一部を露出した魅惑的な双丘の間、狂おしいほどに澄み切った紫色の魔晶核――S級モンスター、規格外のバケモノの証が輝いている。
息を呑むほど壮絶な美貌。
人間の美少女としか思えない姿でありながら、放たれる圧倒的なまでの魔力の気配が、彼女が規格外の『バケモノ』であることを残酷なまでに証明していた。
周辺視野なんて真っ黒に塗りつぶされた僕の視界に、魔晶核を見せつけるようにかがみこんだ彼女の胸元が迫る。
薄紫の澄んだ彩の奥に、虹色の輝きが確かな存在感を示している。
『あは……こんなところに器が落ちているだなんて。いえ、それだけじゃない。まだ何にも染まっていない、無垢な器。いぃ、いいわぁ』
薄れゆく意識に直接沁み込む官能的な、艶めく声。
永遠に聞き惚れていたくなるような魅惑の声だったけれど、僕の視界はもう限界で、真っ黒に沈みかけていた。
にゅるり。
薔薇の蜜のような華やかで甘い香りが、機能を停止しかけた僕の五感を包み込む。
気品漂う香気に祓われるかのように、僕にへばりつくように残っていた粘つく虹色の粘液が、霧散していく。
アメシスト色のネイルの施された可憐な手が、紫の美少女の胸元を彩るバケモノの証、『魔晶核』に伸びる。
魔晶核からその一部を、澄んだ薄紫色をした虹色に輝く欠片を、そっと抉り取る。
――くちゅり。
寸前まで粘液に塗れていた僕の唇が、ひんやりと柔らかい何かに塞がれた。
しっとりとした、唇。
反射的に、もう機能していない肺に酸素を送り込もうと、喘ごうとした僕の口腔を、甘い舌が無理やり割り開き、蹂躙する。
そして、舌に押し出されるようにして、硬くて熱い塊(魔晶核の欠片)が喉の奥へと滑り込んできた。
『また……後でね? あぁ、仇は、いずれ自分でとりなさいね。その頃には少しは、わたくしに相応しくなっているでしょう』
唇が離れ、遠のいていく柔らかな温もりに、なぜかたまらない喪失感を覚える。
失う。
そうだ、僕の居場所、皆、皆が殺されて……!
『って、なぁに……泣いているの? やめてちょうだい、わたくしまで愉しくなくなるわ……この肉人形たちの事なのね? ならば……ええ、ちょうどいいわ。初めての取引。いえ、“共同作業”の報酬はこれにしましょうか』
辛うじて原形を保っていた首の中を通って、ぐちゃぐちゃにされた僕の身体の底へ落ち込んでいく硬い塊。
その熱が、鎖骨の間――僕の空っぽな彩晶石の裏側にたどり着いた途端。
灼熱地獄に放り込まれたような、全身の細胞ひとつひとつが溶解していくかのような激烈な痛みに、僕の意識は完全に吹き飛ばされた。
視界一面に我が物顔で広がった、アメシストと黒紫の薔薇で飾られた画面に気が付く余裕を、この時の僕に求めるのは、間違っていると思う。
❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖
【Mission】
名前を捧げなさい。このわたくしを地上へと誘う、名前を。
成功報酬:魂の保護(日向 明日香、須藤 浩平、権田 鉄平)
失敗ペナルティー:ゴミ(肉人形)の廃棄
❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖




