17. 第1章 第17話 『質量兵器の降る空』
いまや開けた視界に、他に怪しい場所は見当たらない。
渓谷の底で蠢くあれが、ここのボスで間違いない。
崖の端に向かって、僕は魔力を最大限込めて全力疾走した。
ドタバタとみっともない走りにならないように、少しだけ意識して。視点の上下動を抑え、腰を落とし、優雅に……は、まだ難しいけれど。
大鎌を右手一本で、翼を広げるように後ろに振り上げてくるりと身体を横一回転してから、肩に担い、ぐっとたわめた膝をばねに、崖となった渓谷の縁を思いっきり蹴りつけて身体を宙に飛ばす!
バサバサと、空気を孕むオーバードレスを靡かせて。あ、フリルたっぷりのミニスカートが捲れて下着が――さすがにこのタイミングでの『お仕置き』は免除してくれたみたい――内心ほっと胸を撫でおろしながら、空いた左手は指先を揃えて、彩晶石にそっと優しく触れて魔力の糸を解き放つ。
真正面から差し込む夕陽に目を眇め(すがめ)ながら、眼下を見遣る。
虚空に飛び出した僕の斜め前方、遥か下で身体をググッと丸め始めている超巨体のアルマジロ型モンスター。
ただ、その体は一際深い暗鋼色の甲殻の上に、びっしりと逆巻く棘のように薄赤色の魔晶石が生え揃っている。
おそらく、魔力を限界まで帯びた魔鉄の甲殻の上に、辺り一帯の魔晶石を捕食して二重装甲のように纏った環境適応型の変異ボス。どおりでここまで、小さな屑魔晶石くらいしか生えているのを見かけなかったわけだ。
薄紫に輝く『万華の魔装姫』を介して、紫雫から貸与された魔力が形を成す。
眼下のボスの姿を押し潰すように、僕の足元の空中に具現化したのは――『棺桶』。
僕のこの華奢な身体がすっぽり収まるくらいの大きさをした、マットブラックの重厚な棺。
縁は美しい銀細工で優美に装飾され、透明度も色相もまちまちの様々なアメシストで象られた薔薇が、無数に飾られている。
本当なら盾としての運用と、そしてある目的――と、言うよりも紫雫に愉しんでもらう余興的な演出――のために創造したのだけれど、これは確かに大鎌と対になる、二つでやっと一つ目と紫雫に認められた、魔装具の片割れ。
スキル『万華の魔装姫』で生み出す初めての『正式な』魔装。
剣の雨を降らせて自滅しかけた失敗も活かして、今、ここで想定する用途はただ一つ。
守りの盾としてではなく、うん、『星天の聖乙女』御堂さんが先行突撃させた光の盾を思い描きながら。
「いっきなさ~~~い!!」
散々紫雫に教育(調教)されたおかげで、咄嗟の叫び声もなんとか及第点(女の子らしい声)に届いたみたい。
身体強化しても、鍛えた一般人男性程度に底上げするのが関の山だったかつての僕。
たったの1時間ツルハシを振るうだけでガス欠になっていた、最底辺の魔力と干渉力だったつい昨日までとは桁違い。
この一瞬に、この一撃に、残り半分まで減っていた、成長した魔力の大半を思いっきり注ぎ込んで。
PRISMAの出力は、消費する魔力と、干渉力の掛け算に比例する。
まだまだF級の駆け出し。弱っちくても、刹那に込める全力で。
S級モンスターの超高濃度魔力で創られた『棺桶』を、大鎌を回転の軸に見立てて上空縦一回転からのドロップキックのように全力全開で蹴り抜けば……!
ズドンッ!!
華奢な女の子が出したとは思えない爆音を伴う反動で、僕の身体は再び天高く舞い上がり、元の崖の上の方へと押し戻される。
対して、攻撃と防御を兼ね備える球体モードに移行完了した直後のボスめがけて、隕石落下のごとく襲い掛かる超質量の棺桶爆撃!
ドッ――!!
墜落と激突の瞬間に発せられたあまりの轟音に、音すら消し飛ぶ。
耳が、ただただキーンとする。
轟音とか爆音とか、そんな次元を超えた衝撃波がまだ空を舞っていた僕を後方に、渓谷の縁の地面まで吹き飛ばす。
渓谷を埋め尽くす、砕けた地面が巻き起こした粉塵。
一瞬の真空状態でも生じたか、崖の底に向かって引き戻される空気の流れに、ズザーーッ! と、アタッカー用に補強されていたブーツで地面を削りながら、なんとか崖の縁ギリギリで停止する。
ゴゴ、ゴゴゴゴ……!
遠雷のような地鳴りが、足の裏から響いてくる。
僕は再び両手で大鎌を右斜め上に引き絞るように構え、粉塵の向こうを油断なく見つめた。
あれだけの途轍もない直撃を受けてまさか……と思うけれど、僕は所詮アタッカーとしては素人。分かっていないことだらけなんだと思い直し、さらに神経を研ぎ澄ませる。
多分、眼下には巨大なクレーターができているだろうし、渓谷の下で瀕死になって暴れ回っているのかな。
気を引き締めているつもりでも、どうしてもそんな『勝った』という緩みがあった。その隙間に、まさに死角から差し込まれるように。
ガグンッ!
「えっ――」
足元から腰、首までを突き抜ける暴力的で破滅的な衝撃。
直接被害にあったことなんてもちろんないけれど、交通事故でダンプカーに衝突されるってこういう気分なのかな、と、やっぱり少し暢気な思考が駆け巡る。そんな間にも僕の視界は、再び空の上へと打ち上げられていた。
緩いきりもみ回転をする視界の中で、夕陽と赤く染まる大地がぐるんぐるん入れ替わる。
なんとか手放さずにいられた大鎌に縋りつくように身を寄せて、やっと横回転が収まって制御を取り戻した身体は、あちこちが痛みに悲鳴を上げている。
下を見下ろせば僕が立っていた崖の縁が、抉り取られて深い轍と化して消滅している。
……亀裂の断崖を無茶苦茶な勢いで、岩壁そのものを喰い破るみたいに垂直に駆け上ってきたんだ。
そこから跳ね上がり、今まさに僕と同じように虚空を舞っているのは、赤と黒に染まるボスアルマジロ。
深い暗鋼色の外殻はそこら中が罅割れ、砕け散っている。多分、内部の肉体までズタズタなはず。
でも、その陥没し、抉れた傷跡を、ボスの血を吸ってさっきよりも深い赤に染め抜かれた魔晶石がびっしりと覆い尽くして応急処置を施している。
見れば、ドクン、ドクンって、脈打つ心臓の鼓動のように赤い光が明滅している。
紫雫みたいな『特別』に対しては別として、細かな魔力の流れまで精密に感じるような芸当なんてできない未熟者だけれど、それでも、はっきりと感じられる。
命を燃やして、魔力をくべて。
モンスターだって生きているんだ。激しい闘争と、殺戮の衝動。
そして生への、あるいは勝利への原始的な欲求。
雪奈姉の治療、両親の死、生活を維持するために高校を中退。
人並みよりは厳しい境遇だったかもしれないけれど、PRISMAとして、探索者として、底辺の底辺だった僕は所詮、人が守る安全圏から半歩も踏み出してはいなかった。
20年の歳月を経て、スタンピードの予兆は管理され、護られた避難所や人類の生存圏にこもっていれば誰かがあふれ出したモンスターを討伐してくれて。崩壊した街並みの修復の速さに通り一遍の感心と感謝を示しながら、日々を過ごす。
まだまだ、ぬるま湯の範疇の世界だった。
それを、容赦無く叩きつけられる。
たぶん、これが、本気の殺意。
命の奪い合い。
ここは、今のこの世界は。
こんな命のやり取りを交わし合う本物の闘争こそが、『深淵』の奥深くを探求する、『亀裂』に分け入り攻略する、そこに立ちはだかる不可避の障壁。僕が漠然と憧れた、花形だなんて観客気分で夢想した攻略者の生きる世界……!
ドクン、ドクン……。僕の心臓が高鳴る。
彩晶石から全身に、借り物じゃない、今の『僕』のなけなしの残された魔力が駆け巡る。
「あ……あぁあぁぁああぁぁぁ!!!」
落ちていく。
堕ちていく。
跳ね飛ばされて軋む身体は、上空での一瞬の静止の後、ただただ重力に引かれて大地への帰還を目指す。
眼下には、一足早く崖の上に降り立とうとする、今なお命と魔力を散らしながら、黒と赤の斑な砲弾へと自身を作り替える『敵』!
振りかぶる。
大鎌を、頭上高く。
痛い、いたいイタイいたい。身体中が悲鳴を上げている。
でも。
こうしないと、抗わないと。
潰えるのは僕だ。だから!
ぐるん、ぐるんぐるん。
空中で、縦の回転を自ら生み出す。
大鎌を両腕に構えて、身体を長い柄と一体化させて、アメシストの紫の残光を靡かせて縦に回転するただ一つの破壊の輪になる。
遠心力と、敵に与えられた高度という自然のエネルギー、そして大鎌の壮絶な魔力濃度をもって。
狂気のダイブを敢行する。
今この時だけは、『このまま落ちて地面に叩きつけられたら死ぬ』なんていう恐怖は吹き飛んでいた。
だって、目が合ったから。
視線が繋がったから。
破壊の威力を落下と回転の勢い、そして紫雫がもたらした魔装の破滅的な魔力濃度に任せて。
残ったわずかな自分自身の魔力の全ては膂力ではなく、『眼』と動体視力に全部つぎ込んだ僕には、見えた。
砕けた甲殻を埋めるボスの血までも取り込んだ赤い魔晶石でできた装甲の奥から僕を睨みつける、強敵の射殺さんばかりの視線が!
脆くなった岩盤を崩落させて砲弾が、魔力の噴射すら伴った一つの殺意の塊となって、空を落ちる僕へと迫る。
ぐるんぐるんと、互いに縦に回る視界の中。
「視えたぁ……!!」
魔鉄鋼の装甲の隙間を埋める、赤い魔晶石。
歪に急速成長した、傷痕を埋める応急の骨格の節目。
刺し貫くべき『目(急所)』が!
だから、恐れるな。
ただ一刺しの激突のために、心は無に。
今、殺意の衝突を!




