父さんの功績と、変わらない豆生活
現実は、確かに変わっていた。
けれど、ルークは部屋を見回してから、少しだけ肩を落とした。
「……家はそのままだね」
寝台に腰掛けたアルフォードが、眠そうな目をルークへ向ける。
「朝から、息子に家の悪口を言われるとはな」
「悪口じゃないよ。もう少し変わるかと思っただけ」
父は苦笑して、ぼさぼさの頭をかいた。
壁には小さなひびがあり、窓枠も少し歪んでいる。机と椅子は昨日までと同じ安物で、棚には欠けた皿が並んでいた。台所には、昨夜の残りの豆がある。
父の最初の失敗を消したのだから、目を覚ました瞬間に豪邸になっていたり、使用人が10人くらい並んでいたりするのではないか。
実は、そんな変化を少し期待していた。
「父さん」
「何だ」
「北方を救ったんだよね?」
「ああ」
「有名なの?」
「まあ、それなりには」
「じゃあ、お金は?」
「ない」
「なんで!?」
ルークは思わず机に両手をついた。
「北方を救った英雄なんでしょ!?」
「英雄ってほどじゃない」
「感謝祭に呼ばれてるじゃん!」
「感謝されることと、今の財布に金があることは別だ」
「世知辛い!」
アルフォードは笑いながら立ち上がり、台所へ向かった。
「朝飯にするぞ」
「また豆?」
「今日は豪華だ」
「本当?」
ルークが顔を上げると、父は塩の入った小さな壺を持ち上げた。
「豆に塩を振る」
「昨日も振ってたよ!」
「よく覚えてるな」
「毎日食べてるからね!」
ルークは椅子へ座り、朝食の支度を始めた父を見つめた。
見た目は昨日までと変わらない。王族に戻ったわけでもなく、身なりも暮らしも質素なままだ。
それでも、北方から届いた手紙は確かにここにある。
「父さん」
「今度は何だ」
「北方を救ったときのこと、覚えてる?」
「そりゃ覚えてる」
「どうやって助けたの?」
「どうって……」
アルフォードは鍋を火にかけ、少し考えるように首を傾げた。
「魔物が大量に南下してきたから、進路を西へ変えて逃がした」
ルークの心臓が跳ねた。
「それから?」
「地下で魔力脈を壊そうとしていた連中を止めた」
「誰と?」
「ライオネルとセシリア」
「……僕は?」
「ん?」
アルフォードが振り返る。
ルークは息を詰めた。
「そのとき、子どもはいなかった?」
「子ども?」
「10歳くらいの」
父は記憶を探るように目を細めたが、やがて首を振った。
「いなかったと思うぞ」
やっぱり。
魔物を西へ逃がしたことも、地下の装置を止めたことも覚えている。それなのに、ルークの存在だけが父の記憶に残っていない。
「どうした?」
「ううん。何でもない」
「変な奴だな」
「父さんに言われたくない」
「それ、最近よく言うな」
アルフォードは気にした様子もなく、温めた豆を皿へ盛りつけた。
ルークはその手元を眺めながら考える。
最初の失敗は消えた。父は北方遠征で敗北した王子ではなく、北方の災害を防いだ王子になった。
それなら――。
「父さん、王位継承権は?」
豆を盛っていた父の手が止まる。
「ないぞ」
「……え?」
「ない」
「なんで!?」
「2回目の失敗で失った」
「あ……」
ルークは口を開けたまま固まった。
そうだった。変えたのは最初の失敗だけだ。父には、まだ6つの失敗が残っている。
「じゃあ、1回目では失わなかった?」
「1回目って何だ」
「いや、その……北方の事件では」
「あの件では、むしろ評価が上がったぞ」
「やっぱり!」
ルークは勢いよく立ち上がった。
アルフォードが皿を持ったまま、目を丸くする。
「何だ、急に」
「本当に変わってる!」
「朝からずっと、何の話をしてるんだ?」
「父さんには、まだ説明できない話!」
アルフォードは少し寂しそうな顔を作った。
「息子が秘密を持ち始めた……」
「大げさ!」
ルークは再び椅子に座った。
落ち着こうと息を吐き、目を閉じる。
――《親の七光り》。
そう念じると、目の前に文字が浮かび上がった。
《第1光――解放済み》
《北方救済の功績を継承》
《恩恵:魔力感知・微》
《恩恵:北方領での信頼補正》
《第2光――未解放》
「……魔力感知?」
小さく呟き、目を開いた。
すると、今まで見えなかったものが見えた。
かまどの火に、淡い光が揺れている。水差しの中にも、薄い光が漂っていた。
そして父の体には、それらよりもはっきりした光が重なっている。
「うわっ」
「何だ?」
「父さん、光ってる!」
「朝から怖いことを言うな」
「違う、そうじゃなくて!」
ルークは両手を持ち上げた。自分の指先にも、ほんのわずかな光がまとわりついている。
「これが、魔力……?」
「魔力が見えてるのか?」
「うん。ちょっとだけだけど」
アルフォードが眉をひそめ、ルークの顔をのぞき込んだ。
「昨日までは見えなかったのか?」
「見えなかったよ!」
「普通は訓練しないと分からないものだぞ」
「じゃあ、スキルのおかげだ」
「《親の七光り》?」
「うん」
アルフォードは少し考えたあと、得意げに胸を張った。
「つまり、俺のおかげか」
「なんか腹立つな!」
「親の七光りだからな!」
「そうだけど!」
けれど、父の言うことは間違っていなかった。
北方を救った功績が、息子であるルークに力を与えている。
昨日までは何の役にも立たないと思っていたスキルが、初めて目に見える恩恵をくれたのだ。
「すごい……」
ルークは指先を見つめ、思わず笑った。
父の失敗を1つ変えただけで、自分まで変わった。
「父さん」
「今度は褒めるか?」
「まだ」
「まだなのか」
「でも、ちょっとだけすごいと思った」
「ちょっとだけか」
「朝ご飯が豆だけだから減点」
「採点が厳しい!」
2人が言い合っていると、玄関の扉が叩かれた。
コンコン。
「誰だ?」
アルフォードが立ち上がる。
「朝から珍しいな」
扉を開けると、鎧姿の男が立っていた。
40代ほどで、髪には銀色のものが混じっている。背筋は伸び、扉の前でも隙のない立ち方をしていた。
ルークは、その顔を見つめた。
地下で剣を振るっていた騎士より、ずっと年を取っている。それでも、真面目そうな目つきには見覚えがあった。
「……ライオネル?」
思わず名前が漏れた。
男がルークへ目を向ける。
「ほう。私の名を知っているのか」
しまった。
ルークは口を押さえた。
アルフォードが振り返る。
「知り合いか?」
「違う!」
「では、なぜ私の名を?」
「えっと……」
ルークは必死に答えを探した。
「父さんから聞いた!」
「俺、話したか?」
「話した!」
「覚えてないな」
「父さん、物忘れが激しいから!」
「まだ30代だぞ!」
ライオネルが小さく息を吐いた。
「相変わらず、騒がしい親子ですね」
「で、何の用だ?」
アルフォードが尋ねると、ライオネルの表情が引き締まった。
「王宮からの使者として参りました」
「帰ってくれ」
「まだ何も申し上げていません」
「王宮からいい話が来た試しがない」
「今回は悪い話ではありません」
「本当か?」
「おそらく」
「その『おそらく』が怖いんだよ」
ライオネルは懐から書状を取り出した。
王家の紋章が押されている。
アルフォードは渋々受け取り、封を切った。読み進めるうちに眉が寄り、やがて書状を顔へ近づける。
「……何だ、これ」
「何て書いてあるの?」
ルークも椅子から立ち上がった。
「北方5領の代表が、俺の名誉回復を求める嘆願書を出したらしい」
「名誉回復?」
「ああ」
ライオネルが説明を続けた。
「北方災害を防いだ功績を再評価し、殿下……失礼、アルフォード様に、旧領の一部を返還すべきだと」
「旧領?」
父には昔、領地があった。それは4度目の失敗で失ったと聞いている。
「返してもらえるの?」
「そう簡単にはいかない」
アルフォードは書状を畳んだ。
「王宮が認めるかどうかは、別の話だ」
「ですが、署名は北方だけに留まりません」
ライオネルが言う。
「王都の商人組合、冒険者組合、それから2つの騎士団からも集まっています」
「……何人だ?」
「現時点で、およそ2,000人です」
「2,000!?」
ルークの声に、アルフォードの声も重なった。
「何でそんなにいるんだ!?」
ライオネルが呆れたように父を見る。
「北方救済のあと、あなたが何人を助けたと思っているのです」
「覚えてない」
「でしょうね。助けた方は忘れても、助けられた方は覚えています」
アルフォードは返す言葉を失ったらしく、畳んだ書状へ目を落とした。
ルークは父を見つめる。
昨日までは、失敗を重ねて平民になった元王子だと思っていた。地位も金もなく、それでも冗談を言って笑う父だった。
けれど、最初の失敗を変えたことで、その後の人生にも違いが生まれている。
父が助けた人たちとのつながりが、今も残っているのだ。
《親の七光り》は、父の地位だけで強くなるスキルではないのかもしれない。
父が積み重ねてきた功績や、人々からの信頼まで、息子が受け取る力なのだとしたら。
「父さん」
「何だ?」
「結構すごい人だったんだね」
「過去形にするな」
「でも今は、豆しかないし」
「豆を馬鹿にするな!」
そのとき、ルークの目の前に新たな文字が浮かんだ。
《第1光――定着》
《次回接続条件を確認》
「……次?」
心臓が跳ねる。
《睡眠時、第2の分岐点へ接続可能》
《対象:第2の失敗》
また、過去へ行ける。
ルークは息を呑み、文字から父へ視線を移した。
「どうした?」
アルフォードが尋ねる。
今度は2つ目だ。父の人生を変えてしまった、次の失敗。
「父さん」
「ん?」
「2回目の失敗って、何?」
「急だな」
「教えて」
アルフォードは少し考え、苦い顔をした。
「あれは確か……婚約破棄だな」
「え?」
「俺のじゃないぞ」
「じゃあ、誰の?」
「王太子の」
ルークは首を傾げた。
「何でそれで、父さんが失敗するの?」
「俺が止めようとして……」
アルフォードは遠い目をする。
「王宮中を敵に回した」
「一体、何したの!?」
「俺も若かったんだよ」
「北方の事件から、そんなに経ってないでしょ!」
「まあ、気持ちの問題だ!」
ライオネルが静かに口を挟んだ。
「ちなみに、私はお止めしました」
「止め方が弱かったんじゃないか?」
「あのときは、3時間説得しました!」
「もう少し頑張ってくれていれば――」
「人の忠告を聞かなかった方が、それをおっしゃいますか!」
ルークは額に手を当てた。
次の失敗も、どうやら簡単にはいかなさそうだ。
それでも、口元には少し笑みが浮かんでいた。
もう1度、変えてみせる。
父が何を守ろうとして、何を失ったのか。その理由を、今度はちゃんと知りたかった。
※※※
その日の夜、ルークはいつもより早く寝台へ入った。
「……第2の失敗」
毛布を胸まで引き上げ、目を閉じる。
隣の部屋で、父が何かを片づける音がしていた。その音が遠くなり、意識がゆっくり沈んでいく。
そして――。
「アルフォード殿下! 大変です!」
聞き覚えのある声に、ルークは飛び起きた。
背中に触れていたのは、いつもの寝台ではない。柔らかな寝椅子だった。
豪華な部屋、磨かれた家具、大きな窓。
王城へ戻ってきたのだ。
扉が勢いよく開き、若いライオネルが入ってくる。
「王太子殿下が、婚約を破棄すると宣言なさいました!」
部屋の奥で紅茶を飲んでいたアルフォードが、盛大にむせた。
「げほっ……はあ!?」
慌てて茶器を置く父の姿を見ながら、ルークは寝椅子から足を下ろした。
目の前に文字が浮かぶ。
《第2光――発動》
《第2の失敗まで――残り2日》
《今回の失敗条件》
《アルフォード・レイフォード》
《王宮内支持者の7割を喪失》
ルークは文字を読んだ。
それから、今にも部屋を飛び出しそうな若い父を見た。
「……父さん」
アルフォードが振り向き、ルークを見つけて目を見開く。
「お前――」
「今回は、絶対に黙ってて」
「いきなりひどくないか!?」
2度目のやり直しが、始まった。




