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第一光解放 北方救済

 巨大な穴の縁に立った瞬間、ルークは少しだけ後悔した。


「……深い」


 慎重に身を乗り出しても、底が見えない。遥か下から、黒い光が脈打つように漏れているだけだった。


 吹き上がってくる風には、土と鉄を混ぜたような嫌な匂いがある。ルークは鼻をしかめ、穴の縁から半歩下がった。


「これ、本当に降りるの?」


「一緒に来るって言ったのはお前だぞ」


「まさか、こんな深い穴の中だとは思ってなかったよ!」


「俺は言ったぞ」


「そうだけどさ!」


 アルフォードは苦笑しながら、近くに残っていた太い木へ縄を結びつけた。ライオネルも木の根元と足場を確かめ、結び目を補強している。


 一方、セシリアはしゃがみ込み、地面へ杖の先を当てていた。


「どうだ?」


「最悪です」


「もう少し詳しく」


「地下の魔力脈が切断されかけています。自然に壊れたときの流れではありません」


「やっぱり、誰かがやった?」


「おそらく」


 セシリアは杖を引き、険しい顔で穴を見た。


「しかも、かなり大掛かりな術式です。少なくとも、準備には複数人必要だったはずです」


「仲間がいるのか」


 ルークは喉を鳴らした。


 地竜も魔物も、ただ逃げていただけだった。けれど地下には、この異変を引き起こした者がいるかもしれない。


 《第1の失敗まで――残り1時間38分》


「時間もない……」


 ルークが呟くと、アルフォードが縄を強く引いた。木も結び目も動かないことを確かめ、穴へ視線を戻す。


「じゃあ、行くぞ」


「本当に?」


「ここまで来て帰るのか?」


「帰りたい気持ちは、少しある」


「正直でよろしい」


「でも行く」


 アルフォードはルークの顔を見て、静かに頷いた。


「分かった。俺から離れるなよ」


 最初にライオネルが降り、下の足場を確認した。次にセシリアが続く。


 ルークは腰に補助縄を結んでもらい、アルフォードとつながれた。主縄を両手で握り、崩れた壁の出っ張りへ足を掛けながら、少しずつ降りていく。


「足を滑らせるなよ」


「分かってる」


「怖かったら、下を見るな」


 言われた途端、ルークは下を見てしまった。


「……怖くなった」


「だから言っただろ!」


「気になるじゃん!」


「未来の俺も苦労してそうだな」


「父さんにだけは言われたくない!」


 そんなやり取りができたのは、最初だけだった。


 降りるほどに腕が重くなり、縄を握る手が痛くなる。壁には亀裂が走り、そこから黒い光が漏れていた。地中から低い振動が響くたび、足場の小石が落ちていく。


 ようやく底へ着くと、ルークは膝を曲げたまま、しばらく息を整えた。


「……道がある」


 顔を上げた先には、石造りの通路が延びていた。


 壁には古びた燭台が残り、床には何かを引きずった新しい跡がある。地表の崩落で、地下に隠れていた通路が露出したらしい。


「新しい足跡もあります」


 ライオネルがしゃがみ込み、積もった土を指で示した。


「何人だ?」


「靴跡の違いから、少なくとも6人。何度も行き来しています」


 アルフォードが暗い通路を見渡す。


「地下で、ずいぶん忙しく働いていたらしいな」


「王家はここを知ってるの?」


「少なくとも俺は知らない」


「王子なのに?」


「王子だからって、王国中の穴を把握してるわけじゃない」


「確かに」


 セシリアが壁へ手を当てた。


「古い遺跡を利用していますね。ただ、魔力を吸い上げている術式は新しいものです」


「どっちへ行けばいい?」


「光の強い方へ。魔力も、そちらに流れています」


 4人は通路を進んだ。


 奥へ向かうほど、空気が重くなる。ルークは胸を押さえた。息はできるのに、深く吸っても足りないような感じがした。


 やがて、前方から声が聞こえた。


「急げ!」


「安定値が落ちている!」


「予定より地表崩落が早い!」


 アルフォードが手を上げる。


 全員が足を止め、壁際へ寄った。


 通路の先には広い空間があり、その中央に巨大な装置が置かれていた。円形の台座を何本もの金属柱が囲み、柱の間を黒い光が走っている。


 床に刻まれた線が光るたび、中央の結晶へ魔力が吸い上げられていた。


 装置の周囲で作業しているのは7人。全員、黒い外套を着ている。


「何してるんだろ」


 ルークが小声で尋ねる。


「魔力を抜いています。地下の魔力脈から直接」


「それって危ないの?」


「川の水を、下流のことも考えずに抜き続けるようなものです」


「すごく危なそう」


「すごく危険です」


 そのとき、装置の脇にいた男が顔を上げた。


「誰だ!」


 黒衣の者たちが一斉に振り返る。


 アルフォードはルークを背後へ押しやり、通路から前へ出た。


「王国第1王子、アルフォード・レイフォードだ」


「父さん、名乗るの!?」


「ここで偽名を使ってどうする!」


「そうだけど!」


 黒衣の者たちがざわめく。


「王子だと?」


「なぜここが……」


「予定外だ」


 その中から、男が1人、ゆっくりと進み出た。


 ほかの者より上等な外套を着た、細身の男だった。30代半ばほどで、金髪を後ろへ撫でつけている。


 男はアルフォードを見ると、驚いたように眉を上げた。


「これは……思いがけないお客人ですね」


「知り合い?」


 ルークが小声で聞く。


 アルフォードの顔から、笑みが消えていた。


「ああ。ゼイン・ベルガーだ」


 ライオネルも剣へ手を掛ける。


「軍務卿補佐官……」


「王国の人なの?」


「そうだ」


 ゼインは穏やかな笑みを浮かべた。


「殿下、護衛もほとんど連れずに、こんな場所へ来られるとは。相変わらず行動がお早い」


「褒めてるのか?」


「もちろん」


「なら、これは何だ」


 アルフォードが装置を指差した。


「王国領の魔力脈を壊してまで、何を集めてる」


「研究ですよ」


「ずいぶん迷惑な研究だな」


「多少の犠牲は必要です」


「多少?」


 ルークは思わず声を上げた。


 ゼインの視線が初めてルークへ向く。


「その子は?」


「俺の……」


 アルフォードは一瞬言葉に詰まった。


「遠い親戚だ」


「雑!」


 ルークが小声で突っ込む。ゼインは気に留めず、装置へ手を向けた。


「この地域の魔力脈は、非常に質が高い。集めた魔力を王都へ送れば、新型魔導兵器の実験が進みます」


「そのために村を潰すの?」


「村など、別の場所へ作ればよいでしょう」


 ルークは拳を握った。


 未来の父は、北方遠征で無茶をした。命令を破り、責任を取らされた。


 ずっと、そう聞いてきた。


 けれど父が、この地下で行われていることに気づいていたなら。


「父さん」


「ん?」


「未来でも、こいつを止めたんじゃない?」


 アルフォードがわずかに目を見開いた。


 ゼインの笑みも消える。


「未来……?」


 ルークはゼインを見据えた。


「父さんに知られたら困るんだね。村がどうなってもいいなんて、普通の研究じゃない」


「子どもは黙っていなさい」


「嫌だ」


「ルーク」


 アルフォードが少しだけ笑った。


「そこは俺に似たな」


「似てない」


「今、それ言う?」


 ゼインが片手を上げた。


 黒衣の者たちが武器を抜く。


「殿下……ここで見たことは、忘れていただきたい」


「無理だな」


「では、仕方ありません」


 次の瞬間、黒衣の男が杖を突き出した。


「《火矢》!」


「伏せろ!」


 ライオネルが盾を差し入れる。火の矢が盾へぶつかり、爆ぜた炎が通路の入口を照らした。


「セシリア!」


「分かっています!」


 セシリアが杖を振る。


「《風刃》!」


 透明な刃が床すれすれを走り、黒衣の者たちを後退させた。


 その隙に、アルフォードが踏み込む。


 速い。


 向かってきた剣を弾き、次の男の足を払う。魔法を使おうとした者には、詠唱が終わる前に剣の柄を腕へ叩きつけた。


「父さん、強っ!」


「驚くの今!?」


「だって未来じゃ、薪割りしかしてなかった!」


「薪割りも技術がいる!」


「そこじゃない!」


「少年!」


 ライオネルの声に、ルークは横を向いた。


 戦いの隙間を抜けてきた黒衣の男が、剣を振り上げている。


「うわっ!」


 慌てて下がった足が、床の段差に引っかかった。ルークは尻餅をつく。


 逃げられない。


 振り下ろされる刃を見て、肩をすくめた。


 ガキンッ!


 アルフォードの剣が割って入った。


「俺の息子に何をしてる」


 低い声だった。


 男が怯んだ瞬間、アルフォードは剣を押し返し、その腹を蹴って遠ざける。


「殿下、今、息子と――」


「あとで!」


 ライオネルの問いを遮り、アルフォードがルークへ手を差し出した。


「立てるか?」


「……うん」


 ルークは父の手をつかむ。怖さは消えていなかったが、胸の奥が少し熱くなった。


 だが、すぐにセシリアの声が響く。


「殿下! 装置が暴走しています!」


 争いの中で、金属柱の1本が傾いていた。柱をつなぐ黒い光が激しく明滅し、床の亀裂が広がっていく。


 《第1の失敗まで――残り37分》


「また減った!」


 ゼインの顔色も変わっていた。


「馬鹿な……まだ崩壊するはずでは……」


「予定どおりにいってないのは、こっちも同じだよ!」


 ルークが怒鳴る。


 柱の根元から火花が散り、黒衣の者たちも装置から後ずさった。


「武器を捨てろ! このままでは全員、埋まるぞ!」


 ライオネルの怒声に、剣が床へ落ちた。


 セシリアが装置へ駆け寄る間に、ライオネルはゼインたちを壁際へ下がらせ、武器から離れるよう命じた。


「停止させます!」


「できる?」


「まず、調べます!」


 セシリアは制御盤をのぞき込み、刻まれた文字と光る線を目で追った。


 やがて、顔を上げる。


「殿下! このまま止めてはいけません!」


「どういうことだ!」


「吸い上げた魔力が、中央に溜まりすぎています! 流れを急に止めると、一気に逆流します!」


「そうなったら?」


「装置が破裂し、この空洞ごと崩れるおそれがあります!」


「止めなければ?」


「魔力脈が切れます!」


「どっちも駄目じゃないか!」


「だから、別の止め方が必要なんです!」


 ルークは装置を見つめた。


 止めれば逆流する。止めなければ魔力脈が壊れる。


 けれど未来では、この土地は残っていた。


「父さんが、何かやったんだ……」


「何を?」


「分からない!」


「未来の俺、説明不足だな!」


「本当にね!」


 黒い光が中央へ流れ込み、結晶の中で渦を巻いている。


 ルークは、その流れから目を離さなかった。


「セシリアさん!」


「はい!」


「魔力を、別の場所へ流せない?」


「別の場所へ?」


「溜まりすぎて危ないんでしょ? だったら、ここから逃がせばいい」


 セシリアが中央の結晶と制御盤を見比べる。


「……理屈では可能です」


「どうすればいい?」


「魔力の出口を作ります。ただし、これだけの量を安全に流せる場所が必要です」


 ルークの頭に、青く光る石が浮かんだ。


「魔石は?」


「魔石?」


「鉱山に置いた、いちばん大きな魔石!」


 セシリアが目を見開く。


「あれを出口にできれば……」


「使える?」


「あの魔石だけに溜めるのは無理です。容量が足りません」


「じゃあ、ほかの魔石もつなぐ! さっきの道みたいに!」


 セシリアは答えかけて、口を閉じた。


 杖を握り直し、装置から通路の方へ視線を走らせる。


「……できます。魔石に溜めるのではなく、魔石を通して少しずつ外へ逃がせば」


「外へ?」


「魔石をつないで、魔力の流れを鉱山へ導きます。無人の採掘場なら、周囲に分散させられます」


 アルフォードが頷いた。


「地竜を誘導した道を、魔力の逃げ道に変えるわけか」


「はい。ただ、穴から魔石の道までをつなぎ直す必要があります」


 ルークはセシリアを見た。


「使い方を変えれば、役に立つ」


 セシリアの口元がわずかに緩む。


「覚えていましたか」


「うん」


 ライオネルが装置へ目を向けた。


「地上までつなぐ間、地下では何をするのです?」


「中央の魔力を抑えながら、出口へ向きを変えます。ここに制御役が必要です」


「危険か?」


「かなり」


「じゃあ、俺がやる」


「父さん!」


 アルフォードは即答していた。


 ルークは慌てて、その服をつかむ。


「待って。それじゃ、未来と同じになる」


「でも、誰かがやらないと――」


「父さんが全部やらなくてもいいでしょ!」


 アルフォードが口を閉じた。


「1人でやらないって、言ったじゃん!」


 ルークは装置を見た。


 魔力を制御する者。装置を壊れないようにする者。地上へ知らせる者。


 全部を父に任せる必要はない。


「仕事を分けよう」


「どう分ける?」


 ルークは指を折った。


「セシリアは、魔力を制御する」


「はい」


「ライオネルは装置を守る。あの人たちにも邪魔させない」


「承知しました」


「父さんは、傾いた柱を支える!」


「剣士に機械修理をさせるのか?」


「力あるでしょ!」


「あるけど!」


「どこを支えればいいかは、私が指示します」


 セシリアがすぐに付け加えた。


「殿下には、柱をこれ以上動かさないようにしていただきたいのです」


「なるほど。それならできる」


「僕は地上へ知らせる。魔石の道を作った人たちに、続きをつないでもらう!」


 セシリアが息を吸った。


「それなら、私が装置から穴の上まで魔力を導きます。地上の魔石がつながれば、鉱山まで流せるはずです」


 ルークはアルフォードを見上げた。


「1人でやらなくていいんだよ」


 アルフォードは少し黙っていた。


 それから、困ったように笑った。


「未来の俺が7回失敗する理由、少し分かった気がする」


「でしょ?」


「お前、容赦ないな」


「父さん相手だからね」


「じゃあ今回は、息子の言うことを聞くか」


 全員が動き始めた。


 セシリアはルークに地上での作業を説明し、アルフォードへ柱の支え方を指示する。ライオネルはゼインたちを見張りながら、装置の周囲から武器や倒れた資材をどかした。


 ルークは通路へ走った。


 穴の底へ戻ると、垂れ下がった縄を強く引く。入口で待機していた兵士へ、声の限り叫んだ。


「引き上げて! 急いで!」


 返事が聞こえ、縄が張る。


 ルークも壁へ足を掛け、必死に登った。腕が痛い。息が切れる。途中で何度も滑りそうになったが、上から引く兵士たちの助けで体が持ち上がっていく。


 《第1の失敗まで――残り12分》


「間に合え……!」


 ようやく地上へ引き上げられると、ルークは膝をついたまま息を吸った。


「魔石を……つないで!」


「どうした?」


「地下の魔力を、鉱山へ逃がすんだ! この穴から、さっき作った魔石の道までつないでほしい!」


 兵士が穴をのぞき込む。下からは、黒い光に混じって青い光が伸び始めていた。


「殿下は?」


「下で装置を支えてる!」


 ルークは立ち上がり、作業の指揮を執っていた村人へ駆け寄った。


「お願い!道を作った人たちにも手伝ってもらいたいんだ!」


 村人はルークの顔と、穴から漏れる光を見た。


 そして頷く。


「分かった。残っている者を呼ぶ!」


 兵士たちが荷車から予備の魔石を運び出す。村人たちは置き場所を確かめ、穴から既存の誘導路へ向けて並べ始めた。


 1個、2個。


 さらに10個、20個。


 穴に近い魔石から、青い光が灯っていく。


 ルークはその光を追った。途中で途切れた場所があれば、セシリアに教わったとおり、魔石の間隔を狭めてもらう。


 《残り5分》


「あと少し!」


 最後の魔石が、鉱山へ続く道につながった。


 地下から、眩しい光が噴き上がる。


「つながった!」


 次の瞬間、魔石の列を大きな光の筋が走った。


 ゴォォォォォッ!


 魔力が地下から地上へ流れ出す。


 街道沿いの魔石が次々と光り、青い輝きが鉱山へ向かって伸びていった。遠くの採掘場で、大きな光が空へ立ち上る。


 穴から漏れていた黒い光が、少しずつ弱まっていく。


 けれど、まだ表示は消えない。


 《第1の失敗まで――残り10秒》


「父さん……!」


 ルークは穴の縁へ駆け寄りかけ、兵士に肩をつかまれた。


「危ない! 下がれ!」


 ルークは立ち止まり、縄を見つめた。


 9秒。8秒。


 地面の揺れが弱くなる。


 7秒。6秒。


 魔石の光が激しく瞬いた。


 5秒。4秒。


 下から、人の声が聞こえた。


 3秒。2秒。


 ルークは両手を握りしめる。


 そして――。


 《第1の失敗――回避》


 文字が、金色に変わった。


「……やった」


 ルークの膝から力が抜けた。


「やった……!」


 地面へ座り込んだ瞬間、目の前の景色が滲んだ。


「え?」


 疲れで倒れるのかと思った。


 けれど違う。自分の手が、淡い光に包まれている。地面も、木々も、空も、輪郭が薄れていった。


「待って……」


 まだ父が戻ってきていない。


「父さん!」


 穴の方へ顔を向ける。


 縄が大きく揺れ、兵士たちに引き上げられたアルフォードが、穴の縁へ手を掛けた。少し下にはライオネルとセシリアの姿も見える。


「ルーク!」


 アルフォードが地上へ這い上がった。


「父さん!」


「何だ、その光は!」


「分かんない!」


 アルフォードが駆け寄る。ルークも手を伸ばした。


 指先が触れる。


 父の手の温かさを感じた、その瞬間。


 《第1光――完了》


 《現実へ帰還します》


「え?」


「ルーク!」


「待って!」


 父の手をつかもうとした。


 けれど、指が閉じるより早く、世界が白く染まった。


 ※※※


 次に目を開けたとき、ルークは自分の寝台にいた。


「……戻った?」


 見慣れた天井。見慣れた毛布。


 隣の部屋からは、父のいびきが聞こえている。


 さっきまで握っていた縄も、手に付いた土もなくなっていた。ルークは両手を見つめ、それから勢いよく起き上がった。


「父さん!」


 隣の部屋へ走り、扉を開ける。


 そこには、今の時代のアルフォードが寝ていた。


 いつものくたびれた服。ぼさぼさの髪。寝台からはみ出した片足。


 何も変わっていないように見える。


「……変わってない」


 ルークの胸が沈んだ。


 夢だったのだろうか。


 あれだけ走って、怖い思いをして、失敗を回避したはずなのに。


 そのとき、父の枕元に置かれた封筒が目に入った。


 白い封筒に、赤い蝋印。


 王家の紋章だった。


「……何これ」


 ルークが手を伸ばすと、アルフォードが薄く目を開けた。


「ん……ルーク?」


「父さん、この手紙」


「ああ」


 アルフォードは眠そうに目をこすった。


「昨日届いた」


「誰から?」


「王宮」


「王宮!?」


「うるさいぞ。朝から何だ」


「だって……!」


 アルフォードは欠伸をし、封筒を指差した。


「北方領の連中が、今年も感謝祭に来てくれってさ。王宮から案内が回ってきた」


「感謝祭?」


「ああ」


「何の?」


 アルフォードが不思議そうに眉を寄せる。


「何って……」


 そして、当たり前のことのように言った。


「俺が昔、北方を救った件のだよ」


 ルークは動けなくなった。


 父が北方を救った。


 その功績を、人々が今も覚えている。


 変わっている。


 父の服は同じでも、暮らしている家は同じでも、あの日の出来事は確かに変わっていた。


 ルークの目の前に、金色の文字が浮かぶ。


 《親の七光り》


 《第1光――解放》


 《北方救済の功績を継承しました》


「……本当に変わった」


 ルークはゆっくり笑った。


 アルフォードは、その顔を眠そうに見上げる。


「何がだ?」


「父さんの、最初の失敗」


「……何の話だ?」


 父には分からないのだろう。


 けれどルークは、もう気にしなかった。王家の紋章が押された封筒を、両手で大事に持つ。


 父の最初の失敗は、もう失敗ではなくなっていた。

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