地竜が恐れるもの
森の奥から現れた影を見た瞬間、ルークは言葉を失った。
大きい。
頭に浮かんだのは、それだけだった。
灰色の巨体が木々を押し分け、ゆっくりと森から出てくる。4本の脚は大木の幹ほど太く、背には岩のような突起が並んでいた。頭から伸びた2本の角が枝を折り、口元にのぞく牙は、ルークの腕より長い。
「……あれ、何?」
隣にいたセシリアは答えず、しばらく巨体を見つめていた。
「地竜です」
「竜!?」
「正確には竜種ではありません。竜に近い性質を持つ大型魔獣です。ただ……」
「ただ?」
「普通、あそこまで大きくありません」
アルフォードが目を細めた。
「普通なら?」
「成体でも、あれの半分ほどです」
「じゃあ、ものすごく元気に育ったんだな」
「殿下、感想が軽すぎます」
「軽く言わないと怖いだろ」
「それは少し分かります」
ライオネルまで頷いた。
「分かるんだ……」
ルークは2人を見比べた。冗談を言える距離に見えても、地竜が1歩進むたび、足元には小さな揺れが届いている。
ドンドンドン
その巨体の前を、魔物たちが必死に逃げてくる。ゴブリンも、牙猪も、灰牙狼も、人間には目もくれず南へ走っていった。
「本当に、全部あいつから逃げてるんだ」
「ああ」
アルフォードは魔物たちの進路を見渡した。
「このままだと、地竜が村へ来る前に、逃げてきた魔物だけで被害が出る」
ルークの目の前には、まだ青白い文字が浮かんでいた。
《第1の失敗》
《北方5村の壊滅》
《発生まで――残り18時間41分》
数字は確実に減っている。
「父さん」
「アルフォード様、だろ」
「あ、そうだった」
近くには村人がいる。ルークは声を落として言い直した。
「アルフォード様、あと18時間しかない」
「十分だ」
「またそれ言う!」
「3日が1日になって、1日が18時間になったんだ。もう驚かん」
「慣れないでよ!」
アルフォードは地竜を見たまま、ライオネルを呼んだ。
「北方5村の避難を進めろ」
「しかし、魔物が街道へ流れ込んでいます」
「道を守る人手が要るな。近くの冒険者を集めろ」
「この辺りに、それほど人数はいません」
「なら、ベルグ伯爵領の兵を借りる」
「あ」
ルークは地図のことを思い出した。補給物資が置かれている場所だ。
「兵士もいるの?」
「伯爵家の領兵が200人ほどいる」
アルフォードはライオネルに向き直る。
「討伐を命じるんじゃない。街道の魔物を追い払い、村人が逃げる道を守ってもらう」
「承知しました」
ライオネルが馬の手綱を取ったところで、ルークはもう1度地竜を見た。
「待って、何かおかしい」
3人が振り返る。
「何がだ?」
「地竜だよ。こっちに向かってるように見えない」
ルークは街道の先を指差した。
「村は南東にあるよね。でも、あいつは真南へ進んでる。少しずれてるんだ」
セシリアが地竜の動きを追い、目を細める。
「確かに、村へ向かう進路ではありません」
「村を襲いたいなら、まっすぐ来るんじゃないの?」
「目的が村なら、そうするでしょう」
アルフォードはすぐに地図を広げ、ルークの示した方向を指でたどった。
「このまま進むと、何がある?」
「古い採掘場です」
ライオネルが答えた。
「10年ほど前に閉鎖された鉄鉱山で、今は使われていません」
「地竜が鉄を食べるの?」
「食べません」
「じゃあ、何で鉱山へ?」
セシリアが地図をのぞき込んだ。
「坑道の奥に、魔力が溜まっているのかもしれません」
「魔力が?」
「地中の魔力が集まりやすい場所があります。魔獣がそこを目指すこともあるんです」
ルークは、彼女が先ほど話していた森の異変を思い出した。
「でも、森の魔力は北へ吸われてたんだよね?」
「ええ」
「だったら地竜も、魔力を奪われたのかな」
セシリアが顔を上げた。
「……その可能性は、ありますね」
彼女は地竜を見つめ、ゆっくりと言葉を続けた。
「地竜が森の魔力を吸っているのではなく、森から魔力が失われたために、別の魔力源を探しているのかもしれません」
「お腹が減ってるみたいなもの?」
「かなり雑ですが、近いです」
「雑……」
アルフォードが地図の鉱山を指で叩いた。
「つまり、村を狙って暴れてるわけじゃない。鉱山へ行きたいだけかもしれない」
「そう考えると、今の進路にも説明がつきます」
「じゃあ、倒さなくてもいい?」
ルークの問いに、ライオネルは難しい顔をした。
「通り道に村がなくても、あの巨体です。街道や畑を踏み荒らせば被害は出ます。それに、進路が変わらない保証もありません」
「でも、倒すより、村から離れた道を歩かせるほうができそうじゃない?」
誰もすぐには答えなかった。
「変なこと言った?」
「いや。いいところに気づいた」
アルフォードが笑った。
「鉱山を目指してるなら、安全な道を用意してやればいい」
「しかし、どうやって誘導します?」
「餌を置く」
「地竜は普通の食物では動きません」
「じゃあ魔力を置けばいい」
セシリアが、嫌な予感がしたようにアルフォードを見る。
「殿下」
「何だ」
「私を餌にするつもりでは?」
「まさか」
「本当ですか?」
「まあ…半分くらい」
「帰ります」
「待て待て! 冗談だ!」
「殿下の冗談は判別しづらいのです」
セシリアが背を向けると、アルフォードは慌てて付け加えた。
「危険手当を銀貨5枚追加する」
セシリアが足を止めた。
「話を聞きましょう」
「お金で戻った!」
ルークが思わず言うと、セシリアは真顔で杖を持ち直した。
「対価に見合う方法ならあります。魔石を使うんです」
「魔石?」
「魔獣の体内にできる結晶です。たくさん集めれば、地竜にも分かる強い魔力源になります」
ライオネルが顔を上げた。
「ベルグ伯爵領の倉庫にあります」
「あそこに?」
「討伐した魔獣から回収した魔石を、王都へ送るまで保管しています」
アルフォードは口元を緩めた。
「未来では補給が遅れて困った倉庫が、今回は役に立つわけだ」
ルークの胸が少し高鳴る。失敗の原因に関わっていた場所が、今度は解決の鍵になる。
「魔石を鉱山に運べばいいの?」
「鉱山だけでは、途中で気づかないかもしれません」
セシリアは地図に指を滑らせた。
「街道沿いから鉱山への道まで、一定の間隔で魔石を置きます。私の風魔法で魔力を運び、地竜が追えるようにするんです」
「それで村を避けてくれる?」
「可能性はあります」
「可能性?」
「巨大な地竜で試した人は、少なくとも私は知りません」
「ないの!?」
「こんな仕事、普通はありませんから!」
アルフォードは地図を畳んだ。
「やろう」
「殿下、本当に?」
「ほかに案があるか?」
ライオネルもセシリアも答えなかった。
「なら決まりだ」
ライオネルはすぐにベルグ伯爵領へ馬を走らせた。セシリアは地竜の進路を確かめ、魔石を置く位置を地図に書き込む。
アルフォードは避難の準備をしている村人たちを集めた。
「よく聞いてくれ!」
荷造りの手が止まり、人々が若い王子を見る。
「北から巨大な魔獣が来ている!」
村人たちの間に悲鳴が広がった。アルフォードは片手を上げ、話を続ける。
「ただし、今のところ村を狙ってはいない。俺たちは進路を村から逸らす。その間に、全員、貴重品だけ持って南の丘へ避難してくれ!」
「本当に大丈夫なんですか!?」
村人の1人が声を張り上げた。
「分からん!」
「殿下!」
セシリアが額に手を当てる。
「そこは安心させる場面でしょう!」
「嘘はつけないだろ!」
「もう少し言い方があります!」
アルフォードは小さく咳払いし、村人たちを見渡した。
「絶対に安全だとは言えない。だからこそ、今すぐ逃げてほしい」
ざわめきが収まる。
「お前たちが避難する時間は、俺たちが作る。荷物より命を優先してくれ」
派手な言葉ではなかった。それでも、村の老人が静かに頭を下げた。
「……分かりました」
それをきっかけに、村人たちは動き始める。子どもを抱き上げる者、足の悪い人を荷車に乗せる者。アルフォードはその間を歩き、避難先を確かめて回った。
ルークは父の背中を見つめた。
未来の父は酒場で皿を洗い、荷物を運び、仕事を失敗しても冗談を言って笑っていた。
今は、そのひと言で人々が動いている。
「父さんって、本当に王子だったんだな……」
戻ってきたアルフォードが、呆れた顔をした。
「何度目だ、それ」
「だって信じられないんだもん」
「未来の俺、そんなにひどいのか?」
「靴下に穴が空いてても、3か月履いてた」
「王族でも靴下は大事にする」
「それには限度があるよ」
アルフォードが笑いかけた、その直後。
森から木の折れる音が響いた。
バキバキバキッ!
何本もの木が倒れ、地竜の背中が先ほどより速く近づいてくる。
《第1の失敗まで――残り12時間》
「また減った!」
「今度は何時間だ?」
「12時間!」
「ずいぶんせっかちな未来だな」
「笑ってる場合じゃない!」
アルフォードは街道の向こうへ目をやった。
「ライオネルが戻るまで、どれくらいかかる?」
「馬だけなら往復3時間ほどです」
セシリアが答える。
「魔石を積んだ荷車は、もっとかかるよね?」
「ああ。待っている間に道を作るぞ」
「道?」
アルフォードは地竜の進路と鉱山への分かれ道を見比べた。
「あいつが歩きやすい道だ」
***
2時間後、村の男たちは街道脇の柵を外し、畑を囲む石を運び出していた。荷車も移動させ、鉱山へ続く古い道の入口を広くする。
避難できる者は、先に南の丘へ向かわせた。残っている者も、作業が終わればすぐに退く手はずだ。
「本当にこれでいいのかな」
ルークは両手で抱えた石を道の脇へ置いた。
「障害物の少ない道は歩きやすい。人間も魔獣も、そこは同じだろ」
隣ではアルフォードが丸太を担いでいる。
「王子がこんなことしていいの?」
「王子が丸太を持ったら法律違反なのか?」
「違うけど」
「じゃあ問題ない」
村の子どもが、小さな板を抱えて走ってきた。
「王子さま! これも運ぶ?」
「おう、その板は向こうの荷車に載せてくれ」
「分かった!」
アルフォードに声をかけられ、子どもは足早に荷車へ向かった。
ルークはその後ろ姿と、丸太を運ぶ父とを見比べた。アルフォードは、自分が王子だからといって、人に任せきりにはしないのだろう。
「ルーク」
「何?」
「ぼーっとするな。手伝うって言ったのはお前だぞ」
「あ、ごめん。分かってるよ!」
ルークが次の石へ手を伸ばしたところで、街道の向こうから馬蹄の音が聞こえた。
「殿下!」
先頭を走ってきたのはライオネルだった。その後ろに荷車が3台続いている。
「魔石を持ってきました!」
「よし!」
アルフォードは丸太を下ろし、荷車へ駆け寄った。
「始めるぞ!」
セシリアの指示に従い、魔石を街道から鉱山への道に沿って置いていく。村から離れた場所で地竜を引き寄せ、鉱山への分かれ道へ導く配置だ。
最後に、最も大きな魔石を鉱山の入口へ運んだ。
「これで地竜が魔力を追えば……」
セシリアが杖を振る。道沿いに置かれた魔石が淡く光り、青い輝きが順に鉱山へ向かって走った。
「誘導の準備ができました」
アルフォードが地竜を見る。
「さて」
巨体は、もう目の動きが分かるほど近い。
地竜が1歩進む。揺れで、ルークの足元の小石が跳ねた。
やがて、その頭が魔石の置かれた方へ動く。
「……気づいた」
ルークは息を止めた。
地竜はしばらく街道を見つめていたが、やがて鉱山への道へ向きを変えた。
「やった!」
「まだです!」
セシリアが叫ぶ。
地竜は最初の魔石へ近づき、その先へ進む。村から少しずつ離れていった。
「そのまま……」
ルークは拳を握る。
目の前の文字が変わった。
《第1の失敗まで――残り11時間》
消えていない。
「どうして?」
地竜は鉱山へ向かっている。村人たちも避難した。このままなら、村が壊滅するはずはない。
地竜が突然立ち止まった。
「え?」
低い唸り声が地面を伝わる。地竜は鉱山の入口を見ず、ゆっくりと頭を上げた。
見ているのは、さらに北の森だった。
「何かいる……」
セシリアが杖を握り直す。
「地竜が、怯えています」
次の瞬間、森の奥から黒い光の柱が空へ立ち上った。
ゴォンッ!
遅れて地響きが届く。地竜が頭を反らし、長く咆哮した。
怒っている声ではなかった。ルークにも、それが恐怖から出た声だと分かった。
地竜は鉱山に背を向ける。
「まずい!」
巨体が村の方向へ走り出した。先ほどまでとは比べものにならない速さだ。
「魔石を無視した!」
「逃げてるんだ!」
ルークの目の前で文字が揺らぎ、数字が書き換わる。
《第1の失敗まで――残り4時間》
「4時間!?」
アルフォードが剣を抜いた。
「全員、村から離れろ! 南の丘にいる者たちも、さらに先へ!」
「殿下は!?」
ライオネルの問いに、アルフォードは迫る地竜を見た。
「進路を逸らす!」
「1人では無理です!」
「分かってる!」
アルフォードはルークを振り返る。
「だから今度は、1人でやらない」
ライオネルが剣を抜き、セシリアが杖を構えた。
ルークも震える足を踏ん張る。
「僕は何をすればいい?」
アルフォードは一瞬だけ考え、それから笑った。
「考えろ」
「え?」
「俺たちは地竜を村から遠ざける。お前は文字を見て、何が変わったか教えてくれ」
アルフォードは剣を構え直した。
「それから、この失敗を止める方法を探してくれ」
ルークは地竜の向こう、黒い光が立つ森を見た。
魔石で進路を変えられた地竜が、あれを見た途端、魔力を追うのも忘れて逃げ出した。
地竜を退けても、森の異変が続く限り、また何かが村へ押し寄せる。
ルークはようやく気づいた。
第1の失敗を引き起こす原因は、目の前の地竜だけではないことに。




