父さん、今度は村が滅びます
《第1の失敗まで――残り1日と11時間》
さっきまで3日近くあったはずの時間が、いきなり半分になった。
ルークは目の前に浮かぶ文字を何度も見直した。瞬きをしても、目をこすっても、数字は戻らない。
「いったい……どういうこと?」
「俺に聞くな、未来から来たのはお前だろ」
「未来から来たけど、このスキルの説明書なんて持ってないよ!」
「そうか、それは不親切なスキルだな」
「まるで父さんの未来みたいな事を言わないで」
「まあ、7回も失敗する人生らしいからな」
「でも……自分で言ってて悲しくならない?」
「まだ1回も失敗してないから平気だ」
アルフォードは肩をすくめ、机に広げた北方の地図へ目を戻した。軽口は叩いていても、その指はノルン砦の位置を押さえたままだ。
魔物の数は、未来でルークが聞いていたよりも多い。灰牙狼も、予想より早く確認されている。
ルークが過去へ来たことで何かが変わったのか。それとも未来の父が、正確な日付を覚えていなかったのか。今は確かめようがない。
「3日後に起きると思ってたことが、明日には起きるかもしれない」
「ああ」
「だったら、遠征の準備なんてしてる時間ないよ」
「そうだな」
アルフォードは迷いなく頷いた。
「遠征は中止する」
「えっ」
「そんなに驚くか?」
「だってさっき、行かないのは無理って」
「遠征はやめる。でも、北へ行かないとは言ってない」
ルークの胸に嫌な予感が広がった。
「……父さん?」
「軍が砦まで進む前に、俺たちで原因を探る」
「やっぱり行くんじゃん!」
アルフォードは、してやったりという顔で笑った。
「未来で失敗した方法を繰り返す必要はないだろ?」
ルークは反論しかけて、口を閉じた。
800人の兵を率いて、魔物の群れと正面からぶつかる。それが失敗する未来なら、同じことをする必要はない。
「でも、どうするの?」
「まずは、魔物がなぜ南へ来ているのか調べる。灰牙狼が原因なら、そいつらがどこから来たのかを探る」
「見つけて倒す?」
「場合による」
「場合による?」
「灰牙狼まで逃げてきたなら、さらに北に何かいる」
アルフォードの指が、地図の端へ伸びた。王国の北には山岳地帯が広がっている。
「灰牙狼は強い魔獣だ。それが群れで南下しているなら、追い出した相手がいる可能性が高い」
「もっと強い魔物?」
「それか、住処を壊すような何かだな」
ルークは地図を見つめた。未来の父から、そんな話は1度も聞いたことがない。
「父さん、未来でちゃんと調べたのかな……」
「それは知らん」
「知らんじゃないよ!」
「未来の俺に聞け」
「その未来の父さんが『いろいろあった』しか言わなかったんだよ!」
「未来の俺、使えないな」
「今の父さんが言う?」
そのとき、扉が開いた。
「殿下!」
ライオネルが戻ってきた。後ろには、紺色のローブを着た女性を連れている。20代半ばほどに見える彼女は、青みがかった黒髪を肩で切りそろえ、細い杖を手にしていた。
「風魔法使いのセシリアです。先ほど北方から戻ったばかりだそうです」
「戻ったばかり?」
アルフォードが顔を上げる。
セシリアは軽く一礼したが、挨拶より報告を急いでいる様子だった。
「殿下、先ほどの報告を訂正します」
「何が違った?」
「魔物の数です」
ルークの背中に、じわりと汗がにじむ。
「1,200じゃないの?」
「現在確認できているだけで、およそ1,800です」
「増えてる!」
「さらに増える可能性があります」
セシリアは地図の北側を指差した。
「魔物は1つの群れではありません。北の森の各所から、複数の群れが南へ移動しています」
「つまり?」
「何かから逃げています」
アルフォードが地図を見下ろしたまま尋ねる。
「何からだ」
「分かりません。ただ、北側で奇妙な現象を確認しました」
「奇妙な現象?」
「森が、枯れています」
ライオネルがセシリアへ顔を向けた。
「森が枯れている?」
「はい。木々が倒されているのではありません。葉も幹も、ある一帯だけ急速に枯死しています」
「病気?」
ルークが尋ねると、セシリアは首を横に振った。
「その可能性も考えました。ですが、魔力の流れがおかしいのです」
彼女は杖を机の端へ置き、地図のさらに北を指す。
「森の魔力が、北へ吸われています」
「吸われる?」
「正確には、ある1点へ集まっているように見えました」
ライオネルの眉間にしわが寄った。
「魔物の仕業でしょうか」
「分かりません。ですが、灰牙狼まで逃げるほどの異変です」
アルフォードはしばらく黙って地図を見つめた。そして顔を上げる。
「よし、では行こう」
「殿下!」
ライオネルが即座に声を上げた。
「お止めください! 今の報告を聞いて、なぜそうなるのです!」
「分からないから見に行くんだろ」
「王族が自分で確認に行く必要はありません!」
「じゃあ誰を行かせる?」
「斥候を!」
「戻ってくるまで何時間かかる?」
「それは……」
「残り1日だ」
アルフォードの言葉に、ルークは顔を上げた。
父にはスキルの文字が見えていない。それでも、ルークが伝えた残り時間を信じている。
「今から報告を待って、そのあと軍を動かしても間に合わない。少人数で先に行く」
「ですが……」
「俺とお前、それからセシリアだ」
「私もですか?」
セシリアが目を瞬いた。
「嫌か?」
「いえ、給金が出るなら」
「そこですか?」
ルークが思わず口を挟む。セシリアは真顔で答えた。
「命を張る仕事に対価を求めるのは当然です」
「それはそうだけど」
「危険手当込みで銀貨15枚」
アルフォードが言うと、セシリアの返事は早かった。
「行きます」
「早い!」
「20枚なら、さらに頑張れます」
「交渉しないで!」
アルフォードが吹き出した。
「気に入った。20枚出そう」
「殿下!」
「ライオネル、お前は細かいな」
「殿下が雑すぎるのです!」
ライオネルが額に手を当てる。セシリアは満足そうに杖を持ち直した。
張り詰めていた空気が少し和らいだが、ルークは笑えなかった。
「あの……」
3人の視線が集まる。
「僕も行く」
「駄目だ」
アルフォードは即答した。
「なんで!?」
「危ないから」
「でも僕がいないと、未来のことが分からないじゃん!」
「ここまで来たら、お前の未来の情報より現地の情報のほうが大事だ」
「でも!」
「駄目だ」
さっきまでとは違う強い声に、ルークは言葉を飲み込んだ。
アルフォードはルークの前にしゃがみ、目線を合わせる。
「お前が俺を助けたいのは分かった」
「だったら――」
「だからこそ、連れていけない」
ルークは父の顔を見つめた。
「俺はまだ、お前が本当に未来の息子なのか100パーセント信じたわけじゃない」
「さっきより下がってない?」
「いや、90パーセントくらいだ」
「ほぼ信じてるじゃん!」
「だから余計にだ」
アルフォードの表情が柔らかくなる。
「息子なら、危険な場所に連れていきたくない」
ルークは言葉に詰まった。
未来の父も同じだった。自分は平気で危ない仕事をするくせに、ルークには無茶をさせようとしない。
だからこそ、言わなければならない気がした。
「……父さん」
「ん?」
「それで失敗したんじゃないの?」
アルフォードの眉が動く。
「全部、自分でやろうとしたから」
言葉にしながら、ルーク自身も気づいた。
未来の父は、困っていても笑う。怪我をしても隠す。金がなくても「大丈夫」と言う。
助けを求めるのが、下手だった。
「父さんが7回失敗した理由は、まだ分からない。でもさ」
ルークは拳を握る。
「僕がここに来たのって、父さん1人じゃ失敗するからじゃない?」
部屋が静かになった。
ライオネルは視線を逸らし、セシリアは小さく頷く。
「……少年の意見に1理あります」
「セシリア?」
「未来から来たかどうかはともかく、殿下が1人で突っ走ると面倒が起きるのは、今でも同じでしょう」
「お前、会って10分くらいだよな?」
「10分あれば分かります」
「ひどいな……」
ライオネルも重々しく頷いた。
「私も同意します」
「お前まで!?」
「殿下は昔から、人の忠告を聞きませんので」
「俺、味方いないな!」
「いるよ!」
ルークが言う。
「だから僕も連れてって」
アルフォードはしばらくルークを見つめていた。やがて、大きく息を吐く。
「条件がある」
「何?」
「勝手に動かない」
「うん」
「危なくなったら逃げる」
「うん」
「俺が逃げろと言ったら、文句を言わず逃げる」
「分かった」
「あと、人前で父さんと呼ぶな」
「なんで?」
「周りに説明できない」
「あ」
ルークもようやく気づいた。若い王子を父と呼べば、会う人ごとに事情を聞かれてしまう。
「じゃあ何て呼ぶの?」
「殿下」
「嫌だよ」
「なぜ」
「父さんなのに」
「今の俺は父さんじゃない」
「未来では父さん」
「ややこしいな!」
結局、人前では「アルフォード様」と呼ぶことで決まった。
※※※
1時間後、4人は王城の裏門から北へ向かった。
使うのは、小さな荷馬車だ。王家の旗は掲げず、大勢の護衛も連れていない。荷台には布をかけ、遠目には物資を運ぶ商人の馬車に見えるようにしていた。
ルークは荷台に座り、揺れる景色を眺める。王城の尖塔が建物の陰に隠れたところで、小さく息を吐いた。
「……本当に来ちゃった」
「今さら後悔したか?」
向かいに座ったアルフォードが笑う。
「してない」
「そうか」
「ちょっと怖いけど」
「それでいい」
「怖がっていいの?」
「怖くない奴のほうが危ない」
アルフォードは腰の剣の柄を軽く叩いた。
「怖いから準備する。怖いから仲間を見る。怖いから逃げる判断もできる」
ルークは少し意外に思った。
「父さん、ちゃんとしたこと言うんだね」
「未来の俺はどんな評価なんだ?」
「豆を肉だと言い張る人」
「それはひどいな」
「でも事実だよ」
御者台からライオネルの声が飛んできた。
「殿下、前方に集落があります」
アルフォードが荷台から顔を出す。
街道沿いの小さな村だった。だが、村人たちは荷車に家財を積み込み、慌ただしく南へ向かおうとしている。子どもの手を引く者も、家畜を追う者もいた。
「避難か?」
ライオネルが馬車を止める。アルフォードは荷台から降り、近くにいた村人へ声をかけた。
「何があった?」
「北から魔物が来てるんだ!」
「どこで見た?」
「森の近くだ! 狼だけじゃない。ゴブリンも、猪の魔獣も、全部こっちへ逃げてきやがる!」
「人を襲ったか?」
「いや……それが」
村人は戸惑った顔で首を振った。
「俺たちを見ても、ほとんど無視して南へ走っていった」
アルフォードとセシリアが顔を見合わせる。
「やはり逃げていますね」
「ああ」
そのとき、ルークの目の前に青白い文字が浮かんだ。
「父さ……アルフォード様」
「どうした?」
ルークは浮かんだ文字を目で追う。
《第1の失敗に新たな変化が発生しました》
《北方遠征――消滅》
「消えた」
「何が?」
「父さんが失敗するはずだった遠征が、なくなった」
アルフォードが村人に聞こえないよう、声を落とす。
「じゃあ、成功か?」
「待って」
文字はまだ続いていた。
《第1の分岐点を再構成》
《失敗条件を更新します》
ルークの顔から血の気が引いた。
「……嘘」
「何て書いてある?」
《第1の失敗》
《北方5村の壊滅》
《発生まで――残り19時間》
遠征での敗北は消えた。父が王位継承権を失う未来も変わった。
その代わりに、別の失敗が現れた。
「父さん」
ルークは震える声で言った。
「僕たちが未来を変えたら……失敗の内容まで変わった」
アルフォードの目が細くなる。
「何が起きる」
「北方の村が5つ……壊滅する」
ライオネルもセシリアも、すぐには何も言わなかった。
遠く北の空で、大量の鳥が森から飛び立つ。
その直後、足元がかすかに揺れた。
ドン
少し間を置いて、また揺れる。
ドン、ドン
村人たちが荷車を止め、北を振り返った。荷を引く馬が落ち着きをなくし、前脚で地面を掻く。
セシリアが森を見つめたまま、青ざめる。
「……まさか」
「何?」
「あれは、魔物の群れが出す振動ではありません」
アルフォードが剣の柄に手を掛けた。
「じゃあ何だ」
「巨大な何かが、1体で歩いています」
ルークは息を呑んだ。
たった1体の何かから、森の魔物すべてが逃げている。
森の奥で木々が大きく揺れた。
そして、木々の頂より高い影が、ゆっくりと姿を現した。




