未来の息子、父の最初の失敗を止めに来ました
目の前にいるのは、どう見ても父だった。
ただし、若い。
いつものくたびれた上着ではなく、白地に金の刺繍が入った上等な服を着ている。腰に下げた剣も、刃こぼれだらけの安物ではない。何より、顔に生活の疲れがまるでなかった。
ルークは寝台の上で毛布を握りしめ、青年の顔をじっと見つめた。
「……やっぱり父さんだ」
「いや、だから誰なんだ、お前は」
若き日のアルフォードが眉をひそめる。
その隣では、銀色の鎧を着た騎士が、ルークから目を離さずにいた。
「殿下、お下がりください。侵入者の可能性があります」
「侵入者が俺の寝室で寝てるのは、ずいぶん大胆だな」
アルフォードが寝台を見て苦笑する。騎士は笑わず、1歩前へ出た。
「笑っている場合ではありません!」
「でも10歳くらいだぞ?」
「10歳でも刺客は刺客です!」
「そんな物騒な10歳児がいるか?」
「ここにいるかもしれないでしょう!」
騎士の手が剣の柄へ伸びた。ルークは毛布を放し、慌てて両手を上げる。
「違う! 刺客じゃない!」
「では何者だ」
「息子!」
「……誰の?」
「父さんの!」
アルフォードが無言で自分を指差した。
「俺?」
「うん」
「俺、結婚してないぞ」
「今はね!」
「今は?」
「将来する!」
騎士の視線がいっそう鋭くなった。
「殿下、この少年は、未来を知っていると主張しているようですが……」
「いやいや、そんなわけ……」
アルフォードが言いかけたところで、ルークの目の前に青白い文字が浮かび上がった。
《第1の失敗まで――残り2日と23時間47分》
「減ってる!」
「何が?」
「時間!」
「説明が足りないぞ!」
ルークは寝台から飛び降りた。大理石の床が裸足に冷たかったが、気にしている場合ではない。
「父さん、3日後に北方遠征へ行くんだよね?」
アルフォードの笑みが消えた。騎士も剣の柄に手を掛けたまま、息を呑む。
「……どこでそれを聞いた」
「聞いたんじゃない、知ってるんだ」
「北方遠征は、まだ正式発表前だ」
アルフォードの声が低くなった。
ルークの知っている父なら、ここで冗談の1つでも返してくる。けれど今、目の前にいるアルフォードは、ルークの言葉を逃すまいとするように見つめていた。
「知ってるよ。父さんは北の砦へ行く。それで魔物の群れを討伐するはずだった」
「……だった?」
「そこで失敗する」
部屋が静まり返った。
ルークは唾を飲み込み、昨夜聞いた話を思い返す。
「補給部隊が遅れる。魔物の数も予想より多い。父さんは部下を助けるために前へ出て、勝手に命令を変えたってことにされる。それで遠征の責任を取らされて、王位継承権を失う」
話し終えるころには、アルフォードの表情が険しくなっていた。騎士も、もう剣には触れていない。
「……ライオネル」
「はい」
「この話を知っている者は?」
「陛下、宰相閣下、軍務卿。それと遠征に参加する将軍数名のみです」
「こいつが聞けるような場所じゃないよな」
「当然です」
アルフォードは腕を組み、ルークを見下ろした。
「面白くなってきたな」
「面白くないよ! 父さんの人生がかかってるんだよ!」
「でも俺の人生だし」
「その態度のせいで7回失敗するんだよ!」
「7回!?」
アルフォードの腕がほどけた。さすがに、その数には驚いたらしい。
「俺、そんなにこれから失敗するのか?」
「するよ!」
「詳しく」
「今は1回目しか分からない!」
「なんでだ?」
「父さんが説明してくれなかったから!」
「未来の俺、ずいぶん秘密主義だな」
「『いろいろあった』で全部済ませた!」
「ああ。それは俺が悪い」
「認めるんだ……」
ルークは両手で頭を抱えた。
父は若くても父だった。自分の人生が危ないと聞いているのに、妙に落ち着いている。
「とにかく!」
ルークは顔を上げ、アルフォードを指差した。
「北方遠征には行かないで!」
「それは無理だ」
返事は早かった。
「なんで!?」
「俺が行かなかったら、別の誰かが行くからだ」
ルークは口を閉じた。
アルフォードは窓際へ歩き、王城の外に広がる街並みを見た。
「北方砦の周辺には村が5つある。魔物が砦を越えたら、真っ先に被害を受けるのはそこだ。王族の俺が『未来の息子に止められました』なんて理由で逃げるわけにはいかない」
「でも……」
「それに、遠征そのものが失敗するとは限らないんだろ?」
振り返ったアルフォードと目が合い、ルークははっとした。
「お前の話だと、問題は補給の遅れと魔物の数だ」
「う、うん」
「じゃあ、そこをどうにかすればいい」
「どうにかって……」
「せっかく未来から来た息子がいるんだ。使わない手はないだろ?」
「その言い方!」
アルフォードはにやりと笑い、部屋の中央にある丸机へ向かった。
「よし、作戦会議だ」
「もう信じるの?」
「半分くらいな」
「半分!?」
「残り半分は、お前が妙に俺と似てるからだ」
ルークはむっとして、自分の顔に手を当てた。
「似てないよ」
「眉毛なんか、」そっくりだぞ」
「そんなところで判断しないでよ!」
ライオネルが小さく咳払いした。
「殿下、私はまだ、この少年を信用したわけではありません」
「ああ、だからお前も一緒に考えろ」
「……私もですか」
「未来の俺が没落するらしいぞ。お前は止めなかったのか?」
「なぜ私の責任に!?」
「側近だろ?」
「それは大変理不尽です!」
ライオネルの抗議に、ルークは思わず笑いそうになった。
人を巻き込むのが異様に上手いところも、未来の父と同じだ。この騎士も、きっと昔からこんなふうに振り回されていたのだろう。
3人は丸机を囲んだ。アルフォードが地図を広げ、端を手で押さえる。
「北方遠征について、分かっていることを話す」
王都から北へ3日の場所にあるノルン砦。そのさらに北には広大な森林があり、普段から魔物が多い地域だった。
今回、斥候から報告されたのは、ゴブリンやオークを中心とした魔物の群れ。数はおよそ500。王国側の兵は800。
数字だけなら、負ける戦ではない。
「だから油断したんだ」
ルークが地図の北側を見ながら言う。
「実際はもっといた」
「どのくらいだ?」
「分からない、でも父さんは『倍以上いた』って言ってた」
「1,000か」
ライオネルが険しい顔になる。
「それが事実なら、現在の偵察報告と大きく食い違います」
「それだけじゃないよ。補給も遅れる」
「原因は?」
「そこまでは……」
ルークは唇を噛んだ。
未来では何度も聞く機会があった。それなのに、父の昔の失敗話を詳しく知ろうとしなかった。もっと聞いておけばよかったという思いが、今になって胸に刺さる。
「気にするな」
アルフォードが地図を指で押さえたまま言った。
「分からないなら調べればいい」
「でも時間が3日しかないよ」
「3日もある」
「父さん、そういうところ変わらないんだね」
「未来の俺も格好いいだろ?」
「えっ貧乏だよ」
「そこじゃない」
アルフォードの顔がわずかに引きつったところで、ライオネルが地図の1点を指差した。
「補給部隊は王都ではなく、途中のベルグ伯爵領から物資を受け取る予定です」
「ベルグ伯爵……」
アルフォードが顎に手を当てる。
「最近、軍務卿と仲が悪いって話を聞いたな」
「はい、ただし、遠征物資を意図的に遅らせるほど愚かとは思えません」
「意図的じゃないとしたら?」
ルークが口を挟むと、2人がこちらを見た。
「道が使えなくなるとか」
「道?」
「父さんが言ってた。補給が来なかった日は、朝からすごい雨だったって」
ルークは記憶を探る。
酔った父が、昔話のついでにぼやいていた。
――あの日はひどい雨だったな。
――腹は減るし、靴は濡れるし、最悪だった。
あのときは、ただの愚痴だと思っていた。
「雨で道が塞がるんじゃない?」
ライオネルが地図へ顔を寄せる。
「ベルグ領から砦へ向かう街道には川があります」
「橋は?」
「古い木橋が1本」
アルフォードが橋の印を指で叩いた。
「大雨で落ちたら?」
「補給部隊は迂回するしかありません。最低でも1日、場合によっては2日遅れます」
「それだ!」
ルークは勢いよく立ち上がった。
「たぶんそれ!」
「なら橋を補強するか、先に物資を運べばいい」
アルフォードはすぐにライオネルへ向き直る。
「ベルグ領へ使者を出せ。橋の点検を依頼する」
「理由はどうします?」
「俺が夢で橋が落ちるのを見た」
「殿下!」
「冗談だ」
「今は冗談を言わないでください」
「軍事演習の一環として、補給路の再確認を命じる。俺の名前を使っていい」
「承知しました」
ライオネルは一礼し、足早に部屋を出ていった。
ルークは肩の力を抜いた。
「これで1つ解決?」
「まだ早い」
アルフォードは地図から目を離さなかった。
「魔物の数が増える理由が残ってる」
「そうだった」
「未来の情報、ほかに何か思い出せないか?」
「うーん……」
ルークは腕を組む。父が遠征の話をしたことは何度かあった。けれど、覚えているのは、料理がまずかったとか、隊長のいびきがうるさかったとか、馬に蹴られたとか、帰り道で財布を落としたとか、そんな話ばかりだ。
「ああ、父さん、役に立つ話してない……」
「未来の俺、楽しそうだな」
「そういう問題じゃないよ」
ルークは目を閉じ、父の声を1つずつ思い出そうとした。
「あ」
「何か思い出したか?」
「父さん、昔言ってた。魔物の群れを見て、変だと思ったって」
アルフォードの目が細くなる。
「何が変だった?」
「ゴブリンとオークだけじゃなかった」
「じゃあ何がいた?」
「……狼」
「狼?」
「灰色の、大きな狼。父さんが『あいつらがいたから魔物がまとまって動いてた』って」
アルフォードが顔を上げた。
「ライオネル!」
呼び声に応じて、廊下へ出たばかりの騎士が戻ってくる。
「はい!」
「北の森に《灰牙狼》の生息記録はあるか?」
「灰牙狼ですか? いえ、あれはさらに北方の魔獣です。王国近辺へ来ることはまず……」
ライオネルの言葉が止まった。
「まさか」
「誰かが追い立てたか、何かから逃げてきた」
アルフォードは地図の北端に指を置いた。
「それで森の魔物がまとめて南下してるなら、500どころじゃ済まない」
「すぐに斥候を増やします」
「ああ。上空から確認できる風魔法使いも連れていけ」
「しかし、軍務卿の許可が必要です」
「俺が頼む」
「殿下が?」
「未来で王位継承権を失うらしいからな。今のうちに王族の権力を使っておこう」
「権力の使い方が雑です!」
ライオネルはそう言いながらも、すぐに廊下へ駆け出した。
ルークは父を見上げる。
「……すごい」
「何が?」
「父さん、ちゃんと王子だったんだ」
「おい」
「未来だと、本当にただの貧乏な父さんだから」
「それはなんか傷つくぞ」
アルフォードは胸元を押さえてみせたが、ルークには冗談を返す気になれなかった。
「でも、ちょっと安心した」
「何がだ?」
ルークは少し迷い、正直に答えた。
「父さんが失敗したのって、何も考えてなかったからじゃないんだなって」
アルフォードは目を丸くした。それからルークのそばへ来て、頭に手を置く。
「失敗したからって、何も考えてなかったことにはならないさ」
「……うん」
「まあ、7回も失敗してるらしいけど」
「自分でそんな風に言わないでよ」
ルークが父の手を軽く払うと、アルフォードが笑った。ルークもつられて笑う。
そのとき、目の前に文字が浮かび上がった。
《第1の失敗に変化が生じました》
《補給遅延の可能性――低下》
《魔物増加の原因――調査開始》
「出た」
「また何か見えたのか?」
「うん、少し未来が変わったみたい」
「よし」
アルフォードは満足そうに頷いた。
「じゃあ、この調子で俺の人生を救ってくれ」
「軽いなあ……」
けれど、ルークは少し嬉しかった。
昨日までは、何の役にも立たないと思っていた《親の七光り》。父親が平民だから、自分には何も与えてくれないスキルだと思っていた。
けれど、これは父親から何かをもらうだけの力ではないのかもしれない。
「父さん」
「ん?」
「絶対に失敗させないから」
アルフォードはルークの顔を見て、柔らかく笑った。
「頼りにしてるぞ、未来の息子」
その直後、廊下から駆け足が響いた。
扉が勢いよく開く。戻ってきたライオネルの顔からは、血の気が引いていた。
「殿下!」
「どうした?」
「北方から緊急報告です!」
ライオネルが差し出した書状を、アルフォードが受け取る。読み進めるうちに、その表情から笑みが消えた。
「……父さん?」
「ルーク」
「何?」
「未来より、少し早いみたいだ」
アルフォードは書状を机へ置いた。ルークも横からのぞき込む。
そこには、急いで書いたと分かる乱れた文字が並んでいた。
北方森林より、大規模な魔物の群れを確認。
推定数、1,200以上。
そして最後に、もう1文。
先頭に、灰色の巨大な狼型魔獣を確認。
ルークの喉が鳴った。
父が失敗するまで、まだ3日近くあるはずだった。だが、目の前の文字が再び現れる。
《第1の失敗まで 残り1日と11時間》
「……減ってる」
「何が?」
「時間が、一気に減った!」
アルフォードとルークは顔を見合わせた。
ルークは、机の上の書状をもう1度見る。さっきまで地図を囲んで冗談を言っていたのが、ずいぶん前のことのように思えた。
過去を変えた途端、別の出来事が早まった。
第1の失敗を防ぐために残された時間は、もう1日と少ししかなかった。




