絶叫マシンと消えた美少女
「たまにはパーッと羽を伸ばしに行くわよ、主!」
休日の朝、強引に腕を引かれて連れてこられたのは、巨大遊園地だった。
久々の休日を家でゴロゴロ過ごしたかった俺の都合などお構いなしに、自称・24歳美少女のコハクは大はしゃぎだ。
オーバーサイズのTシャツにショートパンツ、動きやすいスニーカー。
少しだけラフな格好をしたコハクは、子供みたいに園内を走り回っている。
「ふん、大人のレディたるもの、これくらいのテーマパークは嗜みよ。……ほら、あっちのぐるぐる回るやつに乗りましょう!」
「お前……まさかあれに乗る気か?」
俺が指さした先には、園内最大の目玉である世界トップクラスの落差を誇る超大型ジェットコースター『ギガストーム・ヴォルテックス2』がそびえ立っていた。
鉄骨が組み上げられた巨大なタワーから、垂直に近い角度で落ちていく絶叫マシンだ。
「当たり前じゃない! アタシを誰だと思ってるの? 高いところなんて猫……じゃなくて、大人のレディには朝飯前よ!」
「いや、猫は高いところ好きだけど、時速100キロで落下するのは別物だろ……」
「つべこべ言わない! ほら、行くわよ!」
プライドの高いコハクに押し切られる形で、俺たちは並び列に吸い込まれていった。
◇
「……くっ、なかなかやるじゃない」
安全バーがガチャンと下ろされ、いざシートに固定されると、コハクの口数が急激に減った。
隣を見ると、シャツの裾をぎゅっと両手で握りしめ、琥珀色の瞳からビームが出るんじゃないかという勢いで、前方のレールを見つめている。
「コハク、大丈夫か? 今ならまだ降りられるぞ」
「な、なに言ってるのよ! 恐怖で震えてるんじゃないわ、武者震いよ! アタシは可憐で無敵の美少女なのよ!」
強がりを言う声が、明らかに半音高い。
その時、カタカタカタ……と重厚な音を立てて、コースターがゆっくりと動き出した。
頂上へ向かってぐんぐん高度を上げていく。
眼下に広がる園内がどんどん小さくなり、足元がすくむような高さに達した。
「ひ……っ」
コハクの口から情けない声が漏れる。
限界まで丸くなった瞳孔、強張った肩。
完全に本能が「やばい」と警報を鳴らしている顔だ。
「コハク、大丈夫か?」
「だ、大丈夫よ! アタシは大人のレ……っ!」
強がりを言い切る前に、コースターが頂上でピタリと止まった。
一瞬の静寂。
次の瞬間——俺たちは真下に向かって猛スピードで急降下を始めた。
「「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!??!?」」
猛烈な風圧が顔を襲い、浮遊感で臓器がフワッと浮き上がる。
視界が上下左右に高速回転し、生きた心地がしない。
「にゃわあああぁぁぁぁぁぁっ! 主っ! 主ぁぁぁぁっ!」
「コハク、落ち着け! バーをしっかり掴——あっ!?」
パニックになったコハクが、安全バーを無視して狂ったように俺の胸元へ飛びついてきたのだ。
危険を感じた俺の体が、反射的に動いてしまった。
がっしりと、彼女の肩を抱き留める──。
ポンッ!
小気味よい破裂音と、一瞬の白い煙。
「え……!?」
風圧で煙が一瞬で吹き飛ばされた直後、俺の胸元にあったはずの「24歳美少女」の姿が消え去っていた。
代わりに、無人のシャツの首元から、目玉を全開にした茶トラの顔がひょっこりと飛び出してきたのだ。
「ふにゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!???」
「やばいやばいやばい!! 猫になったぁぁぁぁぁ!!!」
触れると猫に戻る体質をすっかり忘れていた!
人間用の安全バーは、いまや体重4kgの小さな茶トラ猫にはスカスカで何の役にも立たない!
このままループや急カーブに突入したら、風圧と遠心力でコハクが空へ弾け飛んでしまう!
「コハクッ! 離れるな!!」
俺は猫になったコハクを全力で胸元に引き寄せて抱きしめた。
右手でしっかりとお尻と胴体を包み込み、左手で頭を俺の胸に押し付ける。
「フシャーッ! にゃぎゃあぁぁぁぁっ!」
「絶対離さないからな! ガチで掴まってろ!」
Gが重くのしかかり、視界がぐるぐんと歪む。
風圧で俺の顔面は崩壊しそうだが、腕の中のこいつだけは死んでも離さない。
コハクは必死で爪を立て、俺の胸元に顔をうずめてガタガタと震えている。
トクトクと狂ったように速い小さな心音と、激しい風の中で伝わってくる愛おしい体温。
「ニャワワワァァッ!」
「俺のせいにするなーっ! 飛びついてきたのはお前だろーっ!」
絶叫と咆哮が交錯する中、コースターは最後のカーブを駆け抜け──ガコンッ! と鈍い音を立ててブレーキがかかった。
◇
「……はぁ……はぁ……生き……てる……」
到着ホーム。
俺はシートに深く沈み込み、天を仰いで荒い息を吐いた。
全身汗だくで、腕の筋肉が痙攣している。
胸元を見ると、俺の服にガッチリと爪を立てたまま、茶トラのコハクが「フシュー……フシュー……」と荒い息を吐いていた。
白目を向きそうなほど疲れ切っている。
「……大丈夫か、コハク」
そっと優しく頭を撫でてやると、コハクはハッと正気に戻り、ジト目で俺を睨みつけてきた。
「……ニャッ……」
「助けてやったんだから感謝しろよ……」
周りの乗客が降り始めていたので、俺は慌ててコハクを大きなシャツで包み込み、抱きかかえてアトラクションの出口へと向かった。
◇
ベンチに移動し、冷たいジュースを買って一息つく。
膝の上でシャツに包まれていたコハクは、しばらくすると『ポンッ!』と音を立てて人間の姿に戻った。
相変わらずの超絶美貌だが、茶髪は少し乱れ、その顔はゆでダコのように真っ赤だった。
「……コハク?」
「……」
「気分悪いか? トイレ行くか?」
「……うるさいわね!」
コハクはぷいっと横を向くと、膝を抱え込んで小さくなった。
「アタシは……アタシはただ……主を試してあげただけよ!」
「何をだよ」
「下僕として、絶叫マシンの中でもアタシを命がけで守れるかどうか……テストしたのよ! 合格よ、感謝しなさい!」
「……強がりすぎだろ。途中『ニャワワワァァッ』って叫んで俺の胸に顔埋めてただろ」
「そんなこと言ってないわよ! あれは『アタシの華麗な乗車姿勢を見よ』って言ったの!」
顔を真っ赤にして叫ぶ自称・美少女。
しかし、その手はまだ俺のシャツの裾をギュッと掴んだまま離そうとしない。
強がりを言いながらも、恐怖の余波と、助けられた安心感で俺のそばを離れられないのだ。
「……まあ、無事でよかったよ」
俺が呆れつつも苦笑いして言うと、コハクはハッとして視線を泳がせ、恥ずかしそうに呟いた。
「……抱っこ、上手だったわよ」
「え?」
「さっきの……ちゃんと落ちないようにぎゅってしてくれたのは、認めてあげるわ」
プライドが高くて素直になれない彼女なりの、精いっぱいの感謝の言葉だった。
「……今度は観覧車にしような」
「ふん! 観覧車なんて退屈すぎるわよ! ……でも、まあ、主がどうしても乗りたいなら付き合ってあげてもいいわよ!」
ぷんすかと怒りながら、ぎゅっと俺の袖を引っ張ってくるコハク。
テーマパークの賑やかな歓声の中、俺たちは少し赤くなったお互いの顔を見合わせるのだった。




