大人のレディは狩りを嗜む
「フッ…主はまだお子ちゃまだから分からないでしょうけど、大人のレディにはいろいろあるのよ」
ダボダボのTシャツを着こなしたコハクは、ソファーの上で脚を組み、ドヤ顔で胸を張った。
相変わらずの超絶美貌と無駄に豊かなプロポーション。
だが、発言の節々から滲み出るポンコツ感がその神々しさを台無しにしている。
「いや、おまえまだ2歳だろ」
「失礼ね! 猫の成長スピードを舐めないでちょうだい。人間で言えばもう分別のある立派なレディよ」
「その立派なレディは、さっきキャットタワーのてっぺんで足を滑らせて『にゃぎゃー!』って叫んで落ちてきたばかりだが?」
「……あれは、その、余裕を見せるためのパフォーマンスよ」
「苦しい言い訳だな。ほら、大人のレディご所望のちゅ〜るだぞ」
俺がポケットからスティック状のおやつを取り出すと、コハクの瞳が瞬時にカッと見開かれた。
「ちゅーる!? まぐろ味!? …コホン。まぁ、主がそこまで言うならいただいてあげても……」
差し出されたちゅ〜るのパッケージに吸い寄せられるように顔を近づけ、舌をチロチロと出しながら必死にペロペロと舐め始める。
目尻を下げて「んむ、んむ」と幸せそうに味わう姿は、どう見てもただの猫だ。
「結局2歳児じゃねーか」
「んぐっ……失礼ね! これは食事の好みがヤングなだけよ! 私はれっきとした、落ち着きと気品に溢れた大人のレディなんだから!」
口元をTシャツの袖で拭いながら、コハクはぷんすかと怒ってみせる。
その時だった。
プゥーン。
部屋の隅、カーテンの隙間から一匹の小さな蚊が室内に侵入し、天井の明かりを横切った。
「……ッ!?」
瞬時にコハクの全身が硬直した。
さっきまでの生意気な表情は跡形もなく消え去り、瞳孔が丸く限界まで見開かれる。
「コハク……?」
「…………!」
返事がない。
コハクの視線は空中の一点を恐ろしい精度でロックオンしている。
姿勢は徐々に低くなり、四つん這いに近い形で床に膝をついた。
お尻が高く持ち上がり、ゆらゆらと小さく左右に揺れ始める。
完全に獲物を狙うハンターの姿勢──いや、どう見ても猫の「お尻ふりふりハンティングポーズ」だ。
「おい、また猫の習性が出て……」
「しっ! 静かにしなさい主! 敵よ……あそこに邪悪な生命体が……!」
「ただの小さな虫だろ」
ブ〜ン、と蚊がコハクの頭上を通過した瞬間、彼女の体が弾けた。
「たあぁっ!!」
ドスドスドスッ! と廊下を激しい足音で爆走し、壁を蹴ってジャンプ。
そのまま空中を鋭く素手で叩くが、空振りしてそのまま床の上にダイナミックに滑り込んだ。
ズザーッッ!
「痛っ……!?」
「何やってんだお前は……」
盛大に膝を打ちつけ、髪をぐしゃぐしゃにした女性が床に転がっている。
俺があきれ果ててため息をつくと、コハクはハッと正気に戻ったように顔を跳ね上げた。
自分が今、人間の姿でどれほど間抜けな行動をとっていたかに気づいたらしい。
彼女は慌てて立ち上がると、はだけかけたTシャツの裾を整え、何事もなかったかのように咳払いをした。
「コ、コホン……! 勘違いしないでちょうだいね、主」
「何がだよ」
「今のは……そう! 今話題の『大人のためのエクササイズ』よ! 体幹を鍛え、瞬発力を養うための高度なフィットネスなんだから!」
「足音ドスドス言わせて壁蹴りするのがフィットネスか?」
「そうよ! 24歳ともなると、日頃のシェイプアップが欠かせないの! 決して……決してあの忌々しい羽虫に本能が刺激されたわけじゃないわ!」
顔を真っ赤にし、汗ばんだ額の髪をかき上げながら必死に取り繕うコハク。
しかし、その視線はチラチラとまだ天井の隅を泳いでいる。完全に未練たらたらだ。
俺はニヤリと笑うと、机の引き出しから1本のガジェットを取り出した。
猫じゃらし代わりに時々遊んでいた、プレゼン用のポインターだ。
壁に向かってカチッとスイッチを入れる。
白い壁の上に、小さな赤い光の点がポツンと現れた。
「……あ」
コハクの言葉が止まる。
赤い点が壁の上をチカチカと不規則に動き回る。
「……っ、っぐ……!」
コハクの体がプルプルと震え始めた。
「私は大人のレディ、私は大人のレディ……」
念仏のように呟いているが、目はすでに真っ赤な光に釘付けで、両手がウズウズと空を掻いている。
「ほら、コハク。エクササイズだぞ〜」
「くっ……主、私を試しているのね……!? 私はそんな子供騙しの光なんかに……ッ!」
俺がレーザーの光を床の上で素早く左右に振った。
シャカシャカシャカ!
「にゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
理性が完全に崩壊した。
コハクは超絶美人の姿のまま、床を這いつくばるように猛ダッシュし、赤い光に向かってダイビングキャッチを敢行した。
バシッ!
「捕まえたわ……! 勝った……!」
満足気な顔で床を手で押さえつけるコハク。
だが、手を見ると、光は手の甲の上に虚しく照射されているだけだ。
「……え? 掴めない……? なんで……?」
不思議そうに何度も手をパタパタさせ、実体のない光を掴もうと奮闘する美人。
その間抜けで愛くるしい姿に、俺はついに耐えきれず爆笑してしまった。
「ははは! お前、やっぱり完全に猫じゃないか!」
「〜〜〜〜っ!? 主のいじわる! もう知らないんだから!!」
バッと顔を真っ赤にしたコハクは、恥ずかしさのあまり俺の胸元に思いっきり飛び込んできた。
頭からドスンとぶつかられ、俺は床に倒れ込む。
「うわっ……!」
「笑わないでよ! アタシは、アタシは格好いいレディなの! 主の自慢の彼女……じゃなくて、同居人なの!!」
俺の胸に顔を押し付け、ジタバタと暴れるコハク。
ふわりと漂う日向のような匂いと、体に伝わる柔らかな感触。
(あ……ヤバい、近い……)
さっきまでのポンコツぶりが嘘のように、至近距離にある美貌と温もりにドクンと心臓が跳ね上がる。
大人の女を取り繕っていたはずの彼女が、今やただ恥ずかしがって俺に甘えているのだからタチが悪い。
「コハク……ちょっと離れ……」
理性が限界を迎えそうになり、慌てて彼女の肩を押し返そうと手を伸ばした──次の瞬間。
ポンッ!
軽い破裂音と白い煙。
次の瞬間、俺の胸の上に乗っていたのは、真っ赤な顔?で耳をペタリと伏せた茶トラ猫だった。
「……ふにゃんっ!!」
コハクは俺の顔を一睨みすると、プイッと横を向き、そのまま俺の首筋にすっぽりと丸まった。
「……ハァ。人間の姿でやられると、理性がもたないや」
首元に感じる温もりとトクトクという小さな鼓動に、俺は苦笑しながら力を抜いた。
「あはは、やっぱりおまえは最高のレディだよ」
そっとその背中を撫でてやると、コハクは満足そうに「ゴロゴロ……」と喉を鳴らし始めたのだった。




