脱出作戦と、気まぐれなレスキュー隊
週末の夕方。
俺とコハクは、アパートの敷地内にある古い集合トランクルームへ向かっていた。
季節外れの扇風機をしまい、代わりに暖房器具を取り出すためだ。
薄暗いトランクルームの奥で、俺が奥の棚から石油ストーブを引き出していた、その時だった。
突如として、風の悪戯か老朽化ゆえか、重厚な金属製の扉が『バタンッ!』と激しい音を立てて閉まった。
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
慌てて扉へ駆け寄り、ドアノブをガチャガチャと回す。だが、外側の自動ロック機構が錆びついて噛み込んでしまったのか、内側のレバーはビクとも動かない。
「嘘だろ……閉じ込められた!?」
「ちょっと主、開けてよ! ここ暗くて嫌なんだけど!」
スマホを取り出そうとポケットを探ったが、運悪く部屋のテーブルの上に置いたままだ。
トランクルームの金属壁は分厚く、照明もついていないため、中は非常に暗かった。
「だめだ、鍵が外から完全に引っかかってる。スマホも持ってきてない……」
「ええっ!? じゃあアタシたち、ここで干からびるの!?」
パニックになったコハクが、俺にぎゅっと抱きついてきた。
暗闇と密室、そして至近距離。
シャツ越しに柔らかい身体の感触と温もりがダイレクトに伝わってくる。
陽だまりのようないつものコハクの匂いが充満し、俺の心臓がうるさいくらいに跳ね上がった。
(……くっ!? こんな時に)
「こ、コハク……近い! 近いから!」
「だって暗くて怖いんだもん! 主、なんとかしなさいよ!」
「わかってる! わかってるから、一回落ち着こう!」
俺は必死に理性を保ちながら、暗闇に目が慣れてくるのを待った。
ふと見上げると、ドアの真上、天井近くの壁に換気用の小さな小窓があるのが目に入った。
俺や今のコハクでは到底通れないが──
「……よし、コハク。作戦がある」
「作戦?」
「お前が猫になって、あの小窓の隙間から外に出るんだ。で、管理人のオジサンか、誰か人を呼んできてくれ!」
「あ……! その手があったわね!」
暗闇の中で、コハクの目がパッと輝いた。
「よし、触るぞ。準備はいいか?」
「うん! アタシにまかせて!」
俺がコハクの華奢な肩に手を置く。
ポンッ!
一瞬の白い煙とともに、コハクは猫へと変わった。
「にゃ〜ん」
猫に戻ったコハクは、俺の肩を足場にして跳躍すると、棚板の縁と壁際の金具を器用に伝い、小窓の細い鉄格子の隙間へ「するり」と身体を滑り込ませた。
まさに「猫は液体」を体現する見事な抜け出しっぷりだ。
「よし! 成功だ! コハク、頼んだぞ! 誰か連れてきてくれ!」
「にゃにゃぁ!」
小窓の向こうから力強い鳴き声が聞こえ、コハクの気配が外へと去っていった。
俺は胸をなで下ろし、冷たい床に背中を預けた。
(よかった……これで助かる。コハクもすっかり頼もしくなったなぁ)
◇
──30分後。
「……遅いな」
トランクルームの中で、俺は膝を抱えてつぶやいた。
アパートの敷地内なのだから、誰かしら人を見つけて連れてくるのに5分もかからないはずだ。
「まさかな……」
胸に嫌な予感が走り始める。人間になるとはいえ、本能は根っからの「気まぐれな猫」なのだ。
さらに時間が経過。密室の中で一人取り残された俺は、寒さと恐怖で本格的に震え始めていた。
「コハクがいない。それだけなのに、ホント心細いな」
◇
その頃、トランクルームの外。
小窓から外へ飛び降りたコハクは、風にカサカサと舞う落ち葉に思わず前足で飛びつきそうになる。
(はっ、ダメダメ! 遊んでる場合じゃない、早く主を助けないと!)
猛ダッシュでアパートの敷地内にある管理人室へと向かっていた。
管理人室の前に到着したコハク。
しかし、目の前に立ちはだかったのは固く閉ざされたドアだった。
ドアノブは高い位置にあり、猫の小さな体では届くはずもない。
ここで自力で人間に戻り、ドアノブを回して管理人に知らせれば良いだけの話なのだが──こういう肝心な時に限って、まったく変身しない。
(人間に戻らなきゃ!)
コハクは念じる。
(戻れ!)
「……」
(戻れーーー!)
「……ニャ」
(こういう時だけ、なんで人間になれないのよーーー!)
「ニャオーンン!」
ドアをカリカリと引っ掻くが、中にいる管理人のオジサンには届かない。
(ダメだ、開かない! ……こうなったら、これしかないわ!)
焦ったコハクは路地裏へ駆け込み、甲高い鳴き声を響かせて『緊急猫集会』を招集した。
ぞろぞろと集まってくる近所の地域猫たち。
オジジを筆頭に、クロやグーなど、いつもの面々が集結した。
「ニャオン、ニャオン!(主が閉じ込められたの! 助ける手段を考えて!)」
コハクの訴えに対し、集まった猫たちによる議論が始まった。
「ニャ〜(ドアの下を掘ればいいんじゃないか?)」
「フシャー(それは無理だろ)」
「ニャ(昼寝の邪魔をするな)」
「ミャ〜(猫缶を置けば人間が出てくるかもしれない)」
「ウニャァ(猫缶は昨日アンタが食べちゃったでしょ!)」
当然だが、猫たちの議論がまとまるはずもない。
思い思いに勝手なことを言い出し、収拾がつかなくなってきた。
(あ〜もう! 全然話がまとまらないじゃない!)
焦るコハクが頭を抱えていると、遠くを探索していた三毛が息を切らせて戻ってきた。
「ニャオ! ニャオ!(コハク、あっちの通りでアーサーを見かけたわよ!)」
「ニャニャニャ!?(アーサー!?)」
それだ!!
この解決策のない事態を突破するには、それしかない!!
「ニャッ!(みんなも来て!)」
猫たちは事情を理解したわけでもないのに、なぜか一斉に後を追い始めた。
猫たちは三毛の案内で、大通りへと猛ダッシュした。
見れば、角の喫茶店から仕立ての良い高級スーツを着たアーサーが優雅に出てくるところだった。
「ニャァニャーーッ(アーサーーーッ)!!」
コハクはアーサーの足元へスライディングするように滑り込むと、高級スラックスの裾を爪でバリバリと引っ張り、「ニャアアアアン!(主が閉じ込められたの! 来て!)」と必死に叫んだ。
「む……? コハクか。なんだ、私の高級スーツを研ぎ澄まされた爪の実験台にする気か?」
「ニャ!ニャニャニャーーーッ!(違う! ついてきなさいってば!)」
コハクの鬼気迫る様子に、アーサーもタダゴトではないと察した。
「やれやれ」と溜め息をつきつつも、コハクの後を追って走り出した。
◇
トランクルームの前に到着したアーサー。
「ほう、ここに下僕君が閉じ込められているのだな」
アーサーはひとまず管理人室へ向かい事情を説明したが、管理人のマスターキーをもってしても扉はビクともしなかった。
慌てて専門業者へ電話をかけるも、運悪く本日は定休日で繋がらない。
「このまま下僕君を見捨てれば、コハクは私のものになるのだが……」
アーサーは不敵に笑うと、胸ポケットからスマートフォンを優雅に取り出した。
「だが、それでは私の紳士としての名が廃る。ここは大人の余裕というものを見せつけることにしよう」
『──どうされました、アーサー様。何かあったのですか』
「トランクルームの鍵が故障し、知人が閉じ込められている。至急、我が家の作業員を現地へよこし給え」
『かしこまりました。ただちに手配いたします』
アーサーらしい……アーサーにしかできない対応。
それからわずか数分後、アーサーの使用人が手配した作業員が、颯爽と駆けつけてきた──
◇
「もしかして俺、忘れられたのか……?」
暗闇の中で絶望を感じ始め、限界を迎えていた俺の耳に、微かに猫の鳴き声が聞こえた。
俺は、開かない扉を内側から叩いた。
「俺はここだぁ。誰か開けてくれー」
微かな希望にすがりながら、俺は叫ぶのだった。
そして、ようやく『ガチャリ!』という重厚な解除音が響いた。
ギギギ……と重い扉が開く。
「大丈夫ですか!?」
「……助かっ……た……」
眩しい夕日の光とともに外へ這い出した俺はぐるりと周囲を見渡し──そして固まった。
そこには、想像をはるかに超える大騒ぎが待っていた。
ドアの前に立つ作業員と、腕を組んで佇むスーツ姿のアーサー。
そして──その周りには、オジジをはじめとする地域猫たちが20匹近く「ぞろぞろ」と集まり、野次馬みたいになっている。
「ニャ〜〜〜ン!」
「ミャ〜〜〜オ!」
俺が無事に生還したのを見ると、猫たちが一斉に「良かったニャー!」と言わんばかりに嬉しく鳴き声をあげている。
そのなかで一匹の茶トラが俺の足元に体をすり寄せてきた。
「な、なんだこの状況……!?」
俺が目を白黒させていると、アーサーが優雅に歩み寄ってきた。
「この猫たちはだな、コハクが君を救うために、20匹ほど招集した近所の猫だ」
「……20匹?」
「うむ」
「なんで?」
「私にも分からん」
「……」
「ただ、猫たちは非常に真剣だった」
「何をしていたんだ?」
「『ドアの下を掘る』『魚を持ってくる』など議論していたとコハクは言っていたな」
「……」
「非常に有意義な会議だったみたいじゃないか」
「絶対に有意義じゃないだろ」
俺は思わずツッコミを入れたが、それでも自分を助けるためにコハクや猫たちが一生懸命動いてくれたのだと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「とにかく……みんな、ありがとうな!」
◇
数日後。
我が家のアパートの前には、見たこともない高級そうな猫用フードが山のように並んでいた。
「……これ、なんだ?」
「アーサーに聞いたら、『救助隊への報酬だ』って」
「何袋あるんだよ」
「20袋みたいよ」
「20匹だから一匹一袋!? って、多すぎるだろ!」
その日の午後、高級カリカリの山を囲んで、オジジや三毛たちが実に満足そうに頬張っている。
「主、みんな美味しそうに食べているわね!」
「命の恩人……いや、恩猫たちだしな。感謝してもしきれないな」
「そうよ。アタシがみんなを集めたんだから」
「そうだな」
「アタシがいなかったら、主は今頃──」
「……ところでコハク」
「なに?」
「お前、最初に外へ出たあと、管理人さんのところへ行く途中、しばらく落ち葉で遊んでたらしいな」
「……誰から聞いたの?」
「アーサー」
「アーサァァァ!」
コハクは顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ
「そういうことは、言わなくていいのよーーー!!」
『事実を伝えただけだよ』というアーサーの声が聞こえたような気がした。
俺は思わず吹き出してしまった。
「でもまあ……落ち葉で遊んでた分を差し引いても、ちゃんと助けに来てくれたんだよな」
「当然でしょ!」
コハクは胸を張った。
我が家のレスキュー隊は、どこか頼りなくて──
それでも、困ったときにはちゃんと助けてくれる。
……まあ、途中で道草食ったりするけれど。
それでいい。
どうやら今日も、我が家は平和らしい。




