プライドの逆襲と、無駄に高級な砂掛け
2時間の耐久拷問を終え、ようやくバッテリーが切れた『Cat-Trap Mk-Zero』。
光の円が消えた瞬間、プライドの崩壊に悶絶していたコハクだったが、翌日にはすっかり元気を取り戻していた。
「あいつ……! アタシに恥をかかせてタダで済むと思わないことね!」
コハクはリビングのテーブルをバンバンと叩きながら怒りを露わにしていた。
「まあ落ち着けって。お互い様だったろ、最後は二人ともカレー口に運んでもらってたんだから」
「一緒にするんじゃないわよ! アタシは被害者! アーサーは加害者! これは猫社会の仁義にかかわる問題なの!」
そこへ、タイミングが良いのか悪いのか、ドアが静かに開き、アーサーが優雅に姿を現した。
昨日あれだけ体育座りで悶絶していたというのに、今日の彼は何事もなかったかのように完璧なスーツを纏い、片手には小さく美しい木箱を抱えている。
「ふむ、相変わらず騒々しい下僕君だな」
「アーサー!! 昨日のは絶対に許さないんだから!!」
「フッ……相変わらず感情の起伏が激しいやつだ。まあ良い。昨日は試作機の予期せぬ不具合で少々見苦しい姿を晒してしまった。そのお詫びと言ってはなんだが、手土産を持ってきてやったぞ」
アーサーは木箱のフタをパカリと開けた。
中には、金箔が眩しく光り輝く、一見すると最高級パティスリーのトリュフチョコのような『極上キャビアとマグロカマの贅沢猫用ペースト』が並んでいた。
「我が家の専属シェフに作らせた特別品だ。とはいっても一箱で数万円しかしないのだが。これでも食べて、私と仲直りしてくれ給え」
「うぐっ……! な、何よこれ……めちゃくちゃ良い匂いじゃない……!」
コハクの鼻がひくひくと蠢く。
目に見えて心が揺らいでいるのが分かった。
元野良猫のコハクにとって、このレベルのご馳走は生唾もののはずだ。
これ人間が食べても絶対美味いだろ……
アーサーは満足げに片眉を上げ、フッ……と勝利の笑みを浮かべた。
高級おやつでコハクの胃袋を掴み、昨日の屈辱を上書きしようという腹づもりだ。
コハクはゴクリと唾を飲み込み、一歩、おやつの方へ近づいた。
(あ、これ食いつくな……)
俺がそう確信した、次の瞬間だった。
コハクの足がピタリと止まった。
アーサーのあのドヤ顔──「どうだ、美味いだろう。大人しく従え」と言わんばかりの、見下すような余裕の笑みが、コハクの『猫のプライド』に火をつけたのだ。
「……ふんっ」
コハクはフイッと顔を背けた。
「……コハク?」
コハクは無言のまま、おやつの入った木箱の前に立った。
そして、右手をゆっくりと伸ばし、指先が箱に触れる、まさにその瞬間──
シャッ、シャッ、シャッ。
エアで、砂を掛ける動作を始めた。
「……なっ!?」
アーサーの顔から笑みが消えた。
コハクは真顔のまま、今度は左手で見えない砂をシャッ、シャッ、シャッとおやつに向かって丹念に掻き集め、被せる真似を繰り返す。
「これ……砂被せてる……!?」
俺のツッコミに、コハクは冷ややかな視線をアーサーへ向けながら答えた。
「こんなもの、アタシの口には合わないわね。臭くてたまらないわ。……うーん、しっかり埋めておかないと」
シャッ! シャッ! シャッ!
「き、君……! これは一箱で下僕君の一ヶ月分の食費に相当する、最高峰のディッシュなのだぞ!? それを……砂を被せるだと……!?」
あの冷静沈着なアーサーが、言葉に詰まり、口をパクパクさせた。
完璧なスーツの胸元が、僅かに乱れている。
俺はピンときた。
これは、猫にとって「ご飯に砂を被せる真似」は最大の侮辱なのである。
つまり『こんなもの食えるか、ゴミ箱行きだ』というコハクの意思表示なのである。
「アーサーの持って来たものなんて、(ピーーー)と同じよ! 埋めてやるわ!」
「……貴様、今なんと言った。もう一度言ってみなさい」
「シャッ! シャッ!」
「言葉ではなく砂で返すな!!」
コハクは完全にエア砂掛けを完了させると、満足そうにパンパンと手を払い、アーサーに向かって「ベーッ!」と舌を出した。
「ざまあみなさい! アタシのプライドは高級おやつなんかじゃ買えないのよ!」
「くっ……! なんという野蛮な……! 猫の恩を仇で返すとはこのことか……!」
プルプルと震えるアーサー。
だが、コハクの完璧な「砂掛けの嫌がらせ」によって、昨日のハイテク装置の敗北は見事にリベンジされたのだった。
「くっ……! 今回は私の敗北だ。だが、覚えておきたまえ、コハク!」
アーサーはビシッとコハクを指差した。
「次こそは、君を虜にするものを持ってきてやる!!」
「何度来ても同じよ!」
「フッ……その強がりがいつまで続くか、楽しみにしていたまえ!」
そう言い残すと、アーサーは颯爽と帰っていった。
部屋に残されたコハクは、木箱の高級おやつを5秒ほど無言で見つめ、
「……ねえ、主」
「ん?」
「アーサーも帰ったし、さっき埋めたやつ……食べていい?」
「は?」
コハクはそんな俺を無視して、木箱の前でちょこんと座った。
「……主、スプーン持ってきて」
「台無しだよ!!!」
「何言ってるの。猫が埋めるのは『あとで食べる用』って意味もあるのよ。常識でしょ」
「最初からそのつもりだったのかよ!」
プライドは守ったものの、結局食い気には勝てないコハクなのであった。




