対猫用ハイテク光学トラップと、プライドの敗北
「下僕君、ついに完成したぞ」
休日の昼下がり。
我が家の狭いリビングに、相変わらず仕立ての良い高級スーツを着たアーサーが降臨していた。
その手には、手のひらサイズの怪しげな漆黒のデバイスが握られている。
「何だよそれ。新しいスマホか?」
「フッ、甘いな。これは我が家の最先端技術を結集して開発した『対猫行動制御プロトタイプ──Cat-Trap Mk-Zero』だ。セレブな猫の私だからこそ作れた傑作なのだよ」
「は?」
俺が首をかしげていると、ソファでだらしなく寝転がっていたコハクが、片目をうっすらと開けてハッと鼻で笑った。
「なによアーサー。また変な玩具作ってきたの? アタシは大人のレディなのよ? そんな怪しい機械でアタシをどうにかできると思ったら大間違い──」
「まあ見給え」
アーサーがデバイスのボタンをポチッと押した。
シュンッ。
先端のレンズから鮮やかな青い光線が照射され、リビングのフローリングの真ん中に、直径1メートルほどの綺麗な光の円が浮かび上がった。
「……何よ、これ」
コハクが体を起こし、怪訝そうな顔で光の円を見つめる。
「ただの光の枠じゃないのか?」
「そうね。こんな光の輪っかにアタシが釣られるわけ……」
コハクはそう呟きながら、吸い寄せられるように一歩近づいた。
「…………」
さらに、もう一歩。
「……ちょっとだけ確認するわ」
スポッ。
何のためらいもなく、コハクは光の円の真ん中に足を踏み入れた。
そして、ごく自然な動作で膝を折り、床にちょこんと体育座りをした。
「座った」
「違う。これは私の意思よ」
「……」
コハクはツンと澄ました顔をしながら、手ぐしで自分の髪をスッ、スッとお手入れし始めた。
完全に猫が前足で毛づくろいをしている動きだ。
「毛づくろいもしてる」
「違うって言ってるでしょ! 髪を整えてるだけよ!」
「コハク、お前……今、自分が何してるか分かってる?」
「分かってるわよ!」
「じゃあ、なんで体育座りしてるんだ?」
「…………」
コハクは自分の腕を見つめ、苦痛に満ちた表情で呟いた。
「……本当は、香箱座りがしたいのよ。でもこの身体だと体育座りになるの。そしてこれは……不可抗力よ!」
自分の意思だと言い張りながら、完璧に猫の本能に屈している。
この装置、束縛する力なんて一切ない。ただ「枠があると入りたくなる」という猫の習性を極限まで刺激しているだけなのだ。
「フフフ、見事な効き目だな」
アーサーが不敵に笑い、リモコンのジョイスティックを倒した。
スーーーッ。
床に描かれた光の円が、ゆっくりとキッチンの方へ移動を始める。
するとコハクも、
ズズズズ……。
「ちょっと! 止めなさいよ!」
お尻を床につけたまま、ズルズルと円と一緒に移動していく。
「嫌なら円から出ればいいんじゃないのか」
「それができないのよ!」
「なんで?」
「猫だからよ!」
開き直った叫び声がリビングに響き渡った。
コハクは必死に円の外へ脱出しようと足を伸ばそうとするのだが、境界線に触れた瞬間、「くっ……!」と足が引き戻されてしまう。
脳内の猫の本能が「枠の外に出る」という選択肢を全力で拒絶しているのだ。
「くそっ……! 罠だと分かっているのに……! 猫の本能が……! この円から出るという選択肢だけが、どうしても選べない……!」
敗北感に満ちたコハクの表情がたまらない。
「アーサー、お前……恐ろしいものを開発したな」
「ククク、これで気まぐれなコハクをいつでも足止めできるというわけだ」
アーサーが得意げに胸を張り、勝利を確信したその時だった。
「このっ……! そのリモコンを渡しなさい!」
怒りが頂点に達したコハクが、ついに本能のバリアを力技で突破し、猛然とアーサーに向かって飛びかかった!
「おや」
アーサーは冷静にサッとリモコンを操作し、自分の足元へ光の円を投射した。
「しまった!」
空中へ跳び上がっていたコハクは、直下に現れた光の円を目撃し、絶望の表情を浮かべた。
ピョン。
スポッ。
「…………」
アーサーの足元に綺麗に着地し、再びスポッと体育座りを決めるコハク。
「罠だと分かっていたのでは?」
「分かってたわよ!」
「では、なぜ入ったのだ?」
「体が勝手に!!」
「フッ、単純なやつめ」
アーサーが鼻で笑い、勝利の余韻に浸った──その一瞬の隙だった。
コハクの手が素早く伸び、アーサーの手元からリモコンを奪い取ったのだ!
「甘いわね! この距離なら円の中でも手を伸ばせば届くのよ」
「何……!?」
「じゃあアーサーもこれ食らいなさい!」
コハクが狂喜の笑顔でボタンを乱打すると、別の光の円がシュンッとアーサーの足元に照射された。
「……」
アーサーの表情が虚無へと変化する。
スポッ。
アーサーは優雅にスーツの裾を整えると、スッとその場に体育座りをした。
「……」
「アーサー……?」
俺が声をかけると、アーサーは無表情のまま、手ぐしで自分の完璧にセットされた髪をサラリとお手入れし始めた。
「お前もかよ!」
思わずツッコミを入れた俺に、アーサーは至極真面目な顔で答えた。
「……猫の習性を利用した装置なのだから、私が引っかかるのも、また当然だろう」
「なんで開発者が引っかかってんのよ! 自爆じゃない!」
コハクが爆笑しながら指をさす。
しかし、自分も円から出られないため、二人並んで床に体育座りをするという、狂気の光景が完成してしまった。
「おい、二人とも遊んでないでそろそろ解けよ。夕飯の準備ができないだろ」
俺が呆れ果てて言うと、二人は顔を見合わせた。
「アーサー、停止させてよ」
「……下僕君。リモコンをこちらへ渡してくれたまえ」
俺はコハクの手からリモコンを受け取り、アーサーに手渡した。
アーサーはリモコンのボタンを色々といじり始めたが……一向に光が消えない。
「……アーサー?」
「ふっ、試作機ゆえ、停止プログラムを組み込むのを失念していたようだ」
「お前が作ったんだろ!」
「バカなの!?」
コハクが叫んだ。
結局、我が家のリビングには、光の円の中で絶望的な表情で体育座りをし、時折思い出したように髪を手入れする二人の「猫」が取り残されることになった。
「……で、これ電池切れるまで消えないのか?」
「我が家の最新バッテリーだ。およそ二時間は稼働する」
「二時間!?」
コハクの悲鳴がリビングにこだました。
夕飯のカレーを器に盛りつけ、二人の光の円の前に置いてやると、二人は人間の姿のまま、顔をカレーに近づけようとするが、流石に届かない。
「手でスプーン使えよ!」
「使えるわよ! でもカレーが円の外にあるのよ!」
「器を円の中に入れればいいだろ」
そう言って、俺が器を円の中に置いた瞬間、二人とも器を手でちょいちょい押し出した。
「……円の中に異物を入れるのは、猫的に許せないのだよ」
「……お前らなぁ」
どこか頼りなくて、でも絶対にプライドだけは捨てない猫たち。
俺は溜め息をつきながら、二人の口元へスプーンでカレーを運んでやるのだった。
「次のMk-Oneでは停止ボタンを付けてくる」
「作らんでいい!」
別の日、俺がガムテープで床に円を作ってみたら、二人とも同じように吸い込まれた。
「……ハイテク、要らなかったな」




