高級ディナーと、世界一のちゅ〜る
土曜日の夕方。
俺のスマホに、アーサーから一本の電話が入った。
『やあ、下僕君。実に忌々しいのだが、君たちにプレゼントがある』
開口一番、ため息混じりの声だった。
事情を聞いてみると、アーサーの飼い主が超高級フレンチレストランのディナーコースを予約してくれていたそうなのだが、急な出張と仕事が入ってしまい、どうしても行けなくなってしまったらしい。
『直前キャンセルなど、上級猫としてのプライドが許さん。……というわけで、キャンセル料を払うくらいなら君たちに譲ってやる。代わりに行って美味なものでも食して来るがいい』
「え、でもそんな高級店、俺たちの格好じゃ……」
『余計な心配だ。送迎車とドレスの手配は完了している。今夜19時、アパートの前で待つように』
一方的に電話は切れた。
そして約束の19時。
アパートの前に現れたのは、黒塗りのピカピカな高級リムジンだった。
「お着替えです」といってお付きの人が脱衣所にコハクを連れていく。
出てきたコハクの姿を見て、俺は思わず息をのんだ。
「……コハク、お前それ……」
「へへん、すごいでしょ!」
普段からは想像もつかない、ミッドナイトブルーの艶やかなイブニングドレス。
アーサーが手配してくれた特注品らしく、ジャカード織りの美しい生地が、コハクの美しい髪や瞳の色に完璧にマッチして、とても華やかだ。
「似合ってるよ。すごく綺麗だ」
「な、なに言ってるのよ……っ!」
褒められたコハクは一瞬で顔を真っ赤にし、ドレスの裾をギュッと握りしめながらそっぽを向いた。
◇
リムジンに揺られること三十分。
到着したのは、超高層ビルの最上階に位置する、夜景が一望できる超高級フレンチレストランだった。
バイオリンの生演奏が心地よく響き、ドレスアップした紳士淑女たちが静かにグラスを傾けている。
場違い感に緊張でガチガチになる俺に対し、コハクはどこか物珍しそうに店内を見回していた。
案内されたのは、店一番の窓際席。
恭しい手つきで給仕係が、前菜を運んできた。
白磁の美しい皿の上に芸術的に盛り付けられたのは、『キャビアとオマール海老のジュレ、特製コンソメ仕立て』。
「ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
給仕係が静かに去っていくと、俺はふうっと息を吐いた。
「すごいな……これ、一口で数千円しそうだぞ……」
「ふーん……」
コハクはフォークとスプーンを握り、皿の上の料理を凝視した。
そして、鼻をクンクンと近づけて匂いを嗅ぐ。
「主」
「ん? なんだ?」
「……ちゅ〜るは?」
「……はい?」
あまりにも想定外の単語に、俺は耳を疑った。
「ちゅ〜るは? ここ、一番高そうなご飯屋さんなんでしょ? なんでちゅ〜るが出てこないの?」
「いやいやいや! ここはフレンチレストランだぞ!? ちゅ〜るなんてあるわけないだろ!」
「えぇーっ! 意味分かんない! 最高級の場所なら、最高級のちゅ〜るが出てくるのが普通じゃないの!?」
コハクは不満そうに口を尖らせ、フォークを置いてテーブルに肘をついた。
「アタシ、このちっちゃいエビのゼリーみたいなのより、いつものまぐろ味のちゅ〜るがいい!」
「わがまま言うな! これ、アーサーがせっかく譲ってくれたすげえ高級な料理なんだぞ! 一口食べてみろって、絶対おいしいから!」
「やだ! ちゅ〜るがいいの!」
周りの客の目が気になり、俺は焦って声を潜めた。
だが、コハクはドレスを着た美女の姿のまま、完全に子供のように駄々をこね始めている。
「だいたいね! 主に食べさせてもらうのが一番おいしいのよ!」
「へ?」
コハクは顔をほんのり赤くしながら、ぷいっと横を向いて呟いた。
「……家で、主が端っこをぎゅーって絞りながら、アタシのお口に『はい、コハク〜』って食べさせてくれるあのちゅ〜るが一番おいしいの。こんな冷たいお皿に載ったエビなんて、美味しそうでもなんでもない……!」
「……っ」
……なんか、とんでもないことを言われている気がする。
今度は俺の顔が熱くなった。
イブニングドレスを着た最高に綺麗な女性が、高級レストランの真ん中で「主の手から食べさせてもらうちゅ〜るがいい」と駄々をこねているのだ。
──破壊力がすごすぎる。
「……わかった。わかったから」
俺は深呼吸をして心を落ち着かせると、フォークで小さくすくったオマール海老のジュレを、コハクの口元へとそっと差し出した。
「はい、コハク。あーん」
コハクは目を丸くした。
「……え」
「ここじゃ流石にちゅ〜るは出せないからさ。これで我慢してくれ。……ほら、あーん」
俺が恥ずかしさを押し殺して微笑むと、コハクは耳まで真っ赤にして、モジモジと身体をくねらせた。
そして、上目遣いに俺を見つめながら、そっと小さな口を開けた。
「……あ、あーん……」
パクッ。
ジュレがコハクの口に吸い込まれる。
次の瞬間、コハクの琥珀色の瞳がキラキラと輝き出した。
「……っ! おいしい……!!」
「だろ? 高級フレンチだからな」
「ううん、ちがう! 主があーんで食べさせてくれたからおいしいの!」
コハクは嬉しさを隠しきれないご機嫌な笑顔になり、自分の胸元に両手を当てて身を乗り出してきた。
「ねえ主、次も、次のも……あーんしてくれる? 全部あーんして食べさせて!」
「はいはい、わかったから少し落ち着けって……」
羨望と微笑ましさが混ざったような周りの視線に耐えながら、俺はその後のメインディッシュの肉料理も、デザートのムースも、すべてコハクの口へと運んでやるハメになったのだった。
◇
帰り道のリムジンの中。
お腹いっぱいになったコハクは、俺の肩に頭を預け、すやすやと心地よさそうに寝息を立てていた。
「……主……ふにゃ……やっぱり家で食べるちゅ〜るが……一番だニャ……」
寝言でそんなことを呟くコハクを見つめた。
「そうだな。帰ったら、とっておきの高級ちゅ〜る、あーんで食べさせてやるよ」
月明かりに照らされるコハクの横顔は、ドレスを着ていても、やっぱりいつもの俺の愛おしい猫のままだった。
後日、アーサーから「ちゅ〜るがないといって全品あーんしてもらった──とはどういう了見だね?」とネチネチとした電話がかかってきたのであった。




