社畜の病欠と過保護な看護猫
「う……頭が痛い……」
アラームの音で目を覚ました瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
全身を襲う鉛のような重さと、灼熱の倦怠感。
限界まで残業を重ねていた体に、とうとう限界が訪れたらしい。
体温計を脇に挟むと、表示された数値はピピピッと電子音を鳴らして『38.8℃』を示していた。
会社に欠勤の連絡を入れ、俺は力なく布団へ倒れ込んだ。
「……主? なに朝から情けない顔して倒れてるのよ。早くカリカリ出しなさい」
パジャマ姿のまま起きてきたコハクが、リビングのドアを開けて俺を見下ろす。
いつものようにドヤ顔で言い放つ彼女だったが、俺が応答せずに苦しそうに呼吸をしていることに気づくと、一瞬で琥珀色の瞳を見開いた。
「……主? ちょっと、どうしたの!?」
慌てて駆け寄ってきたコハクが、俺の首元に手を触れる。
「あつっ!? なになに、火事!? 主の体が燃えてるわ!」
「火事じゃない……風邪引いて、熱があるんだ……」
「かぜ……? 風邪ってあの、人間が弱って倒れるやつ!?」
パニックを起こしたコハクは、部屋の中を右往左往し始めた。
しかし、ふと立ち止まると、両手で自分の頬をポンと叩いて胸を張った。
「落ち着きなさい、アタシ! アタシは24歳の大人のレディよ! 主のピンチくらい、華麗に救ってみせるわよ!」
そう宣言すると、彼女は意気揚々とキッチンへ向かっていった。
◇
数分後。
コハクが戻ってきた。
「主! これをつけなさい! 昔から伝わる万能の薬よ!」
そう言って差し出されたのは、長ネギだった。
しかも彼女の自作らしく、なぜか頭に鉢巻のようにネギが固く巻き付けられている。
「……何で頭にネギ巻いてるんだよ」
「何言ってるの! ネギは首に巻いて風邪を治すものでしょうが!」
「首に巻くのは喉の風邪だ……それに、お前自身が巻いてどうするんだ……」
「ちがうわよ! 主の頭に巻くのにサイズが分からないから、とりあえずアタシが試着してみたのよ!」
ズレにズレまくった看病である。
「次はこれよ! おでこを冷やすやつ!」
コハクは冷えピタの袋を破り、自信満々に自分の額にペタリと貼り付けた。
「……お前が貼ってどうするんだ」
「な、なに言ってるの! アタシが冷えることで、主の熱を吸い取る作戦よ!」
「そんな科学無視した熱移動あるわけないだろ……」
「うるさいわね! 大人のレディの看病に文句を言わないで!」
冷えピタを貼ったまま、汗だくで室内を走り回るコハク。
水分補給と言って持ってきたコップの水は半分こぼれているし、濡れタオルは絞りすぎてカピカピだった。
ポンコツすぎる看病に、俺は苦笑いしながら目を閉じる。
(駄目だ……熱で頭がクラクラするのに、おかしくて休まらない……)
◇
「……うぅ……どうしよう……」
手詰まりになったコハクの声が聞こえた。
おでこに冷えピタを貼り、頭にネギを巻きつけた姿のまま、彼女は俺の布団の脇でポロポロと涙をこぼし始めていた。
「何をやっても、主の熱が下がらない……アタシ、なんにもできない……」
「……コハク」
「主……っ」
「泣くなよ……そばにいてくれるだけで、十分嬉しいから……」
「……決めたわ」
「え?」
「アタシが一番効く方法で、主を治してあげる。だから手を貸して」
俺が力なく手を伸ばすと、コハクは覚悟を決めたような顔で俺を見つめる。
そして、俺の手を両手でぎゅっと握りしめた。
ポンッ。
軽い音とともに一瞬の白い煙。
次の瞬間、俺の布団の上に、一匹の茶トラ猫が飛び乗った。
コハクは俺の胸の上で、前足を折りたたんで丸くなった。
「……コハク?」
『重くても我慢しなさい』と言いたげな顔で俺を見上げると、コハクは喉を深く鳴らし始めた。
「ゴロゴロゴロ……ゴロゴロゴロ……」
低く温かい、心地よい振動が胸から全身へと伝わっていく。
コハクは、全力で俺に癒やしの音を届けてくれているのだ。
それに効能があるかどうかなんて、今の俺にはどうでもよかった。
それは、コハクを拾ってから何度も聞いてきた音だった。
仕事で疲れた夜も。
一人で寂しい夜も。
眠れない夜も。
コハクは、いつもこうして俺のそばにいた。
それだけで、不思議と少しだけ楽になった。
「……ありがとうな」
「……ニャ」
コハクは俺のアゴの下に頭を擦り付け、離れようとしない。
胸の上に乗る愛猫の温もりと、規則的な振動。体全体がじんわりと包み込まれていくような安心感に、俺の瞼は急速に重くなっていった。
猫なのに泣きそうな顔で添い寝してくれる、健気で愛おしい俺の猫。
俺は彼女の背中を優しく撫でながら、ゆっくりと深い眠りへと落ちていった。
◇
翌朝。
すっきりと下がった熱と、軽くなった体で目を覚ました。
胸の上を見ると、まだ猫の姿のコハクが、安心しきった顔で「すやすや」と小さな寝息を立てている。
「……助かったよ、名看護師さん」
そっと頭を撫でてやると、コハクは夢の中で嬉しそうに「ゴロ……」と喉を鳴らしたのだった。




