24歳の美少女?
「……美少女ねえ」
俺は床にへたり込んだまま、額を押さえて深いため息をついた。
目の前の美人は、オーバーサイズTシャツ一枚という無防備極まりない格好で、ベッドの上にあぐらをかいている。
裾から伸びるすらりとした白い生足と、前のめりになるたびにゆるい首元から見えそうになる胸元。
視線のやり場に困るどころの騒ぎではない。
「なによ、その疑うような目は。どこからどう見ても、非の打ち所がないピチピチの美少女でしょうが」
「ピチピチって語彙がすでに怪しいんだよ。……そもそも、お前いくつだよ」
「ふっ、愚問ね」
彼女は得意げに細い顎をしゃくり、人差し指と中指を立ててみせた。
「2歳よ」
「2歳でその発育はホラーだろ」
「違うわよ、猫で言えばよ! 私は可憐な美少女なの! 人間換算なら、ええと……そう、24歳よ! 正真正銘、花も恥じらう24歳の美少女!」
「……ちょっと待て」
俺はスマホを取り出し、検索窓に『猫 年齢 人間 換算』と打ち込んだ。
画面に表示された早見表をスクロールする。
生後一年で人間の17歳程度。
そして、成猫となる2歳は──。
「……24歳」
「ほら見たことかしら! 私の言った通りじゃない!」
「いや待て。24歳って、もう世間一般じゃ『美少女』じゃなくて立派な『大人の女性』だぞ。なんならアラサーの入り口だ」
「な、なんですって……!? アラ、なに!?」
「アラサー。アラウンドサーティー。もうすぐ三十路」
「み、三十路……!? ふ、ふざけないで! 私は可憐で儚げな美少女よ! 取り消しなさい、主!」
顔を真っ赤にしてベッドの上でじたばた暴れる彼女。
その反動でTシャツの裾がさらにめくれ上がりそうになり、俺は慌てて目を逸らした。
「わーっ、暴れるな! 見えそうで見えないのが一番毒なんだよ! ていうか、お前……名前は」
「名前? そんなの、主が毎日呼んでるじゃない」
「……コハク」
「そうよ。コハク様とお呼びなさい」
コハクはふんす、と鼻を鳴らすと、ベッドから音もなくしなやかに飛び降りた。
着地の瞬間、まるで重力を感じさせない身のこなしは完全に猫のそれだ。
そのまま俺の元へすり寄ってくると、すんすんと鼻を鳴らして俺のパジャマの匂いを嗅ぎ始めた。
「ん……やっぱり主の匂い、落ち着くわね……」
「ちょ、近い近い! 匂いを嗅ぐな!」
「減るもんじゃないでしょ。それより主、朝ごはん。お腹が空いたわ」
「……朝ごはんって、お前何食べる気だ? カリカリか? それとも人間の飯か?」
「もちろん、いつものあのお魚のパテよ。贅沢仕立てのやつ。あれをお皿に盛り付けてちょうだい」
「姿が人間になってもキャットフードなのかよ……」
人間の姿のままスプーンでキャットフードを食べる光景を想像し、頭痛がしてきた。
とにかく、このままでは俺の心臓と理性が会社に行く前に限界を迎える。
「よし、コハク」
「何よ」
「ちょっとこっち向け」
「なにかし──きゃっ!?」
俺は立ち上がりざま、コハクの頭にそっと手のひらを置いた。
ポンッ!
小気味のいい音と白い煙が立ち込め、ストンと床にTシャツが落ちる。
中からひょっこりと顔を出したのは、見慣れた茶トラの猫だった。
「ふにゃ〜〜〜〜〜っ!? にゃにゃにぁ!!」
猫の姿になっても怒っているのは明白で、耳をペタリと伏せて俺を睨みつけてくる。
「やっぱりな。触れると猫に戻るんだな」
「にゃにゃ! にゃぁにゃにゃ!!」
「仕方ないだろ。人間の姿でキャットフード食べられるのは精神衛生上よくない!」
やれやれと息をつきながら、俺はキッチンへ向かい、いつものパウチを開けて皿に出してやる。
するとコハクは、さっきまでの怒りも忘れたようにタタタッと駆け寄り、夢中でがっつき始めた。
「……見た目が猫なら、いつも通りなんだけどな」
時計を見ると、いつも家を出る時間の30分前だった。
急いでスーツに着替え、ネクタイを締める。
玄関で革靴を履こうとしたその時、ふと背後に気配を感じて振り返った。
そこには──再びTシャツをすっぽりと被った、人間の姿のコハクが立っていた。
口元にちょっぴりパテのソースをつけたまま、不満げに腕を組んでいる。
「……また人間になったのか」
「当たり前でしょ。お見送りくらいしてあげるわよ」
「そ、そうか。サンキュ」
「べ、別に主の心配をしてるわけじゃないわよ! 早く帰ってきて、夜ごはんの美味しいやつを開けなさいって言ってるの!」
ぷいっと横を向くコハクの頬が、ほんのり桜色に染まっている。
プライドが高くて素直じゃないくせに、俺が家を出ようとするとあからさまに寂しそうな顔をするのは、猫のときと何一つ変わらない。
「あと……他の女の匂いをつけて帰ってきたら、爪でズタズタにするから覚悟なさい」
「しないよ! うちの部署、おっさんと俺しかいないんだから!」
「ふん、ならいいけど」
コハクは満足そうに小さく頷くと、玄関のたたきにしゃがみこみ、見上げるように俺の手をじっと見つめた。
……頭を撫でてほしい時の、いつもの仕草だ。
撫でたらまた猫に戻ってしまう。
でも、撫でなければ絶対に拗ねる。
「……行ってくる」
観念した俺がそっと頭を撫でると、案の定『ポンッ!』という音とともに、愛らしい茶トラ猫が足元に転がった。
「にゃ〜ん」
小さく鳴いて見送る愛猫が、早く帰ってきてと言っているようだ。
苦笑しながら、俺はドアを開けた。
理不尽な残業と雑用に追われる毎日は変わらないはずなのに、重かった足取りが、今朝はほんの少しだけ軽かった。




