ブーメランは恋の裏返し
休日の午後。
ポカポカとした柔らかい日差しがリビングのフローリングを温めている。
俺はソファでコーヒーを飲みながら本を読んでいたのだが、その隣で我が家の愛猫であり、時々人間の姿になる自称・24歳美少女のコハクが、シャツの裾をギュッと握りしめたまま、深刻な顔で仁王立ちしていた。
「大変よ、主」
「何が?」
「リンが浮気されたの」
「……リンって、公園によくいるっていってた子?」
「そうよ」
「で、相手は……?」
「クロよ。あの向かいの路地裏を仕切ってるヤツよ」
「……猫だよな?」
「猫だけど? なにかおかしい?」
「いや、そうだけど……猫の世界にも浮気とかあるんだな」
「当たり前でしょ! 恋愛は命がけなんだから!」
熱弁を振るうコハクのドヤ顔に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
24歳の超絶美女の姿で、ご近所の猫社会の泥沼昼ドラみたいな猫関係を語っている絵面がシュールすぎる。
「で? 猫の浮気現場を直接目撃したのか?」
「違うわ。三毛から聞いたの」
「情報網がすごいな……」
近所の三毛猫といえば、この前コハクと日向の特等席を巡ってキャットファイト寸前の口喧嘩をしていた相手だ。
喧嘩はしても、ご近所ネットワークの情報交換はしっかり行われているらしい。
猫社会の噂話の伝播速度は、SNS並みに速いのかもしれない。
「でもね。今回の件に関しては……リンにも問題があるのよ」
「あるのかよ。被害者だろ、リンは」
「甘いわね、主。あの子、クロに全然甘えないのよ。いつもツンツンして、遠くから見てるだけ」
「……」
「男なんて単純なんだから、好きなら好きって全身で主張しなきゃダメなのよ! 素直に擦り寄って『あなたが一番よ』って甘えないから、他のメス猫に横から持っていかれるの。……不注意ゆえの自業自得ね」
腰に手を当て、腕組みをしながらフンと鼻を鳴らすコハク。
実に堂々とした恋愛コメンテーターぶりである。
なるほど、一理あるのかもしれない。
甘えられない強がりな態度が、すれ違いを生むというのは人間も猫も同じなのだろう。
……だが。
俺は読んでいた本から目を離し、目の前で偉そうに語る自称・大人のレディをじっと見つめた。
「……お前がそれ言う?」
「何よ」
「いや……」
「何?」
「なんでもない」
(いや、特大のブーメランがお前の後頭部に突き刺さってるぞ)
心の中で激しく突っ込まずにはいられなかった。
目の前にいるコハク自身、素直さとは程遠い存在だ。
俺のことが世界で一番好きな癖に、人間の姿になれば「24歳の大人のレディよ!」「下僕!」「主はアタシの所有物だから!」と強がりとプライドの鎧をガチガチに固めている。
「なによ、人の顔をじろじろ見て。アタシに何か言いたいことでもあるわけ?」
「別に。ただ、お前も人のこと言えないんじゃないかなーって思っただけだ」
「はあ!? 冗談じゃないわ! アタシがいつ素直じゃなかったっていうのよ! アタシはいつだって、素直で可憐で完璧な美少女よ!」
顔を真っ赤にしてプンプンと怒り出すコハク。
だが、その口とは裏腹に、彼女の体は無意識のうちに俺の方へとすり寄ってきていた。
「アタシは別に、主人に甘えたいわけじゃないし」
「……」
「これは猫として当然の行動よ」
「お前、今思いっきり俺の膝に乗ってるけど?」
「猫だから」
「裾、指でぎゅっと掴んで離さないけど?」
「猫だから!」
コハクはドヤ顔のまま俺の膝の上に不自然な姿勢で座り込み、裾を絶対に離さないという強い意志を示している。
人間の姿のまま、猫の「なでて」「そばにいて」のアピールを全力で実行しているのだから、甘えたい盛り以外の何物でもない。
「あのさ、コハク」
「何よ」
「お前の背中の後ろでパタパタ揺れてる尻尾、めちゃくちゃ嬉しそうだけど」
「ね、猫だから!!」
コハクは顔を耳まで真っ赤にして叫ぶと、自分の後ろでご機嫌にパタパタと振り回されていた尻尾の幻影を手で押さえ込もうと必死になった。
人間の姿の時は尻尾なんて生えていないはずなのだが、感情が高ぶるとまるで猫の尻尾が振られているかのように、Tシャツの裾や全身がピコピコと弾むのだ。
「自分のこととなると、途端にポンコツになるよな」
「ポンコツじゃないわよ! 大人の駆け引きよ!」
「膝の上に乗って『甘えたいわけじゃない』は無理があるだろ」
「うるさい! 主は黙ってアタシを撫でていればいいのよ!」
プイッと横を向くコハクだが、その頬は桜色に染まり、目元はどこか照れくさそうに泳いでいる。
リンとクロの恋愛事情には「素直に好きって態度に出さなきゃダメ」と完璧な正論をぶちかましていたくせに、自分が俺に甘える時は「猫だから」という万能の言い訳で必死に防衛線を張っているのだ。
照れ隠しとプライド、そして俺への大好きな気持ちがせめぎ合い、爆発寸前になっているのが痛いほど伝わってくる。
(ったく、可愛い奴……)
俺は苦笑交じりにため息をつく。
「わかったわかった。じゃあ、猫だから撫でてやるよ」
「……ふん。分かればいいのよ。たっぷり撫でなさい」
強がりながらも、コハクは嬉しそうに俺の胸元にそっと頭を預けてきた。
「……ふん」
そう言いながら、俺の服を掴んだ指だけは離さない。
……どう見ても甘えている。
それでも本人は、絶対に認めるつもりがないらしい。
俺の手が、彼女の柔らかな肩に触れ──
ポンッ!
軽い破裂音と一瞬の白い煙。
次の瞬間、俺の膝の上にドカッと落ちてきたのは、見慣れた茶トラの愛猫だった。
「……ふにゃ〜〜〜〜ん」
照れくささが限界突破していたコハクは、真っ赤な顔?で俺の裾に頭をぐいぐいと押し付けてきた。
「ゴロゴロ……ゴロゴロ……」
人間の姿の時はあれだけ「甘えたいわけじゃない」と突っぱねていたくせに、猫の姿に戻った途端、遠慮容赦なく喉を鳴らして甘え倒してくる。
「……最初から素直に猫になっとけばいいのに」
「にゃ」
俺の小突きに小さく鳴いて返事をしながら、コハクは俺の膝の上で心地よさそうに丸くなった。
他人の恋路には超絶鋭いくせに、自分の恋?には超絶鈍感で素直になれない我が家の自称・美少女猫。
ブーメランを頭に刺したまま満足そうに眠りにつく愛猫の背中を、俺はやっぱり愛おしく思わざるを得ないのだった。




