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素直になれない猫の落ち込み方

「……なんか嫌なことでもあったのか?」


 休日。

 いつもなら「主! 朝ごはんの贅沢パテを出しなさい!」と偉そうに威張っているはずのコハクが、ソファの上で体育座りをして静まり返っていた。


 俺の大きなTシャツに身を包み、膝を抱え込む姿はどこか小動物めいている。

 超絶美貌の自称・24歳美少女だが、今日の彼女から放たれるオーラはあからさまに暗い。


「別に」

「別にって顔じゃないだろ。いつものお前なら、もっと偉そうにしてるぞ」

「うるさいわね……ほっといてちょうだい」


 ぷいっと横を向いたコハクの耳元の髪がゆれる。

 よく見ると、小さなサクラ耳が心なしかへたりと下がっている気がした。


 気になって根気強く問い詰めてみると、どうやら今日の午後、俺が買い出しに出ている隙に近所の「猫の集会」へ顔を出してきたらしい。

 そこで仲良しの近所の三毛猫と、日向の特等席の奪い合いからキャットファイト直前の口喧嘩に発展し、喧嘩別れして帰ってきたのだとか。


「……で、言い負かされて拗ねて帰ってきたわけか」

「言い負かされてないわよ! 大人のレディとして、あんな野蛮な言い争いは不毛だから席を譲ってあげただけよ!」

「はいはい、そういうことにしておくよ」


 膝を抱えたままふんす、と鼻を鳴らすが、その表情はあからさまにしゅんとしている。

 プライドが高い分、落ち込んだ時のダメージも大きいらしい。


 部屋に重苦しい雰囲気が漂う中、俺はある解決策を思いついた。


「じゃあ……俺の匂いでも嗅ぐか?」

「……え?」


 コハクの動きがピタリと止まった。

 ゆっくりと首をこちらへ向け、丸く見開かれた琥珀色の瞳が俺を捉える。


「お前、いつもやってるだろ。俺が仕事から帰ってきた時とか」

「……」

「俺の匂い嗅ぐと落ち着くんじゃなかったのか?」

「……そうだけど」

「じゃあ、嗅げば? ほら」


 俺はソファの横に腰掛け、自分のシャツの袖をコハクの前に差し出してみた。


 普段なら「主の匂いを嗅いで上書きしてあげるわ!」と強気全開で押し通してくるコハクだ。

 しかし、いざこちらから「嗅ぐか?」と促されると、事態は一変した。


「…………っ」


 コハクの顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていく。

 差し出された袖口と俺の顔を交互に見つめながら、もじもじと指先を弄び始めた。

 自分がいつもどれだけ無防備に甘えていたかを、人間の姿で急に客観視させられて猛烈に恥ずかしくなったらしい。


「な、なんで……あなたがそんなこと言うのよ……!」

「なんでって、お前を元気づけようと思ってだな……」

「……人間の姿で嗅ぐのは、なんか違う」

「なんでだよ」

「猫のときならいいの!」

「何が違うんだよ……」


「全然違うわよバカ主!」と顔を真っ赤にして叫ぶコハク。


「猫のときは本能だからノーカウントなの! でも今の姿でそんなことしたら……なんか、その……あからさまじゃない……!」

「何のあからさまだよ」

「言わせないでちょうだい恥ずかしい!」


 頭を抱えてソファの上で悶絶する自称・美少女。

 ポンコツなプライドと乙女心が複雑に絡み合い、どうやら完全にキャパシティを超えてしまったらしい。


 やがて、コハクは真っ赤な顔のまま膝を抱え直し、上目遣いでじっと俺を見つめてきた。

 その目には、恥ずかしさと、それでもやっぱり甘えたいという葛藤が浮かんでいる。


「……触って」

「いいのか?」

「……猫に戻りたいから」


 ぽそりと小さく潰やいたコハクは、どこか諦めたように、でも愛おしそうにそっと手を伸ばしてきた。


「……ほら、早く触りなさいよ」

「はいはい」


 俺が彼女の手にそっと触れる。


 ポンッ。


 小気味よい破裂音と、一瞬の白い煙。

 次の瞬間、ソファの上に広がった大きめのTシャツの中から、ひょっこりと茶トラの頭が飛び出してきた。


「にゃ〜ん」


 姿が変わった瞬間、さっきまでの羞恥心はどこへやら。

 コハクは迷いなく俺の膝の上へと飛び移ると、そのまま喉を鳴らしながら、シャツの裾にぐいぐいと鼻を押し付け始めた。


 すー、はー、と深く息を吸い込み、満足そうに「フシュ〜」と息を漏らす。


「ゴロゴロ……ゴロゴロ……」


 膝の上で小さな体を丸め、安心しきった様子で喉を鳴らし続ける茶トラ猫。

 さっきまで真っ赤になって悶絶していた美人と同一猫物とは思えない、完璧な変わり身の早さだ。


 あまりに無防備で愛くるしいその姿を見下ろしながら、俺は苦笑交じりに背中を優しく撫で上げてやった。


「……最初からこれでよかったんじゃないか?」


「にゃ〜」と小さく返事をしながら、コハクは俺の膝に顎を乗せ、気持ちよさそうに瞳を閉じた。

 人間になっても猫になっても素直じゃない我が家の愛猫だが、結局のところ、俺の膝の上が一番の特効薬であることには変わりないようだった。

「明日、三毛に謝れば?」

「……嫌よ」

「なんで?」

「……向こうから謝ってきたら許してあげる」

「はいはい」

「……でも」

「ん?」

「……明日、日向の席が空いてたら、一緒に座ってもいいって言ってあげてもいいわ」

「それ、仲直りしたいってことじゃないのか?」

「違うわよ!」

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