プリン抗争の顛末
疲労困憊で残業を終え、家に帰ってきた夜。
疲れた体に糖分を補給しようと冷蔵庫を開けると、楽しみにしていたプリンがなくなっていた。
食後にじっくり味わおうと、心の中で決めていたのだが──。
ふと目を向けると、コハクが人間姿でシンクの前に立っていた。
しかも、その右手にしっかりと例のプリンを握りしめている。
左手にはスプーンまで用意済みだ。
俺は静かに声を掛けた。
「おい」
「……」
「俺のプリン食おうとしてただろ」
「……ッ!」
コハクは完全停止した。
手を伸ばした姿勢のままカチコチに固まり、ゆっくりと首だけを動かして俺を見る。
そして──何事もなかったかのような顔で、すっとプリンをテーブルの上に置く。
いかにも『なにもやってないわよ』ってアピールしているようだ。
「……ふん」
「ふん、じゃない」
「あら、何かあったの?」
「おまえ今、プリン食おうとしてたよな?」
「食べてないわ」
「これから食べるところだっただろ」
「主が食べると思って出してあげただけよ」
「じゃあ、いま握りしめているスプーンは何だよ」
「これは……」
「これは?」
「……武器よ」
「スプーンが武器って誰と戦うんだよ」
コハクはいつものジト目になって、開き直った。
「……もぉ、過ぎたことをいつまでもウジウジ言うのは小物よ」
「まだ食われてないから過去じゃない! 現在進行形だろ!」
そこから、コハクの謎理論が始まった。
「だいたい、組長のものはアタシのもの」
「誰が組長だ」
「アタシのものはアタシのもの」
「ジャイアニズムじゃねえか」
「それがこのシマのルールでしょうが」
「どこがシマだよ!」
コハクは堂々とリビングを見回した。
「ここよ」
「俺の部屋だよ!」
コハクは腕を組み、真顔で説明を補強し始める。
「よく考えてみなさい」
「何を」
「アタシはあなたの家で暮らしている」
「そうだな」
「あなたはアタシにご飯を出す」
「カリカリな」
「寝床も提供する」
「キャットベッドな」
「段ボールも」
「それはお前が勝手に使っている」
「つまり、アタシはこの家の住人よ」
「……まあ、そうだな」
「なら、冷蔵庫の中身も共有財産でしょう?」
「ならねえよ!」
理不尽すぎる言い分にツッコミを入れる俺に、彼女は決定的な一言を放った。
「だって、アタシ、猫だもの」
「今は人間だろ」
「……」
「なんだよ」
「……猫なら食べていいでしょ」
「そういう問題じゃない」
コハクは一瞬、本気で考え込む顔をした。
そして──。
「……じゃあ、猫になる」
そう言うと、滑り込むような動きで俺の手にタッチしてくる。
ポンッ。
軽い音とともに白い煙が立ち込め、一瞬で茶トラ猫の姿に変身した。
「おい! 話し合いを放棄するな!」
猫になったコハクは、なおもプリンを狙って素早くテーブルへ向かおうとする。
俺が慌てて抱き上げようと手を伸ばした。
「待て!」
「ニャッ!」
シュバッ! と見事な身のこなしで逃げるコハク。
ソファへ跳び乗り、廊下を駆け抜け、キャットタワーへと駆け上がる。
そして一気に最上階へ登った。
「あっ、猫になって逃げた!」
「ニャ」
「キャットタワーの上に逃げ込むな!」
コハクは最上階で優雅に毛づくろいを始め、俺を見下ろしている。
完全に勝ち誇った顔だ。
「……」
「なんだよ、その顔」
「ニャ」
「すげー『勝者』みたいな顔してるけど、お前ただ逃げただけだからな!?」
コハクは俺のツッコミを無視し、念入りに毛づくろいを続けた。
俺はため息をつき、ゆっくりとテーブルの上のプリンを手に取った。
すると──コハクの耳がピクッ。
続いて俺がスプーンを取り出すと、耳がさらにピクッ。
「……食べるぞ」
「ニャ」
俺がスプーンで一口すくい、口へ運ぶ。
コハクは目を丸くして、じーっと見つめてきた。
「……欲しいのか?」
「ニャ」
「さっき盗もうとしただろ」
「ニャ」
「反省してる?」
「……ニャ」
「絶対してないな」
しばらく無言の牽制が続いたあと、コハクがゆっくりとタワーを降りてきた。
そして床を静かに歩き、俺の足元へやってくる。
スリッ。
柔らかい毛並みを足首に擦り付けてきた。
「……何だよ」
「ニャ……」
「急に甘えても駄目だからな」
「ニャア」
上目遣いでおねだりしてくる茶トラ猫。
俺は一瞬葛藤したが、勝てるはずもなかった。
「……あーもう、一口だけだぞ」
スプーンの端にほんの少しだけプリンを乗せ、鼻先へ差し出してやる。コハクはペロリと美味しそうに舐めとった。
「……ニャ」
「美味いか?」
「ゴロゴロゴロ……」
喉を鳴らして幸せそうにする姿に、俺は苦笑する。
「結局、最初からこうやって素直におねだりすればよかっただろ」
そう言って俺がもう一口食べようとした瞬間
ポンッ
「……もう一口」
やたら早く都合のいいタイミングで人間の姿に戻たコハクが、俺の袖をぎゅっと掴んで直訴してきた。
「お前、いつから人間の姿でプリンを要求するようになった」
「アタシは高貴な美少女よ。美味しいものを要求して何が悪いの」
「盗み食いしようとしてた奴が何言ってんだ」
「……」
「何だよ」
「……次はちゃんと、許可を取るわ」
「おお、偉いな」
「だから明日、プリン買ってきなさい」
「……まあ、べつにお前にならプリンぐらい買ってもいいけどな」
俺がふと呟くと、コハクはぴくっと眉を動かした。
「……」
「どうした?」
「……『お前になら』?」
「うん。他の奴ならダメだけど、コハクにならいいよ」
コハクはパッと顔を輝かせ、どこか嬉しそうに頬を緩ませた。
自分の「特別さ」を実感できたのが、相当ツボに入ったらしい。
しかし、次の瞬間にはいつものドヤ顔に戻り、胸を張った。
「ならアタシには高級なやつを買ってきなさい!」
「そこは遠慮しろよ!」
「主」
「何だよ」
「高級プリン」
「……」
「二個」
「増えてるじゃねえか!」
調子に乗った自称・美少女猫の理不尽な要求に、俺は本日何度目かわからない深い溜息をつくのだった。




