04.愛本堰堤
音沢集落を出た宮本は、車で少し下流へ下り、愛本堰堤へと到着した。
愛本堰堤は、黒部川の中流部にある堰堤で、農業用水取水堰としては大きなものである。
堰堤は、黒部川が山間部から開けた扇状地へと出て来る境目の狭窄部に作られている。この取水堰は、かつてはやや下流側にあったが、1969年の豪雨による洪水で破壊され、その後130mほど上流に再建されたものである。完成したのは1973年であり、事件の起こる3年前であるから、事件当日老夫婦の遺体が黒部川を流れてきたとしたら、この眼前にある愛本堰堤を超えたことになる。
愛本堰堤には天端を歩ける歩道などはないため、少し下流にかかる愛本橋から眺めてみる。
大きい。しかも川幅一杯に堰が設けられているから、存在感はすごいものがある。しかし、ダムではないから堰堤直下でも水深は大したことはないだろう。事件当日は接近中の台風の影響で増水していたから、農業用水は取水しておらず、愛本堰堤のゲートは開いていたはずだ。
仮に音沢から老夫婦の遺体が流れてきたとしたら、増水してゲートを大きく越流する流れに乗って、堰堤を越えて下流へ流された可能性は高いだろう。
◇
宮本は、愛本堰堤からの水を引いた農業用水路を見てみることにした。
7,500haの田畑と潤すという愛本堰堤からの取水量は膨大であり、そのため農業用水路の流れは末端まで割合安定している。
バイカモは生えていないだろうか。
宮本は歩きながら農業用水路を辿ってみる。水量は安定しているし、底に砂が溜まった所も多い。バイカモが生えていても良さそうな感じはするのだが、何処まで行ってもバイカモは見当たらなかった。
農業用水だけに、冬季は水を流さないのではないか。バイカモが生育する流れは、だいたい上流に湧水があることが多く、冬でも水が流れるような所だと聞いた。おそらくだが、この用水路は冬に水が無くなるのではないか。
後で調べてみよう。
◇
湧水。
大きな河川の扇状地では、それは得にくいもののひとつだ。川が運んだ礫が堆積してできた扇状地では、水は地下に伏流してしまうため、かつては水を得ることが困難だった。そのため、近代になって灌漑設備が整備され、川から水を引くことができるようになるまでは、扇状地は水の得られない荒地であり、開墾は困難であったという。
だが、それは場所にもよる。扇状地の末端部まで来ると、伏流していた水は地上に出て湧水になる。扇状地の先に沖積平野が広がる場合には、その水は沖積平野を潤し、田畑を作ることが可能となる。
だが、黒部川の扇状地は、扇状地のまま海へと没してしまう。黒部川の場合、その先の沖積平野は富山湾の深い海の底だ。しかし、地上に湧水が湧いている箇所もある。海岸に近い県道2号線沿いには、生地地区や入善地区といった、湧水が湧くことで有名な場所がある。入善地区には、湧水が湧く湿地の中に天然のスギが生えている場所があり、「杉沢の沢スギ」として天然記念物に指定されている。
しかし、これらの湧水が湧く場所は、いずれもアキグミが生えるような場所ではない。アキグミが生えるのは、栄養の乏しい河原の礫原のような場所である。しかも、アキグミが生える場所は明るくなくてはならない。「杉沢の沢スギ」の暗い林床には、アキグミは生えることができない。
高橋直市さんの遺体は、水を飲み込んでいた。そして、その胃の中からバイカモとアキグミが出てきているのである。アキグミもバイカモも未消化であったから、死亡時刻に近い時間に飲み込まれたものであることは確かだ。となれば、高橋さんが死亡した場所には、アキグミとバイカモが2つとも生えていなければいけない。少なくとも水の中に、この2つが無ければならない。
増水した川の水のなかにアキグミとバイカモが混じっていたのだろうか?
いや、それはあり得ない。高橋さんの飲んだ水には泥がほとんど混じっていなかったのである。
豪雨で増水する川の近くで、泥のほとんど混じらない水を飲み込んで死亡していた。
そんな場所は、宮本にはひとつしか考えられなかった。
河川敷の湧水地である。




