02.ある冤罪事件
宮本は、数年前からある古い事件について調べていた。
「黒部川殺人事件」である。
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1976年9月に起きたこの事件は、富山県宇奈月町音沢に住む老夫婦が殺害されたとされる事件だ。事件発生当時、富山県には大型の台風が接近しており、事件後、被害者宅は黒部川の増水により床上浸水していた。事件が発覚したのは、台風通過後、黒部川河口左岸の海岸に夫の高橋直市さんの遺体が打ち上げられているのが発見され、胸に刃物による傷が確認されたことから、水死ではなく何者かに殺害されたと断定された。妻のきよさんの遺体は、黒部川の増水により沖まで流されたと考えられ、今も発見されていない。
遺体発見後、高橋さんの自宅近くを歩いていた不審な人物に警官が職務質問をしたところ、多額の現金を所持していたため、本件への関与を疑った警官により任意の取り調べを受け、その中で老夫婦の家に押し入り金品を盗んだこと、帰宅した老夫婦に気づかれたため二人を殺害し、台風の接近により増水していた黒部川に遺体を遺棄して逃亡したこと等を自供したため逮捕。その後裁判により強盗殺人による死刑判決が確定したものである。
逮捕された男の名は木山 隆。事件当時定職を持たず、被害者宅から数kmの山林内を拠点に生活をしていた。戸籍を持たず、山や川で自給自足の生活を営む、昔から居た流浪民、いわゆる「山窩」である。取り調べでの自供により逮捕された木山は、裁判になると一転して事件への関与を否定し、無罪を主張した。だが、当時の自供偏重の風潮の中で、彼の主張は裁判の場で聞き入れられず、最高裁まで争った末に死刑が確定し、現在も収監されている。
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「山窩、か。」
国会図書館で、当時の新聞記事を確認していた宮本は、そうつぶやくと大きなため息をついた。
その昔彼は、丹沢山で、山窩を名乗る初老の男と山崩れに巻き込まれ、その男を助けたことが縁で、山窩達の宴に招かれたことがある。その時から彼らについて取材したいと思っていたが、当時の宮本はまだ記者ですらなく、取材することは叶わなかった。その後、記者となった宮本は、宴に招かれた屋敷を再訪したが、屋敷はすでになく更地になっており、連絡先すらわからぬまま取材は断念せざるを得なかった。
彼らは、生活のために軽微な犯罪を犯すことがあるかも知れないが、しかし彼らは遠い昔からそこに暮らし、彼らなりの矜持をもって生きる誇り高い民であった。その彼らが強盗殺人のような犯罪を犯すとはとても思えなかった。
加えて、殺害の直接的な証拠は何もなく、検察が積み上げた数多くの状況証拠から、「他に殺害を実行できた人物はいないと推定される」みたいな曖昧模糊とした理由で犯罪行為が認定され、死刑判決が出されてしまった。
山窩に対する根強い偏見が、裁判官の目を曇らせてはいなかったか。
こんなことが許されていいわけがない。
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高橋さん夫妻は、外出先から自宅へ戻った所、家の中で金品を物色する木山死刑囚と鉢合わせになり、木山死刑囚は口封じのために夫妻を殺害した。その後、付近を流れる黒部川の増水により高橋さん宅は床上浸水となり、血痕等の殺害の証拠は全て流されてしまった。しかし、夫の高橋直市さんの遺体が黒部川河口で発見され、胸に刃物による刺し傷が確認されたことから水死ではなく殺害されたと断定された。そして、多額の金を持って高橋さん宅の近くを歩いていた木山死刑囚が職務質問され、強盗殺人の疑いで逮捕された。
だが、大きな疑問点がひとつ、ほとんど検証されないまま放置されていた。
検死の結果、高橋直市さんの胃の中から、以下のものが発見されている。
・アキグミの実
・ちぎれたバイカモの葉と茎
アキグミは黒部川の河原に良く生えている。バイカモは、黒部川本川にはみられないが、流れの緩い小さな支川や農業用水路では良くみられるものだ。
だが、高橋さんがこれらのものを飲み込んだのは、まだ生きていた時しかあり得ない。死体は水を飲み込むことがないから、音沢の自宅で殺されてから黒部川の河口まで遺体が流されたとしても、これらの植物片が胃の中へ入る可能性は極めて低い。ほぼあり得ないと言っていい。
「自宅ではなく、どこかの川か水路で、水に沈めて溺死させられたのではないか。」
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だとしたら、これは強盗殺人事件ではない。




