サラの憂鬱
机の上に重い音を立てて新たな書類の束が置かれた。
何よこれ。どうしろというのよ。やってられないわ。
積み上げられた書類を放り出そうとした手は、
「サラ様、少しお休みされてはいかがですか」
ダラス秘書官の静かな声に止められた。
その、冷静な声にも腹が立つ。
まったく、誰のせいで、わたしがこんなに苦労していると思っているのよ。
あなたたち政務官が作成した書類に目を通して、分からないところを調べて承認をするのよ。
もう少し分かり易い書類を作りなさいよ、専門用語ばかり使って。
「休みって、取れると思う」
思ったよりも鋭くなったわたしの声に、居並ぶ政務官たちの手も止まるのが分かる。
それでも、仕方がない。
隆也から下問されれば、答えなければいけないのはわたしなのだ。
シルフは当然にしても、ラムザスまでしっかり問題点を把握できている。これでは、わたしだけが無能ではないの。
だいたい、隆也も隆也よ。
あれだけ呑気にしているくせに、全てに目を通していて、あまつさえも新たなことに手を伸ばすのだから。
「で、ですが、アレク様からも今夜の会合の案内が届いております」
何が、会合の案内よ。
ただの慰労会の飲み会じゃない。
わたしは慰労を出来るほど仕事は進んでいないのよ。
あぁ、もう嫌になってくる。
「断っておいて」
机に積み上げられた書類を叩き落そうと再び手を伸ばした時。
「サラ」
別の声が掛けられた。
感情の見えない声、それでいてどこか優しい声。
「何、シルフ」
顔を上げないまま、声を張った。
「来て」
シルフの声が近づいてくる。
「駄目、時間がないわ」
「大丈夫、来て」
大丈夫って何よ。わたしは、シルフほど優秀ではないの。
この書類の山を見ればわかるでしょ。終わりの見えない迷路の中にいるのよ。
再び声を上げようとしたわたしの肩に、小さな手が置かれた。
目を上げた先に、シルフの柔らかい顔がある。
柔らかい顔、感情の見えない仮面のような顔ではない。
微かな笑みを見せる優しい顔。
「な、何」
「いい、来て」
その言葉に押されるように席を立った。
「秘書官、サラの部屋へ案内をして」
シルフの言葉に、慌てたようにダラスが動く。
わたしの部屋、わたしの部屋へ行くの。
そのシルフが壁際に並ぶ他の秘書官たちを見ながら、
「おまえたちは、何をしている」
いつもの冷たく無感情の声を向けた。
「は、はい。各部署の資料をまとめて、サラ様にお渡しをしております」
秘書官の返事に、シルフが小さく息を付いたように感じる。
しかし、それ以上は何も言わずにダラスの後に続いた。
執務室を出て、廊下の奥にあるのがここでのわたしの居室になる。
ダラスに案内されるままに、わたしはシルフに続いて自分の部屋に入った。
「後から、お茶を持ってくる」
シルフはダラスに命じると、自分の部屋のようにソファーに進む。
わたしは、思考停止をしたままにシルフの前に腰を下ろした。
「シルフは、隆也に会ってきた」
座るなり、隆也の名前が耳に入ってくる。
どういうこと。隆也はすでにここに来ているの。
「シルフが、会いに行ってきた」
「え、王都まで行ってきたの」
「違う。隆也はこっちに向かってきている。シルフはここの状況を知らに行った」
ここの状況。瞑想所を造るのが遅れ、その上、第一門に到達できる者が激減している状況。
「緊張の連続に兵の士気は下がり、軍紀も緩い」
軍の状況なのか。
確かに、わたしも自分の軍を見る余裕もなかった。
「だから、隆也に視察をしてもらう」
視察。
それならば、隆也から下問されるのも先になる。
「今夕には、隆也はここに着く」
今夕って、もうすぐじゃないの。
「そんなに早いの」
「夜間の街道が空いた時間に移動をして、今日は昼夜を問わずに駆けて居る。シルフは昼から真獣で先行をしてきた」
夜間か。確かにそれならば移動時間は短くなる。
「だから、サラは一緒に出迎えに行く」
「行くって、わたしの仕事はずっと遅れているのよ」
「問題ない。責任の半分は隆也にある」
何よ、それ。どうしてわたしの仕事の遅れに、隆也が関係があるのよ。
「隆也の視察に、サラが必要」
「わたしが、必要なの」
「隆也からの指名。これは、お忍びでの視察だから普通の目立たない服で動く」
「普通の服、そんなの持っていないわよ。それに、何でわたしなの」
「サラは、シルフたちよりもルクスを抑えられる。威圧感がない方がいい」
それは少しはルクスを抑えられるようにはなった。ルクスの強さが威圧感になるのだから、言っている意味も分かる。
でも。
「服はどうするの」
「買いに行けばいい。ここにもの市がたっている」
「市。市が出来ているの」
わたしの言葉に、シルフが呆れたように目を伏せた。
し、仕方がないでしょ。仕事に追われてこの屋敷からも出ていないわよ。
そうか。隆也が来るのか。
一緒にお忍びで視察に回るのか。
「い、行くわよ。その市に今から行くわよ」
そうだ。服を用意しないといけない。
普通の服。
民が着ている服。
リルザの民もエリスの民も着ているものに違いはないはず。
しかし、わたしは公貴の生まれだった。普通の服という感覚はない。だったら、平民だったシルフの力を借りるのが早い。
「シルフもか」
「当然よ。わたし一人で決められないわよ」
ソファーから立った。
「すぐに行くわよ」
「もうすぐ、お茶が来る」
そんなものは、後でもいいわ。
わたしはそのまま部屋を出た。
廊下の先からダラスが給仕を連れて歩み来るのが見える。
「サラ様、どちらに」
「隆也王の出迎えよ」
「お供いたします」
慌てたように、ダラスが駆け寄ってきた。
「そういえば、シルフの秘書官はどうしたの」
「置いてきた。隆也の秘書官と打ち合わせ」
言いながらシルフが笑ったように見えたのは、気のせいだろうか。
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