1:最初の年・ゾレント国ノバーン州トルト
人里にやってきました。
「今日は何か少し…風が暖かい気がするねぇ」
「お前もそう思うか?この季節には珍しいよな。
麦畑を前に初老の男女が辺りを見回しながら、今朝からのちょっとした異変を口にする。
「ここに入植してもう十二年になるが、真夏はまだ遠いのにこんなあったかいのは…」
補足しておこう。現在は七月の下旬で、一応この世界でも夏季とされる時期ではある。ただこのトルト地区と言われる一帯は何故かこの時期も気温は上がらず、日中温度は摂氏十五度に行くか行かないかで、また低温な風がそこそこ吹き続けるので体感的には相当寒さを感じるし、農業にはそもそも向いてない。当然収穫もほとんど無く、品質も劣悪だ。
それでも州知事は常在の代官を置き、この地を農地として維持し続けるために高待遇で入植者を募っているが、大抵は数年で心身ともに衰弱し去っていく。この男女のように十年単位で定着している世帯はかなり特殊な部類に入る。
「あの」
「ひ!?」
唐突にかけられた声に男女は文字通り飛び上がって向き直る。向き直って見ると、そこには二人の娘がいた。一人は黒の短髪で十八・九歳くらい。もう一人は十歳と少し過ぎくらいの灰白色の長い頭髪が印象に残る小柄な女児である。二人ともお揃いだがかなりくたびれた灰色のワンピース型聖女装束を着ている。灰色なのは特定の宗教団体や国家機関に属さない、いわゆるフリーの立場を示す。
「さっきまで誰もいなかったのに…??」
困惑する男女に、黒の短髪の娘があまり感情の乗らない声で
「驚かせてすみません。私たちは旅をしながら聖女修行している身の上です。実は路銀が尽きて難儀しておりまして、少しの奇跡と引き換えに何かお恵みいただけますと幸いです」
と、頭を下げる。
「それは難儀でございましょう。ひとまず我が家にお越しくださいませ。おい、案内しよう」
男はそう女に促した。その口ぶりから二人は夫婦であるのだろう。
××××
「いただき、ます」
夫婦はここで初めて灰白色の頭髪の少女の声を聞いた。少女はパンを手に取ると両手で一度包むように持って、何かを確かめる仕草の後少しずつちぎって口に運ぶ。ゆっくり、ゆっくりと。
修行中の聖女と名乗る娘二人の前にはパンが載っている小ぶりな皿と、簡素な具材のすまし汁の入っていたお椀のふたつだけ。それでも素材の入手が難しいトルト地区ではかなり手のかかった料理の部類ではあって…
「大したものを出せないでごめんなさいね」
少女が全くすまし汁の方に手をつけないことで不安になり、そう声をかける。
「生活が貧しいわけじゃなくてね、言い訳じゃないけど、いずれここを離れて、都会で生活するときのためにギリギリまで蓄えをしておきたくて、日ごろを始末して暮らしてるの」
少女はそれでもパンだけを食べ続けていたが、食べ終わってようやくお椀に手を伸ばし、両手でやはり何かを確かめる仕草をした後スプーンで掬い、口に運ぶ。
「美味しい、です。途中の、どこで食べ、てきたのより、も」
なんとも辿々しく語る少女である。
「私もそう思います…勘違いさせてしまったかもしれませんが、この子は大変な猫舌でしていつも冷めるまで汁物に限らず、手を出せないのです」
「お店を、出せる」
「嬉しいことを言ってくれるね。これでも本当にお店は出したいと思ってるんだよ」
お世辞でも。と付け足しそうになったが、何故か少女の言葉は疑いなく本当にそう思っているのだなと腑に落ちて、こちらも思わず饒舌になる。
「私らは都会の外れででもそういうお店を開いて暮らしていけたらなと思って冒険稼業やってきて、そこそこ資金が貯まったなって頃にダンジョンでしくじってね」
ちら、と亭主を見遣る。
「先に足をやられて逃げられない私を庇った亭主は利き腕が動かなくなる大怪我をしちまって…」
そういえば確かに、先ほどから男の方は片腕をだらりと下げたままであった。反対の腕と全身の身のこなしで違和感を覚えさせないからには、かつては相当な腕利き冒険者であったのだろうか?
先に触れたように、ノバーン州知事や代官は入植者たちに対して設定した比較的高額な報酬/支援を誠実に支払っている。入植者たちの大半は怪我や家庭の事情などでセミリタイア状態にある元冒険者で、一般的な彼らの年収に近い額を支払うことで傭兵的な役割も担わせていた。つまりこの夫婦は給金の良いトルト入植を((最後の好機))と考えて、過酷な環境に耐えているのだろう。
「傷が無ければ、まだ冒険者、やりたい?」
灰白色の頭髪の少女は女の足首辺りを見つめながら尋ねる。
「はは、それが無くてももうすっかり年食っちまったからねぇ…今更怖い思いするのはちょっと。でも傷を負ってなけりゃ、農作業なり家事なりは随分楽ではあったろうね」
心底冒険者生活に未練がないのだろう、女は屈託なく笑い飛ばした。
「では、その足首の傷、なかったことに、する」
少女がつぶやいた瞬間、女は足首を誰かに軽く叩かれたような錯覚を感じた。そして
「え?…なに?」
「いや…あ、あ?え?」
思考が言葉に繋がっていかないもどかしさと困惑に駆られながらも
「あ・あんた!あんた!!」
女は亭主の元に駆け寄って
「あ・足が!足首が!?自由になって!こんな…」
それには無関心にすまし汁を飲み終えた少女はスプーンを置き胸の前で指を組んで、
「ごちそう、さまでした」




