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初恋の花は枯れた 番外編  作者: 月森香苗


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【番外編②】 侯爵令嬢たちとのお茶会

 やがて馬車はアストレア侯爵家の別邸へ到着した。

 水光宮の馬車が車寄せへ静かに停まると、外で控えていた女性騎士が扉を開ける。差し出された手に指先を預けて地面へ降り立つと、冬の澄んだ空気が頬を撫でた。

 目の前に広がる別邸は、帝国で統一された赤い瓦屋根と白石の外壁を持っていた。だが、窓枠や玄関扉には深藍が用いられている。控えめながらも知性を感じさせる色彩は、情報と記録を司るアストレア侯爵家らしかった。

 もしも帝国内で屋根の色が統一されていなければ、きっと深藍だったのだろう。竜のために帝国の人々はその決まりを守っている。それだけ帝国にとって竜が大切な存在だとわかる。

 今だって、ここではない区画の空を飛んでいるのだろう。


「ようこそお越しくださいました、アリエーチェ様」


 出迎えたのは落ち着いた灰青色のお仕着せを纏った女性だった。年の頃は四十を少し越えた辺りだろうか。物腰は柔らかいが、立ち居振る舞いの一つ一つが洗練され、そして若者にはない積み重ねた年齢の貫禄があった。


「アストレア侯爵家侍女長、エルザにございます。本日はお嬢様方がお待ちでございます」

「お招きいただきありがとうございます」


 アリエーチェが礼を返すと、シェリアが一歩進み出て白木の箱を差し出した。シェリアが両手で抱える白木の箱には、手土産が収められていた。白木の箱とは言え贈り物に使うのだから、丁寧に磨き上げてしっとりと艶めいている。


「こちらはアリエーチェ様より、皆様へのお手土産にございます」

「確かにお預かりいたします」


 侍女長は恭しく受け取り、すぐ控えていた侍女へ指示を出した。無駄のない動きだった。家の格とは、主人だけではなく使用人の所作にも表れるものだと改めて思う。

 リリアーナは間違いなく有能な侍女だが、こちらの侍女長には年齢による安心感があった。どちらが良いのではない。どちらにも良いところがある。


 案内されたのは屋敷の奥にある温室だった。

 冬であるにもかかわらず、硝子張りの室内には柔らかな暖気が満ちている。白い円卓の上には淡い色の花が活けられ、茶器は全て揃いの白磁で、縁だけに深藍の細い線が入っていた。アストレア家の色だろう。

 謁見の際にも思ったが、家を象徴する色があるというのは良いことだ。多彩な色彩も良いが、基調が定まった上での差し色が遊びになるからだ。


 その場にいた令嬢達が一斉に立ち上がる。


 まず前へ出たのは、濃紺の髪を背に流した令嬢だった。紫の瞳は夜空のように澄み、表情は柔らかいのに、どこか知的な光を宿している。深藍のワンピースドレスには銀糸で星図のような刺繍が施されていた。


「ヴィヴィアン・アストレアです。本日はお越しいただきありがとうございます」

 

 情報と記録を司るアストレア侯爵家。派手さはない。だが、静かに積み重ねられた知識の重みを感じさせる佇まいは、確かにこの家の令嬢だった。


 次に笑みを見せたのは、淡金色の髪をゆるく結い上げた令嬢だった。翡翠色の瞳は春の若葉を思わせ、白金と淡い黄を重ねたドレスは陽だまりのように柔らかい。

 甘やかに垂れた目尻と大きな瞳がとても愛らしい。思わず守ってあげたくなるような雰囲気を纏っているが、その表情には人懐こさも感じられた。


「エミリエンヌ・エウロペアです。お会い出来るのを楽しみにしておりました」


 行政や統治に携わるエウロペア家の現在の当主は女性で、謁見の日に挨拶をしたその人は凛々しく強さを感じた。

 その人とは雰囲気が違うものの、人懐こさというのは政治において強みになる。

 思わず気を許してしまいそうになる笑顔だった。

 ——中々侮れないな、と感じた。


 三人目の赤みを帯びた栗色の髪を持つ令嬢は、すっと背筋を伸ばして礼を取った。紅の差し色を入れた黒の服は、ワンピースドレスではなく、男性のようなズボンに裾の長いタイトなジャケットを羽織っている。その姿は凛としており、侯爵令嬢でありながら騎士のような潔さがあった。


「エレナ・ラグニスです。よろしくね」


 帝国へ来てから女性騎士を見る機会は少なくなかった。だから女性がズボンを履いていることに驚きはない。

 流石は軍事を担うラグニス家である。

 ただ、同年代の侯爵令嬢がお茶会の席へこの装いで現れるとは思っていなかった。女性らしさを残しながらも頼りがいのある姿に、思わず見惚れてしまいそうだ。


 四人目の灰銀色の真っ直ぐな髪の令嬢は、感情を大きく出さない代わりに、視線がよく動いた。灰と銀を基調とした衣装は控えめだが、襟元の天秤模様が家の性質を示しているようだった。

 静謐という言葉がよく似合う彼女は、観察することに長けているのではないだろうか。必要なものを見落とさない人なのだろうと感じさせる。


「ルシアナ・ノクティスです。お会いできて光栄です」


 法の番人のノクティス家、その当主もまた彼女のように感情はあまり出ていなかった。

 それが国の規律を守る法の番人としての姿だと思えば納得出来る。法律とは道標であり、そこに私情を交えてはならない。

 己を律する心を持つことが求められているのだろうか。それならば、彼女はノクティス家らしい、といえる。


 五人目の白金の髪をひとつに編み込み前に流している令嬢は、百合の花を思わせる気配を纏っていた。白を基調としたドレスには金糸で光輪のような刺繍が施されている。

 純粋無垢な雰囲気は、まるで物語に出てくる聖女のように思えた。


「セラフィーナ・セレスティアです。ふふ。今日を楽しみにしておりましたの」


 聖女、そう感じたのに間違いはなかった。セレスティア家は宗教と医療を司る家だ。

 法が国の規律であり行動の道標ならば、宗教は人の心の道標である。

 人は救いを神に求め、己の魂の救済を願う。セレスティア家は心だけでなく、肉体も救おうとする。

 そのあり方に人は神の姿を見るのかもしれない。



 六人目の琥珀色の髪を持つ令嬢は、明るく人好きのする笑みを浮かべていた。淡い金茶のワンピースドレスには枝葉の刺繍が流れ、まるで陽光を浴びた大樹のようである。

 側頭部に花の髪飾りをつけ、カチューシャのように細く編み込んだ髪の束が下ろした髪の毛と共に垂れているのが可愛らしい。


「ローゼ・ヴァルディアです。よろしくおねがいしますね!」


 確かヴァルディア家は農業や商業によって帝国の経済基盤を支えているはずだ。彼女の纏う親しみやすい雰囲気は、そうした家風が自然と表れているのかもしれない。



 七人目の紫銀の髪を片側へ流した令嬢は、どこか芸術家めいた雰囲気を持っていた。薄紫のドレスには音符とも蔓草とも見える意匠があり、本人の静かな美貌によく似合っている。


「イザベラ・オルフェウスです。お父様からアリエーチェ様は芸術に興味があると聞きましたわ。今日お会い出来るのを待ちわびておりました」


 学術、芸術、文化に携わるオルフェウス家は、アリエーチェが最も気になった家である。叶うならばオルフェウス家にも訪問してみたい、という欲をアリエーチェは抑えていたのだが。

 謁見の日の出来事を聞いていたのだろう。

 芸術品の保存状態にまで目を向けた他国の令嬢など珍しかったはずだ。アリエーチェ自身、あの日は思ったことをそのまま口にしただけなのだが。


 羞恥に顔を赤くしながら、視線をずらす。


 最後に礼を取ったのは、海の深みに近い青の髪を持つ令嬢だった。青緑を含んだ瞳は涼やかで、紺碧のワンピースドレスには波と竜を思わせる刺繍が施されている。

 後頭部でひとつに結ばれた髪は、他の令嬢達と比べれば短めだった。勝気な目と日に焼けた肌が活発そうで魅力的である。


「セシル・ドレイクですっ。うわぁー! 本当にお姫様みたいに綺麗っ! よろしくねー」


 海に面した領地を持つドレイク家は、海運から交易、物流までを一手に引き受けている家である。当主はとても豪快で明るく、そして声も大きかったが、彼女はとてもよく似ている。

 フォルシオから、ドレイク家は敬語はきちんと使えるが、基本的には陽気で明るく気さくなため、敬語でなくても気にしないようにと言われていた。

 彼女を見て思う。嫌な気持ちになるどころか、とても気持ちよくなる。決して無礼に振舞われているわけではなく、礼儀の上に陽気さが重なっているので気持ちが良い。

 思わずこちらまで笑顔になってしまうような笑みだった。


 八人の名乗りを受け、アリエーチェも静かに礼を取った。


「アリエーチェ・マラッソです。本日はお招きいただきありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」


 緊張はしていた。けれど、謁見の間で皇帝へ礼を取った時のような息苦しさはない。彼女達の眼差しには好奇心があった。だが、値踏みをするような冷たさは感じなかった。

 イザベラの言葉で羞恥を覚えた時はどうなることかと思ったが、セシルの明るさに救われた気がした。



 席へ案内される前に、ヴィヴィアンの視線がアリエーチェの装いへ向けられた。


「そのお召し物……星霞絹を使っていらっしゃいますのね」

「はい。全てではありませんが、一部に使用しております」


 アリエーチェは自分の袖口へ視線を落とし、その部分に触れた。淡い銀青の光沢は温室の陽光を受け、銀から薄紫へと揺れていた。


「お母様から伺っていましたわ。レグソン王国のマラッソ侯爵家には、光で色を変える絹があると」

「父からも聞いたことがあります」


 セラフィーナも頷く。彼女達がアリエーチェに興味を持ち、家のことを知ろうとしてくれたことに感謝する。


「皇宮で披露された特級品はそれは見事だったと。けれど、こうして近くで見ると、礼装とはまた違った美しさがありますのね」

「ありがとうございます。今日のものは昼のお茶会に合わせて控えめに仕立てていただきました。王国では、どれほど高価な生地でも全面に使いすぎるのは品位を欠くと考えられておりますので」

「分かりますわ」


 ルシアナが静かに同意した。八人の令嬢の中で一番落ち着きのある声は、するりとアリエーチェの耳の奥に入ってくる。


「良い物は多く使えば良いというものではありませんもの」

「ええ。美しいものほど、使い方が難しいのだと思います」


 そう答えた時、イザベラの目が少しだけ輝いた。芸術とはすなわち美学である。定型のない世界に身を置くイザベラが、目元をやわらげてアリエーチェを見つめた。


「その考え方、とても好きですわ」

 気付けば、先程よりも空気が柔らかくなっていた。


 円卓につくと茶が注がれる。香りは華やかすぎず、冬の温室に相応しい穏やかなものだった。

 少し会話が落ち着いたところで、アリエーチェは侍女長へ視線を向ける。


「少し早いのですが、お手土産をお渡ししてもよろしいでしょうか」

「まあ」

「楽しみですわ」


 ヴィヴィアンが楽しげに目を細め、他の令嬢達も興味深そうに姿勢を正した。

 侍女長の合図で、先程預けた大きな白木の箱の中から、白木の小箱が令嬢達の前へ置かれる。蓋にはマラッソ侯爵家の家紋が控えめに焼き印で刻まれていた。


「大したものではありませんが、故郷から持ってきたものです」


 箱の蓋がそれぞれの手で開かれる。

 中に入っていたのは、星霞絹の端布を使った刺繍栞と、小さな香り袋だった。


「栞ですのね」

「まあ、刺繍が細かいですわ」


 エミリエンヌが栞を持ち上げる。薄い布地に銀糸と淡い色糸で小花が刺されていた。八人分、柄は全て異なる。

 栞に刺繍された意匠は様々だった。花や蔓草、波模様に星を思わせるものまである。元々は趣味として作り溜めていたものであり、最初から今日のために用意したわけではない。

 ヴィヴィアンには星図を思わせる蔓草、エミリエンヌには月桂、エレナには紅い小花、ルシアナには鎖のように繋がる銀糸、セラフィーナには百合、ローゼには樹葉、イザベラには音符に似た蔓、セシルには波模様。

 元々は気の向くままに刺繍していたものだ。けれど、並べてみれば不思議と彼女達の雰囲気によく似合っていた。準備の時間があって本当に良かったと痛感したものだ。


「全て違うのですか」

「はい。皆様のお家の象徴を直接使うのは恐れ多かったので、少しだけ連想出来るものを選びました」


 控えめに言うと、令嬢達は顔を見合わせた。


「それを気遣いと言うのですわ」

「とても嬉しい~! 見て、波模様だよ! かーわいー」


 セラフィーナの柔らかな指摘に被さるように、セシルが刺繍栞を手に明るい声を上げていた。


 香り袋には二級品の星霞絹が使われていた。衣装にするには光沢が弱いが、小物に仕立てるには十分に美しい。中にはマラッソ領で乾燥させた花や香草が入っている。


「こちらにも星霞絹を?」

「二級品です。衣装には向きませんが、こうして小物にすれば長く使えますので」

「えっ、すごい贅沢。でも、私の家の領地には商業都市があるから絶対に人気でそう~」

「ローゼは直ぐに商売のことを話すんだから。でも、とても良い使い方だと私も思うよ」


 ローゼは商売の視点からの言葉を発し、それを笑って指摘しながら、そっと香り袋を鼻先へ寄せるエレナの姿は、本当に麗しかった。

 凛々しいだけではない。女性らしさも兼ね備えたその姿は不思議なほど目を引く。思わず胸がときめいてしまうほど素敵だった。


 エミリエンヌとルシアナはお互いの刺繍を見比べ、香り袋の向きを変え、光の当たり具合が変わると色が変わるのを確かめていた。

 目を瞬かせ、その後に上げた喜びの笑い声は、爽やかな初夏に鳴く小鳥のような軽やかで心が弾むものだった。


「布を余らせないのですね」


 イザベラが刺繍栞と香り袋を確認するように見ながら、問いかけにも似た声で尋ねる。

 アリエーチェはそれに同意するように頷いた。


「職人達が織ったものですから。最後まで美しく使えた方が嬉しいのです」

「アリエーチェ様は、物を見る時に作った人のことまで考えるのですね」

「考える、というほど立派なものではありません。ただ、美しいものが箱の中で忘れられるのは勿体ないと思うのです」


 それは鈴蘭の髪飾りにも思ったことだった。

 一度悲しい記憶と結び付いたとしても、物そのものの美しさが失われたわけではない。人の目に触れ、誰かに綺麗だと思われるべきものがある。

 その考えを口にすることはしなかったが、胸の内で静かに頷いた。

 美しいものは、人に見られてこそ美しいのだから。


 手土産を受け取った令嬢達は本当に喜んでくれた。社交辞令ではないことは、栞の刺繍を何度も見返す様子で分かる。

 やがて茶菓子が運ばれてきた。

 焼き菓子、果実の砂糖漬け、淡い色のクリームを挟んだ小菓子。どれも美しく、見ているだけで楽しい。

 その中に、艶やかな茶色の小さな菓子があった。アリエーチェは思わず目を輝かせる。


「チョコレート……」


 声は小さかったはずなのに、隣にいたヴィヴィアンには聞こえたらしい。


「お好きですの?」

「はい。とても」


 答えた声に、自分でも分かるほどの熱が乗っていた。


「王国ではまだ高価なもので、侯爵領では頻繁に口に出来るものではありませんでした。けれど父が王都へ行く度に、母や兄達と食べる分を買ってきてくれたのです」


 父は必ず同じ店の箱を抱えて帰ってきた。母は紅茶を用意し、兄は自分の分を早々に食べ終えてアリエーチェの皿を見た。もう一人の兄がそれを咎め、父が笑い、母が仕方ない人達ねと言う。

 今思い出しても、何でもない午後だった。けれど何でもないからこそ、幸せな記憶として残っている。

 王都での生活を主体にしてからも、アリエーチェが努力をすればご褒美として父はチョコレートを買ってきてくれた。

 帝国に来てからというもの、あの頃は当たり前だと思っていたことが、どれほど大切な時間だったのかを考えることが増えた。


「素敵な思い出ですね」


 エミリエンヌが優しく言う。王国のチョコレートは目の前にあるものよりもシンプルだった。でも、見た目よりも両親の思いこそがアリエーチェにとっての最高のご褒美だった。

 味はもちろん美味しかったので好物になった。


「ええ。ですから、チョコレートを見るとつい嬉しくなってしまって」


 アリエーチェが少し照れて笑うと、ヴィヴィアンは侍女へ視線を向けた。


「エルザ、チョコレートを多めに」

「かしこまりました」

「そんな、お気遣いなく」

「いいえ。好きなものは食べるべきですわ」


 当然のように言われ、アリエーチェは目を瞬かせた。その言葉が可笑しくて、嬉しくて、自然と笑みが零れた。



 お茶会は和やかに進んだ。

 王国の話、帝国の話、学園の話、好きな本や劇の話。誰かが話せば誰かが相槌を打ち、また別の誰かが別の角度から言葉を重ねる。

 アリエーチェは、同じ年頃の令嬢とこれほど肩の力を抜いて話したことがあっただろうかと思った。

 王国でも茶会はあった。けれどヒューバードに執着している、婚約者候補に一番近い存在として見られることが多く、何を言っても意味を持たされる。

 親しくなりたいと思っても、立場の方が先に来ることが少なくなかった。

 ここでは違う。

 皇弟妃予定であることを忘れられているわけではないだろう。だが、それだけを見られているわけでもなかった。


「ところで」


 ヴィヴィアンがふと視線を動かす。その視線の先はアリエーチェではなく、その後ろにいるシェリアだった。


「シェリアさんの腰にあるものは何かしら」


 その言葉に、令嬢達だけでなく控えていた侍女達の視線までシェリアへ向いた。

 シェリアのことはさらりと告げただけなのに、名前をしっかりと覚えているヴィヴィアンを流石だと思う。

 王国の貴族の中には使用人の存在など空気だと思う者もいる。なので名前を覚える必要も無いと考える者は少なくなかった。

 シェリアは少し驚いたようだったが、すぐにアリエーチェへ許可を求める。アリエーチェが頷くと、彼女は腰に付けた白革のポーチへ手を添えた。


「こちらは水光宮の使用人が職務中に身に付ける携行用ポーチにございます」 「携行用ポーチ?」

「はい。懐中時計や手帳、万年筆、裁縫道具などをまとめて入れております」


 ヴィヴィアンの瞳が明らかに輝いた。知識欲を刺激されたのか、ポーチから視線が外れない。


「便利そうですわね」

「おっしゃる通り、便利です」


 シェリアは即答した。

 あまりにも迷いがなかったので、アリエーチェは思わず笑ってしまう。令嬢達も同じだったようで、温室に柔らかな笑い声が広がった。


「そんなにですの?」

「はい。以前は必要なものを都度取りに戻ることもありましたが、今は大抵のことはその場で対応出来ます。特に外出時はとても助かります」


 シェリアは控えめに語っているが、その言葉には実感がこもっていた。控えの卓にいた侍女達の視線は、もう完全にポーチへ釘付けである。

 それに気付いたローゼが、自分の侍女へ声を掛けた。


「見せてもらう?」

「……可能であれば」


 真面目に答えた侍女の声が、少しだけ早かった。その反応にエレナが笑う。


「これは見せてもらった方が良さそうだね」

「シェリア、構わない?」

「もちろんです」


 シェリアは席を立ち、控えの卓へ向かった。そこからは、令嬢達よりも侍女達の方が真剣だった。

 ポーチの外側は白革に淡青と銀糸の刺繍。水光宮の白鷲と二本の麦穂が控えめに入っている。見た目は小ぶりだが、開けば中にいくつもの仕切りがあった。


「こちらは懐中時計用です。内側に柔らかい布が張られているので傷が付きにくくなっています」

「まあ、時計専用ですか。流石は皇弟殿下。懐中時計は高級品ですのに」

「こちらは万年筆。こちらは手帳。裁縫道具は布に包んで入れています」


 侍女達が頷きながら覗き込む。


「髪留めも入るのですね」

「予備のリボンも」

「外出時に便利です」

「便利ですね……」


 その呟きは侍女達全員の本音だったのだろう。ヴィヴィアンが楽しそうに尋ねた。


「あなたも欲しい?」

「叶うのであれば」


 アストレア家の侍女はきっぱりと答えた。そこからは怒涛の勢いであった。


「私も欲しいです」

「出来れば小型のものを」

「裁縫道具と手帳を分けたいです」

「鍵を入れる場所があれば助かります」


 さり気なくアストレア家の侍女長が意見を出しているではないか。鍵を持つなど侍女長でないと言い出すはずがない。

 普段は主人の後ろで静かに控えている侍女達が、次々と現実的な希望を述べていく。令嬢達は驚いたように目を瞬かせ、それから揃って笑い出した。


「そんなに困っていたの~?」

「困っていたというほどではございませんが、あれば便利かと」

「それを困っていたと言うのではなくて?」


 エミリエンヌの言葉に、侍女達は否定しきれない顔をした。

 アリエーチェはその様子を眺めながら、シェリアのポーチを改めて見る。

 水光宮では当たり前のもので、帝国の標準だと思っていた。しかし、当たり前なのは水光宮の中だけだったのだ。

 美しく、実用的で、職務を助ける。そう考えれば、他家の侍女達が欲しがるのも当然なのかもしれない。


「各家で作れば、それぞれ違う意匠になりそうですわね」


 イザベラがそう発言すると、令嬢達も揃って頷いた。


「確かに。家の色を使えば見分けもつきますもの」

「形も変えられますわね。鍵を多く持つ者と、裁縫道具を多く使う者では必要なものが違いますし」

「それなら、うちは少し丈夫なものが良いな」

「あたしのところは、やっぱ潮風や水に強いものだね~」


 エレナの言葉にラグニス家の侍女が深く頷き、セシルの言葉に侍女は勇ましく拳を握っていた。それぞれの家ごとに侍女にも特徴があるのだろう。

 気付けば話は、侍女用ポーチをどのように作るかという実に具体的なものになっていた。

 アリエーチェは不思議な気持ちでそれを見ていた。

 自分はただ、シェリアが使っているものを便利だと思っていただけだ。流行を作るつもりなどない。そもそも、これが流行になるとも思っていない。

 けれど令嬢達の目は本気だった。そして侍女達の目はもっと本気だった。

 アリエーチェはこれまで多くの本を読んできた。しかし、実際に体験したことのない事柄に関しては想像しか出来なかった。

 今、ひとつの表現をアリエーチェは理解した。

 獲物を狙う獣、もしくは狩人の目は絶対にこれだ。



 楽しい時間は驚くほど早く過ぎていった。

 気付けば温室へ差し込む陽光は傾き、白い円卓の上に長い影を落としている。


「名残惜しいですわ」


 ヴィヴィアンがそう言うと、他の令嬢達も同意するように頷いた。


「次は我が家にもきてください。商業都市の本気をお見せしますよ」

「父の書庫に古い楽譜があるのです。アリエーチェ様ならきっと楽しんでくださると思いますわ」

「私の家には宗教絵画がございます。少し古いものですが、保存状態は悪くありませんの」

「ドレイク家には海図が沢山あるからね!」


 次々と誘いの言葉が重なる。それが単なる社交辞令ではないことは、声の弾みで分かった。アリエーチェが好みそうなものを理解してくれた上でこうして誘い文句にしてくれている。


「是非、伺わせてください」


 その返答に令嬢達は嬉しそうに笑った。帝国で、初めて同じ年頃の友人が出来たのかもしれない。

 まだそう言い切るには早い。けれど、別れを惜しいと思える時間があることを、アリエーチェは少し嬉しく思った。



 水光宮へ戻ると、潮暎館前の車寄せでリリアーナが出迎えてくれた。

 いつも通りの落ち着いた表情である。だが、アリエーチェの顔を見るなり、ほんの僅かに目元を和らげた。


「楽しいお茶会だったようですね」

「ええ。とても」


 その一言を口にした瞬間、胸の中にあった楽しかった時間が一気に溢れ出しそうになった。

 ヴィヴィアン達がどれほど優しかったか。

 星霞絹を美しいと言ってくれたこと。

 手土産を喜んでくれたこと。

 チョコレートを見て思わず声を出してしまったこと。

 そしてシェリアのポーチが、思いがけず侍女達の注目を集めたこと。

 話したいことが多すぎて、どこから話せばいいのか分からないほどだった。


「リリアーナ、あのね」


 思わず子供の頃、聞いて欲しいことがあるのだと母に話しかけた時のような言い方になってしまう。気付いて少し恥ずかしくなったが、リリアーナはそれについては何も言わず、柔らかに頷きながら中へと促した。


「お部屋で伺いましょう。まずはお召し替えを」

「ええ」


 澄華区へ戻るまでの道すがらも、アリエーチェは何度も口を開きかけた。けれど一つ話せば全て話したくなる。そう分かっていたから、何とか堪えた。

 部屋へ戻り、ワンピースドレスを脱ぎ、髪飾りを外す。白ガラスの鈴蘭は今日の光を含んだように、宝石箱の中で淡く輝いていた。

 シェリアが柔らかい布で軽く磨いた後、宝石箱の中へ丁寧にしまう。


「お嬢様、皆様とても素敵な方々でしたね」

「ええ。本当に素敵で気持ちの良い方達だったわ」


 リリアーナが茶を用意してくれた後、ようやくアリエーチェはお茶会の話を始めた。

 話しながら、自分がどれほど楽しかったのかを改めて知る。

 好きなものを好きだと語り、相手の好きなものにも耳を傾ける。たったそれだけのことが、こんなにも心を軽くするのだと知った。


「次はアストレア家の書庫を見せてくださるそうなの」

「まあ」

「それからオルフェウス家の楽譜も。ドレイク家には海図があるそうよ」

「それはアリエーチェ様がお喜びになりそうです」

「ええ。楽しみだわ」


 口にした途端、胸が弾んだ。楽しみ、帝国へ来てから、そう思うことが増えている。王国の日々に不満はなかった。ただ、心から楽しみだと思うこともなかった。それを思うと今のこの心は、きっと幸せなことなのだろう。

 夕食の席でも、話題はお茶会のことになった。


 フォルシオは向かいの席で楽しそうに聞いてくれている。アリエーチェが令嬢達の名前を一人ずつ挙げると、それぞれについて短く説明を加えてくれた。


「ヴィヴィアンは昔から好奇心が強いんだ。気になるものを見付けると、すぐに調べたがる」

「今日もそうでしたわ」

「だろうね」


 フォルシオは可笑しそうに笑う。


「それで、楽しかった?」

「はい。とても。皆様、わたくしの手土産も喜んでくださいましたし、チョコレートも沢山用意してくださいました」

「それは良かったね。君の気持ちが彼女たちにきっと伝わったはずだよ」


 穏やかな声だった。


 その声を聞いていると、今日あったことを全部聞いてほしいと思ってしまう。


「それから、シェリアのポーチがとても注目されましたの」

「ポーチ?」

「はい。水光宮の使用人が使っている携行用のものです。皆様の侍女達がとても興味を持っていらして。欲しいかと聞かれて、ほとんど即答していましたわ」


 思い出すとまた笑いが込み上げる。

 だがフォルシオは笑うだけではなかった。少し考えるように目を細め、それから静かに言った。


「広まるね、きっと。アリエーチェの名前で」

「まさか。そんな……わたくしが考えたものではありませんのよ?」

「便利なものは広まるよ。特に、見た目も良くて実用的なら尚更だ。これまで誰も気にしていなかった。あの令嬢達はここに来ることはないから知らなかった。けれど、君と接したことでその存在を知った。アリエーチェ、君がポーチの存在を仲介したんだよ」


 その言葉は冗談ではなかった。外交を担う皇子として、彼は流行や文化が生まれる瞬間を何度も見てきたのだろう。


「水光宮から始まる流行ですか?」

「そうなるかもしれないね」


 フォルシオの顔は実に楽しそうだった。これから先を見ているのだろうか。流行の広がりを様々な国で見てきた男の目にはどう映っているのだろうか。


「アリエーチェが関わると、美しいものが人の手へ渡っていくのかもしれない」

「わたくしは何もしておりませんわ」

「本当にそうかな」


 アリエーチェは少しだけ首を傾げる。

 自分は本当に何もしていない。ただシェリアが使っていたものを、他の侍女達が便利そうだと言っただけだ。

 けれど、もしあのポーチが広まるのなら。

 侍女達の仕事が少し楽になるのなら。

 それはきっと悪いことではない。いや、間違いなく良いことだ。働きやすい環境があれば、人はもっと力を発揮出来る。水光宮の使用人達を見ていれば、それはよく分かった。


 そう思いながら、アリエーチェは温かなスープを口に運んだ。

 その日、水光宮の夕食はいつもより少しだけ賑やかだった。

 そしてアリエーチェの胸の中には、次のお茶会を楽しみに思う気持ちが、確かに芽生えていた。



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