【番外編①】 侯爵令嬢たちのお茶会へ
謁見から五日後。
白耀月も半ばを迎えていた。
ベルロア帝国では一年を十三か月に分ける。各月は二十八日で統一されており、月末になると必ず次の月の同じ曜日が訪れる。さらに一年の終わりには星冠日と呼ばれる特別な祝日が存在した。
王国とは異なる暦にも少しずつ慣れ始めていたが、未だに手帳を見返すことはある。
アリエーチェは暦における呼び名が好きだ。美しい響きが愛しい。
帝国では氷星月から始まり、白花月、若葉月、花冠月と季節を巡っていく。王国の雪星月、初花月、芽吹月、花盛月もまた同じ季節を示しているのに、そこへ込められた感性は少しずつ異なっていた。
例えば帝国の「白耀月」は、雪に閉ざされた静かな輝きを思わせる。対して王国の「白雪月」は、その名の通り雪そのものを表しているように感じられた。
曜日も同様である。帝国では月光日、水流日、炎陽日、蒼風日、大地日、星辰日、太陽日。王国では銀月日、清流日、火陽日、青風日、豊土日、星見日、陽光日。
意味は近くても表現が異なる。その違いを知るのもまた楽しかった。
なお、一年の終わりと始まりを繋ぐ星冠日だけは大陸共通である。
水光宮に務める使用人達へのお披露目も終わり、アリエーチェはまだ婚約者の立場でしかないが、皇室に認められた皇弟妃予定として扱われていた。
使用人から「妃殿下」と呼ばれることだけは止めた結果、「アリエーチェ様」と呼ばれているが、「妃殿下」や「奥様」に比べるまでもなくマシだった。
公務があるわけでもないアリエーチェは、帝国に慣れるためにリリアーナから昼一つから昼三つまでの時間を勉強に充てている。昼食後の二時間である。この時、シェリアも共に学んでいるのはそちらの方が効率が良いからだ。
初めの頃、シェリアは主人と同席は出来ないと言っていたが、帝国は効率主義なところもあり、何度も個別に教えるよりは纏めた方が早いからとリリアーナに言い含められていた。
アリエーチェの私室の隣にある書斎でも良かったのだが、フォルシオがどうせならば一階の小図書室を使えば良い、とそちらを勧められた。
その理由はすぐに判明した。一階の流水区最奥にある小図書室であれば、時間が出来たセドリックや外交補佐官で水光宮の書記官でもあるレオン・ハルヴェルト、それから外交庁書記官のユリウス・ベルトランが顔を出せるからである。
フォルシオが直接雇用しているのは護衛騎士のジークハルト、セドリック、レオンである。ユリウスはあくまでも出向で水光宮に来ているのだが、有能なためにフォルシオが外交庁から引き抜こうとしては先方も抗っているという状態である。
この四人がフォルシオの公私を支えており、他国へ赴くことが多いフォルシオの守りでもあった。
カラァーン――……
鐘の音が聞こえ、アリエーチェは集中を解いた。この水光宮では至るところに時計があり、時を報せる鐘が一日に四回鳴る。
朝九つ、昼、昼三つ、夕六つ。鐘の音はアリエーチェ達よりも使用人の為にあると言っても過言ではないだろう。
時計は王国において高級品だった。アリエーチェの実家では父の執務室に壁掛けの振り子時計があっただけ。王都の広場には時計塔が建てられていたが、庶民はその時計塔が一日を知る全てだった。
ところが、帝国では技術が発展しているためか、庶民には手が出しにくいものの、商人や職人などでも時計を有している。何よりも、とても小さいのだ。
水光宮の使用人は見習いや新人には無いが、それ以上の使用人には機械式手巻き時計が与えられている。
掌で包み込める大きさの懐中時計というもので、シェリアもフォルシオから直接手渡されていた。
蓋にはフォルシオの紋章である白鷲に二本の麦穂が刻まれ、青玉が飾りとなった、まさに水光宮の使用人のために作られた時計は、銀と言うには複雑な色合いをしていた。
話を聞くと、銀と白金を合わせたことで生まれた色なのだという。本体の裏側には与えられた者の名前が刻まれており、水光宮の使用人として認められた証として使用人からの評判はかなり良い。
シェリアも懐中時計は便利で、決められた時刻通りに動くことが求められている以上、いつでも手元で確認できることはありがたい、と遠慮なく受け取っていた。
アリエーチェも見せてもらったが、美しい装飾と彫刻に思わず羨望の言葉を漏らしてしまったほどだ。
「アリエーチェの時計は今作ってもらってるから待っててね」
「作ってもらってる……?」
「それはそうだよ。これは使用人用なのだから。君のは君専用のものを作るに決まっているだろう?」
「あ、ありがとうございます……?」
そんなわけで、アリエーチェ用の懐中時計はまだ手元には来ていないが、贈られる日が待ち遠しいものである。
さて、鐘の音が聞こえて講義は終わりだ、と軽く背を伸ばしたアリエーチェの隣で、冊子に書付をしていたシェリアは遠くへと目を向けていた。疲れたのだろう。気持ちはよく分かる。
万年筆という筆記用具も帝国で初めて出会ったものだ。内部にインクを補充し、文字を書くと自然にインクが流れ出る仕組みらしく、羽根ペンよりも使い勝手が良かった。
羽根ペンは軽いから良いのだが、先端が潰れるのも早く、インクをつける手間がかかる。そしてインク瓶を倒すと悲劇が生まれる。
万年筆はそれを避けてくれるのもあり、アリエーチェはすっかりその虜である。しかも、フォルシオが用意してくれていたのは白木の軸のもので、装飾はないが、木目が大変に美しい、同じ模様が存在しない唯一無二である。
金のペン先も、白木の軸も、美と効率を兼ね備えており、芸術に目がないが、同時に現実的でもあるアリエーチェのことをよく理解しているとわかる。
もっとも、その万年筆で講義の内容よりも軸の木目を眺めている時間の方が長いのではないか、とリリアーナには疑われていたが。
「アリエーチェ様、よろしいでしょうか」
扉を三回叩く音。そして少し待って開かれる扉。この小図書室は私邸の中では公的な場所でもあるので、リリアーナを介して入室許可を出すやり取りはしないことになっている。
中に入ってきたのはセドリックで、いまの時間であれば潮暎館にいるのではなかったか、と思ったのだが、銀盆を手にしていた事でその上にある手紙が理由なのだと察した。
「こちら、八侯爵家がご令嬢様方よりアリエーチェ様へお茶会の招待状です」
「そう。シェリア」
「はい」
素早く立ち上がって壁際に立っていたシェリアがセドリックに近寄り、一通の手紙を受け取る。
かつて帝国になる前、公国の時代に八の王国があった。ベルロア公国は様々な理由が重なった結果、独立を果たして運河の交わる特異な地に根を下ろした。
飛竜ヴェルガルドは後の建国王が偶然に卵から育てた、彼の友であり、ベルロア帝国となる最大の理由でもあった。
当時のこの地において竜は恐怖の対象であった。他にも幻獣のいる国はあるが、飛竜の体躯は比較出来ないほど大きく、恐れの対象だった。
知性が高く、誇り高い飛竜は人間に懐くことはなかった。それを覆したのが建国王で、彼とヴェルガルドの友情と、ヴェルガルドが導いた飛竜達により、八王国はベルロア公国に恭順し、ベルロア帝国となった。
独立前の国は征服されて既に断絶しているが、八王国はその血を残すことが許され、今の侯爵家となっている。
その八侯爵家のご令嬢から連名で招かれたお茶会。
アリエーチェはセドリックに顔を向けると問い掛けた。
「フォルシオ様はなにと?」
「アリエーチェ様のお心のままに。お会いすることに問題はなく、恐らくはよき関係になると」
「分かったわ。リリアーナ。わたくしが国より運び入れた中で手土産に出来る品は分けていたわね? 選ぶのに協力してちょうだい」
「かしこまりました」
「シェリアはドレスの確認を。後でリリアーナの意見も聞くけれど、あなたならわたくしの好みを誰よりも分かっているでしょう?」
「もちろんです」
「セドリック。フォルシオ様に、お茶会に参加することをお伝えして」
「かしこまりました」
アリエーチェ本人は特に気にしてはいないのだが、セドリックとリリアーナは指示を出すことに慣れた様子のアリエーチェに安堵していた。帝国と他国では国力が異なる。近年の皇族で他国から妃を迎えるのはアリエーチェが初めてだが、貴族家には他国より迎え入れた女性が引け目を感じ、使用人に指示を出さないことがある。
主人に仕える者として、独断で行動することは余程の事がない限り避けるべきことである。与えられた指示の中で主人の望みを叶えることが使用人のあり方なので、アリエーチェはその点で理想的であった。
お茶会は三週目の蒼風日に行われる。今日が週の始まりの月光日なら、準備の時間は充分にあるだろう。少なくとも謁見の日よりは心に余裕がある。
「是非ワンピースドレスでお越しください、と書いてあるわ。リリアーナ、これはそのまま受け止めていいの?」
「はい。帝国で昼に行われるお茶会は基本的に軽装となります」
「ふふ。配慮してくださったのね。王国の基準だと夜会ほどではなくても着飾らないと駄目なの。どなたか王国のことをご存知下さってたのね。シェリア、お願いね」
「はい。蒼風日……王国の青風日と似た響きですね」
アリエーチェが王国のお茶会に参加する時は、招かれた日の名前も含めてドレスを選んでいた。ドレスに悩んだ夫人が考えたこと、と言われているが、王国の令嬢達は恥をかかない無難なドレスを選べるという意味では救われていた。
帝国の流儀に従うことも大切だろう。けれど、今回は王国から来たアリエーチェ・マラッソとして招かれているのだ。ならば、王国の良さも知ってもらえる装いにしたいと思った。
セドリックが潮暎館に戻るのを見送ると、講義に使った教材をまとめる。それらはシェリアがアリエーチェの部屋に運んでくれるので、リリアーナと共に潮暎館へと赴く。
セドリックと共に行かないのは、どうしたって歩く速度が違うからだ。忙しい彼を付き合わせるわけにはいかない。
小図書室を出ると真っ直ぐに通路が伸びている。深い青の絨毯は水光宮に相応しい。そもそも、水光宮の建物全体が白と青で彩られている。屋根だけは帝国で赤と統一されているので変えられないが、それ以外はまさに水の宮殿に相応しい様相である。
いくつもの部屋を越え、突き当たりには壁ではなく扉がある。ここから潮暎館に繋がる石造りの回廊へ出るのだ。
潮暎館の一階、東翼の最奥に蔵品室がある。アリエーチェが実家から運んだものもあれば、フォルシオが贈られた物もここに保管される。
すぐ隣はレオンの書記官室があり、向かいには文官執務室がある場所で、鍵をかけて厳重に守られている蔵品室は安全な場所でもあった。
「鍵をお持ちなのは誰かしら」
「セドリックと私にございます。レオンさんは記録係で目録を管理しております」
「そう。急に行くことにしたけれど大丈夫かしら」
「問題ございません。セドリックに許可を得れば私が解錠します」
「分かったわ。お願いね」
「はい。それと、セドリックはフォルシオ殿下の執務室におりますので、アリエーチェ様、殿下のお仕事の様子をご覧になりませんか?」
手土産のことで頭が一杯になっていたアリエーチェは、リリアーナの申し出に虚をつかれたような顔をした。
フォルシオはこの水光宮の主だ。そして今は執務の時間である。そんな時に果たしてアリエーチェが顔を出して良いのか。
これが父ならば娘のわがままも多少は見逃されるが、フォルシオとアリエーチェは婚約者であり他人である。弁えなければならないのでは、と困惑してしまう。
「大丈夫ですよ。帝国は時間内に仕事を終わらせることが出来るならば、途中で婚約者が訪れても咎められることはありません。そう長く滞在することはございませんので問題は無いと判断します」
「では立ち寄ろうかしら」
皇弟執務室の扉は白木で作られていた。皇族の部屋と聞けば豪奢な装飾を想像するが、実際には驚くほど簡素である。もっとも、近付けば職人の手による繊細な彫刻が施されていることが分かる。白鷲と二本の麦穂。それは水光宮の紋章であり、この部屋の主を示す印でもあった。
リリアーナが三回扉をノックすると、中から先程見送ったばかりのセドリックが出てきた。蔵品室への入室許可と共に、フォルシオの仕事の様子をアリエーチェが見に来たと言えば、セドリックは何やら楽しそうに頷いて中へと誘った。
執務室へ足を踏み入れた瞬間、アリエーチェは思わず目を瞬かせた。
執務室とは、重厚な樫の机に威厳を示す装飾品が並び、権力を誇示するような空間を想像していたのである。王国では国王や宰相の部屋がそうであった。
だが、実際に目の前へ広がっていたのはまるで違った。
まず目を引くのは大きな窓だった。
天井近くまで届く窓から冬の日差しが惜しみなく降り注ぎ、白い石床の上に淡い光を落としている。窓の向こうには遠く臨潮閣と運河が見えた。緩やかに流れる水面は陽光を受けてきらめき、まるで光そのものが宮殿へ流れ込んでくるようだった。
室内は白を基調としている。壁も柱も机も、どこまでも明るい。元々館内はどこもかしこも白いが、特にこの部屋は白く感じた。
そこへ淡い青が添えられていた。深海を思わせる濃い青ではなく、晴れた日の空や浅瀬の水面を連想させる柔らかな青である。
ここは水だけでなく光も合わさっての宮殿なのだ。
執務机は部屋の中央近くに置かれていた。
白木と白石で作られた大きな机の上には書類が積まれている。しかし不思議なことに雑然とした印象はない。封書も報告書も地図も整然と並び、使われるべき場所に置かれていた。
机の向こう側には壁一面を覆うほどの巨大な地図。さらに別の壁には書棚が並んでいる。
帝国法典。外交記録。各国の地誌。年代ごとに整理された報告書。
アリエーチェは背表紙に書かれた文字を読んだだけだが、その種類の豊富さに目が奪われた。
書物が好きな者にとって、これほど心躍る光景もそう多くはない。例えそれが書類関係だとしてもだ。
そして暖炉の上には、水光宮の紋章である白鷲と二本の麦穂が飾られていた。
過度な装飾はない。けれど目に映るもの全てがこの宮殿に相応しく誂られていた。
美しさのために作られた部屋ではなく、仕事をするために整えられた部屋が、結果として美しくなったような空間だった。
その在り方は、どこかこの部屋の主によく似ている。
アリエーチェは自然と笑みを浮かべた。なるほど、フォルシオ・ベルロアという人物を部屋で表すなら、きっとこうなるのだろう。
その部屋の主は机の両端に山と積まれた書類を、一心に捌いていた。アリエーチェと話す時は柔らかな笑みを浮かべているのに、仕事に向き合っている時は真剣な眼差しで、笑みも浮かべていない。
仕事に向き合う者としては当然の姿なのだろう。それでもアリエーチェには、いつもとは違う彼の表情がどこか新鮮に映った。
「セドリック、書類か」
「いえ。お客様です」
「今日は来客の予定入っ……アリエーチェ!」
「お邪魔していますわ」
「君が邪魔なことなどあるわけがない。ここまで来てどうしたの?」
「招待を受けたお茶会に持っていく手土産を、蔵品室から選ぼうかとおもいまして。リリアーナがフォルシオ様のお仕事の様子を見ては、と言ってくれたので立ち寄りました」
「ああ、構わないよ。リリアーナ、お茶を用意して。アリエーチェ、こちらへ」
室内の簡易応接セットとでも言うのか。テーブルと長椅子が置かれた一角へと誘われて椅子に腰掛けた。
リリアーナが言っていた通り、特に邪魔をされたという様子もなく、笑顔をうかべたフォルシオにもてなされた。
茶を飲みながら他愛のない話を交わし、半刻ほどして書類へ視線を戻したフォルシオを見て、アリエーチェも席を立つと、執務室を後にした。フォルシオに気持ちを切り替えることが出来たから来てくれてありがとう、と言われて安堵する。
その後、レオンに立ち会ってもらい、選んだ手土産を一つの箱に詰める。小さいものなので軽いが、八人分は少々嵩張る。それをレオンが運んでくれたことはありがたい話であった。
尤も、運んでもらったのは流澄館の一階までで、その後は女性の使用人に頼んだ。フォルシオ以外の男性を澄華区に入れることは出来ないからだ。
そうして滞りなく支度が完了した蒼風日。アリエーチェは昼からのお茶会に向けて準備を進めた。
お茶会用に選んだのは、淡い銀青と白を基調としたワンピースドレスだった。
謁見で着用した礼装のような格式張ったものではない。柔らかな印象を与える昼用の装いであり、同じ年頃の令嬢との語らいの場に相応しい品である。
上身頃は乳白色の生地で仕立てられており、胸元から裾へ流れるように繊細な刺繍が施されていた。小花と蔓草を思わせる意匠は華美になりすぎず、見る者に上品な印象を与える。
腰には淡い銀青色のリボンが結ばれ、その色彩は空を映した湖面のようだった。
スカートは幾重にも重ねられた構造になっており、歩くたびに柔らかな布地が揺れる。裾には細かなレースがあしらわれていたが、決して主張は強くない。全体として軽やかで優しい印象を纏め上げている。
そして随所には星霞絹が用いられていた。
襟元、袖口、リボン、そして外側の飾り布。
光を受けると銀から淡い青、薄紫へと表情を変えるその織物は確かに美しい。しかし全面へ使用することは避けられていた。
レグソン王国では、いかに高価な生地であっても過度に用いれば品位を欠くと考えられている。王国ではそういった意味で制約が多かったのだな、と客観的に見ることが出来るようになっていた。
そのため、このドレスも星霞絹の美しさを活かしながら、それだけに頼らない仕立てとなっている。
可憐でありながら上品。目を引くが目立ちすぎない。まさに昼のお茶会に適しているはずだ。
髪は後ろで緩やかにまとめられ、編み込まれた銀髪が柔らかな曲線を描いている。耳元には数房の髪が残されており、普段よりも年相応の愛らしさが感じられた。
髪飾りは鈴蘭。本物ではなく、領地の職人が一輪ずつ吹いて作り上げた白ガラス製である。
乳白色の花弁は光を受けると僅かに透け、銀細工の葉と茎がその美しさを引き立てていた。まるで朝露を纏った鈴蘭が髪に咲いているようだった。
この髪飾りはアリエーチェが十三歳の誕生日の折り、領地のガラス工房が新しい技術を考え出して作り上げたものである。献上された髪飾りを見た時、母は美しいと呟き、父は工房へ褒賞を出したほどである。
宝石箱の中に大切にしまっていた髪飾り。一度ヒューバードと会う時につけて行ったことがあるが、何の言葉も貰うことは出来なかった。その時はひたすらに悲しかったけれど、今になって思うことがある。
ヒューバードは他者の装飾品に興味が無い。社交辞令とはして褒めるのは分かりやすいドレスで、誰がどんな首飾りや耳飾りを付けていても気にしていなかっただけなのだ。
好きな人に対してはどうかは分からない。ただ、目の曇っていたアリエーチェは真実が見え始めていた。
以前ならば、ヒューバードに目も向けられなかったことを悲しみ、二度と使わないと考えただろう。
しかし、それほど可憐な髪飾りを二度と使わないなど惜しい。人の目に触れるべきだ。そう考えたからこそ、今日のお茶会につけていくことを選んだ。
水光宮の紋章が刻まれた比較的落ち着いた馬車が、潮暎館前の車寄せに待機していた。
潮暎館に執務室があるからだろうか。フォルシオはわざわざ車寄せまで見送りに来てくれていた。本来はリリアーナだけが見送ってくれるはずだったのに、と思いながらも嬉しい気持ちになった。気に掛けてくれている、それが嬉しい。
同行者はシェリア一人。護衛には女性騎士一名と男性騎士三名である。
馬車には既に手土産が乗せられている。軽いものではあるが、多少嵩張る。それでも喜んで貰えると嬉しいと願いながら一つ一つを吟味して選んだ。
「それでは行ってまいりますわ」
「うん。楽しんでおいで。彼女達は独特の感性で生きているけれど、他人を貶めて喜ぶ性悪じゃない。むしろ面白いことを見付けると全力で飛び付く方かな。きっと君とも話が合うよ」
「分かりましたわ。気負わず楽しんでまいります」
女性騎士の手で馬車に乗り込むと、アリエーチェの斜め向かいに座るシェリアへと目を向ける。
シェリアが身に纏う水光宮のお仕着せは、白と淡い青を基調とした涼やかな色彩で統一されていた。胸元には白いスカーフリボンが結ばれ、肩や裾には銀糸による繊細な刺繍が施されている。華美ではないが質素でもない絶妙さは、皇弟宮に仕える侍女としての品格を感じさせた。
焦げ茶色の髪は低い位置で纏められ、白銀の刺繍が施されたヘッドバンドが添えられている。作業の邪魔にならぬ実用性と上品さを兼ね備えた装いは、まさに水光宮らしい。幼い頃から変わらず隣にいてくれる専属侍女は、今日も穏やかな微笑みを浮かべていた。
「前の侍女服も良かったけど、今のも似合っているわ」
「ありがとうございます。私もどちらも好きです。ただ、こちらで良かったのはこのポーチでしょうか。必要なものが全てまとめられて便利なのです」
はにかむように笑みを浮かべたシェリアが触れたのは腰の横に付けている少し大きなポーチである。
アリエーチェは水光宮に来て初めて見たのだけれど、女性の使用人は職務中にこのポーチを付けている。懐中時計を授けられたものはこのポーチに入れるので傷はつかないし、彼女達が日々必要とするものが纏まっているので実用的だ。
見習いの使用人は巾着タイプでスカートのポケットに入れているそうだが、このポーチでも使用人の階級がわかる。お仕着せのデザインにも違いがあり、そうやって言葉にしなくても見てわかるようになっている。
「リリアーナはすごいものね」
「はい。リリアーナさんのポーチは、水光宮の半分が納められていると使用人の間で言われていますよ」
「間違ってないわね」
リリアーナは執事のセドリックと同じく鍵を預かる立場だ。鍵を持つというのは主人からの絶大な信頼がなければならない。更に、リリアーナは三冊の手帳を使い分けている。
管理手帳と予定帳、そして個人情報が書き込まれた手帳である。客の好みや過去の来訪記録、滞在中の生活習慣などが書き込まれており、二度目に水光宮に来た時には完璧に対応しているという。
「見た目もいいわ。水光宮というのがすぐ分かるもの」
「綺麗ですよね……お嬢様。私はレグソン王国は母国として大切に思っています。ですが、帝国で初めてのことに沢山触れ、お嬢様にお許しを貰いここまで来れたこと、本当に良かったと思っております」
シェリアは両親を亡くした後、叔父の手で厄介払いのようにマラッソ侯爵家の下級使用人として働く予定だった。それをアリエーチェがお友達になるのだと勘違いし、結果として専属侍女になった。
あの日の勘違いがなければ、彼女は今ここにいなかっただろう。
水光宮に来た当初、シェリアが最も心配していたのは身分の問題だった。
両親を亡くした彼女は、実家との縁も決して強くない。いつ除籍されてもおかしくない立場である。
だが、その心配は杞憂に終わった。
帝国では実力があれば平民でも侍女として働くことが出来る。更にシェリアには身分保障のため、名誉男爵位が与えられる予定になっている。
その話を聞いた時の彼女の安堵した表情を、アリエーチェは今でも覚えていた。




