第7話:工作ロボ1号機の開発(ハイブリッド構造)
十一月に入ると、四国山地を吹き抜ける木枯らしが徳島キャンパスの木々を容赦なく揺らし始めた。
地上では吐く息が白くなり、旧加速器トンネルに沿って走るコンクリート通路は、ひんやりとした底冷えが足裏から這い上がってくる。しかし、幅八百五十ミリの防火扉を抜けた先には、今なお初夏の乾いた風が吹き、瑞々しい草原が地平線まで広がっていた。
「……人力の限界、完全に突破しました」
実験室の片隅、折りたたみパイプ椅子に倒れ込んだ佐伯が、湿布の貼られた両腕をだらりと垂らして呻いた。
「平日のうちに粘土の採掘二往復、炭窯への原木搬入、インゴットの鍛造……。先生、僕たち物理の大学院生ですよね? なんで筋肉痛で握力が二十キロ切ってるんですか」
「文句を言うな。お前のスクワットのフォームが悪いから腰にくるんだ」
蓮見は作業デスクの上で、数枚の配線図面と3Dモデルのレンダリング画像を睨み合わせていた。
「だが、佐伯の言う通りだ。観測拠点の整地、資材の運搬、定型切断――これらの定型作業に人間が毎回リソースを割いていては、本命の時空境界計測に手が回らん。自動化を進める」
夜九時過ぎ。
ガラガラと引き戸が開き、作業着姿の橘が、重そうな樹脂製コンテナを台車に載せて現れた。
「待たせたな。社内の試作ライン更新で余剰になってた、産業用のブラシレスサーボモーター四発と、遊星減速機を確保してきたぞ」
「来たか」蓮見の目が光る。
「桐生にも確認を取って、正規の手続きで研究用用途廃止部材として払い下げ書類を通してきた。それから、これが制御用のプログラマブルロジックコントローラ(PLC)と、大電流対応のモータードライバ基板だ」
橘がコンテナから取り出したのは、無機質で端正な地球の工業製品たちだった。手のひらにずっしりと重いブラシレスサーボ、金属筐体に収められたドライバユニット、精密な光学式ロータリーエンコーダ。
「これが地球から持ち込む『心臓』と『頭脳』だ」
橘が製図台の上に、一枚の構造図面を広げた。
「名付けて『ハイブリッド型作業ロボット一号機――ワンダバ・ローバー(WR-01)』だ。見ての通り、構造材の思想が完全に狂ってる」
図面を覗き込んだ三橋が、思わず目を丸くした。
「……フレームが木材? ロボットのシャシーが木製なんですか?」
「そうだ」橘が頷く。「地球側から高剛性のアルミ押出材やスチールパイプを大量に持ち込めば、また例の扉と搬入階段で佐伯が死ぬ。だから骨組みの大部分は、向こうの白い広葉樹から削り出した角材を使う」
「気乾比重零点六八。物性試験でも狂いが少なかった、あの木材だな」
蓮見が追補する。
「緻密で繊維方向の粘りがあり、内部摩擦による振動減衰性が極めて高い。金属フレームよりもむしろ、荒れた不整地を走る作業車両のダンパーを兼ねた構造材としては理想的な特性を持っている」
「そして、強度が集中するジョイント部、車軸の軸受けハウジング、ホイールハブ、アタッチメント取り付け部……こういった負荷がかかるキーパーツは、先日規格化した『W-Steel-300』インゴットから切削・鍛造して現地で削り出す」
橘は指で図面の各所を叩いた。
「全体の最大外形寸法は、もちろんWMS-800準拠。全幅七百八十ミリ、全長千二百ミリ、全高八百ミリ。前室のエアシャワーを無加工で通り抜けられるサイズだ」
「地球のモーターとエレクトロニクス、現地の木製シャシー、現地の鍛造炭素鋼」
佐伯が湿布の貼られた手を擦りながら呟いた。
「まさに、二つの世界のハイブリッド構造……!」
「感心している暇があるなら手を動かせ」
蓮見が工具箱を蹴り出した。
「平日の夜間枠で、共用分析棟の工作室にある汎用フライス盤と旋盤を押さえてある。橘の図面通りに、鉄インゴットから軸受けブロックを削り出すぞ」
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そこからの三日間、夜の徳島キャンパス地下には、金属と木材が削られる乾いた音が響き続けた。
過疎キャンパスの工作機械室は、誰の予約も入っていない完全な貸切状態だった。
蓮見がフライス盤を操り、現地製の中炭素鋼インゴットにエンドミルを当てていく。シュルシュルと青黒い切り屑が飛び散り、正確なベアリング圧入用の穴が開けられる。
佐伯は木工室の丸鋸盤と自動鉋盤で、乾燥させておいた現地木材を狂いのない正確な寸法の角材へと挽き割り、円柱形状が必要なジョイントピンやブッシュ部材だけを卓上木工旋盤で削り出した。
三橋は実験室のデスクで、マイコンボードへのモーター制御コードと、有線・近距離無線ハイブリッドの通信プロトコルを書き込んでいった。
金曜日の深夜。
実験室の中央に、無骨極まりない四輪の作業車両が組み上がった。
白く滑らかな木製のラダーフレームに、黒皮の残る鍛造鋼のブラケットがM8ボルトで強固に締結されている。四つの車輪には農機具用のラグタイヤが履かれ、それぞれが遊星減速機を介して独立したブラシレスサーボで駆動される四輪独立スキッドステア方式。中央部にはステンレスの密閉ボックスに収められた制御マイコンとバッテリーパックが鎮座していた。
車両の前部には、上下にチルトする作業用のアームマウントが備え付けられている。
「……組み上がり、完了」
橘がトルクレンチを置き、息を吐いた。
「総重量、約八十五キロ。大人二人で持ち上げられる重さに収まった。モーターの定格出力なら、平坦地で二百キロの資材を牽引できる」
「通信リンク、確立しました」
三橋がノートPCのエンターキーを叩いた。
「ローカル無線モジュールと、長距離用の光ファイバー有線リール、双方ともに応答正常。左右の四輪独立駆動系、エンコーダの追従性良好です」
「よし。週末組の合流を待って、現地で実稼働試験を行う」
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土曜日の午前。
非番の陣内が合流し、例によって全員が白長靴と給食キャップを身につけ、互いの背中をコロコロ粘着ローラーで丹念に清掃してから、防火扉をくぐった。
初夏の柔らかな陽光が注ぐ草原の前に、WR-01が静かに据え付けられた。
全幅七百八十ミリの車体は、前室のビニールカーテンを一切擦ることなく、スムーズに扉の敷居を越えてみせた。
「陣内、フィールドの安全確認は」蓮見が問う。
「異常なし」
私物の双眼鏡を目から離した陣内が頷いた。
「定点監視カメラのログにも、大型野生生物の侵入兆候はない。見通し良好だ」
「よし。WR-01、システム起動」
佐伯がゲームパッド型の無線コントローラーを構え、スティックをゆっくりと前方に倒した。
キィィィン……という遊星減速機の甲高いギア鳴りとともに、四つの黒いラグタイヤが異世界の赤土を力強く噛んだ。
滑らかに、そして力強く。
金属フレーム特有の甲高い振動音は木製フレームの内部で吸収され、WR-01はしっとりとした接地感を保ちながら草原の上を前進していく。
「動いた……! めちゃくちゃスムーズです!」
佐伯が声を弾ませる。
「旋回させてみろ、佐伯」橘が指示を飛ばす。「スキッドステアの挙動を見るぞ」
佐伯がスティックを横に倒すと、左右輪が瞬時に逆回転し、ロボットはその場でピタリと信地旋回してみせた。
「旋回トルク、余裕あり。木製フレームの振動減衰が効いてるな。不整地走行時の細かい高周波ノイズがかなり打ち消されてる。よし、次は第一テスト――整地アタッチメントの試験だ」
WR-01の前部に、現地製鉄インゴットを鍛造して作った排土板が取り付けられた。
実験棟前の緩やかな傾斜地。雑草が生い茂り、赤土の起伏がある地面に向かって、WR-01が前進する。
ザシュッ、とブレードが土に食い込む。
モーターが唸りを上げ、高トルクの減速機が赤土の塊をグイグイと前へ押し出していく。わずか十分の走行で、幅八百ミリ、長さ十メートルの平坦な通路が、綺麗に削り出された。
「……すごい」
三橋が感嘆の息を漏らした。
「今まで佐伯君と陣内さんがスコップで半日かけてやってた地ならしが、コントローラー操作だけで終わっちゃった……」
「これが動力化の威力だ」
陣内が腕を組み、満足そうに頷いた。
「次は牽引テストだ。炭窯から焼き上がった木炭五十キロ、それから川岸から切り出してきた粘土コンテナを積載しろ」
後部に連結された牽引キャリアに、ずっしりとした資材が積み込まれる。
積載重量、合計約百五十キロ。
WR-01は車体を軋ませることもなく、力強いタイヤの回転で坂道をグイグイと登り、防火扉の手前まで資材をピストン輸送してみせた。
定型資材の運搬、整地、さらには丸太の引きずり出し。
人間が汗だくになって何往復もしていた重労働を、WR-01は無言のまま、バッテリーが切れるまで淡々と肩代わりし続けた。
「……先生」
佐伯がコントローラーを握りしめ、半ば放心したように呟いた。
「僕、もう手作業で土を掘らなくていいんですね……?」
「掘りたければ掘ってもいいぞ」
「絶対嫌です! ロボット最高! 橘さん一生ついていきます!」
佐伯が橘に抱きつこうとして、油まみれの手袋で突き飛ばされた。
「馬鹿言え、まだ一号機の遠隔操作試験が終わっただけだ」
橘は笑いながらも、手帳に走行ログのメモを走り書きした。
「次は自律走行のプログラミングだな。GPSが使えないこの環境で、どうやって正確に自己位置を推定(SLAM)するか。ドローンの上空カメラと、地上マーカーの連携測位ルーチンを組む必要がある」
「その通りだ」
蓮見が夕暮れの空を見上げた。
作業を終えたWR-01が、整地されたばかりの平坦地に静かに佇んでいる。
夕日に照らされる白い木肌のフレームと、無骨な黒い鍛造鋼のパーツ。
「これで、平日の自動観測と資材集積を支える頑丈な『足』ができた。次に自律走行系を載せれば、人間が講義や会議に出ている間にも、定型ルートの巡回と資材運搬を任せられるようになる」
蓮見の視線は、整地された実験区画の先――遥か地平線の彼方に広がる、青く深い原生林へと向けられていた。
「足ができたなら、次は観測半径を広げる。あの原生林の向こう側まで、長距離探査ドローンを飛ばすぞ」
秋の夕暮れ、異世界の静寂の中に、冷却ファンの澄んだ回転音だけが規則正しく響いていた。
泥臭い手作業の開拓は一段落を迎え、科学者たちの「探査」は、未知なる広大空間の深部へと大きく踏み出そうとしていた。




