樹冠に散る血雨
千里は怒りで顔に青筋を浮かべた。
「このクソッタレが! 離しやがれッ!」
歯を食いしばり、腰の捻りから生み出した渾身の力を乗せて、千里は軍刀を太い幹に叩き込んだ!
深くえぐれた幹から木屑が弾け飛び、千里の顔に打ち付ける。
そのまま止まらずに二太刀、三太刀――!
怒涛の連続斬りで幹を深く抉り、その傷口から透明な樹液が溢れ出した。
「ハァッ、ハァッ……」千里が荒い息をつき、四発目を叩き込もうとした矢先。
頭上の樹冠から、おびただしい量の血が降ってきた。
顔に浴びた生温かい血を拭い去り、千里は焦燥で声を震わせた。
「おい、冗談きついぜ……アメイ!」
続いて落ちてきたのは、血塗れの短剣だった。
「……こんな状況で武器を手放すなんて、死にてえのか!」
焦りに駆られ、透明な樹液を流す幹の傷口めがけて再び斬りかかろうとした。
だが、不意にその動きを止める。
――違う……幹の傷口から流れてるのは、透明な樹液だ。
――だが、あのダガーの赤い血はあの触手のもののはず……
――アメイが触手を刺して傷つけたのなら、あいつから流れるのは血であって、樹液じゃねえっ!
「畜生、こいつは樹の化け物なんかじゃない……あいつはただ、樹の上に潜んでるだけだ!」
千里は軍刀を口にくわえ、素手でざらついた樹皮に指を突き立ててガムシャラに登り始めた。
樹皮に擦れて両手が血まみれになろうとも、枝に触れた途端、ベテランのマスト登りのように身を翻し、真っ暗な樹冠の奥深くへと飛び込んだ。
直後、暗闇からヒュンと空を裂く三つの音が襲いかかる。
千里が光の変化に目を慣らす間もなく、三本の太い触手が彼の左手、脚、そして胴体に巻き付いた。
すぐさま、奇妙な麻痺を伴う強烈な刺痛が、肌の接触面から広がっていく。
――なんて凶悪な毒だ! あの緑頭があっさり吊るし肉にされちまったのも無理はねぇな。
彼は右手で口から軍刀を引き抜くと、意志の力で強引に体を捻り、絡みつくものを力強く斬り払った。
拘束を振り払った千里は、完全にタガを外し、入り組んだ枝々の間を縦横無尽に飛び回る。
軍刀を握る手が止まらない。上下左右へと鋭く刃を翻し、四方から迫り来る触手を次々と斬り落としていく。
散らばる葉と枝の隙間から、宙吊りにされた人影をようやく見つけ出した。
「見つけたぜ! おい、持ち堪えろ!」
だが奇妙なことに、その人影の傍らではチカチカと火花が散っていた。
――ッ……あの火の光、どこかで見たような……?
思考を巡らせる間もなく、光が突如こちらに向かって放り投げられ、空中で「シューッ」と急かすような音を立てた。
「マジかよ、これは導火線だ!」
千里は一瞬で冷や汗を吹き出し、枝を猛然と蹴りつけて外へと跳び退いた。
すぐさま大爆発が起こる。狂暴な気流が樹冠のあらゆるものを吹き飛ばし、千里も巻き込まれて無様に地面へと叩き落とされた。
あの「触手」群もまた、折れた枝や葉と一緒に降ってきた。都合の悪いことに、彼のすぐ横にも、苦痛に身をよじる太い触手の切れ端が落ちてきた。
ここに至ってようやく、千里はこの生物の真の姿を理解した。
――この畜生、実は大蛇だったのだ! 鱗を樹皮そっくりに進化させ、胴体に無数に連なるイボから毒液を滲ませている……
――これがロベルトの言っていた「異常進化」ってやつか?
そしてすぐ先の茂みに落ちたアメイは、制御不能な痙攣に全身を支配されていた。顔中を涙で濡らしながら、涎を泥に垂らしていた。
彼女は震える手で腰から一本の解毒剤を引き抜くと、自分の首に向かってブチ込んだ。
その時、パニックを起こした一匹の蛇が、毒のイボだらけの体を蠢かせ、アメイのすぐ近くまで迫っていた。
アメイは痙攣したまま、太ももに備え付けた小型の弩へと手を伸ばす。
指先が武器に触れたのと同時に、毒蛇は一太刀で真っ二つに両断された。
千里はその勢いのまま足を振り抜き、毒を噴き出し続ける死骸を遠くへ蹴り捨てた。
「よぉ、爆弾魔」千里は刀身の汚れを振り払い、荒い息をつきながらアメイに歩み寄る。
「その解毒剤ってのは、自力で歩けるようになるまで効くのか? それとも……この隊長サマが、直々におんぶして撤退してやろうか?」
アメイは震える息をふぅと吐き出し、解毒剤を千里へと放り投げた。
「うるさい……自分の手当てでもしてろ。僕は少し休めば平気だから」
千里はそれを空中で掴み取ると、先ほどのアメイの動作を真似て腕に薬を打ち込み、安堵の息を漏らした。
「そいつは良かった。お前、さっきの状況がどれだけヤバかったか分かってねぇだろ。
刀を口にくわえて、手がズタボロになるまであの不気味な木を登ったんだぜ!
その上、樹皮みたいな鱗の蛇どもと肉弾戦までやらされてよ。で、その結果はどうだ?
振り返ったら、待っていたのは感謝の言葉じゃなく、味方が火をつけたダイナマイトだった!
……毒で死なずに爆発で木っ端微塵になるところだったぜ」
アメイは口の周りの涎を袖で拭い、千里の傷だらけの両手へ視線を向けた。
「死にそうだったんだから、誰が誰だか分かるわけないでしょ……
でも、あの木を登って助けに来た度胸だけは、僕の副手としてふさわしいわね。
もっとも、アンタが来なくたって、あの爆弾一つで全部ケリはついてたけどね」
千里は傷だらけの手を包帯で巻きながら、鼻で笑った。
「そりゃそうだろうよ。死んじまえば何の面倒事も起きねえからな。まさに永遠に厄介事にケリをつける最高の方法だぜ」
アメイは歯を食いしばり、泥だらけの地面に手をついてよろけながら立ち上がった。ついでにマントについた枯れ葉を払い落とした。
千里は、いまだに足元がおぼつかない彼女の姿を見て、
「その感じだと、もう大丈夫そうだな? ついでに蛇の巣まで潰しちまったし、
これで依頼の最低条件は満たした。もう帰ろうぜ、今日の散歩にしてはちと運動量が多すぎるからな」
アメイは落とした短剣を拾い、鞘に突っ込もうとして、あわやまたすっ転びそうになる。
「撤退? 僕はピンピンしてるわよ。全然平気よ、こんなのただの準備運動なんだから。
何よ、まさかあんた、この程度でビビって逃げ出したくなったわけ?」
「俺?」千里は包帯を巻いたばかりの両手を広げてみせた。
「俺はピンピンしてるぜ。でも、さっきのはさすがにスリルがありすぎだろ?
毎回あんな風に爆薬で一掃されてちゃ、せっかく買ったばかりのこの服がもたねえよ」
アメイは右手を伸ばし、人差し指で千里の胸を小突く。
「誰かさんの動きがとろいから、僕の貴重な爆弾を使わされる羽目になったんでしょ?
まぁ、いざとなったら、僕の服でも貸してあげるわよ、女装になるけど」
彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。
千里は一歩引き、肩をすくめ、苦笑しながら首を横に振る。
「分かったよ、お前が平気だって言うなら付き合うぜ。先へ進もう」




