賞金と獣肉の宿
ドアを開けると、外はまだ太陽が顔を出したばかりで、通りには人っ子一人いなかった。
千里は視線を落とし、本来ならボロボロに裂けているはずの、傷一つない自分の身体をじっくりと観察した。
「別の世界……ハハッ、こんな場所があるなんて。新航路の発見よりずっと偉大な奇跡じゃねえか!
……さて、次はどうする?」
――先のことを考える? そんな大層なこと、腹一杯になってから悩むもんだろう。
――まずはこの手元の金で、どこまで堕落できるか試してやろう。
数歩歩いて、薄っぺらい金片を懐に突っ込み、道を探そうと顔を上げた瞬間、その異様な光景に思わず半歩後退した。
周りの軒先には、六つ羽の鳥がいつの間にか並んでいた。普通の鳥のようにさえずることもなく、一斉に首を傾げて、じっと千里を見つめている。
千里は頬をヒクつかせた。
「得体の知れないハトの群れに熱視線を浴びせられるなんて、マジで背筋が寒くなるぜ……」
千里は咳払いをし、鳥どもに向かって手を払った。
「何見てんだよ、見世物じゃないぞ! そんなに暇なら、酒場への道でも案内しとけ!」
そうぼやいた直後、一羽の六つ羽鳥があろうことか本当に飛び立った。
千里の頭上をぐるりと一周すると、斜め後ろにそびえ立つ五階建ての立派な建物の看板に着地した。
千里が鳥の軌跡を追って視線をやると、看板には大きな文字がはっきりと刻まれていた。
「『賞金と獣肉の宿』? この看板……何か呪いでもかかってるのか? 見ただけで胃が痛くなってきたんだが」
我に返った千里は口笛を吹き、羽繕いをしている鳥を目を細めて観察した。
「マジかよ、この化け鳥、人の言葉がわかるのか? っち、この知能……まさかこの店の客引きじゃないだろうな?」
扉を開け放つと同時に、千里は異様な光景を目の当たりにした。椅子の後ろに様々な形をした「しっぽ」を巻いたり垂らしたりしている客たちの姿だ。爬虫類のような鱗のものや、時折揺れるモフモフのものまである。
――マジで呆れたぜ。この部屋、どいつもこいつもバケモンだらけじゃねえか……いや、違う。
――そんな異形の連中の中に、ごく普通の人もごく自然に混ざっているぞ。そいつら、しっぽ持ちの連中と和気あいあいと相席で飯を食っている。
――……この光景を、誰一人として気にも留めてないんだ。
千里は中へ足を踏み入れ、客たちへと視線を走らせる。
――うーん……ちょっと気になるんだが、あいつらズボンを買う時、わざわざ後ろに穴を開けるんだろうか?
千里は空いている席を見つけて腰を下ろした。尻が椅子に触れた瞬間、店員が素早い動作でメニューを差し出してきた。
「メニューでございます! なんでもありますんで、見終わったら手を振って呼んでくださいね!」
千里はメニューを受け取る。
「ああ、まずは見させてもらう」
店員は頷き、すぐにテーブルから離れていった。
千里はメニューに目を落とし、思わず生唾を飲み込んだ。
「獣肉の炭火焼き、石鍋シチュー、野草とキノコのポタージュ、それに粗麦のまぜ麺……
あーよかった、予想してたほどヤバいメニューじゃなかった。
触手の丸蒸しとか目玉の煮込みとか書かれてたらどうしようかと……」
千里が手を挙げて店員を呼ぼうとしたその時、言い争う声が思考を遮った。
「だから無理だって言ったんだろ!」
声のする方へ目をやると、丸太カウンターの向こう側に、「依頼エリア」とでも呼ぶべき木の壁があった。そこには様々な懸賞金や使い走りの任務が書かれた紙切れが貼り付けられている。
完全武装した数人のグループが、深緑色の髪をした少女を鬱陶しそうに突き放している。
「記録がない奴は仲間に入れられない!」
突き放された少女は、ピクッと目尻を引きつらせたものの、すぐに堂々と顎をしゃくり上げた。
「き、記録だと? あんな下っ端どもが功績をひけらかすためのものなんて、
僕が持ってるわけないでしょ! あんたたちは“アメイ”を連れて、このアメイの庇護を享受すればいいわよ!」
男は後ろのメンバーと鼻で笑い合い、再び少女に向き直った。
「寝言は寝て言え。そんなもやしみたいな体で来たって死ぬだけだろうが。俺たちの記録を汚すんじゃねぇよ!」
相手が本気で立ち去ろうとするのを見た少女は、なんとためらうことなく床に滑り込み、一人の足にすがりついた。
さっきまでの強気な態度はどこへやら、その目には大粒の涙が浮かんでいる。
「頼むよぉぉ!あなた方のように偉大なチームには、きっと慈愛の精神があるはず……!
これ以上断ったら、何百も金かけたその立派な防具、鼻水と涙をなすりつけちゃいますわよぉ!」
太ももを抱え込まれた人はパニックになり、ズボンがずり落ちないように必死で腰を引っ張り上げながら、ギクシャクと太ももをよじらせた。
「ちょっ……離せ!」
周囲からの痛い視線に耐えきれなくなった奴は、顔を覆いながら数枚の金片を床にばら撒き、地面を指差して大声で叫んだ。
「うおおっ! 地面から金が湧いて出たぞ!」
少女は鼻水をすすりながら、思わず素でツッコミを入れる。
「はぁん? 何アホなこと言って……」
だが、男の指差す方向へと視線を滑らせ、床の金片を視界に捉えた途端、彼女の悲哀は強制終了した。そのまま床にダイブし、その数枚の金片を両手で覆い隠す。
「ぜんぶ僕の! ぜんぶ僕の!」
連中は彼女が金に夢中になっている隙に、見事な連携で踵を返し、一目散に逃げ去った。
金片を拾い集めた少女は立ち上がり、彼らが去った方を見やって目尻の涙を拭う。
「人間め……行け行け、とっととくたばっちまえ! クソッ、連れてかないならそれでいいわよ、バカバカ……」
彼女はひどく落ち込んだ様子で首を振り、階段に足を踏み入れながらカウンターへ怒鳴った。
「おい! 獣肉の炭火焼き一つ、7号室に頼むわよ!」
千里は黙って視線を戻すと、隣のテーブルの話し声が耳に飛び込んできた。
「なあ、あの緑髪のガキ、どういうことだと思う? あんなに必死に仲間に入りたがってるのに、記録を見せようとしない。
あんな怪しい態度、どっかから逃げてきたお尋ね者なんじゃないか?」
向かいに座る獣の特徴を持った連れが、口に肉を放り込み、ゴクリと飲み込んでから反論する。
「馬鹿言え、それはない。もしお尋ね者なら、軒先のあの鳥どもが遠くから見つけて、とっくに警報を鳴らしてるはずだ。
こんな大広間に堂々と入ってこられるわけがない。
俺が思うに、十中八九、他の要塞で仲間を死なせるような大ポカをやらかして、記録に傷がついてるってオチだろ」
「一理あるな」女は顎を撫でた。
「だがおかしい。そんな過去があるなら他の仕事をすればいい。なぜあえてこんな危険な稼業にこだわるんだ?」
その獣人はニヤリと笑い、牙がずらりと並んだ口を裂くように開くと、口元の食べカスを舌で舐め取った。
「そりゃあ儲かるからに決まって……いや、待てよ。さっきのあのふざけた大口を叩く様子からして、
記録すら持ってない典型的なド素人かもしれねえな。どっかの温室から転がり出てきたばかりのヒヨッコで、
自分が特別であることを過信して、生意気にもこの業界で一攫千金を狙ってるんだろ。」
続いて、別の人が言葉を継いだ。
「やれやれ、ああいう手合いは危険にぶち当たると、キャーキャー叫んでしゃがみ込むことしかできねえ。
そんなモン、今まで何度も実証済みだ。
だから誰も新人なんてお荷物を連れて歩かねえんだよ。よっぽど一目で強いとわかる奴でもない限りな」
この会話を耳にした千里は、思わず自分の粗末な身なりへ視線を落とした。
――儲かる……そいつは面白い。俺は覇者の口から生還し、兵士にまで勧誘されたんだ。どう考えても俺は十分に『特別』だろ。
――だけど、記録って何だ? さっぱり分からねえが、今後、金稼ぎのためにどこかのパーティーへ紛れ込もうにも、あの小娘の二の舞になりかねない。
――ダメだ、何とかして謎の凄腕のフリをする方法を考えないと。
そう考えを巡らせていると、視界の隅に人影が近づいてくるのが見えた。
「お客さん! なんだか頭を抱えていらっしゃるようですが、ご用件でも?」
我に返った千里は顎を撫で、瞬時にある名案を思いついた。
「あ? おう、そうそう」
――そうだ、酒だ! 俺の異常性が『意志』なら、それで勝負してやる。
――誇れる戦績がないなら、周りがビビるような伝説を自分で作ればいい!
――この酒場で平然とした顔をして飲み崩れずにいれば、
――こいつらは勝手に俺をヤバい奴だと勘違いして、一万字くらいの壮絶な過去を脳内補完してくれるはずだ。
――ヘッ、肝臓でハクをつける。これでもらったぜ!
千里はさっそく渋い声を作って、いかにも玄人らしいオーラを漂わせた。
「適当に肉を切ってくれ。あと、店で一番強い酒を三種類ブレンドして持ってこい。
一口飲めばそのまま気絶できるような、とびっきりのヤツをな」
それを聞いた店員は、手にしていた手帳を胸に抱え込み、即座に首を横に振った。
「お客さん、気絶したいなら、お手数ですが外の壁にでも頭を打ちつけてきてもらうしかありませんね。
ご存じないんですか?この世界は『禁酒義務化』で、酒なんてどこも絶対禁止なんですよ!
アルコールで感覚を麻痺させるなんて、この世界では絶対に無理な相談です」
千里の作っていた「玄人感」は一瞬にして崩壊し、思わず声が裏返った。
「なんだと!?禁酒義務化!?なんだよそれ、この辺の麦は全部あの六つ羽の化け鳥の餌にでもなってんのか!」
店員は困ったように愛想笑いを浮かべた。
「アハハ……理不尽だと言われても困ります。理由なんて誰も知らないんです。
ただ『紡命巣都』がそう決めたから、私たちは従うだけです」
その言葉を聞き、海辺千里は返す言葉を失い、頬をピクッと引きつらせた。




