心拍の波動
「こいつの正体、知ってるのか?」千里はパニックになりながらも、一縷の望みをかけてアメイを見た。
「ついでに『逃げ方のアドバイス』は……?」
千里が最後まで言い切るより早く、アメイが彼の胸倉を力いっぱい引っ張った。
「シーッ……」彼女は息だけの声で黙るように指示する。
アメイは震えるような低い声で囁き、ゆっくりと千里を引いて身を屈めた。
「黙れ、音を立てちゃダメ……あいつ、こっちを『聴いて』るの……」
アメイが硬直したまま地竜へ視線を向けると、巨大な図体がピタリと止まり、次の瞬間、まっすぐ二人の隠れている方角へと向き直った。
――なんでよりによってこっちを向くのよ! この化け物の感知網、恐ろしすぎる。
――僕が千里の首を絞めてでも音を消さなきゃ!
アメイはゾッとして、焦って首を向け、千里の口を塞ごうとした。
だが、千里はとっくに自分の手で口を塞いでいた。顔が真っ青になるほど息を殺し、わずかな呼吸音すら一切漏らしていない。
――どういうこと!? 完璧に気配を消してるじゃない! 音を立てていないのに、なぜ地竜は近づいてくるの!?
その時、アメイは絶望と共に、千里の激しく波打つ胸へと視線を落とした。
猛ダッシュの直後で、千里の体は極度な過緊張状態に陥っていたのだ!
――この激しい心拍と体の震え……これらが発する波動だけで、地竜を引きつけるには十分すぎる。
――千里はもう、逃れられない……
地竜の呼吸音はすさまじく、強烈な血生臭さを撒き散らしていた。一呼吸ごとに、その音は確実に近づいてくる。
アメイの足が、ゆっくりと動き始めた。
――地竜は千里へと近づいていく……
アメイはミリ単位の動作で、千里のそばから自分の体を遠ざけていく。
――完全な静寂を保ち、十分な距離さえ取れば、地竜の注意はより明白な「波動」へと引きつけられる。
――僕のせいじゃない。あんたの心臓がそんなにうるさく鳴ってるのが悪いんでしょ。
――あんたはもう死人と同じよ。どうしようもない、これはもう結果が見え透いた処刑なんだから。
――僕はまだ生きたいのよ。
アメイは目を閉じた。
――死体だけは回収してあげる……もし、まだ形が残っていたらね。
千里は自らの手で口を覆い、呼吸を無理やり止めた。身を泥に沈め、歯を食いしばって、一切の音を殺したつもりだった。
――いける、これでやり過ごせる……だが、迫りくる圧迫感は消えない。むしろ近づいてる……どんどんこっちへ……
千里は疑念を抱き始めた。
――本当にこれで誤魔化せてるのか……? それともただの偶然で、たまたまこっちに歩いてきてるだけか?
――あと少し、あともう少しだけ耐えるんだ。
意識がぼやけ始めたその時、千里はついに耐えきれず呼吸をしてしまった。
顔を上げると、目に飛び込んできたのは地竜の尻尾。それはすでに頭上高く持ち上げられている。
――あれは、なぎ払いのモーション……!
千里は辺りに視線を走らせた。
――アメイ……? いねえ、俺を囮にして逃げやがったのか? 俺だけがここで間抜けに待ってたってわけか!
――くそっ、あいつ夜に悪夢とか見ねえのかよ!
怒りが湧き上がり、千里は体を動かそうとした。
しかし、眩暈が潮のように押し寄せ、身体機能が完全に停止する。
千里の額に冷や汗がにじみ、顔に恐怖の色が浮かんだ。
――ダメだ、動けねえ! 終わった、もう完全に手遅れだ……俺、ペシャンコに潰される……
巨大な尾が急激に縮み込み、その動きで鱗が泥をまき散らす。尾の先端が風を切り裂く音を立てながら、千里のいる方向へと薙ぎ払われてきた。
「いやあああっ!!」アメイの叫び声と共に、火花を散らす筒状のダイナマイトが投げ放たれた。
爆発音が轟き、千里の目の前で暴力的なまでの火光が弾ける。
狂暴な爆風が巨大な尻尾の軌道を無理やりねじ曲げ、尾は千里の鼻先を掠めて横へと逸れていった。
そのまま軌道を外れた尾の先端は、そばに生えていた古い大木を薙ぎ払う。
凄まじい轟音と共に大木はへし折れ、上の部分が吹き飛んで遠くの地面に激突し、重々しい音を立てた。
アメイは猛然と千里に飛びかかり、右手で千里の手首をガッチリと掴むと、渾身の力で後ろへと引き寄せた。
千里はその引力で地面から引き剥がされ、アメイに強引に引っ張られながら走り出す。
アメイの顔にはパニックが広がり、目から大粒の涙が溢れ出していた。
「僕は何てことを……僕は何てことしちゃったのよ! もう死ぬ、死んじゃう、撤退よおおおっ!!」
千里は彼女に引かれて走りながら、足をもつれさせ、顔をくしゃくしゃに歪ませて涙をこぼした。
「……お前ってやつは」
千里は強引に引っ張られ、ゼーゼーと激しく喘ぎながら、途切れ途切れに口を開く。
「心変わりが、遅すぎるだろ……」
「うるさいっ! うわああああん!!」アメイは泣きじゃくりながら叫んだ。
「うぐっ……もう、とっくに後悔してるわよ……!」
「地竜にはね! 目がないの」アメイは千里を引っ張って駆けながら、息を切らし、恐怖に震える声で言った。
「奴らは大地の震動……僕たちが地面を踏むたびに変わる圧力から、喋る声の音波まで感知できる。だから目なんて必要ないの!」
「もっと最悪なのが!」アメイが握りしめている千里の手には、彼女のべっとりとした冷や汗と、激しい震えが伝わってきた。
「地竜は地下の木の根しか食わない、本来は温厚な草食生物のはずなのに! よりによって最悪な習性を持ってるのよ!
地竜は、獲物が死に際に足掻く振動が大好きなの! だから地竜が追跡を諦めるなんて、絶対にあり得ないわよ!!」
背後の樹木が次々と薙ぎ倒され、瞬きする間に地竜は目の前まで迫っていた。四肢で大地を蹴り上げる爆発的なパワーが、地面をまるごと吹き飛ばす。
「こっち来ないでよおおっ!」アメイが素早く小型の弩を振り上げ、地竜の頭に爆発の火炎を炸裂させた。
その直後、地竜の巨大な前爪がでたらめに叩きつけられる。
千里がアメイを引いて横へダイブすると、元いた場所は無残に砕かれ、浅いすり鉢状の窪みができた。
「こいつ、マジで理不尽にも程があるだろ!」
千里はアメイを抱え起こし、ふらつきながら這い上がる。
地竜はすぐに態勢を立て直し、姿勢を低くして、二人を真っ向から粉砕しようとする明確な意図を露わにした。
アメイは涙をぼろぼろ零しながら地竜を睨みつけた。
彼女はもう小弩を捨てていて、導火線に火のついた筒状のダイナマイトを取り出している。
「生き残る道がないなら……いっそ死に道をぶち抜いてやるわよ!」
彼女は勢いよくダイナマイトを放り投げた。火薬が地竜の頭で炸裂し、激しい炎が上がり、耳が潰れるほどの爆音が轟く。
だが、地竜は鱗がさらに黒く焦げつき、そこから黒煙をくすぶらせている程度だった。とはいえ、その動きは確実に一時停止した。
その有様をはっきりと確かめた千里は、絶望で心が冷たく沈んでいくのを感じた。




