監察官と、消えない記録
消えたはずの黒い粒子は、完全には消えていなかった。
床の上に、わずかに残る“痕”。
それは灰のようで、煤のようで、だがどちらとも違う。
ユイトはしゃがみ込み、それに手を伸ばす。
「触らない方がいいわよ」
リシェリアが言う。
「危険かもしれない」
「承知しています」
それでも、ユイトは触れた。
指先に、冷たい感触が伝わる。
その瞬間。
――記録が、流れ込んできた。
「……っ」
ユイトの視界が揺れる。
見えたのは、さっきの男ではない。
別の場所。
石の廊下。
誰かの足音。
そして――
“同じ気配”。
「……複数、います」
ユイトは低く呟く。
「やっぱり」
リシェリアの表情が険しくなる。
「しかも、王宮のあちこちに」
「最悪ね」
「はい」
ユイトはゆっくりと立ち上がった。
指先の黒い粒子は、もう消えている。
だが、“記録”だけは残っていた。
「これは……ただの敵じゃない」
「どういうこと?」
「“配置されている”」
リシェリアが目を細める。
「誰かが置いたってこと?」
「はい」
意図的に。
計画的に。
王宮の内部へ。
沈黙。
重い現実が、二人の間に落ちる。
その時だった。
――コン、コン。
再び、扉が叩かれる。
二人の動きが止まる。
さっきの出来事が頭をよぎる。
「……また?」
リシェリアが小さく呟く。
外から声がする。
「王宮監察官です。開けてください」
ユイトの眉がわずかに動く。
魔術師団ではない。
今度は“監察官”。
「どうする?」
リシェリアが小声で聞く。
ユイトは短く答えた。
「開けましょう」
「また?」
「はい。ただし、今度は“確認”します」
リシェリアは少しだけ笑った。
「強気ね」
「読めるので」
扉が開く。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
黒い制服。
長い黒髪を後ろで束ね、鋭い目をしている。
年齢は二十代後半ほど。
無駄のない立ち姿。
一目で分かる。
“強い”。
「王女殿下」
短く礼をする。
だが、その動作には一切の隙がなかった。
「監察官のセリア・ヴァルディアです」
名乗りと同時に、視線がユイトへ向く。
「……あなたは?」
「図書院の司書です」
ユイトは答える。
余計なことは言わない。
セリアはしばらくユイトを見つめた。
そして。
「灰色……ですか」
小さく呟く。
「珍しい」
「よく言われます」
短いやり取り。
だが、その間に探り合いがある。
ユイトは気づいていた。
この人物は、さっきの男とは違う。
“人間”だ。
だが――
それだけではない。
「用件は?」
リシェリアが聞く。
セリアは視線を戻し、淡々と答えた。
「王宮内で異常な魔力反応が複数確認されています」
やはり来た。
「その調査です」
「……それで、私のところに?」
「はい。中心点の一つが、この塔付近です」
リシェリアとユイトが一瞬だけ視線を交わす。
完全に一致している。
嘘ではない。
だが――
「一つ、確認してもいいですか」
ユイトが口を開く。
セリアの視線が鋭くなる。
「何でしょう」
「あなたは、“見られている側”ですか?」
空気が止まった。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
セリアの表情が変わった。
だが、すぐに戻る。
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味です」
ユイトは視線を逸らさない。
読む。
相手を。
言葉を。
仕草を。
そして――
“構造”を。
沈黙。
やがて、セリアは小さく息を吐いた。
「……面白い司書ですね」
その一言。
だが、それが答えだった。
完全な否定ではない。
つまり――
「少なくとも、敵ではありません」
セリアは続ける。
「現時点では」
リシェリアがため息をつく。
「信用していいの?」
「半分だけ」
ユイトが答える。
セリアがわずかに口元を緩めた。
「十分です」
そう言って、一歩部屋に入る。
その動きは自然だった。
だが、同時に警戒もしている。
「……ここ、何かありましたね」
床を見て、セリアが言う。
黒い痕はもう消えている。
だが、彼女にはわかるらしい。
「さすが監察官ですね」
「仕事なので」
短い返答。
そして、セリアはユイトを見た。
「あなた、協力してもらえますか」
「内容次第です」
「王宮内の“異常”を特定するためです」
ユイトは少しだけ考える。
そして、頷いた。
「……やりましょう」
リシェリアが小さく笑う。
「決まりね」
こうして。
灰の司書と、幽閉王女。
そして――王宮監察官。
三人の関係が、動き出した。
だがその裏で。
確実に、“何か”が近づいている。
見えないまま。
確実に。
観測を続けながら。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第6話では、新キャラ「王宮監察官セリア」が登場しました。
敵か味方か分からない立ち位置、そしてユイトの“読む力”との駆け引き。
ここから物語は「個人の問題」から「王宮全体の陰謀」へと広がっていきます。
第7話では
・セリアの本当の立場
・王宮に配置された“存在”の正体にさらに迫る展開
・三人での調査の開始
が描かれます。
物語の核心に一歩踏み込む重要な回になりますので、ぜひ続きも読んでいただけると嬉しいです!
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