灰の司書、初めての戦い
空気が、裂けるように震えた。
男の指先に集まった黒い魔力が、ゆっくりと形を持つ。
それは刃だった。
剣でも槍でもない、ただ“切るためだけに存在するもの”。
「下がってください、殿下」
ユイトは一歩前に出る。
リシェリアが歯を食いしばる。
「無茶よ」
「承知しています」
それでも、退かない。
逃げるという選択肢は、もうないと理解していた。
男が一歩踏み出す。
それだけで、床が軋む。
「観測対象、排除」
淡々とした宣告。
次の瞬間。
黒い刃が、一直線にユイトへ振り下ろされた。
「――っ!」
反応は、間に合わない。
だが。
ユイトは動かなかった。
いや、動けなかったのではない。
“読んでいた”。
刃の軌道。速度。意志。
すべてが、頭の中に流れ込んでくる。
まるで一冊の本を開いたように。
「……右」
その言葉と同時に、身体をわずかにずらす。
刃が、頬をかすめた。
風が遅れて走る。
背後の壁が、無音で切り裂かれた。
「……避けた?」
男の声に、初めて明確な驚きが混じる。
ユイトは息を整える。
心臓が激しく打っている。
だが、思考は冷静だった。
「やはり……読める」
確信に変わる。
これは勘ではない。
“理解”だ。
「殿下」
「なに?」
「援護をお願いします」
「どうやって?」
「動きを止めてください。一瞬でいい」
リシェリアは迷わなかった。
「任せて」
赤い瞳が強く光る。
空気が変わる。
「王家の名において命じる――止まりなさい!」
圧力が空間を叩く。
見えない力が、男を拘束する。
一瞬。
ほんの一瞬だが、動きが止まった。
「今です!」
ユイトが踏み込む。
自分でも驚くほど、身体が軽い。
恐怖が消えているわけではない。
だが、それ以上に“理解している”という感覚が強かった。
男の前に出る。
距離は一歩。
黒い魔力が再び動こうとする。
だが――遅い。
「……読めました」
ユイトは、男の胸に手を当てた。
灰色の魔力が、静かに流れ込む。
「あなたは“人間じゃない”」
その言葉に。
男の表情が、初めて崩れた。
「なぜ、それを――」
「構造が違う」
ユイトの声は静かだった。
「あなたは“本のように作られている”」
記録。命令。観測。
人間の感情ではなく、目的だけで動いている存在。
だから読める。
理解できる。
「なら――」
灰の魔力が、深く沈み込む。
「終わらせます」
瞬間。
男の身体が、崩れた。
音もなく。
砂のように。
形を保てなくなり、その場に落ちる。
黒い粒子となって、消えていく。
静寂。
何もなくなった部屋に、二人だけが残された。
「……終わった?」
リシェリアが呟く。
ユイトはしばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……一体目、です」
「一体目?」
「はい。あれは、おそらく一つではない」
リシェリアの表情が強張る。
「まだいるってこと?」
「はい」
ユイトは床を見た。
消えたはずの黒い粒子が、ほんのわずかに残っている。
それはまるで――
“記録”のように。
「王宮の中に、複数存在する可能性があります」
「……最悪ね」
「ええ」
だが、ユイトはわずかに口元を緩めた。
「でも、対処は可能です」
「え?」
「読めるので」
リシェリアが一瞬、呆れた顔をする。
そして、ふっと笑った。
「本当に変な人」
「四回目です」
「もう数えてるのね」
空気が、少しだけ軽くなる。
だが――
安心はできない。
確実に、何かが動いている。
王宮の奥で。
見えない場所で。
「……ユイト」
「はい」
「これ、ただ事じゃないわよね」
「最初からただ事ではありません」
即答だった。
リシェリアは小さく息を吐く。
そして、静かに言った。
「付き合ってもらうわよ」
「どこまでですか?」
ユイトは聞く。
逃げ道を残すためではない。
覚悟を測るためだ。
リシェリアは迷わず答えた。
「最後まで」
その言葉に。
ユイトは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
そして。
「……了解しました」
静かに、頷いた。
灰の司書と、幽閉王女。
二人の戦いは、今、始まったばかりだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第5話では、ユイトの“読む力”が初めて実戦で発揮されました。
戦う力ではなく、理解し、見抜き、終わらせる力――
それが灰の司書の本当の強みです。
そして明らかになった「敵は一体ではない」という事実。
王宮の中に潜む存在は、まだ他にもいます。
第6話では
・新たな禁書の登場
・王宮内部のさらなる闇
・二人に近づく新たな人物
が描かれ、物語はさらに加速していきます。
少しでも面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです!
引き続きよろしくお願いします!




