幽閉王女と灰の司書
――目が覚めた時、最初に感じたのは、見慣れない柔らかさだった。
地下の石床ではない。硬い木の椅子でもない。沈み込むような感触に、ユイトはゆっくりと瞼を開いた。
天井は白かった。
いや、正確には白すぎた。
装飾は少ないのに、圧倒的に整っている。無駄がない。人が暮らす場所というより、何かを“収める”ための空間だと直感する。
「……起きた?」
声がした。
横を向くと、窓際に少女が立っていた。
銀の髪。赤い瞳。
第一王女、リシェリア。
昨夜、禁書を押さえつけていた少女が、そこにいた。
「……ここは?」
「私の部屋。正確には、私が閉じ込められている塔の中」
あっさりと言う。
ユイトはゆっくりと身体を起こした。
寝かされていたのは簡素な寝台だったが、シーツは異様に上質だった。触れるだけでわかる。地下の湿った布とは別世界だ。
「勝手に運びました。問題ありましたか?」
「大ありよ。本来ならあなた、地下で倒れたままでもおかしくなかった」
「それは困りますね」
「本当に困ってる?」
「少しだけ」
リシェリアが小さく笑う。
その笑い方は昨夜より自然だった。
「……あなた、変わってるわね」
「よく言われます」
「二回目ね、それ」
ユイトは周囲を見渡した。
部屋は広いが、驚くほど物が少ない。本棚はあるが、半分以上が空いている。机、椅子、寝台。それだけだ。
王女の部屋とは思えない。
むしろ、牢に近い。
「幽閉、というのは本当だったんですね」
「ええ。本当よ」
リシェリアは窓の外を見たまま言った。
「外には出られない。誰にも会えない。決められた本だけ読んで、決められた食事をして、決められた時間に眠る」
淡々とした口調だった。
だがその言葉の一つ一つが、重かった。
「……なぜ、あんな場所に?」
「禁書を読んでたから」
ユイトは眉をひそめた。
「理由になっていません」
「なるのよ、この国では」
リシェリアが振り返る。
「私の魔力、強すぎるの」
その言葉は軽かったが、意味は重かった。
「普通の魔術師なら扱えない本でも、私は読める。でもその代わり、本の影響も全部受ける」
「だから隔離された」
「正解」
ユイトは少し考えた。
そして、言った。
「なら、読まなければいいのでは?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、リシェリアは笑った。
今度は、はっきりと。
「それができたら苦労しないわ」
「……?」
「本が、呼ぶの」
空気が変わった。
静かな部屋の中で、その言葉だけが異質だった。
「夢に出てくる。囁いてくる。読めって。開けって。私なら理解できるって」
ユイトは息を止めた。
禁書は人を選ぶ。
だが、ここまで強く干渉するのは異常だ。
「……それで地下に?」
「ええ。昨夜は特に強かった。止めないとまずいってわかったから」
結果があれだ。
ユイトは苦笑する。
「死ぬところでしたね」
「実際、あと少し遅かったら死んでた」
「では、運が良かった」
「違う」
リシェリアは首を振る。
「あなたが来たから助かったの」
まっすぐな視線だった。
逃げ場がないほどに。
「灰の魔力。あれ、初めて見た」
「私も初めて使いました」
「適当すぎない?」
「本が燃えていたので」
「そればっかりね」
リシェリアは小さく息を吐いた。
そして、ゆっくりとユイトの前まで歩いてくる。
「ねえ」
「はい」
「やっぱり、あなた必要」
距離が近い。
赤い瞳が、まっすぐユイトを射抜く。
「私の司書になりなさい」
「昨夜も聞きました」
「今も言ってる」
「正式な手続きは?」
「無視」
「権力の使い方が雑ですね」
「王女だから」
またそれだった。
だが、今度は少しだけ誇らしげだった。
ユイトはしばらく考えた。
地下に戻れば、安全ではある。だが、何も変わらない。
ここにいれば、確実に危険だ。
だが――
「……一つ条件があります」
「言って」
「禁書は、勝手に開かないでください」
「無理」
「即答ですね」
「でも、我慢はする」
リシェリアは少しだけ視線を逸らした。
「あなたがいる時だけ開く」
それは譲歩だった。
王女なりの。
ユイトは小さく息を吐く。
「では、その条件で」
「本当?」
「はい。本を読むだけなら」
リシェリアの顔が明るくなる。
その変化は、あまりにも分かりやすかった。
「決まりね」
「まだ契約書はありませんが」
「そんなの後でいい」
彼女はくるりと背を向け、本棚の前に立った。
そして、一冊の本を手に取る。
「じゃあ、最初の仕事」
「……嫌な予感しかしません」
「これ、読んで」
ユイトは本を見た。
古びた装丁。だが、昨夜のものほどの危険な気配はない。
ただ――
表紙に書かれたタイトルを見て、固まった。
「……王宮秘匿記録?」
「そう」
「なぜそれがここに?」
「盗んだから」
「堂々と言いましたね」
「王女だから」
ユイトは頭を押さえた。
理解が追いつかない。
だが一つだけ、はっきりしている。
この場所は安全ではない。
そして――
ここにいれば、退屈はしない。
「……読みます」
ユイトは本を受け取った。
ページを開く。
その瞬間。
空気が、変わった。
静かな部屋の奥で、何かが動いた気がした。
見えない何かが。
確実に。
こちらを見ている。
「……殿下」
「なに?」
「これ、普通の本ではありません」
「知ってる」
リシェリアは微笑んだ。
「だからあなたを呼んだの」
その言葉と同時に。
本の中から、低い声がした。
――見つけた。
ユイトの背筋に、冷たいものが走った。
物語は、もう始まっている。
後戻りはできない。
灰の司書と、幽閉王女。
二人の物語は、さらに深い闇へと踏み込んでいく。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第2話では、王女リシェリアとの関係と、
ユイトが「専属司書」として関わる流れを描きました。
そして最後に登場した「王宮秘匿記録」。
ここから物語は一気に核心へと近づいていきます。
第3話では
・王宮の闇の一端
・禁書の“本当の危険性”
・灰の力の新たな側面
が明らかになります。
もし少しでも続きが気になったら、ぜひ第3話も読んでいただけると嬉しいです!
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