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空の羊飼い3

トップの言葉が、頭の奥に残っている。

何も分かっていない。

立つ。それだけのことが、できない。


ガレンは天馬舎の前で足を止めた。

草の香り。低く響く羽音。小さないななき。

中に入ると、数頭の天馬がそれぞれに羽を休めていた。

白い個体が多い中、ひときわ目を引く大柄な一頭がいる。

芦毛。灰に近い体色と、大きな翼。

こちらに気づいているはずだが、視線を寄越すだけで動かない。

ガレンはゆっくりと近づいていく。

拒絶はない。だが、受け入れられているわけでもないだろう。


「……よろしく頼むな」


声に出すと、ブレーの耳がわずかに動いた。

手綱をつけ、ブレーを馬場に引き出す。今のところ、素直に動いている。


本格的な騎乗訓練のはじまりだ。

まずは空へ向かう。

視界が開ける。高い。地上とは違う揺れ。

地上で言う並足、早足、駆け足。

やはり地上とは違う。そして、速度が増すほど、バランスを採るのが難しい。


隊長の声が飛ぶ。

「地上と空は違う。バランスを崩しやすい」


並足、早足、駆け足。停止。方向転換。どれもできたと思っていたが

「天馬に負担をかけるな。軸がずれている」


指摘を受ける。

合わせようとすると、風に引かれ、身体が浮く。


「戻せ」

「……っ」


わずかに崩れる。

ブレーが踏ん張ってくれているのか。


「首と翼を見る!」

「乗りこなそうと思うな」

言葉が重い。

「はい」

力を抜き、呼吸を整える。


「一度戻る」

指示に従い、地上へ戻る。

まだ、全くできない。


「いいか」

隊長が近づく。

「うまく乗ろうと思わなくていい。まずはバランスに注意。俯瞰しろ。

一人じゃない。天馬とペアだ」

「……はい」

「自分だけでやろうとするな」

「……はい」

「無理をさせるな」

無理をさせるつもりはないが……難しい。

「天馬は相棒だ。そこを忘れるな」


ふと、ヒュリの顔が浮かんだ。

手のひらの上で、小さな緑の鳥は羽を揺らしていた。

「ぐりちゃん」

そう呼ばれて、当たり前のようにそこにいた。


「もう一度行くぞ」

短く息を吐き、再びブレーにまたがる。

相棒。俺のぐりちゃんか。




訓練を終えて、ブレーの手入れを終え、王宮に戻ろうとしたところで、声をかけられた。


「お疲れさまです」


振り返ると、合同訓練で一緒だった騎士だった。初日に天馬に振り落とされていた青年でもある。


「ダルクレストさん、ですよね」

「はい」

「あらためてご挨拶させていただきます。さきほど一緒に訓練をしたエリアス・ヴェルナーです」

「ガレン・ダルクレストです。さきほどは、ご迷惑おかけしました」

「いえいえ、ブレー、難しいんですよ。自分もまだまだ乗れておりません」

「そうですか」

「はい。昨日は別の天馬にも振り落とされましたし」

「でも、今日の飛行はちゃんと騎乗なさっていましたよ」

「日々、訓練です。忘れないように努力しています。

……それで……あの、ひとつ、お伝えしたくて。ブレーは角砂糖好きなんです。褒美であげると、結構素直になります。余計なことかもしれませんが、何かのタイミングで褒美をあげる際の参考にしてください」

「ご丁寧にありがとうございます」

頭を下げる。

「いえ!ご参考にお伝えしようと思いました。初日から天馬で空中に行けている時点で尊敬ものです。では、また!」


爽やかに用件を伝えると、踵を返して、戻っていった。

ヒュリくらいの年か。感じのよい子だ。


王宮に戻ると、朝とはやはり空気が違う。静かではあるが、通路を行き交う人の数が、朝より明らかに多い。流れに乗り、ロークのもとへ向かう。

引き継ぎに付き添ってくれるとはいえ、いつまでも甘えてもいられない。そして、慣れれば、それだけ自分の訓練に使える時間も増える。


「戻りました」との報告に、ロークが短く頷く。

「さて、ここからが本番かな」


差し出された資料に目を落とす。

明日の予定は訓練と視察か。俺の訓練も入っている。思ったより詰まっているな。

資料をめくる。

二日後には面談が設定されている。相手の経歴、立場、要点。必要な情報だけを拾っていく。無駄は省く。覚える。


「君は今後、トップの予定管理も行ってもらう。秘書的な業務と考えてくれて良い。基本的にトップの担当は訓練と視察がメインだ。自由時間は必ず必要。スケジュールを入れる時はそれに注意するように」

「自由時間ですか?」

「ああ。自由時間がないと、逆に必要な睡眠時間が増える」

「……なるほど」

「睡眠時間の計算はこれを参考にしてくれ。今日はまずわたしがやるので見ていてくれ」

「はい」

「あと、基本的に毎日予定調整があると認識してくれ。優先順位をつけ、関係各所に伝達。ひとつ動かせば、他も動く。次の付き人の面談準備もある。

いずれも簡単なものではないな。しばらくフォローはするのでがんばってくれ」




トップの夕食は軽いものだった。実際にトップはあまり食にたいする要望がないが、一度嵌った食べ物をずっと食べ続ける性分らしい。偏食といえば偏食か。

朝食もあまりこだわりはないが、起床時間がまちまちのため、時間にあわせた献立とするそうだ。


「まぁ、あのトップが相手だ。予定どおりにならないことは多々ある」

ロークがわずかに笑った。

「その時は、その時だ」

答えになっていない。だが、それが現実だ。

天馬と同じだ。まずは合わせる。


翌日

ロークにつき、トップの付き人業務。本日、用意された服はそのまま採用された。

予定調整、トップとの訓練。ありがたいことに毎日、短時間でも訓練は行われる。

視察に向かう際、トップが行方不明になる。居場所を探し回り、発見。ようやく現地へ向かう。

次回は要注意だ。

時間がとれず、天馬騎乗訓練はできなかったが、ブレーの顔を見に行く。

相変わらず、こちらを観察しているようだ。


二日目

今日は初めて自分だけで対応。用意した服を並べる。

動きやすさも、場に合うかも問題ない。色も形も整えてある。

「今日はこれで」

差し出す。

「んー、今日はこっちかな」

トップは別の服を手に取った。組み合わせも何もない。

「……それでよろしいのですか?」

「いいよ、気分だから」

気分。着替え終わる。似合っている。違和感がないどころか、妙に様になっている。

なぜだ。


三日目__やめた。

式典でもない限り、服は任せることにする。

……任せる方が早い。


四日目

「睡眠時間は予定をみて、負荷を計算して、出すんですよね?」

ロークが答える。

「訓練、移動、面談……それぞれに重さがある。積み上げていく形だ」

項目ごとに目安の数値を決める。訓練、移動、面談、雑務にそれぞれの数値を振る。

同じ項目でも負荷がある場合は追加でポイントを足して、合計する。

おおよその必要睡眠時間が出る。

「……項目ごとに基本数値を決めていけば、ある程度の目安は出せますね」

ロークがちらりと見る。

「正確に出せるものでもない」

「はい。あくまで目安です。毎回調整は入りますし」

……だいたいでいい。

「そうだね、それで十分だ」

ロークが頷いた。

項目ごとにポイント設定し、内容によって、プラス・マイナスをする。

効率的と思ったが、「今日は気分がのらないからいいや」の一言で

さっそく調整することになった。


五日目

計算を間違えたせいで、トップが何をやっても起きない。

前日に、もう自分に任せるのか、と思ったが、簡単な調整で問題ない日だった。

そういうことか。さすが、ローク。

しかし、本当に起きない。何をやっても起きなかった。

起きないものは起きない。どうしようもない。

腹を括ってやるしかないな。

慣れだ。



数日過ごすと、例え王宮でも慣れてくるものだ。

付き人業務は、まだ完璧とは言えないが、流れは掴めている。

予定の調整、情報の整理、急な変更への対応。

どれも思ったより手がかかるが、回らないわけではない。


問題は、訓練の方だ。

トップとの訓練は、相変わらず手も足も出ない。

立つ。呼吸。姿勢。軸。それだけのことが、まだ難しい。

ただ、身体が軽い。感覚が変わってきている。

とはいうものの、まだまだだ。

自分より強いものはいくらでもいる。自分の手持ちを最大限に使う。

今は、そのための訓練かもしれない。




「……行くか」

訓練も仕事もひとまず終了した。王宮を出て、天馬舎へ向かう。

天馬隊の訓練は受けているが、それだけでは足りない。


厩舎の扉を開けると、ブレーは、すぐにこちらを向いた。

声をかけると、わずかに耳が動く。話しかけながらブラッシングをして体調を確認する。

ブレーもだいぶこちらに慣れ、身を任せてくる。問題ない。元気そうだ。

手綱をつけ、外へ出る。


今日は風があるが、悪くない。

跨がり、首を軽く叩くと、軽く息を吐く。

呼吸。姿勢。軸。整える。

空へ。ブレーの翼が大きく広がる。風に乗る。

ブレーの動きが身体につたわる。自然と合わせられる。

首。翼。

視界の中で、無理なく流れを追える。


「……そうか」

その瞬間だった。ブレーが動いた。急に高度が上がる。

次の瞬間、身体が揺れる。


「……っ」

来たな。不意打ちではない。

試しているのか。

身体が浮く。だが、崩れない。崩れても、戻せる。

今度は急降下。

思わず、口元が緩む。

前回は受け身だったが、今回は――身体を起こし、空気をうける。

耐える。

ブレーが、鼻を鳴らした。口元が、わずかに緩む。


「いいぞ」

――来い。


ブレーが応じる。

風が抜ける。軽い。


「……これか」

思わず、声が漏れる。

ブレーが小さく羽ばたいた。


これは――

俺とブレーの遊びだ。


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