空の羊飼い2
王城での二日目は、静かに始まった。
これからのことを考えていたせいか、いつもより早く目が覚めた。
まだ起きるには早い。自然と今後のことに思いが向いていく。
昨日はトップへの挨拶の後に現在の担当者から王宮案内、関係各所への紹介と業務についての説明をうけた。
エイル・ロークと名乗った人物は元々はトップについているわけではなく、別の者が担当していたそうだ。
その前任者が家庭の事情で急遽退職となり、最近トップの担当になったという。
「言い訳にもならないが、わたしが君に十分な引き継ぎができるとはいえない。申し訳ないが、試行錯誤してもらうことが多いと思う」
言葉どおり、申し訳なさそうな表情でこちらに伝えてきたのが印象的だった。
とにかく、今日から実質的な新しい生活が始まる。トップの次の付き人が決まるまでの短期間だ。
その期間、天馬の騎乗訓練とトップによる戦闘訓練もできるという破格の待遇なのは事実だ。
ガレンは限られた時間を有効に使うことを改めて決意していた。
昨日のうちにトップの予定は聞いている。
顔を洗い、身支度を整える。さすが王宮だ、支給された服は動きやすい。
食堂で軽く食事を取ったが、特に変わったものが出てくるわけではなかった。
昨日指示を受けた場所へと向かう。
「おはようございます」
「おはよう」
ロークが、すでに待っていた。
「今日は実際に回す。横について見てもらう。質問があれば随時してくれ。まずはトップだ」
「了解です」
短く答え、後に続く。
王城の廊下は相変わらず静かだった。人はいるが、無駄な動きがない。
奥へ進む。
扉の前で、ロークが足を止めた。
「まず、起きていないので、起こす」
「起床時間はいつも同じですか?」
「計算して起きる時間を割り出している」
「計算?」
「そう。トップは睡眠時間が足りないと、何があっても起きない。何があっても、だ。起こそうと思っても時間の無駄だ。
ご予定をみて睡眠時間を設定するか、睡眠時間をみてご予定を設定するか、時による。そして前日の業務内容によって必要な睡眠時間が変わってくる」
そう言って、ノックを形ばかりして、何のためらいもなく扉を開ける。
中は静かだった。予想通り、寝ている。
ロークは迷いなく近づく。
「おはようございます」
反応はない。
「お時間ですよ」
もう一度声をかけるが、動かない。
「もう計算上は起きれるはずなので」
「はい?」
ロークはわずかに口元を緩めた。
「起こす」
そう言って、布団を軽く引いた。
「起きてください」
「……んー……」
ようやく反応がある。
「あと五分」
「却下です」
間髪入れずに返す。
トップはゆっくりと目を開けた。
「あれ、ガレン」
「おはようございます」
「おはよう。今日からだっけ」
「はい」
「そっか」
それだけ言って、また目を閉じかける。
「起きてください」
「はいはい」
気のない返事だが、今度は体を起こした。
雑務と言っても軽視するな、か。
「今日の予定は?」
ロークにトップが確認する。
「ある?」
「はい。ダルクレストへの申し送りと訓練ですね」
「ああ、それね。じゃ、行こうか」
立ち上がる動きは無駄がなかった。
さっきまで寝ていたとは思えない。
「まずは洗顔、歯磨きですよ」
「わかってるよ〜」
「着替えは用意しておきますよ」
「はいはい、ありがと」
その背を確認して、ロークが静かに言う。
「朝食はほとんどこの部屋で取る。侍女が指定された時間に運んでくる形にしている。起床時間が不定期なので前日に料理人に時間を伝え、朝食の内容もある程度指定する」
「起床時間は割り出し、朝食内容もこちらで決めるのですか?」
「ああ、トップはかなりの偏食なので、栄養とご褒美の組み合わせだ。今はメロンパンに嵌り中。下手すると、メロンパンしか食べない。一度嵌るとなかなか抜け出さないタイプだ」
「??」
「ははは。わけがわからない顔だな。俺もしばらくわからなかったよ」
ちょうど、控えめなノックの音が響く。
担当者が扉を開けると、廊下に侍女が一人、ワゴンを押して立っていた。
「朝食をお持ちしました」
礼をいい、担当者が侍女を部屋の中へと招き入れる。
侍女がワゴンを運び入れ、手際よくテーブルに並べる。
一礼して、静かに出ていったと同時にトップが戻ってきた。
「いい匂いするね」
席に着き、並べられた料理を一通り眺める。
「……今日はこれ?」
「はい」
「メロンパンは?」
「おやつです」
ロークは淡々と返した。
「え〜、朝から食べたかった」といいつつ、トップは気にした様子もなく、手近な皿に手を伸ばす。
一口食べて、少しだけ考えるように止まった。
「前にカーディが買ってきてくれたメロンパンが食べたいな〜」
「わがままを言っても無理です」
……親子のようだ。
朝食の後、身支度。これでひとまず完了だ。
服も用意はしていたが、「こっちの方が気分かな〜」と鼻歌交じりで、違う服を自分で選んでいる。
チグハグじゃないか? と思いつつ、見守っていたが、着替え終わったトップを見ると、見た目がいいせいか、妙に様になっている。なぜだ。
まだ分からないことは多い。
だが、一つだけ確かなことがある。
この仕事は、思っていたよりも手がかかる。
訓練場は王城の一角にあった。
広くはないが、無駄のない造りだ。
トップは軽く周囲を見回すと、振り返った。
「じゃあ、始めようか。身体あったまってる?」
「はい。大丈夫です。よろしくお願いします」
「短期間だから、まずは基本的な身体操作かな」
「はい」
「では、立ってみて。普段通りでいい」
じっと見られているのを感じる。
「今度は自分がベストと思う立ち方を」
息を止めていたことに気づき、ゆっくりと息を吐く。
「うん、クセはだいたいわかったかな」
「はい」
「呼吸、姿勢、立ち方、歩き方、そこからだね」
「はい」
「僕、説明できないから、感じて考えて」
「はい」
「その前に、一回だけ手合わせしようか」
「はい!」
剣を構える。
――来る。
そう思った瞬間。気づいた時には、地面に倒れていた。
息が詰まる。何が起きたのか分からない。力も感じなかった。
「……今の、見えた?」
「いえ」
「だね」
あっさりしている。
「これが今の君ね」
軽い声だった。
「悪くはないけど、まだまだだね」
トップをあらためて見つめる。
「もう一回いく?」
「はい」
構える。さっきと同じように。
いや、少しだけ意識を変える。全体を意識する。
踏み込む。次の瞬間。
また、崩された。
いや、違う。さっきとは違うはずだ。だが、何が違うのか分からない。
気づけば、また地面だった。
「今の、何も分かってないでしょ」
「……はい」
「でも、さっきよりはマシかなぁ」
そして、爽やかに、あっけらかんと言い放った。
「ということで、まずは立ち方からだね」
「はい」
立つ。それだけのことが、できないということだ。




