6 フィアとの遭遇、リディアの決意
庭に出たのは、頭を整理したかったからだった。
グレイの言葉は、簡潔で明快だった。だからこそ、重かった。治療法はない。発作は続く。身体はいずれ耐えきれなくなる——噂で聞いていた「余命わずか」という言葉が、今は全く違う質量を持って胸に沈んでいた。
噂と、現実は違う。
倒れたアルヴィスの顔が、まぶたの裏にまだ残っていた。苦悶に歪んだ表情、床に崩れ落ちた身体、指の隙間から滴った赤黒いもの——それを前にして、近づくことすらできなかった。
前世で何度も患者の傍に立ってきたリディアが、ただ壁際に立ち尽くすしかなかった。
(魔力回路閉塞症……)
前世の知識は、この世界では通じない部分がある。魔力という概念が、まずそうだ。体内を循環する魔力のバランスが崩れる——グレイの説明は理解できたが、それがどういう仕組みで、どう身体を蝕むのか、まだわからないことだらけだった。
知らなければ、何もできない。
リディアは石畳の小道を、取り留めもなく歩いた。
手入れの行き届いた芝生、整然と刈り込まれた生垣、季節の花が咲き揃った花壇——どれも丁寧に管理されていて、屋敷の内側とは別の、穏やかな空気が流れていた。朝の空気がまだ残っていて、日差しは柔らかい。
ふと、足が止まった。
庭木の隙間に、小さな人影を見つけた。
葉陰に半分隠れるようにして、じっと屋敷の方を見ている。銀色の髪が、木漏れ日の中でほんのりと光っていた。
(フィア様……?)
まだ一度も顔を合わせていない。けれど、その子がフィアだとすぐにわかった。アルヴィスと同じ色の瞳。幼いながら整った顔立ちは、父親の面影をそのまま小さくしたようだった。
声をかけようか、一瞬迷った。昨日「会いたくない」と言われたばかりだ。
その迷いが伝わったのか——あるいは、リディアの視線に気づいたのか。
フィアの目がリディアをとらえたと思ったら、小動物のような素早さで、庭木の陰へと身を翻した。あっという間だった。
残ったのは、揺れる葉と、静かな庭だけだった。
リディアはしばらく、フィアが消えた方向を見つめていた。
嫌そうな顔ではなかった。一瞬だったが、見えた表情は——驚いた顔だった。
(警戒しているのね、やっぱり)
まだ嫌われる理由に、心当たりはない。
リディアは踵を返しかけて、ふと気づいた。フィアが隠れる前、じっと見つめていたのはどこだったか。
視線の先には——アルヴィスの執務室があった。
リディアは少しの間、その窓を見つめた。
アルヴィスは言っていた。「フィアがここへ来ることはない」と。迷いのない口調だった。しかし、フィアは庭木の隙間から、じっと執務室を見ていた。
(来ることはない、と言ったのは——アルヴィス様の側の話で)
フィアが来たいと思っていないかどうかは、別の話だ。
少なくとも今、フィアの視線は執務室に向いていた。気になるから、見ていたのだろう。父親が、気になるから。
そのとき、グレイの言葉が蘇った。
「……どこか、怪我は?」
発作の直後、グレイが最初に確認したのはそれだった。魔力の余波は、周囲の人間にも影響を与える。リディアでさえ、一歩踏み込むだけで全身に衝撃が走った。
ならば——幼い子どもが、あの場にいたら。
(もしかして)
アルヴィスがフィアを遠ざけているのは、そのためかもしれない。発作が起きたとき、傍にいれば危険だから。近づけば傷つけてしまうから。
まだ憶測に過ぎない。アルヴィスの本心も、フィアの気持ちも、リディアにはまだ何もわからない。嫁いできてまだ二日だ。二人のことを、ほとんど何も知らないのだ。
リディアは執務室から、フィアが消えた庭木へと視線を移した。
知らなければ、寄り添えない。
知りたいと思った。
アルヴィスのことも、フィアのことも——二人が抱えているものを、少しずつでいいから。
前世で果たせなかったことを、今度こそ。
リディアは静かに息を吸い込んだ。朝の空気は、まだ少し冷たかった。




