29 余命宣告解除(アルヴィス視点)
正式な再診察が行われたのは、リディアが目を覚ましてから数日後のことだった。
リディアも診察に立ち会いたいと申し出たらしいが、グレイにしばらくは安静にしているようにと言われ、しぶしぶ部屋で休んでいると、レイモンドが孫娘を語るような笑顔で言っていた。
王都から取り寄せた魔力回路の流れを診るための器具に、アルヴィスがそっと手を触れる。淡い光が、器具に付いている水晶の内側をゆっくりと巡っていく。
その光の色を確認しながら、グレイは、何度も同じ箇所を見返していた。
「……やはり」
ようやく顔を上げたグレイの表情には、これまで見たことのない、静かな高揚があった。
「アルヴィス様」
グレイは、一拍置いてから、はっきりと告げた。
「貴方の余命宣告を引き下げます」
その言葉に、部屋の空気が止まった。
「閉塞していた魔力回路が改善しています。完治ではありませんが、閉塞から狭窄くらいには改善しています。断定はできませんが……少なくとも、これまでのように、月日を切って余命を告げるような状態ではなくなりました」
淡々とした口調だったが、その一言一言に、これまでの診察では聞いたことのない重みがあった。
背後で、小さく息を呑む音がした。振り返らずとも、それがレイモンドのものだと分かった。
「先生……それは」
「はい。年単位で、先を考えていただいて構わないということです」
レイモンドが、それきり何も言わなくなった。俯いた横顔に透明な滴が伝うのが視界の端に映る。
アルヴィス自身は、ただ、その場に座ったまま、動けずにいた。
実感が、まったく湧かない。というのが、今の心境だった。
長く生きられない。だからこそ、死ぬ前に全てを整えておかなければならない。その前提の上に、病んでからの人生を積み上げてきた。
その前提が、今、静かに崩れた。
「……そうか」
短く、そう応じるのが、精一杯だった。
グレイは、そんなアルヴィスの様子を見て、小さく笑った。
「実感が湧かないという顔をしていますね」
「……そう、だな」
アルヴィスは、正直にそう答えた。
「これまで、死ぬための準備しか、考えてこなかった。生きる前提で、この先を考えるというのが……どういうことなのか、正直、まだ分からない」
「それでいいのではないですか」
グレイは、静かにそう返した。
「今日、明日で分かるようなことでもないでしょう。ただ――これだけは、覚えておいてください」
グレイの目に、医師としての真剣さが浮かんだ。
「あなたはもう、"死ぬ準備"をする必要はない。これからは、"生きる未来"を考えていい。それだけです」
その言葉が、ゆっくりと、アルヴィスの中に染み込んでいく。
死ぬ準備ではなく、生きる未来を。
これまで、考えることすら自分に許してこなかった――だが、胸の奥で渇望していた言葉だった。
診察の後、レイモンドが、静かに口を開いた。
「アルヴィス様。この結果であれば――叔父君の、後継についてのお話も」
「ああ」
アルヴィスは、短く頷いた。
「これでもう、叔父の付け入る隙はないな。病を理由にした後継の話は、もう成り立たない」
その言葉に、レイモンドが小さく頷き返した。
「……リディアの部屋に行く」
アルヴィスが短く告げ立ち上がると、グレイは頷いた。
「そうですね、貴方から結果を聞いたほうが彼女も喜ぶでしょう」
そう言って、グレイは静かに微笑んだ。
応接間を出ると、廊下の向こうから、押し殺したような泣き声が響いてきた。厨房の方角だ。マーサが、話を聞きつけたのだろう。
その声を背に、アルヴィスは、リディアの部屋へと足を向けた。
扉を叩くと、控えめな応えがあった。
「アルヴィス様?」
寝台に身を起こしていたリディアが、驚いたように目を見開く。まだ顔色は本調子とは言えなかったが、あの夜に比べれば、随分と血の気が戻っていた。
「起きていて、大丈夫なのか」
「はい、少しずつ動けるようになってきました。あの……診察は」
問いかけるリディアの目に、期待と不安が入り混じっているのが分かった。
アルヴィスは、寝台の傍らに置かれた椅子に、静かに腰を下ろした。
「余命宣告は、取り下げられた」
その一言に、リディアの表情が、大きく揺れた。
「……本当、ですか」
「ああ」
「良かった……」
込み上げるものを堪えきれないというように、リディアの目に、みるみる涙が浮かんだ。
「本当に、良かった……」
震える声で、そう繰り返す姿を、アルヴィスは黙って見つめていた。
自分の身体のことなのに、自分よりも先に、彼女が泣いている。
その事実に、胸の奥が、じんと熱くなった。
「グレイが言っていた」
アルヴィスは、静かに続けた。
「これは、君の魔力によるものらしい。長く蓄積されていたものが、あの日、一気に作用したのだろうと」
「私は、ただ――」
リディアは、涙を拭いながら、小さく首を振った。
「何かせずには、いられなかっただけです」
「知っている」
アルヴィスは、短くそう答えた。
「だから、余計に――」
続く言葉を、アルヴィスは、そこで一度呑み込んだ。
礼を言うべきなのか、危険に晒したことを詫びるべきなのか、自分でもまだ、整理がついていなかった。ただ、彼女がいなければ、この結果はなかった。それだけは、確かだった。
「無理をするな」
結局、そう告げるのが、精一杯だった。
リディアが、涙の残る顔で、小さく笑った。
「アルヴィス様も」
その笑顔を見ながら、アルヴィスは、静かに思う。
死ぬ準備ではなく、生きる未来を。
その言葉の意味を、これから、少しずつ、確かめていくことになるのだろう。
この彼女と共に。




