エピローグ
庭に出ると、夕暮れの光が薬草畑を橙色に染めていた。
まだ本調子とは言えない身体を気遣いながら、リディアはゆっくりとした足取りで、育ちつつある薬草の様子を見て回っていた。しばらく手入れができなかった分、葉の伸び方も心なしか不揃いだった。
「少し、伸びすぎてしまいましたね」
誰へともなく呟きながら、屈み込んで葉に触れる。土の匂いと、薬草特有のわずかな苦みを帯びた香りが、鼻先をくすぐった。この匂いを嗅ぐと、不思議と心が凪ぐ。
風が緩やかに吹き抜け、花壇の花がさざめくように揺れる。
アルヴィスの病気が軽快したので、薬湯や鎮痛剤を作る必要はなくなったが、リディアはこれからも薬草の世話を続ける予定だ。
(備えあれば憂いなし……だからね)
完治したわけではないので、もしかしたら体調を崩すこともあるかもしれない。それに、腰痛や胃痛など持病を抱えている屋敷の者たちに配っても良いだろう。
「――リディア」
名を呼ばれ、振り返った。
夕陽を背に立っていたのは、アルヴィスだった。歩いてくるその足取りに、以前のような重さはない。顔色も、記憶にあるものよりずっと良いことに気づく。血の気の乏しかった頬に、わずかながら赤みが差していた。
「アルヴィス様」
「無理をして出てくるものではないだろう」
咎めるような口調だったが、その声に、以前のような刺々しさはなかった。
「少しくらいなら、もう大丈夫ですよ。それに、薬草たちが心配で」
リディアが笑いながらそう返すと、アルヴィスは小さく息をついた。呆れているような、それでいて、どこか安堵しているような、複雑な表情だった。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。庭を吹き抜ける風が、微かな音を立てている。夕暮れの光が、二人の影を地面に長く伸ばしていた。
「君の命を危険に晒して、すまなかった」
やがて、アルヴィスがそう切り出した。声には、これまで抑え続けてきた重みが滲んでいた。
リディアは、小さく首を振った。
「謝らないでください」
「だが」
アルヴィスの様子から、リディアに対して罪悪感を抱いていることに気が付いた。
「私の意思でしたことです。アルヴィス様が謝る必要はありません」
きっぱりとした声で伝える。
それでも、アルヴィスが、苦しそうに眉を寄せる。何か言葉を続けようとしたが、それより先に、リディアが柔らかく笑った。
「それよりも、アルヴィス様」
その笑顔に、アルヴィスの言葉が止まった。
「これからの話をしましょう」
リディアは、穏やかに、それでいて先を見据えるように、しっかりとそう告げた。
アルヴィスは、しばらく何も言わなかった。風が、また花を揺らす。橙色の光が、二人の間で揺れていた。
これから、の話。
この屋敷に嫁いできて、その言葉を口にしたことは一度もなかった。死を待つように拒絶の色を見せるアルヴィスに、その言葉をかけることはできなかった。
けれど今は、アルヴィスと未来について語ることができるようになったのだ。そのことが嬉しく、リディアの顔に笑みがこぼれた。
アルヴィスは、ゆっくりと手を伸ばした。躊躇いがちに――指先が、リディアの手に触れた。
リディアは一瞬おどろいたが、アルヴィスの手をそっと握り返した。
温かかった。
アルヴィスは、小さく笑った。長い間忘れていたような、少しぎこちない笑みだった。リディアも、それに応えるように微笑み返す。
「そうだな……これからの話をしよう」
まだ、恋と呼べるものではないのかもしれない。二人の間にあるのは、もっと不確かで、名前のつかない何かだった。
夕暮れの庭園で、風に揺れる花々に囲まれながら、二人は見つめ合った。
握り合った手のひらから伝わる熱だけが、二人がここに生きていることを、静かに物語っていた。




