27 眠り続ける花嫁(アルヴィス視点)
目を覚ました時、アルヴィスは寝台の上にいた。
身体を起こそうとして、まだ鈍い痛みが全身に残っていることに気づく。だが、それよりも先に浮かんだのは、別の記憶だった。
――触れられた、感覚。
震える手。囁くような声。「大丈夫ですよ」――そう繰り返していた、あの声。
「……リディアは?」
掠れた声で、傍に控えていたレイモンドへ尋ねる。
「アルヴィス様、お目覚めになりましたか! ……リディア様は……」
答えるまでの、わずかな間が、嫌な予感を掻き立てた。
「……まだ、お目覚めになっていません」
レイモンドの声は、抑えていても隠しきれない硬さを帯びていた。
「三日が経ちます」
三日。
その言葉に、アルヴィスは寝台を降りようとした。まだ本調子でない身体が、それに抗議するように軋む。それでも、構わず立ち上がった。
「アルヴィス様、まずはご自身のお身体を――」
「リディアの部屋へ行く」
有無を言わさぬ声に、レイモンドは一瞬躊躇った後、静かに頭を下げた。
リディアの部屋の扉を開けると、そこには、静かに眠り続ける彼女の姿があった。
顔色は、以前見た時よりも青白い。呼吸は穏やかだったが、どれだけ声をかけても、瞼が開くことはなかった。
「命に別状はない、とグレイ先生は言っておりました」
レイモンドが、静かにそう告げる。だが、その言葉は、アルヴィスの中に渦巻く感情を、少しも和らげてはくれなかった。
――自分のせいだ。
あの発作に、彼女を巻き込んだ。止めようとする手を振り払わなかったのは自分だ。危険を承知で触れようとした彼女を、拒み切れなかったのも、自分だ。
寝台の傍らに座り、アルヴィスは、眠るリディアの顔をただ見つめた。
穏やかな寝顔だった。苦しんでいる様子はない。それでも、目を覚まさないという事実だけが、重く胸にのしかかってくる。
「……すまない」
誰にも届かない謝罪が、静かな部屋に落ちた。
その日の午後、部屋の扉が、控えめに叩かれた。
「はい」
レイモンドが応じると、扉の隙間から、小さな影がそっと顔を覗かせた。
フィアだった。
不安そうな顔で、部屋の中を見回している。視線が、寝台に横たわるリディアの姿を捉えた瞬間、フィアの表情が、くしゃりと歪んだ。
小さな足で、寝台に駆け寄る。
フィアはベッドの側に立つアルヴィスの服を、少し躊躇ったあと、キュッと握った。
「りでぃあ」
声が、震えている。
「りでぃあ、ねんね……まだ、おわらないの……?」
その問いに、アルヴィスは、何も答えられなかった。
フィアの目に、涙が浮かんだ。
「フィア、りでぃあと、またおはなししたい……いっしょに、おかしつくりたい……」
その言葉の一つひとつが、アルヴィスの胸を、静かに締め上げていった。
自分のせいだ。
自分の身体が、この状況を招いた。フィアのこの涙も、リディアが眠り続けているという事実も、すべて、自分の弱さが招いたものだった。
「……フィア」
アルヴィスは、娘の傍にしゃがみ込んだ。小さな肩に、そっと手を置く。
「きっと、目を覚ます」
自分でも、確信のない言葉だった。それでも、そう口にせずにはいられなかった。
「だから、少しだけ、待っていてくれるか」
フィアは、涙で濡れた目で、じっとアルヴィスを見つめた。それから、小さく頷いた。
その夜、グレイが診察のために訪れた。
「容態に、変化は」
アルヴィスの問いに、グレイは少し考えるような間を置いてから、口を開いた。
「――むしろ、伺いたいのはこちらです」
グレイの声には、これまで聞いたことのない緊張が滲んでいた。
「診察の結果、あなたの魔力回路の状態が、変化しています」
「……何?」
「きちんと精査が必要ですが……明らかに改善している」
その言葉に、アルヴィスは、しばらく反応できなかった。
その違いがどれほどのものか、長年の診察を受けてきたアルヴィス自身が、誰よりも理解していた。
「改善……?」
それは、諦めていた言葉だった。
グレイは、言葉を選ぶように、慎重に続けた。
「完治ではありませんが、これまでのように死に向かっていた状態ではなくなりました」
信じられない、というのが、正直な感想だった。長年、悪化することはあっても、好転することなど一度もなかった身体だ。
「なぜ、そんなことが」
「私にも、はっきりとは分かりません」
グレイは、静かに首を振った。
「ただ――これまで蓄積されてきた彼女の調和魔力が、今回の大規模な暴走によって、一気に作用した可能性がある。そう考えるのが、最も筋が通ります」
グレイは、眠り続けるリディアへ視線を向けた。その目には、医師としての驚嘆と、それ以上の、何か複雑な感情が浮かんでいた。
「前例がありません」
そう呟いたグレイの声には、戸惑いが滲んでいた。
「調和系の魔力に、これほどの作用があるとは……理論上の可能性でしかなかったものが、目の前で証明された。正直、驚いています」
アルヴィスは、何も言えなかった。
自分の身体が、確かに変わりつつある。それを告げられても、実感が、まったく湧いてこない。
ただ、視線は、眠り続けるリディアの顔に、吸い寄せられていた。
彼女が、自分を救った。
その事実だけが、静かに、重く、胸の中に落ちていった。
グレイが部屋を辞した後も、アルヴィスは、しばらくその場を動かなかった。
窓の外では、日が暮れかけていた。橙色の光が、リディアの穏やかな寝顔を、静かに照らしていた。
「……早く、目を覚ませ」
掠れた声で、そう呟く。
返事はなかった。それでも、アルヴィスは、その手を握る手を離さなかった。




