18 服用するか否か
完成した鎮痛剤の小瓶を前に、リディアはまだ決心がつかずにいた。
(かえって、病状を悪化させてしまったら……)
考えれば考えるほど、瓶の中の琥珀色の液体が、恐ろしいもののように見えてきてしまう。
リディアが黙り込んでいるのを見かねたように、グレイが口を開いた。
「……私も、少し脅しすぎてしまったようだな」
その言葉に、リディアは顔を上げた。
「副作用が出る可能性がないとは言わない。だが、動物実験を含め、安全性は確認しながら作った薬だ。効果については、私が保証する」
グレイの声は、いつになく静かだった。医師として、無責任な太鼓判を押すつもりはない――それでも、リディアの不安を少しでも和らげたいという思いが、その口調には滲んでいた。
しばらくリディアを見つめてから、グレイは静かに尋ねた。
「君は……何故、この薬を作りたいと思ったんだ?」
「薬を作りたいと思った理由……」
脳裏に浮かぶのは、痛みに顔を歪めながらも、机に向かい続けるアルヴィスの姿だった。
「私は――」
声が、微かに震えた。
「アルヴィス様の痛みを、少しでも和らげたいと思ったから……それだけです」
言葉にしてみて、リディアは改めて気づく。
難しく考えすぎていた。
確かに薬は毒にもなる。けれど、グレイに指示を仰ぎ、可能な限りの安全性を心がけて作ったのだ。
その時だった。
診察室の扉がノックされ、グレイが返事をするよりも早く扉が開いた。
「すみません、グレイ先生」
レイモンドだった。
「旦那様が、魔力暴走を起こされました」
その一言で、リディアの手から、迷いが消えた。
グレイと共に、リディアは執務室へと走った。廊下を抜けるたびに、空気が徐々に張り詰めていくのが分かる。扉に近づくにつれ、肌がぴりぴりと痺れるような、覚えのある感覚が強くなった。
以前、感じたのと同じ、魔力暴走の気配だった。
扉を開けると、その空気は一層強く、リディアの肌を叩いた。
幸い、今回の発作は、前回ほどの激しさではないようだった。荒れ狂っていた魔力の波が、少しずつ、引き潮のように鎮まっていく。
それでも――机に突っ伏すように座り込んだアルヴィスは、額に脂汗を滲ませ、苦悶に顔を歪めていた。荒い息の合間に、呻くような声が漏れている。
その姿を目にした瞬間、リディアは、手の中の薬瓶を、強く握りしめていた。
グレイが素早く容態を確認しながら、リディアに「どうするんだ?」と視線で尋ねてきた。
リディアは、覚悟を決めたように頷き、アルヴィスに歩み寄った。
「アルヴィス様」
声をかけると、アルヴィスは、辛うじて顔を上げた。焦点の合わない目が、それでも、リディアの方を捉える。
「痛み止めを、作りました」
リディアは、震える手で瓶を差し出した。
「効果は、グレイ先生に確認していただいています……でも、副作用がどう出るかは、まだ分からないんです」
正直に、そう告げた。今、この場で嘘をつくことだけは、したくなかった。
アルヴィスの視線が、リディアの手にある瓶へと落ちた。
しばらくの沈黙の後、掠れた、苦しげな声が、途切れ途切れに紡がれた。
「……元々」
息を吸う。それだけの動作にも、明らかに苦痛が伴っているようだった。
「……いつまで、生きられるか……分からない、身体だ」
言葉の合間に、荒い呼吸が混じる。
「副作用が、出たとしても……君が、気にすることは、ない」
そう言うと、アルヴィスは震える手を伸ばし、リディアの手から、薬瓶を受け取った。
震えているアルヴィスの指先が、瓶の蓋にかかる。硬く閉まっていたそれを回そうとして、一瞬、力が入りきらないように指先が止まった。それでも、もう一度力を込め直すと、小さな音を立てて、蓋が外れた。
瓶の中の琥珀色の液体が、灯りを受けて揺れる。
アルヴィスは、それをしばらく見つめていた。リディアを信じてくれているのか、それとも――もう、何が起きても構わないという諦めなのか。荒い呼吸を繰り返す横顔からは、どちらなのか読み取れなかった。
瓶が、ゆっくりと傾いていく。
瓶口が、震える唇に触れた。
こくり、と喉が動いた。
もう一度。喉仏が、上下する。
琥珀色の液体が、少しずつ、瓶の中から失われていく。
リディアは、瞬きすら忘れて、その様子を見つめていた。心臓が、痛いくらいに早く脈打っている。もし、何かの異変が起きたら――そう思うと、指先が冷たくなった。
やがて、アルヴィスは瓶を口から離し、机の上にそっと置いた。薬は、ほとんど飲み干されていた。
アルヴィスが大きく息を吐き、次の瞬間、糸が切れたように身体が傾いだ。
「アルヴィス様!?」
「大丈夫だ。気を失っただけだ」
慌てるリディアに、グレイが冷静に「魔力暴走のあとは、いつもこうなる」と教えてくれた。
リディアは、祈るような気持ちで、アルヴィスの色を失った顔を見守るしかできなかった。




