17 アルヴィスの変化(アルヴィス視点)
執務室の窓から、柔らかな風が流れ込んできた。
書類にペンを走らせていたアルヴィスは、その感触に、ふと目を細める。
以前は、窓は常に締め切っていた。
別に開ける必要性を感じなかったからだ。
それが今では、毎朝リディアの手によって開け放たれている。
「私に関わるな」
最初の頃は、そう言って追い返そうとした。けれどリディアは、悪びれる様子もなく「空気を入れ換えるだけですので」とだけ答え、本当に窓を開けるだけで、部屋を出ていく。それを、毎日、飽きもせず繰り返した。
いつからか、「関わるな」と口にするのをやめた。
言ったところで無駄だからだ――そう自分に言い聞かせていたが、本当のところは、少し違う気がしていた。毎回同じ言葉を繰り返すのが、面倒に思えてきたというのもある。だが、それ以上に――彼女は気にも留めていないというのに、自分だけが、彼女の行動をいちいち気にかけているようで、それが妙に据わりが悪かった。
それに、窓から入ってくる風に不快感を感じなかったことも大きい。
不思議な娘だ、とアルヴィスは思う。
これまで、幾人もの女性を屋敷に迎え入れてきた。
自分の命が長くないことは、誰よりも自分自身が理解している。フィアには、母親のような存在が必要だろう。そう思って、花嫁を迎え入れてきた。むろん、屋敷に招く前には、人となりを調査していた。
しかし、結果はいつも同じだった。
誰もが、アルヴィスの魔力暴走を目の当たりにした途端、恐怖に顔を歪め、屋敷を去っていった。――フィアの母親と、何一つ変わらなかった。
リディアについても、他の花嫁と同様に調べさせている。
没落寸前の子爵家の令嬢。
穏やかで、控えめな性格。これといって突出した才もなく、質素な暮らしぶり――報告書に並んでいたのは、その程度の言葉だった。リディアは、子爵家への援助と引き換えに、この縁談を受け入れた娘。
これまでの経験もあるので、アルヴィスは、さして期待もせず、「大人しい娘だから、今回も長くは持たないかもしれないな」と、諦めにも似た気持ちで彼女を迎え入れた。
ペンを止め、アルヴィスは席を立つと、窓辺に寄った。
庭では、リディアが水やりをしている姿が見えた。
予想は、外れた。
あの魔力暴走を目の当たりにしても、リディアは逃げ出さなかった。
しばらくして、レイモンドから、リディアが庭の一角で薬草を育てたいと申し出ていると聞いた。
調書には、子爵家でも同じように薬草を育てていたと記されていた。だとすれば、目新しいことでもない。断る理由もなく、アルヴィスはそのまま許可を出した。
それから間もなく、リディアが薬湯を持って執務室を訪れるようになった。
「かまうな」
その時も、そう言い放った。だが、リディアは意に介する様子もなく、机の端に湯呑みを置いて出ていった。
(相変わらず、言うことを聞かない娘だ)
そう思いながらも、喉が渇いていたこともあって、アルヴィスは湯呑みに口をつけた。ほのかに甘く、それでいて草の香りが鼻を抜ける、優しい味だった。
その夜は、少しだけ、よく眠れた気がした。
いつもは、全身を苛む痛みと、繰り返し見る悪夢とで、眠った気がしない。それが、その日は、少しだけ身体が軽く感じられた。
薬湯のおかげなのかは、分からない。
それでも、毎日夕方になるとリディアが薬湯を運んでくるようになり、断るのも面倒で、いつしか黙って口にするのが習慣になっていた。
庭の方から、微かな笑い声が聞こえてきた。
視線を戻すと、いつの間にか、フィアがリディアの傍に来ていた。
水やりの手を止めたリディアが、フィアに向かって、柔らかく笑いかけている。何を話しているのかまでは聞こえないが、これまで、フィアが自分から誰かに近づいていく姿を、アルヴィスは見たことがなかった。ここ最近は、食事も共にしているとレイモンドから報告を受けていた。
窓辺に立ったまま、アルヴィスはしばらく、その光景を眺めていた。
リディアとフィアの声、暖かな風、明るい日差し――どれも、これまでの自分には縁のなかったものだった。
「この時間が……」
アルヴィスは、誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
もう少しだけ、続けばいい。
それは、アルヴィスが初めて抱いた、未来への感情だった。




